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 〜軍天使ライラ・瞬間接着剤の章

第一章

1.

 いつもと変わりのない日常。街の中央通りを、一人の、黒い尼僧服に身を包んだ美女が行く。長く伸びたベールの下から覗く、一条の黄金の髪、黒い衣に映える、乳色の肌、そして、尊大なまでの自信に満ちあふれた、生気溢れる美貌。そう、かつて、北地の神々の姫将軍と呼ばれ、自身も、北の大神の娘であるはずの、ライラである。そんな生まれの彼女が、人間の神、教会に仕えるに至ったいきさつは紆余曲折を経るのだが、街の教会の、教えというよりはむしろ、神父の言葉にほだされ、彼の手伝いをしている、というのが実際のところである。

 買い出しの帰りなのであろう、手に大きな袋を抱いた彼女は、ふと、通りの先で、何やら人だかりが出来ているのに気付き、そちらへ足を運ぶ。

(...何事だ?)

 長身の、とはいえ、所詮は女の身の彼女の事、さすがに、人垣の外から、中の様子は伺い知れない。邪魔をするぞ、と、さも当然の権利のごとく野次馬を捌き、その騒ぎの現況に目を向ける。

(喧嘩か?)

 見れば、数名のならず者風の男たちと、一人の、華奢といっても良いような、細身の若者がもめ事を起こしたのか、酷い緊張感をもって対峙している。複数の方は、いかにも傭兵、というよりは、むしろ、野盗かならず者といった容貌の、いかにもスジ者らしい目つきの男たち。疵だらけの革鎧と、使い込まれた長剣が、かなりの修羅場をつんでいることを伺わせる。一方の若者は、東洋系の、黒髪に黄色い肌、それも、島や半島系ではなく、大陸の、しかも北方系の顔立ちに、黒い拳法着、加えて、素手の、いかにも武術家風のスタイルである。一見優しげな顔には、今は挑発的な笑みを浮かべ、抜刀した複数の男を相手にしたひるみといったものはまるでない。こちらもかなり場数を踏んでいるのだろう。しかも、すでに若者の足下には肩や腹を押さえたならず者たちが、呻き、のたうっている。新興の、急発展を遂げたこの交易都市の、もう一つの顔、傭兵都市といわれるワーレンの、最大の欠点が、こうした、荒事がやや、多いきらいがあるということだ。そのため、自警団や警察、公安機構はそれこそ、他国の騎士団並みの戦闘能力をもった人間でそろえられているのだが、それでも、彼等が駆け付けるまでは、手の打ち用がない。加えて、こういった、双方その気の、いわば喧嘩の様相を帯びてくれば、誰も警察を呼びに行かなくなってしまう。皆、野次馬根性を出して、その喧嘩を楽しんでしまう風潮があるのだ。

(しかも、兜卒天じゃないか...)

 渦中のひとの一方、東洋系の若者を目に、ライラが、困ったように眉を曇らせる。兜卒天。無論本名ではない。わけあって東方から逃れ、亡命してきたこの若者は、彼女にとっては親しい友人の一人で、...彼女自身は、意識しているつもりはないのだが、周りからは、彼女の、ボーイフレンドと目されている若者だ。先の麗の父、イェンリークに師事し、考古学を学んだり、学校では、生徒会長を務める、一見穏健派に見える活動を主とする彼だったが、三度の飯より喧嘩が好きという、どうしようもない悪癖を持ち合わせている。

「おう! われぇ! わしらにケンカうったこと、後悔させたる!」
「吐いた唾飲まんとけよぉ!」

 すでに二人の仲間を倒されているわりに、いまだ強気なのは、数の利が有るからか、虚勢か、それとも、倒された二人が、彼等の中でも格下だったからか。

「その、エセ関西弁やめてくれません? あんたらみたいな人がいるから、関西弁=やくざや思われて、僕らごっつい迷惑なんです」

 若者が、独特のイントネーションを持ったなまりのある口調で、ならず者たちに語りかける。

「そういう喋り方したら、ハクがつく思うて、あんたらみたいなチンピラ、みんなそんな喋り方しますやろ? お陰で、チンピラ語やァ思われて、困ってるんです」
「おんどりゃぁ! なめとんのんか!」
「冗談いうとんのも、たいがいにせぇよぉ!」

