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 〜軍天使ライラ・瞬間接着剤の章

序章

1.

「超強力瞬間接着剤(人体用)」

 大統領官邸に届いた小包には、そう、記されてあった。

 大陸南方、自由交易都市ワーレン、旧大統領邸。

 およそ10年ほど昔、当時武者修業の旅路にあった、一人の、東の小国の王子と、その仲間たちの手で開拓されたこの自由都市は、その後の十年で大きく発達し、当時世界にあっても特異な文化、政治的発展を遂げ、事実上の自治都市として世界中にその名を知られるにいたった。が、とはいえこの街の名が世界中に知られるようになったのは、交易都市としての発展よりもむしろ、その、特異な住人の集まりによる、傭兵都市としての名声でありはしたが・・・。

 その奇妙な都市国家で、先日までワーレン大統領の任にあった冒険考古学者にして、ワーレン開拓メンバーの一人であったイェンリーク・リビングウェイは、しかし、ある事件においての悪乗りのすぎた「洒落にならない」悪戯により、その身の安全確保のため、大統領専用飛行宝貝、すなわち飛行魔法具、「空力一番」を駆り、とくその街を遠く離れていた。

 「ワンダー正光商会」
 小包の発送元は、そう記されていた。

 そもそも大統領が街を脱出するに至った原因は、彼の元に送り付けられてきた、謎のゲームで、そのゲームを送り付けてきたのが、正体、目的ともに不明な、「ワンダー正光商会」なる存在であった。

 主なき官邸(正確には大統領だった彼の私邸なのだが、なぜか官邸と呼ばれている。)に届けられた、その、怪しげな包みを最初に発見したのは、彼の娘であり、ワーレン最大の財団、フリューゲル財団を買収した若干16歳のベンチャー財テク師、現総帥、麗と、その友人で、ワーレン開拓メンバーの一人、ダークエルフの魔女剣士ヴェルフィアの養女であり、北方の魔道大国アイルランドの皇女バージィの二人であった。

 共に、非常識なまでにお祭り好きのトリックスター。しかも、娘の身でありながら財力、権力、あるいは、行動力といった力に恵まれ、動けば騒ぎを起こさずにはおかない、問題児たち。その二人が、その館の書斎、執務机の上に、発見してくれとばかりに置かれた小包に目をとめる。その小包は、しかし、消印を見れば既に父が失踪したあとの日付。だれが、どうやってここにおいたかも謎のまま、少女たちは何気なくその包みを手に取った。

 父を、事実上の失脚に追いやった謎の商会から送り付けられた、父名義の、怪しげな小包。だが、それを発見した娘は、何のためらいもなく、その小包の梱包を解く。

...超強力接着剤(人体用)....。

「ちょー面白そう!!」

 その、なんとも怪し気な記載に、開口一番そんな感想を漏らした、大統領イェンリークの娘、麗。その出自を物語る黒髪と、中国の道士服を思わせる紫の着物からも明らかなように、異国の、正式な妻...とはいえ、法的には大統領には、正妻はいまだいないのだが...とは呼べぬ女性の娘で、母の死と共に、父を頼ってこの街を訪れたと言うフレコミの、混血特有の異国的な美しさを含んだその少女は、その数奇な出自に反して、極めて高い適応性と、...なにより、あの父の娘である証拠といわれる奇抜な発想、笑う程の行動力、停滞をかき回さずにはおけない、一種病的なお祭り、いたずら好きな精神の持ち主であった。

「わくわく! 誰、くっつける?」

 悪戯以外の用途など、眼中になし。と言わんばかりの今一人の少女。バージィの発言。魔法大国アイルランド第3皇女、という出自からは想像もつかないデタラメな、非常識なまでの無邪気な悪戯モノ、バージィは、しかし、先の麗とは対照的な金の髪と、ピンクの可愛らしいエプロンドレスをまとった、まだ幼さの残るあどけない顔立ちの...しかし、実際には麗と一つしか違わないのだが...少女で、いったい誰が、第一印象だけでその無邪気な悪魔の正体を見抜けようか、といった、愛らしい娘であった。

「待ってー」

 使用上の注意! 超強力ですので、誤った使用をしないように! 効果は三日間。三十回分。
 はやるバージィから魔法薬を奪い、頭上高くにキープしつつ、ざっと説明書に目を通す、姐貴分格の麗。

(...効果は、三日間...)

 そのフレーズに、麗の中の安全装置が、ポン、と飛ぶ。

「効果は三日だって! ちょー安心! それなら、なんでもできるね!」

 麗が、嬉しそうに笑う。
 専用手袋。
 そう記された手袋を手に、二人は、とく、その場を離れた。

2.

