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 第四話:挑発

 茶髪の中高生が、激しく出入りする少年課のフロア。
なまじ変な少年法が存在するために、それを逆に利用する若者達。
紀代香は、その悪態をさらす少年少女の中に凛とした声を響かせた。

 「失礼します」
 「あぁ・・・神村警視、お忙しいところを無理を言って申し訳ない」

 この部署の責任者が、ペコペコと頭を下げながら彼女の方へ歩き出す。
紀代香は、このフロアの奥にある取調室に向かって歩き始めた。
周りからヒソヒソと囁き合っている声が聞こえる。

 あ、あの人・・・
 ポスターの・・・

ミーハーの少年少女にとっては、紀代香もアイドルの一人である。

 紀代香は、取調室に視線を見据えたまま歩き少年課の責任者に尋ねた。

 「で、その子の親の名前は?」
 「そ、それが・・・」

 松井と同じような頼りのない声が聞こえる。
責任者の男は、彼女の前に回り込みと彼女の顔を覗き込むように見た。
自分より少し背の高い彼女の視線は、冷たいものである。
完全に見下されている。
男は、そう感じた。

 「まぁ、とりあえず彼と話しをしていただければ分かります」

 紀代香には、その男が言わんとしている事がよく分かっていた。
そのガキの親の存在に恐れている事を。

 彼女は、三つある取調室の真ん中のドアの前に立ち止まった。
それはこのドアだけが、少し開いているからである。
現在、この部屋を使用していると言う暗黙の決まり事である。

 「こちらです、では後はお任せいたしましたので、私はこれで・・・」

 少年課の責任者は、そのドアを大きく開くと足早に自分の机へと戻っていった。

 「よお! 紀代香ちゃんじゃないの、ずーっと待っていたんだよ!」

 先に声をかけたのは、問題となっている少年であった。
紀代香は、その少年の態度を見てフロアの方を振り返った。

 「うちの署の少年課は、本当に優秀ですわね!!」

 彼女の罵声が、少年課のフロアに響き渡る。
紀代香のイヤミな一言で、少年課全員の視線が彼女に集まる。
だが、その集まった視線も彼女のひと睨みで全て散ってしまう。

 ここが少年課といえども屈強な男達は存在する。
しかし彼らは紀代香の鋭い視線に勝てなかった。

 「早くこっちに来て座りなよ、紀代香ちゃん」

 自分をなれなれしく呼ぶ声に応え、紀代香は取調室の奥へと入った。
コーヒーを片手にタバコを吸い、おまけに両足を机の上に投げ出している。
その問題の少年の態度は、ここを喫茶店か自分の家とでも思っているのであろうか。
悪い事をして警察に補導されているという実感がまるでないらしい。
最近は、特にこのような若者が増えているとも聞いている。

 紀代香は、この小生意気なクソガキに怒りを感じた。
ニヤつく少年の顔を、怒りの形相で睨み付けながら彼の横で立ち止まる。
そして、右手を高く上げ一気に振り降ろす。
パシーン!と音を残し、少年の顔が横を向く。

 「フザけんなよ! ガキの分際でタバコなんか吸いやがって」
 「だから、何だってんだよぉ〜!」

 少年は、紀代香の怒声に恐れる事もなく食って掛かってきた。
再び、パシーンと軽快な音が取調室に流れる。
紀代香が、振り下ろした手でもう一度反対側の頬を叩いたからである。
 その少年は、さすがに二度目の平手打ちで怒りを表に出した。

 「くっ!! こ、このアマぁ〜、調子ブッこいてると犯すぞ、おらぁ〜!!」

 彼は、自分の両足を乗せていた机を思いっきり蹴り倒した。
椅子に座ったまま下から睨み上げる視線は、子供の目ではない。
紀代香が、日頃対当に渡り合っているヤクザ者の目である。