 残るならずものたちの一人の剣先が、若者の、制空圏に触れる。と、まるで放たれた矢のように少年がそちらに間合いを詰め、左の拳で男の剣の腹を叩き、もう一歩、足を踏み込ませる。すでに剣の間合いではない。若者の身体が、半回転しかかと思うと、左の、今度は肩から背中にかけての広い面が、男の胸に叩き付けられる。一種の体当たりであろう。力強く踏み締めた足のバネが、ダイレクトに男の胸に叩き込まれる。

 男が、まるで馬にでも撥ねられたかのように、吹き飛ぶ。

「手前ぇ! またやりあがったな!」
「ブッ殺してやる」

 剣を抜いた男たちが、若者の周囲を取り囲む。さすがに、これは危険だろう。
人間は、背中に目はないのだから。

「おい、いい加減にしないか」

 見兼ねたライラが、人込みをわって姿をあらわす。友人であり、彼が街でも知られざる実力者のひとりである事を知っているライラのこと、この喧嘩に彼が負けるはずのないことは確信はしていたが、それでも、素手で剣の相手をすれば、無論無傷ではすむまい。そして、やはり、友人として、そういう事態はあまり、見たいものではない。

 人込みの中から姿をあらわした、美貌の尼僧に、渦中の男たちが一斉に目を向ける。

「ライラさん...」

 驚いたように目を丸くし、まじまじと彼女を見つめる兜卒天。

「なんだァ、この尼ァ」

 ならず者たちも、そんな彼女に、一斉に目を向ける。

「貴様ら、早々に立ち去った方が、身の為だぞ。失せろ」

 尊大な、ライラの、微かな怒りを含んだ言葉。だが、無論、尼僧服の女に、しかも高圧的な説教を受け、はいそうですかとさがる男たちではあるまい。現に、男たちのうちの何人かが、今度は剣先をライラへと向ける。

「ライラさん、危ないです!」

 兜卒天の心配そうな叫び。だが、ライラは気にした風もなく、手に持った買い物袋を野次馬の一人...たまたま、彼女の隣にいただけの男...に押し付けると、長く背に伸びた黒いベールの下に手を差し入れ、...そこから、一本の、長大な
両手剣を引き抜いた。

 刃渡りは、優に1メートルを越えよう。柄をも含めた全体の長さは、彼女の胸まで程も有る。鋭く、細い切っ先とは対照的に、柄に近い部分は、身幅が10センチ近くもある。一見すれば、とても女の細腕で振るえる剣では無さそうにも見えるが、逆に重心を手許近くにおいた造りが、この大剣を取り回しやすいものにしているのだろう。

 喧嘩好きの友人に眉を寄せたライラ。だが、かくいう彼女も、決して好戦的でないわけではない。ただ、彼女の場合、喧嘩が好きなのではなく、無礼をされるのが嫌いだ、という違いはあるのだが...。

 剣を抜いた、シスター服の天使の背、ベールに隠された、背中のスリットから、純白の翼がゆっくり、大きく広がる。威嚇する、猛禽の翼。そして、あるいは剣をはるかに凌ぐ、彼女の武器。地上の、多くの高名な戦士たちも、そのほとんどが、天を舞う、翼を持つ天使との戦い方など、学んではいないのだ。

 重厚にして優美な、長大な大剣を最下段に持った、純白の翼と、黒い尼僧服を身にまとった、美貌の天使。その一種倒錯的なコントラストが、ぞっとするほど、その美貌に映える。
 そして。
 ふわり。
 宙を舞う。そう見せ掛けたライラの身体が、地を蹴り、地面すれすれを飛燕のように男たちとの間合いを詰める。陽光を翻し、鈍色の大剣が一閃、否、三閃する。
 ギン! キュイィィィン!
 美しい、鈴と響く金属音とともに、男たちの剣のうち三本までが、この一瞬で根元から断ち切られる。縁を描き、黄金の日の光を照り返し、大剣が、地上の太陽のごとく光を放つ。 一瞬遅れて、地に落ちる三本の鋼の刃。その、鏡のように、鋭利な切れ口。
 折れたのではない。斬られたのだ。
 天使の身体が、そこから斜め後方上空に、ふわりと舞う。
 まるで体重というものを感じさせない、本物の鳥をも遥かに凌ぐ、優美な飛行。思わず、呆然とその舞に見入る男たち。その瞬間に、今度は兜卒天の状態が、地面すれすれまで沈み、別の男二人に足払いをかける。
 この一瞬で、実に五人が戦闘能力を奪われたのだ。
 ふわり。
 天使が、最後に残った男の、下段に下げた...いや、彼女に見入り、下段に下がった、というのが正しかろう...男の、剣先、その切っ先の上に、舞い降りる。