 その悪戯への期待に、こぼれそうになる笑みを必死に隠す麗と、隠そうともしない年中笑顔のバージィと、二人が大統領邸から飛び出して来るのを目撃していた、一人の半猫半人の魔族の少年がいた。

(大統領は、留守なのに、何をしてたかにゃ?)

 ハッキリとは言えぬ、形にならぬ何かを感じた彼は、その、何かの正体を掴むべく、二人の後を、半猫人特有の隠形を駆使し、見守る策に出た。

「まず、誰くっつける?」

 接着剤と、専用手袋を隠し持ち、それでも、麗がバージィに相談する。

 人体接着剤などというオモチャを手に入れたのは二人も無論初めてで、実際何かに使わなくとも、想像するだけで笑いが込み上げてくる。

「トンガリ君!」

 バージィが、天真爛漫の満面の笑顔で、哀れな犠牲者の名を口にする。

「トンガリ君かぁ。...イイね! トンガリ君なら、レストランだよ。多分」

 相棒の言葉に、麗が瞬時に作戦を組み立てる。貴重な魔法接着剤だ。できるだけ効率良く、おもしろおかしく使わなければ。そのためなら、どんな努力も惜しまない。二人は、そういう子供だった。

 子供特有の、遊びにかけるタフネスで二人がレストランに駆けついたころ、丁度、その表に、二人の男たちが向かい合い、対峙していた。

(...!!)

 路地裏のゴミ箱の影に身を潜め、二人が、異様な緊張感を持った男たちに目を向ける。砂埃の舞う赤土の路上、ひときわ目を引く真紅のコートと、攻撃的に立てられた金髪。フォッグランプのような黄色い、丸い色眼鏡の下の目は、しかし、傾いた外見とは対照的に、静かに、愁いと悲しみを秘めて、対峙する男を見つめていた。

「どうしても...やるって言うのか...」

 革の手袋に鎧われた、左の手で軽くサングラスを押し上げ、赤いコートの男が、正面の男に、静かに尋ねた。

「当たり前や!!」

 こちらは、対照的にシックな黒いスーツと、黒髪の男。同じく黒いサングラスと、くわえ煙草が、やはりどう見ても堅気には見えない。しかし、なにより男の、目を引くのが、その背中に背負われた、重く、巨大な、身の丈ほどもありそうな十字架であった。

「ワイは、ヤられっぱなしって言うのはスカンのんや! おんどれにも、せめてギャフンいう目ェに合わしてやらんと気がすまんのんや!」

 十字架の男が、サングラスを外し、赤いコートの男に吠える。と、路上を抜ける一陣の風が、金髪の男のコートをはためかせる。

 前のあわせと、左右、背面の大きなスリットで、都合4枚の裾に別れたコートがはためく。軽く腰で曲げられた、男の手許に、コートの隙間から重そうな銃が顔を覗かせる。

「ええか、今度こそ、本気や! トンガリ!」

 黒ずくめの男が、十字架を縛るバンドに手を掛け、ゆっくりと持ち上げる。

「わかった....」

 金髪の男が、ゆっくりと、一歩を踏み出す。
 一歩、また一歩。
 だが、二人が向かったのは、レストランの扉の方、であった。

3.

「おねーさん〜! ナポリタン2人前ね〜!」

 レストランの扉をくぐると、早速窓際のテーブルにつき、途端に表情を崩した、金髪のトンガリ君が、妙にカルい口調で、満面の笑顔をたたえ、ウェイトレスに注文を告げる。

「大盛りで頼むで! 大至急な!」

 同じく黒服の男も魅力的な笑顔をたたえて、ウエイトレスに愛想を振りまく。

「ふっふっふー! やっぱりいつものメニューだよ!」

 厨房で、二人のやり取りに耳を傾けていた麗が、いつの間にぶんどったモノやら、純白の調理師服に身を包み、会心の笑みをこぼす。厨房の隅では、服をはがれ、縛り上げられたコック達が怒りの形相もあらわにもぐもぐ文句を言う。

「ここに用意しましたるは特製スパゲッティ!」

 準備万端と言うよりはむしろ御都合主義的に、麗が一皿に山盛りのスパゲッティを用意する。と、今度はバージィがなにやらケープのような衣を翻す。

「如意羽衣〜!」

 おそらく、魔法の変身アイテムであろうか、ぽむという煙と共にウェイトレスに変身してみせるバージィ。なにやら怪し気なモノの塗られたフォークとスプーンとともに、その山盛りのスパゲッティを、ウェイトレスに変身したバージィが男たちの元へと運ぶ。一方の麗も、もはや厨房に用はないとばかりに、こっそりと表の方に忍び出る。

