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 第四話:狼狽

 運ばれてきた料理は、校長の腹田の言葉通り絶品であった。
高級な食材をふんだんに使い、盛り付けは食べる者の目も満足させている。
それらはとても趣味の範囲で作れるような料理ではなかった。

 食事中は、終始、腹田の自慢話しばかりである。
骸骨顔の陰山が鼻に付くようなヨイショでそれを盛り立てる。
美佐代は、腹田の話しなど全く耳に入れず彼の話しに合わせて作り笑を浮かべ、適当に合槌を入れていた。
まだ彼女にとって救いなのは、次から次に運ばれてくる料理の美味さだけである。

 その料理もそろそろ終わりに近づいた頃、美佐代は話しを切り出した。

 「校長先生、さっそくですが妹の事について・・・」

 腹田と陰山のニヤけた表情はそのままであったが、彼女の言葉を耳にしたとたんに目の色をしっかりと変えていた。
待っていたぞ、とその目は語っている。
 しかし美佐代は、キリッと引き締まったままである。
心の奥で感じている不安を、全く表に出していない。
それだけが彼女に残された最後の防衛手段であるからである。

 「いや、その前にそこの理事長から手紙が届いておってな、それには森川先生に対して質問がいくつか書かれておるんじゃ」
 「質問ですか・・・?」

 校長の腹田は、いかにも今まで忘れていました、と言う表情で語っている。

 美佐代は、てっきり自分の体を求めてくるものと考えていた。
しかし、その腹田の表情からは滲み出るようないやらしさがなくなっていた。
彼女が今までに見た事がない様な、普通の太ったおじさんの顔になっているのだ。

 「おい、陰山、例の書類を・・・」

 教頭の陰山は車のトランクから取り出した手さげ式の紙袋の中から、薄いファイルを取り出し腹田へと渡した。

 「森川先生、これが先生の妹さんの入学願書と関連資料のコピーじゃ」
 「は、はい・・・では、ちょっと失礼します」

 美佐代は、腹田から薄いファイルを受け取り開いた。
全てコピーされた資料ではあるが、確かに妹の美加に関する資料である。
彼女の自筆の入学願書。
保護者の欄には、自分が記入した文字で名前が書かれてある。
それに、現在妹の美加が通う中学の成績と内申書。
それらの資料に間違いはなかった。
全て本物の資料からコピーされたモノである。
 校長の腹田は、妹の資料を食入るように目を通している彼女に声をかけた。

 「で、理事長からの質問じゃが・・・聞いてもいいかの?」
 「はい、どうぞ」

 美佐代は、妹の資料を見ながら答えている。
 すると腹田は、スーツの内ポケットから一枚の封筒を取り出した。
そしてその真っ白な封筒の中から、中身を取り出し机の上に広げた。

 「御両親は、いつごろ日本に戻ってくるんじゃ?」
 「4〜5年後ですが・・・」

 美佐代は、妹の資料の隅々まで何度も目を通した。
どこかに、窮地に追い込まれている自分自身を救うヒントが、隠されていないかどうかを探し続けていた。

 「それまでは、妹さんと二人で生活するんかのぉ?」
 「はい」

 腹田は、彼女の返事を理事長からの手紙にボールペンで記入していた。
美佐代は、何度見ても活路を見出せない妹の関係資料を諦めて閉じた。

 「結婚の予定は?」
 「今のところ、ありません」

 彼女は、その手紙をちらりと覗き込んだ。
毛筆で書かれている手紙の空白部分には、自分が答えた言葉通りに書き込まれている。

 「先生のスリー・サイズは?」
 「はぁ・・・?」

 美佐代は、一瞬自分の耳を疑った。
自分の目の前に座っている腹田の顔は、手紙に向かって真剣な顔をしている。
それは彼女の答えを聞き逃さないためである。
 美佐代は、少しの間をおきキッパリと答えた。

 「それは・・・妹の受験と関係がありませんのでお答えできません」
 「じゃあ、最後に男性経験の人数は?」
 「な、何を聞くんですか!」

 最後の問いに彼女の顔が、一気に赤く染まった。
美佐代は、今年で25歳を迎えるのだが実際のところ男性経験が全くなかったのだ。
それも彼女の青春時代と呼べる高校生活、大学生活は、ほとんど新体操の練習に明け暮れていたためである。
当然、その当時から美しい彼女に言い寄る男子生徒の数は半端な数ではなかった。
だが美佐代は、その様な男どもには目もくれず、ひたすら新体操に没頭していた。
そして就職後の現在では、新体操の代わりに仕事へ全精力を注いできたのである。
 それは彼女自身の目標が、高すぎるせいでもあった。
自分自身がしっかりと独立した女性になり、それから出会う男と真剣な付き合いをし始めたいと考えているからである。

 校長の腹田は、美佐代が処女である事を最後の質問によって確信した。
それは彼女が、今までに見せた事がないような恥じらいをその美しい顔に出したからだ。
腹田は、彼女が処女であるという喜びと興奮を押さえてペンを走らせた。

 「以上じゃよ、森川先生、これはそのまま向こうの理事長に送り返しておくからのぉ」
 「えっ・・・!?」

 美佐代は、自分の返答で妹の受験が不利になったのではないかと思った。
今、考えてみれば多少なりとも男どもが、喜びそうな答えを返すべきであったと思い直している。
 だが、身の毛もよだつような脂肪のかたまりと、骸骨の標本模型のような男を目の前にしてそのような答えを返す事は不可能である。

 「それとな森川先生、その理事長が近いうちに先生と逢って話しをしてみたいと言っておるんじゃ」
 「私にですか?」

 腹田は、いやらしい微笑みを一切浮かべず事務的に話し始めていた。
女である美佐代にとっては、男から発するいやらしさを素早く読み取る事ができる。
しかし、その下心が校長と教頭の二人から完全に消えていたのである。
美佐代は、話し流れが妙な方向へと進み出したのを感じた。

 「それに・・・実はワシの口から非常に言いにくいことなんじゃが・・・」
 「・・・何ですか?」

 美佐代は、固唾を飲み腹田の言葉を待った。
今の腹田の顔は、本当にすまなそうな表情をしている。
彼女にとっては、一気に形勢を逆転できる可能性が、現われたかもしれないのである。

 「森川先生に向こうの高校で授業を行って欲しいそうなんじゃ」
 「それって・・・」
 「まぁ、転勤みたいなもんかのぉ〜」

 腹田は、真剣に自分の顔を見つめている美佐代から視線を外し、照れながら頭をかいた。
横に座る教頭の陰山も、にこやかな笑みを浮かべている。
腹田は、言葉を続けた。

 「それによっては、妹さんの受験の件を考えてくださると、そう申しておるのじゃ」
 「ほ、本当ですか?」

 美佐代は、嬉しかった。
思わず女神のような微笑みが、自然と浮かんでくる。
どうやら、自分の思い過ごしのようであったらしい。
そのおぞましい見た目で人を判断してしまった自分が、少し恥ずかしくもなった。
やはり、この二人は自分と同じ教職者であったと実感し、心が安らいだ。
 だが、その幸せな気分は数秒後に耳にした校長の腹田の声によって、もみ消されてしまう。

 「ただ、そうなると今度はワシの方が、困るんじゃよ」

 この男の顔に、今までと同じ淫猥な微笑みが蘇っている。
美佐代は、自分がまんまと罠にかかってしまった事に、この時初めて気がついた。


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