「チェックメイト、だな」

 冷笑を浮かべ、天使が剣先を、男の眉間に押し当てる。
 額に汗を浮かべた男が、ゆっくり剣から手を放し、頭上に挙げる。無論、降参の印だ。
 男が、剣から手を離すと同時に、ひらりと地上に舞い降りたライラが、こちらも静かに剣を背に戻す。結局、血を見ずに納めたその大剣は、鋼の剣を断ち切ったというのに、刃こぼれ一つなかった。倒れた仲間たちを連れ、その場を逃げさる男たち。その様を冷たく見送りながら、ライラは、野次馬から買物袋を再び受け取る。

「ライラさん、助かりました」

 野次馬の喝采の中、微笑を浮かべるライラに、拳法着の若者が駆け寄り、礼を述べる。小柄な若者だ。実のところ、身長では、長身のライラよりもやや低いぐらいだ。体重も、女の彼女とさほど変わりそうにもない。先ほどの戦いぶ
りを見ていなければ、先の男たちがこの若者を舐めてかかったのも、至極当然と見える。長身美貌のライラと並ぶと、いかにも頼り無気に見える。が、時として、逆にこの若者が、(彼女自身は認めようとはしないのだが)ライラの心の支えとなっているのが、男と女の仲の、面白いところである。

「無事だったか?」

 今までの厳しい表情、先ほどの冷笑とは、うってかわった明るい笑顔で、ライラが若者に問う。

「ええ、お陰さまで」

 答える若者。ライラの、時々見せる明るいこの笑顔が、彼をこの尊大な天使の虜にしたといっても過言ではない、その笑顔に、少年は、微かに顔を赤らめ、わずかに目を伏せる。

「ライラさんも、御無事で、よかったです」
「当然だ」

 そんな、はにかむ若者に気付かず、天使は笑顔で、そう言い切った。事実、そう、始めの合図で剣術の勝負を取りもてば、彼女に勝てる人間は、この街にもそうは居まい。実際、彼女は自分で言うだけの腕は持っているのだ。

「でも、本当に怪我がなくてよかった」

 らしくない、少し、心配そうな表情を浮かべ、彼女はもう一度、そう呟く。

「それよりも、こんなところで何をやっていたんだ?」

 大通りの真ん中の喧嘩で、こんなところもなかろうに、相変わらず、少し顔を曇らせたまま、女が少年に問う。

「いえ、師匠ンとこへ行く途中で、さっきの連中が、女のコに悪さしようとしてましたんで、止めよう思ったんですけど...」

 と、ここで初めてそのことを思い出したかのように、彼は周囲に目を走らせた。三々五々、散っていく野次馬の中、一人の、いかにも気の弱そうなお下げの少女が、彼の方に駈け戻り来て、深々と頭を下げる。

「あ、あの、ありがとうございました...」
「いや、気にせんとって」

 少女に、優しく微笑みかける兜卒天。と、一瞬、ライラが面白くなさそうに唇を曲げる。おそらく、本人も意識していない、ほんのわずかなその変化に、本人よりもむしろ兜卒天が気付く。

「そういうライラさんは?」

 少女から視線を外し、わずかな困惑を含んで、今度は彼が彼女に尋ねる。

「私か? 私は、神父様のお使いで、買い物に行った帰りだ」

 一転して今度は、少女のような笑顔を浮かべ、天使が答える。と、今、自分で言って思い出したかのように、彼女は慌ててきびすを返す。

「そうだ、すまんな、兜卒天。失礼するぞ。まだお仕事があるからな」

 そして、最後に肩ごしに少年を振り仰ぎ、一言、そっと付け加えた。

「本当に...怪我がなくてなによりだ。...あまり、人を心配させるなよ」

2.