「おまたせしました〜」

 ウェイトレスが、妙に軽い口調で山盛りのスパゲッティを二人の前に差し出す。
 二人の、となりのテーブルの隅で、一本のフォークが震える。
 二人の目が、互いを睨み合い、両手が、ゆっくりと得物...フォークとスプーンに伸びる。
 隣のテーブルの、フォークが床に落ちる。
 ...チャリーン!
 その音を合図に、二人の右手がフォークを掴み、一気にスパゲッティを巻取り、口に運ぶ。

「トンガリ! おんどれそんなイッペンに食ってうまいんか!」

 一気に拳大のスパゲッティの固まりを口に押し込んだ相棒を、黒服が同じくパスタを頬張りながら非難する。一方のトンガリくんは黒服のコーヒーでそれを喉の奥に流し込み、彼のフォークを自分のスプーンで受け止め、再びフォークで麺を巻取る。

「キミもヒトのコトは言えないだろう! 」
「この卑怯モン!」

 同じくスプーンで相棒を牽制しつつ、ふたりは、しばらく不毛なチャンバラを続ける。と、その隙をついて、再びコートのトンガリ君が、まるでカメレオンのように舌を伸ばして、パスタを奪いさる。

「オンドレほんまに人間かぁ! このバケモンめ!」

 一瞬、唖然とした黒服の男が、青筋を立てて立ち上がる。だが、その間にも赤いコートの男は、至福の表情で口を動かす。

「う〜ん! デリシャス!」
「クソッタレ〜!」

 負けじと、今まで以上に腕と口をペースアップさせる黒服。やがて、皿の上のパスタが姿を消し、二人の口と口の間を、一本の麺が、結ぶ。

(...トンガリ...今日は負けへんで....)
(駄目だ。...君では、勝てないよ...)

 愛し合う男女なら、まだしも色っぽいシーンであろうが、いかんせん男同志では...。...張り詰めた緊張が、二人の周囲から一切の音を奪う。

 二人が、少しずつ、麺を吸い込む。
 男たちの顔が、ゆっくり、ゆっくりと近付く。

(...そうや。ワイはこの緊張感に耐えきれんで、昨日はコイツに3ミリ食い負けたんや...)

 男の額を、一筋の汗が流れる。

(けんど、今日は負けへん!)

 腹を括り、決意を込めた男の気迫を、赤いコートの男も、その肌で感じとる。
 二人の顔が、ゆっくりと近付き、やがて、額と額、鼻と鼻が触れあう。

(な、なんだって! キミは、まだ...まだ負けを認めないのか! ボクは、これ以上キミを追い詰めたくない!)

 金髪の男の顔に、動揺の色が走る。

(くそっ! トンガリ! おんどれは、まだ、平気や、っちゅーんか!)

 同じく、凍り付いたように動きをとめる、黒服の男。
 一瞬、あるいは永劫とも思われる沈黙の後、赤いコートの男の、侵攻が再開される。
 二人の唇が、1センチ、5ミリと近付く。
 5ミリ...そして、3ミリ!

「今だぁ〜ッ!!!」

 麗の掛け声と共に、麗と、バージィの二人が、彼等の背後から後頭部めがけて、渾身の回し蹴りを叩き込む。二人の唇が、一瞬触れ合い、二人が、慌てて頭を離そうと身体を後ろに引く。
 が。

「むぐー!(離せよ! ボクはそーゆーシュミはないんだから! )」
「むー!(それはワイの台詞や!)」

 二人の唇は、まるで接着剤で止めたかのようにくっ付いたまま、離れようとはしない。蛸かひょっとこのように唇を突き出しながら、二人は互いの顔面に手を掛け、おもいっきり、互いを突き放す。