 少年にとっては、これで十分だと思った。
大きな音を立てて転がる机に、自分の鋭い視線。
ほとんどの婦警は、睨みつける自分の目から視線を逸らしてしまう。
相手がたかが子供と頭で分かっていても、身に迫る恐怖を本能的に感じてしまうからだ。

 しかし彼は、戦いを仕掛けた相手を間違えていた。
その事に気が付いたのは、自分の胸座をグッと掴まれ引き上げられた時である。

 「おい、机を元に戻しな!」

 目の前に怒りに満ちた美しい紀代香の顔が迫る。

 な、なんだこいつ?・・・ポスターのイメージと全然違うぞ・・・?
少年は、彼女の鋭い視線から思わず目を反らしてしまった。
そして、その時に初めて気が付いた事があった。
今まで、なぜ自分と睨み合った相手が先に視線を反らせてしまうのか。

 彼は、生まれて初めて自分の身に恐怖を感じた。
それは、紀代香の瞳の奥に血の匂いを感じたからだ。

 少年は、彼女に逆らうのをやめ、おとなしく自分が蹴り倒した机を元に戻した。

 紀代香は、机を挟んで自分と同じ目を持つ少年と向き合っていた。
彼の態度や顔つきは、ようやく少年らしくなっている。
紀代香は、真っ白な調書に日付や時間等の必要事項を記入し始めた。

 「で、あんた何して補導されたの?」
 「万引きだよ、万引き! 10円のガムを万引きしましたっと!」
 「じゅ、10円のガム!?」

 紀代香は、その少年の幼稚な犯行に思わず顔を見上げてしまった。
だが彼は、ニコニコと微笑んで自分の顔を見つめたままである。

 「そっ! 10円のガムですっと!」

 さすがに、その程度の犯行では調書の書き様がない。
もし彼の言う事実を書き残してしまったら、それこそ自分の恥になりかねない。
たかが、10円のガムを万引きした少年を取り調べた警視と。
紀代香は、唖然とした顔で少年に尋ねた。

 「な、何でそんなことをしたの?」
 「そりゃ〜、紀代香ちゃんに逢ってみたいからだよ」

 少年は、恥ずかしがる事もなくマジマジと紀代香の顔を見て答えた。
彼の視線は、美しい彼女の顔と豊満な両胸をゆっくりと往復している。
特に気に入ったのは、揉みごたえのありそうな立派な胸であった。

 「な〜、今度、俺とデートしないか? 悦ばせてやるぜ・・・」

 少年の口には似合わないセリフが、紀代香の耳に入った。
目の前には、自分の胸に視線を落としたままの少年がいる。
紀代香は、考えるより先に右手を動かした。
しかし、先ほどの様な手応えもなければ音も響かない。

 「おっと、3度も痛い思いはしたくないからね!」

 少年は、ウィンクを紀代香に送ると左腕に掴んでいる彼女の細い手首を離した。
彼女の、「くそっ!」という悔しがる表情も捨てたものではない。
彼は、警官募集のポスターのイメージとは全く異なる紀代香に惚れ直してしまった。

 「・・・で、あなたの名前と年、それと学校名と親の名前は?」
 「俺の名前は、田所 竜二、17歳、彼女募集中で〜す!」

 少年は、なんとかこの女を自分のモノにできないかと考え始めた。
自分のモノといっても結婚をしたいという訳ではない。
単なる自分の性欲処理の道具にしたかったのだ。

 そのような考えを抱く少年を前に紀代香は、黙々と質問を続けた。

 「余計なことは言わなくて結構、さっ、続けて」
 「オヤジの名前は、田所 光夫、・・・高校は辞めました〜!!」

 竜二の言葉を聞き、ペンを走らせていた紀代香の手の動きが止まる。

 「た、田所 光夫・・・」

 確かに少年課の連中が、口を閉ざしてしまうはずである。
この名前を耳にしてしまっては。

 「あんただって知ってるだろ、俺のオヤジの名前ぐらい」

 竜二は、勝ち誇ったような笑顔で紀代香に言った。


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