 そんな小さな事件の後、教会に舞い戻ったライラは、教会の扉の前で、主の神父と、身なりの良い一人の男が、なにやら立ち話をしているのに気付いた。

「いかがなさいました? 神父様?」
「おかえりなさい、ライラ」

 そんなライラに、まず、神父が優しい微笑を浮かべ、迎えの言葉を述べる。
 黒服に黒い髪、無造作に伸びた癖のある髪と、頬から顎にかけての薄い髭、優しい笑みを浮かべてはいるが、どこか、暗い、闇を含んだ独特の雰囲気をかもし出している、長身の男。そして、その色調に相応しい、わずかに愁いを含
んだ、それでいて鋭い目が、傍らの男に映る。

「こちらは...」
「あ、ライラ様、お待ちしておりました...」

 一瞬遅れて、今一人の男も、ライラに声をかける。どうやら、彼女に用が合ったのであろうか?

「私、フリューゲル財団の...」

 名刺を差し出し、名乗る、男。そう、先の麗の思いつきにも似たイベントに、選手との交渉に出かけた、代理人である。

 手に、対戦予定のカードを記した紙を持ち、ライラに、早速イベントの説明をする。素手ルールの異種格闘大会の案内。その、第3試合に、彼女の名が企画されている。

(...兜卒天と、かぁ...)

 複雑な思いながら、彼女の口元に、微笑が浮かぶ。女だてらに剣を振るう以上、彼女も、決して好戦的でない訳ではない、とは先にも語ったことだが、喧嘩は好きではない彼女だが、純粋に、技の比べあいなら、十分に興味を持っている。当然、それには喧嘩と異なり、あるべきルールと、モラルが伴う。

「どうしましょうか? 神父様?」

 黒い僧服の男の顔を覗き込み、ライラが、神父の意見を問う。

「貴女は、どうしたいのですか?」
「私は、...兜卒天となら、やっても構わんと思うな。あいつは、いい奴だから、嫌な試合にはならんと思うし」

 見た方も、思わずつられて微笑み返したくなるような、いつもの突っ張った雰囲気とは、うってかわった、幼さすら含んだ笑顔を浮かべ、女が神父の顔を覗き込む。そして、二人には無縁でないカードが、もう一つ...。

「で、神父様は?」

 少し心配そうな色を含んだ、ライラの瞳。神父の、暗い瞳が、最終第5試合のカードをジッと見つめる。
 ジョージ・レオン。
 ライラの名の、二つ上、そこに記されてあったのが、神父の名だ。
 そして。
 不破烈堂武蔵。
 それが、対戦相手の名であり、兜卒天の、3人の師のうちのひとりの名であった。

(面白いカードの組み方をしますね。...第三試合は、最終戦の、前哨戦、ですか)

 剣士としては一流以上の腕を持ってはいたが、一旦、懐に入られると、手のなかったライラに、徒手空拳の護身術を教えたのが、彼であった。そして、兜卒天は不破烈堂の、不破円明流の教えを受けた、武術家である。すなわち、師同士、弟子同士で組まれたこのカードを、果たして、誰がそれ以上の深読みが出来よう?

 傭兵都市の異名を持つ、このワーレンで、「最強の戦士」を決定するのは困難ではある。だが、「最強級」を選出すれば、必ずリストにあがってくる男の一人、それが、円明不破烈堂武蔵である。そして、剣鬼、あるいは単に「鬼」とも渾名される彼は、戦いを求めずにはおられない、屈指のバトルフリークの一人でもあった。

 神父の、肩が微かに震える。右手が、その震えを押さえようと、左の肩を抱く。軽く伏せられた顔から、表情は読み取れなかったが、口の端に、微かな笑みが浮かぶ。

「...仕方ないでしょう。ライラが出ると言うのならば、私も出場しましょう」

 再び顔をあげた時には、先ほどと同じく、憂いを含んだ表情のまま、神父が代理人に返答する。
 「悪魔」「ディアブロ」。
 鬼に対し、そう渾名される彼もまた、この街でも屈指の格闘家のひとりであった。

3.