「むぐぐぐぐー!(や、やめい! トンガリ! 顔面がもげるがな!)」
「むむむむむー!(ヤバい! こ、今度は指が!!)」

 と、今度は指が互いに貼り付いて離れない。
 見る間に、店内は野次馬で大騒ぎになる。

「ハァッハッハッハ! お二人さん、なにヤってんだよ!」

 にやにやとした嘲笑を浮かべ、客の一人の赤毛の若者が二人の顔を覗き込む。
 と、同時に二人の蹴りが若者のボディを打ち抜く。シンメトリーな、惚れ惚れする程の連係だ。

「むー!!!(オンドレ! 笑いごっちゃないわい!)」
「むむ!(とにかく、ココはマズイよ、逃げよう! )」
「む!(せやな!)」

 野次馬の取り巻く中、テーブルに飛び乗り、次に一気に人垣を飛び越えると、二人は、芸術的な二人三脚を演じながら、店から脱兎のごとく逃げうせる。

 無論、伝票をおいたまま。
 そんな二人を見て、ひとしきり笑い転げる二人の小悪魔。

「キャハハハハハ!」
「ぶひゃひゃひゃひゃ!」

 あまりに大笑いする二人に、むしろひいてしまう他の客たちは、じきに、いまの出来ごとから目を反らして、自分たちの食事に戻る。

「面白かったね!」
「次は何する、麗ねーちゃん」

 今し方まで二人の男たちが座っていたテーブルの椅子を借り、目尻に涙すら浮かべて、麗とバージィが声を潜め密談する。

「えーっとねぇ...」

 次なる悪事に向けて、麗が悪知恵をしぼらせる。
 と、彼女の背面、つまり、バージィの真正面の、店の扉をくぐって一人の女が店内に入り込む。

「マスター? 入るぞ?」

 店に入ってきたのは、どことなく猛禽を思わせる、攻撃的な雰囲気を持った、金髪の、目を見張る程の美女であった。

 それ自体が光を放ちそうな豪奢な金髪、色白の、それでいて決して病的には見えない、健康的な肌、すらりとした、細身の長身に、引き締まった四肢。革のズボンに包まれた足は、しなやかな獣を思わせ、ノースリーブの肩から覗く腕は、細いながらも、内に鞭を思わせる筋肉を秘めている。そして、ひときわ目を引く、シャツを下から押し上げる、豊満な胸。大きく背の開いたタンクトップの理由は、無論、バージィも麗も知っていた。それは、元来は天使であった彼女が、いつでも、そこから翼を展開できるように開けられているのだ。とはいえ、物理的にたたまれていると言う訳ではないのだが。

 美女...というには瑞々しく、さりとて美少女とは呼びがたい、色気と、雰囲気を持った、乙女。

「ライラ姉やん!」

 バージィが、小声で麗に耳打ちする。
 ライラ・ラグナスヒルド。かつては、天界最強の軍天使と呼ばれたヴァルキュリア。
 それが、その、美貌の天女の名であった。

4.

 次のターゲットに目をつけた二人の小悪魔は、いかにしておもしろおかしく悪戯を成すかの作戦を立てるべく、一旦、その店を離れ、麗のすむアパートへと帰途につく。と、彼女の部屋の前に、一人の少年が待ち構えていた。

「お願いにゃ! 小鉄も、仲間に入れて欲しいにゃ!」

 半猫半人の魔族の少年...そう、先程、大統領邸前で二人を見かけた、あの少年だ...は、にやにやとした笑いを、一転、真摯な表情で二人に懇願した。

「ずるいにゃ! あんなおもしろそうなものを、二人だけで独占するなんて、ずるすぎるにゃ! 小鉄も、仲間に入れて欲しいにゃ!」

 年格好は...まぁ、魔族の少年に、人間の物差が通用すればだが...二人と変わらぬ、か、少し幼いぐらいの、おそらくは悪戯仲間とでも言うべき友人の懇願を、二人は二つ返事で受け入れる。そして、こざっぱりと片付いた麗の部屋に
3人で上がり込むと、再び、悪事の相談が始まる。

「んじゃ、ライラねーちゃんと、誰をくっつけるか、だけど....」

 声をひそめた麗の囁きに、新参の小鉄が、躊躇なく答える。

「天にーちゃんにゃ!」
「だよねぇ」

 その言葉に、麗とバージィも、当然と言わんばかりの笑みを浮かべる。
 彼等の言う、天にーちゃんというのは、兜卒天と名乗る...無論、偽名だろう...中国系の亡命移民の若者で、麗の父であるイェンリークの舎弟分の一人で、同じく考古学を志す若者でありながら、武芸にも長じた文武両道の、彼等が通う学校の生徒会長のことだ。が、彼等がこの若者の名を槍玉にあげたのは、父の舎弟分でなじみの少年であると言うことよりも、彼が、先の天使ライラに寄せる、密かな恋心を知っての、容赦ない悪戯心によるものだ。