「面白い...」

 その頃、同じく財団のエージェントから大会の話を耳にした、一人の浪人風の大男が、意外と、精悍とでも言うべき、整った顔立ちに、壮絶な笑みを浮かべて、紙片に目を通した。黒い髪に、赤銅色に焼けた肌を見るまでもなく、茶筅のごとき髷と、ごつい『刀』が、彼が、日向と呼ばれる東方の島国の剣士であることを雄弁に物語っている。

 身長、およそ2メートル。体重、推定150キロ。恐るべきは、その肉体がこれ、全身筋肉の固まりといった、まさに鬼を思わせる肉体には、ほとんど無駄な肉は乗っていない、その事実であった。

「お主も、出よるよな」

 その大男が、傍らの、こちらは対照的に華奢とも見える若者に笑いかけた。
 黒髪に、黄色い肌。大男と同じく、明らかに東洋系の出身だ。が、こちらはその拳法着といい、顔立ちといい、おなじ東洋系とはいえ、大陸出身であろう。身長は、170センチを切る。傍らの大男とくらべればもとより、長身の、女のライラと比べても、まだ背は低いだろう。それに応じた体重も、へたをすれば50キロを切るかも知れない。そう思わせる細身の若者は、しかし、良く見れば鞭のようにしなやかな筋肉を、その着物の下に隠し持っている。そう、彼等が、不破武蔵と兜卒天の二人である。

「もちろんです。師匠」

 微かに訛った、独特のイントネーションを持った返答。弟子が、自分と同じ獣を身体の中に飼っているのは知っていた。が、弟子の、対戦相手の天使の娘に寄せる、恋心も同じく知っていた師は、意外と躊躇ない返答に、満足げに笑みを浮かべる。

(いらぬ心配か)

 武蔵が、弟子の目を覗き込み、しかし、やはり自分の危惧はあながちはずれではないことを悟った。若者の目には、全力で敵を叩きふせる人間にはあってはならない、わずかな、迷いと躊躇の色が浮かんでいる。

(さもありなん。この未熟者に、惚れた女の顔面に、正拳をぶち込む度量など、まだあるまいなぁ)

 仕方あるまい。

「兜卒天よ...」

 顎に手をやり、意味ありげに笑みを浮かべた大男が、おもむろに若者に語りかける。

「知っておろうが我が不破円明流は総合武術。当て身、組み技はもとより、剣術、兵法全てを網羅した護身術じゃ。すでにそなたの当て身は、この街でも、密かに...屈指の腕前じゃ。そんなそなたが、あのディアブロの弟子に、立ち技で勝ってもなんの意味もない。...この勝負、組み技以外は禁じ手とする」
「はっ!」

 師の言葉を、慎んで拝命する弟子の兜卒天。だが、その心中やいかに?
 まさに二つ返事と言った勢いで、師と共に大会の参加を決定した彼は、その足で、今度は教会へと、対する相手の意向確認へと向かった。もっとも、これは彼独自の判断で、師匠の方には用意された戦場に対戦相手があらわれないなどと言う可能性は、恐るべきことに考慮の範疇外であったのだ。

 疾く、教会に駆け付けた彼を、ライラは、笑顔で迎える。

「明日は、よろしくな。お互い、手加減なしだぞ」
「あ、こっちこそ、よろしくおねがいします」

 こちらも、やはり、最初から対戦相手の参加を決めつけていた。もっとも、ライラの場合、対戦相手の彼が、こういう大会が好きなのは以前から知っているのだから、彼の師匠の場合とは、意味が違うかも知れないが。

 ライラの差し出す右手を、少し、顔を赤らめながら握り返す兜卒天。そんな二人の様子を微笑を受かべて見つめていた神父が、ライラに、今日の仕事の終わりを告げる。

「後は、二人で食事でもしてくるといいでしょう」

 奥手の若者と、いささかそう言う方面には鈍い娘の二人に、神父が指針を示す。むろんこの段階で、神に仕える身とはいえ、神ならぬ彼に、明日、二人を襲う事件を、彼に予期出来ようはずはなかった。

4.

 奥で、尼僧服を私服に着替えたライラが、待たせたな、と、若者に、微笑みかける。170センチを越える、すらりと伸びた長身、切れ長の、深いサファイア色の瞳、お尻まで伸びた、目映い金髪と、白磁の肌。

(ライラさん、綺麗だよなぁ...)

 長い足を、薄色の革のズボンに包み、白い、ハイネックのノースリーブを押し上げる豊かな胸。ウエストが細い分、余計に立派な鳩胸が、豊かに見える。上着の、大きく開けられた背中からは、雪のように白い翼が、軽くたたまれ、大きく迫り出している。元来有翼の彼女としては、「仕舞う」ことはできる翼だが、「出し」ておくほうが、本当は楽なのだ。

 思わず吸い寄せられる胸から目を反らし、さりとて目を見つめるのも照れくさく、柔らかな、桜色の唇に目を止め、彼は、努めて平静を装おうとした。

「ライラさん、何が食べたいですか?」
「そうだなぁ?」

 腕を組み、軽く首をかしげて思い悩むライラ。組んだ腕に絞り出された豊満な乳房が、少年の目をやり場に困らせる。だが、そんな彼の思いに全く気を止めず、白と黄金の天使は若者の目を覗き込む。

 思わず、少年が目を反らす。

「お前の、おすすめで、イイぞ」

 一見、冷淡そうにすら見える美貌とは裏腹に、日なたの匂いのする明るい笑顔で、ライラが答える。かつて、人類の支配権を主張し、全世界を相手取り、その超科学と超魔法を武器に、数年に及ぶ大戦争を繰り広げた、謎の敵「神々」。その総帥である大神オーディンの娘にして、神軍軍天使3万騎を束ねた、御子姫将軍、戦神テュールと豊穣神フレイを除いては、神軍最高の剣の使い手と呼ばれた、『偉大なる乙女』の名を持つ、ライラ=ラグナスヒルド。幾多の街を焼き払い、数多の人間を葬ってきたはずの、忌むべき敵であったはずのこの天使が、傷付いた、飛べない小鳥に見えたのは、いまから2年も前の話。当時、人軍最強の戦士と呼ばれ、地上最大の大国の一つ、アルビオンの獅子心王、アーサーの騎士でもあった、アルビオン属国ハイランド王、ハラルド=ロードブレスとの決闘に敗れ、制裁として父である大神オーディンの神槍グングニルに、彼等の目の前で、貫かれ、のたうった時のことであった。

 並ぶものなきとの自負を持った剣が敗れ、父に見捨てられ、信じた父自身の槍に刺し貫かれた彼女の、哀れなまでの痛々しさは、肉体の傷よりも、むしろ心の傷に因ったのかも知れない。

 当時、『神殺し』を手にしていたハラルド王とともに、同じく神殺しの一振りを所有していた、ワーレンの傭兵、『軍神』の二つ名を持った剣士ナバールを中心としたワーレン傭兵部隊の一人として参戦していた彼は、ライラが、むしろ大神に騙されていたのだと主張し、魔道師リンダと共に、その身を保護するに至った。

(でも、今のライラさんは、昔とはまるで違う。...随分、張り詰めていたものも解れてきたし、すっかり、明るくなった...)

 思わずこぼれた、といった笑みを浮かべ、兜卒天は、ライラの顔を見つめる。
 と、今度は彼女の顔に微かに朱がさす。

「な、なんだ。その笑いは? その、どうかしたのか?」

 思わず、そう、自分ですら理由も解らぬままに、その目を見つめてはおられなくなったライラが、顔を伏せ、若者に問い掛ける。

「いえ、ライラさん、可愛いなァ、と思いまして...」

 ぼそぼそとした小声で、若者が答える。と、今度は真っ赤になったライラが、慌てて真横を向いて顔を隠す。

「可愛い?! 私がか?! ...フン! そ、そんなコトを言われたのは、初めてだぞ...その、綺麗だ、とは良く言われるがな...」
「もちろん綺麗ですけど...綺麗と、可愛いって、両立するんですね...」
「か、からかってるのか! 私を!」