「で、どうやって、くっつけるかだけどぉ....」

 麗が小首をかしげて、にぱっ、と笑う。

「マウント・ポジションでくっ付いたら面白いと思わない?」

 若い、しかも、男と女を、馬乗りの状態で接着する、その困難さはまずは度外視して、思いつきだけのアイデアを口にする麗。

 だが、恐ろしいことに、無論、この段階で、若い女が、男と、下半身を密着した格好で接着されることに対する恥じらいや、屈辱、その他の派生し得る...
時として、性的なものすら含んだ...トラブルについては、まったく眼中にはなかった。まさに、無邪気さ故の残酷さ、とでも言おうか。

 ちなみに、麗の、この場合の「マウントポジション」すなわち馬乗り、というのは、全く荒唐無稽な発想ではない。武芸、それも、組み技、当て身を基本とする、徒手格闘に長じた兜卒天と、一方も、こちらは剣術こそが本領ではあったが、ワーレンに来て以来、接近戦対策に、知人の柔術家に組み技を師事しているライラの組み合わせなら、全くあり得ない状態ではないのである。無論、二人がことを構えたならば、との前提がつくが。

「でも、この接着剤、『人体用』だから、服の上からはくっつかないよ...」

 アイデアはいいだけに、残念。とばかりに、悲しそうな表情でバージィが告げる。そう。確かに、ライラも兜卒天も、日頃から腕はむき出しなのだが、さすがに脚は双方、長いズボンで覆っている。さりとて、下着だけの姿で、二人が、同じ場所にいる可能性は、極めて零に近い。

 再び、小首をかしげて考えをまとめる麗。
 そして、彼女はとんでもないことを口にした。

「じゃあ、イベント組もう! 二人が、水着で闘うような! 闘技大会やろう!」

 闘技大会。むろんそれは、今日我々がテレビで見るような、興業格闘技の試合のようなモノではない。それはビジネスであり、無論、今日決めて明日開催と言う訳にはいこうはずもない。プロ格闘家ならば、ファイトマネーやコンディション調整の問題など、一朝一夕では定まらぬ問題が多く付きまとう。むしろ、武芸者の御前試合か、予定されたストリートファイトといった、金銭よりもメンツと、なにより趣味の色の濃い代物であろう。が、麗は、早速立ち上がると、財団の根拠地のある、ワーレン中央区へと走り出す。

 やる以上は、徹底的にやる。
 それが、彼女の美学であった。

 ひょんなことからその座におさまった総帥の、思いつきにも似たイベント発案に頭を痛めながら、財団の企画部は、彼女の指示通り、武術大会の準備に取り掛かった。会場となる、体育館の手配、イベントアピール、広告作業。そして、参加者との交渉。そう。恐るべきことに、麗の頭の中には件の「ライラ対兜卒天」のカードの他に、前座2試合、セミファイナル、ファイナルの、5つのカードが組み上がっていたのだ。

「なんでにゃ? ライラねーやんと、天にーやんの試合だけで、イイにゃ」

 そう尋ねる小鉄に、麗は平然と耳打ちする。

「だって、こっちの方が、ちょー説得力あるしぃ、フツーメインイベントが第三試合なんて、みんな思わないし、チョーびっくりするよ! 麗の心配は、むしろ第三試合で大会中断しちゃって、後の出場者が文句言わないかだよ。『俺も闘わせろ』って」

 おそらく、そう言った二つ返事でどつきあい参加を承認するような喧嘩好きな面子ばかりで他のカードを組んだのだろう。でも、ま、いっか。と麗は考えるのを止める。

「...っと! 今度はリングコスチュームの調達〜! ...んっと、やっぱ、白い水着かなァ?」

 まるで、つむじ風のようにその場を去る女性陣。残された職員たちが、気紛れな総帥に振り回される形になりつつも、参加者の交渉に向かう羽目になった。

「にゃ。それじゃ、小鉄は...」

 最後に残された小鉄が、何か企んでいる邪な笑みを浮かべ、一人遅れて表に出る。

「下剤か利尿剤の、調達にゃ。二人でくっ付いたまま、トイレ行く羽目になっちゃったら、きっと、とっても面白いにゃ」

 彼の、この悪意に満ちた思いつきが、翌日、一人の女を、残酷なまでに追い込み、そのプライドを徹底的に破壊することになる。などという考えは、この時点で少年の頭の中には全くと言って良い程存在していなかった。あるいは、むしろこの無関心の悪意の方が、ある意味、数段残酷とも言えるかも知れない。

 彼にとって、不幸なあの生け贄の天使は、人格を備えた人ではなく、ただのゲームのコマ、おもちゃに、過ぎなかったのだから...。


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