 つい、と背を向けた彼女を、怒らせたか、と、若者が慌てふためき、取りすがる。

「いえ! 本気ですよぉ」

 若者の言葉に、しかし女は答えない。
 沈黙。数瞬の、沈黙。

「...まぁ、そんなコトはどうでもイイ」

 どうにか平静を取り戻したのか、努めて平静を装いながら、腕を組み、目を閉じて意味なく数度首を縦に振るライラ。一方の兜卒天も、どうでもいいでながされたのは心外だろうが、彼女が怒ってはいないことにとりあえずは安堵する。高慢で、プライドの高い、扱いにくいお姫様。強い自信と、犯しがたい気品、威圧感と、太々しいまでの尊大さを持ち、それでいて、時々、陽炎のように儚く、心細く、臆病にすら見える、神の娘。つい、そっと抱き締めたくなる衝動を押さえ込み、彼は、天使を見つめた。

「そんなら、行きましょうか。僕のお勧めでしたら、中華になりますけど...」
「構わんぞ。それじゃ、行くか」

 兜卒天の誘いをライラが受け、二人は、早速表通りの飯店へと向かった。

5.

 翌日の試合で、いったい、何が起こるか。無論、そんなコトが今の二人に判ろうはずはない。テーブルを向かい合い、対面に座った二人が、器用に箸で料理を摘む。

「ず、随分、辛いな...」

 片手のグラスの水をちびちびとなめるように飲みながら、目尻に涙を浮かべ、それでも笑顔のライラが、対面の少年に泣き言を言う。

「四川風は苦手ですか?」

 苦笑を浮かべ、彼女がグラスをテーブルに置く度に水差し水をグラスに注ぐ兜卒天。それにしても、意外な弱点だな、と、彼は微かな笑みを浮かべる。

「そんな、無理してたべなくても...」
「いや、せっかくのお前の勧めだからな。それに、別に辛いのは嫌いじゃないぞ。...ちょっと、得意じゃないだけだ」

 と、見目にも辛そうな、あんかけのかかった和え物を箸で口に運び、微笑を浮かべるライラ。一方の兜卒天は、給仕に水差しの水の補充を頼むと、涼しい顔で料理に手を伸ばす。真っ赤な顔が、いささか辛そうにも見えるが、それでも、箸を止めないのは少年の勧めと言うのが本当に大きいのであろう。

 真っ赤なソースのかかった海老の揚げ物を口に、嚥下と同時にまた、水に手を伸ばす。

「ライラさん、そんなに水、飲んで、お腹、大丈夫ですか?」
「?」
「その、おトイレとか...」

 一瞬、意味の判らなかった言葉の意味を理解して、女の顔にさっと朱が入る。

「ひ、人前でそんなコト言うか?! 貴様...」

 耳まで真っ赤にしたライラが、テーブルを叩き立ち上がる。上体を乗り出し、テーブルにズボンを押し付け、目一杯少年に詰め寄るライラ。クールな外見に反し、意外と、感情的な彼女のこと、怒ってはいるのだが、それは決して、激怒、憤慨と言うレベルではない。

「す、すんません!」

 ライラの激昂に、思わずテーブルに額をこすりつける兜卒天。そのショックでグラスが倒れ、テーブルから、水が滴り落ちる。と、流れの一筋が、テーブルの端から、立ち上がった彼女のズボンに染み込む。

「うわっ!」

 突然の水の冷たさに、思わず悲鳴をあげるライラ。

「すんません!」

 再び、しかし今度は別の件で少年が謝罪する。慌ててハンカチを手に、天女の前に跪くと、急いでそのハンカチで、彼女のズボンの濡れた染みを拭く。とっさのことに照れも羞恥もないのだろう。一息ついて、初めて憧れの天使の股間が目の前にある事実に、顔を真っ赤に染める。

「いや、その、気にするな」

 彼の困惑振りに、今度はライラが眉根を寄せて、慌てて男を慰める。並みの男が相手なら、この程度ですら土下座させかねないお姫様だが、眼前の少年の扱いは別格である。顔を伏せ、必死に濡れたズボンを拭う少年を、不安げにライラが見つめる。

 そのころにはすでに駆け付けた店員が、テーブルと床の水たまりを拭う。

「すんません...」

 今度のは店員に向けたものだ。が、そんな彼等の作業を、ライラは微妙な思いで見つめていた。
 人の感覚と言うのは、意外と、その人間の内部だけで決定されるものではない。視覚、聴覚、嗅覚、その他、様々な外的要因が重なり合って、不随意神経に影響をおよぼすことは多々ある。

 ボーイフレンドの、何気ない一言、滴る水と、その雫の音、濡れた手拭いの湿った音と、水差しの冷たい色、そしてなにより、濡れたズボンの冷たさと、感触。
 ぞくっ。
 腰を、思い出したかのように震えが走る。

「...水だったからよかったようなものの...」

 まだ、我慢できない訳ではない、いや、むしろ、少し気になった程度に過ぎない、微かな尿意。
 無意識に、指が湿ったズボンの布地を摘み、肌から引き剥がす。
 それを、まだズボンが濡れているぞとの合図ととったか、少年は再び、天使の前で跪くと、微かに顔を赤らめながら、ハンカチで再び、ズボンを拭う。少年の、そんな姿を上から見下ろしながら、ライラは、次第に下腹部のくすぐったいようなその感覚が、増していくのを感じていた。

「...もう、いいぞ...」

 いまいち、上の空と言ったふうの口調で、彼女は少年の奉仕を制した。
 少年が、天使を見上げる。
 何を不審がる、というのではないが、その、わずかな疑問を含んだ視線に、彼女は、根拠もなく、自分の今の状況を悟られたのでは、と不安になった。無論、尿意ぐらい誰にもあるもので、それを悟られたからといって、どうこういうものではないだろう。本来は。そのことを羞恥に思う必要もなければ、恥と感じる義理もない。しかし、そこはやはり、天上世界の大神の御子姫、重荷となる、プライドも人一倍であろうか。

 何の悪意も、恥辱もない、わずかな心配を含んだ視線に、かすかな心の疼痛を覚える。尿道から膀胱にかけての、林檎酢を凍らせて作ったナイフで刺激されるかのしびれが、意味もなく彼女の恥辱をくすぐる。

「あ...」

 手洗いに行く。震える唇から、その一言が紡ぎだせずに、彼女は、まるで何か気に障りでもしたかのようにきびすを返し、黙って少年の前から立ち去った。

「はぁ...」

(ライラさん、怒らせたかなぁ)

 がっくりと項垂れ、力なく溜息をつく兜卒天。無論そう言う訳ではないのだが、さりとて彼にもライラの心の内は推し量れない。だからといって、あの気分屋のお姫様を、嫌いにはなれないのが人の心の難しさだ。

(ううん。怒っては、いなかったけど...)

 自分が、自分の失態に、ただただ彼女のズボンを拭うしかない、まさに穴があったら入りたいと恥じ入った瞬間、優しく、まず「気にするな」と許してくれたライラの事、怒ってはいないことは解っている。では、一体...?

(やっぱ、着替えに戻られたのかも?)

 濡れたズボン、そして、下着。心に思う天上の娘の、艶かしい着替えの姿を一瞬思い描き、慌てて、首を振ってその妄想を追い払う。

(な、何を想像してるんだ! お前は!)

 不埒な想像をした自分を心の中で叱り飛ばし、それでも、彼は心の中の天女の影を追い払えずに、苦笑を浮かべる。

(でも、あのきつそうなライラさんが、「気にするな」なんていってくれると、ちょっと嬉しいよなぁ。...ライラさん、いっつも、男勝りに剣なんか振るわれて、それが、まさに天使の舞って感じで、凛々しくって、綺麗で、それで、僕のこと気にして、あんな表情なんか浮かべてくれて、やっぱ、ちょっとは、気にしてくれてるのかなぁ)

 親しい友人としての自負はある。それでも、それ以上だという自信はいささかとぼしい彼は、それでも、時折見せる彼女の、日頃の冷たい凛々しさとは対照的な、ライラの、日溜まりのような笑顔、子供のような不安げな表情、切なげな、悲しみの顔などを思い出し、複雑な思いにかられる。

 尊大な女王の顔と、まもってあげたくなる少女の顔を、同時に持ち合わせた、純白と黄金の天使。庇護欲をそそりながらも、やはり、彼の女神であったその天使に、受難の時が迫りつつあることを、無論、彼はまだ悟ってはいない。


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