月のない夜。古い工場に、凛とした美しい声が響いた。 「そこまでよ!パンサークローっ!!」
町外れのこの場所を、妖しげな男達が出入りしているという情報を得た如月ハニーは、学園の仲間が寝静まるのを確かめた後、単独潜入捜査を行っていた。
町外れの鉄工所であった。そこはもう何年も前に火が消えていたはずなのに、クレーンが動き、プレス機が轟音を出し、コンプレッサからは白煙が出ていた。
そして、彼女の推理通りそこはパンサークローの秘密基地であったのだ。
一旦学園に戻り仲間に迷惑をかける事を躊躇った彼女は、その場でこの基地を叩きつぶす事を決意したのだ。
「侵入者だ!」
「生きて返すな!!」
戦闘員がその声の主に飛びかかるが、その美少女は軽いステップで男達をかわすと、次々に地に伏せさせていった。
飛びかかってくる相手にはハイキックで、殴りかかってくる相手にはカウンターで肘打ち。手元にあった鉄パイプも獲物として利用させてもらった。
うっかり股間を打ち付けてしまった相手に
「あら、しっつれ〜い」
とおどける余裕すらあった。
なにもかも上手く展開していた。
いや、実はそう仕組まれていたのかも知れない。
襲いかかってくる戦闘員を全て砂に返した時、その声が響いた。
「ずいぶんと遅かったわねぇ、如月ハニー、否、キューティハニー。待っていたわ!」
「誰!?」
いつの間にかそこは、小さな部屋であった。
戦闘員との戦いに夢中で、倉庫に入り込んでいたらしい。
隣の機械室からだろう、時折蒸気の白煙が漂うが相手の姿は見えない。
ハニーは声の主を探りつつ、白煙立ちこめる薄暗い部屋を注意深く見回した。
「どこにいるの!姿を現しなさい!!」
攻勢に出たいハニーは、相手を挑発した。
その誘いに載ったのか。戦場の全ての明かりが灯った。
そして、その相手は、白煙の向こう、ハニーの真正面に立っていた。
「私はここだよ、キューティーハニー」
「お前は!?」
異形の者に身構えつつ、ハニーは鋭い眼光を飛ばす。
そしてその宝石のような瞳に写った相手は、明らかにいままでの刺客と様子が違っていた。
腰まで届こうかという銀色の美しい髪。
うっすらと青白いが綺麗な肌。
スタイルはスレンダーな女性そのものである。
胸元が大胆に大きく開いたボンテージスーツ。
申し訳程度、切れ端の様に張り付いているタイトスカート。
膝上まであるロングブーツは高いハイヒールになっている。
すべて銀色だ。
顎の尖った顔は絵画のように美しく、同姓のハニーですら、ハッと息を呑んでしまう。
切れ長の瞳はまるで今夜の空のように漆黒で、吸い込まれそうだ。
なにもかも、夢の住人のような出で立ちだ。
しかし唇だけは、やはり銀のマスクで覆われているのが淫靡である。
一呼吸後、切れ長の瞳を歪ませて笑ったその相手はハニーの質問に答えた。
「私の名はトレーンクロー。お前と、お前の空中元素固定装置をいただくため、この舞台を用意して待っていたわ」
「やっぱり、ワナだったのね」
いくら不意打ちを成功させたとはいえ何もかも上手く行き過ぎ、と感じていたのだろう、ハニーはお見通し、という顔で続けた。
「すてきなステージを用意して下さって感謝するわ。でも、このショーの主役は私よ!」
細い右手を空中元素固定装置に当てる。
「ハニー! フラッーシュ!!」
眩い光が発せられたかと思うとハニーの服は粉々に分解され、代わりに強化スーツが体に密着する。赤、黒を基調にした、ボディスーツである。
髪は平和な世界を象徴するような金色から正義に燃える赤。より闘いやすくするために短くまとめているが、その美しさは少しも損なわれてはいない。
白い手袋をした右手には、正義を愛する心を形にしたレイピアが握られていた。
そして、清楚な美しさを持った唇から、悪を叩きのめす存在であることを自ら明かした。
「正義の乙女、キューティーハニー参上!」
そして、
「貴女の人生、変わるわよ!」
戦士である証の切っ先を相手に向けると宣戦布告を告げた。
しかし、トレーンクローは少しも動じなかった。
いや、益々その瞳を歪ませ、今度は声に出して笑ったのだ。
「くっくっくっくっく・・・」
「なにがおかしいのっ!?」
「くっくっくっ。このショーの主役は自分だと、そう言ったね?ハニー。そうさ、ここの主演女優はハニー、貴様だよ」
トレーンクローはそう言うと、立ちこめる白煙の中で右手をわずかに動かした。ハニーからはその動きが見えなかったに違いない。ほんの少しだけ、そう、なにかスイッチを入れるようなわずかな動きであったのだ。
相手の様子がいつもと違うことに戸惑うハニー。
立場は圧倒的に自分に有利である。
雑魚とはいえ戦闘員は壊滅させた。
いつものように人質を取られている訳でもない。
しかも相手は無防備に一人なのである。
しかし、何故こんなに余裕を持っていられるのか!?
嫌な汗が流れる中、ハニーはレイピアを構え、相手の動きを待った。
シュー、シューという蒸気の音だけが戦場に響く。
白煙が漂うなか、二人はお互いに対峙したまま動かない。
否、動けないのだ。
トレーンクローはあれ以来動かない。口を聞こうともしない。ハニーもやはり一歩も動けずにいた。
狭い倉庫に蒸気が充満してきたのだろう、ハニーは息苦しさを感じ始めていた。
自然に呼吸が激しくなる。
「はぁ、はぁ、・・・はぁ、あ、あぁ、は、はぁ」
息苦しさだけではない。体温が上昇している。
体中から汗が滲み出している。先ほどまでサファイアの様に輝いていた瞳にも影が漂う。
霞んだ瞳で、トレーンクローの瞳が再び歪んだのを捉えた時、全てを悟った。
「しまった!!」
ハニーはその場から飛び退こうとしたが、もはやその美脚には力が入らなかった。
逆に、へなへなと力が抜けていく。
レイピアを突き立て、体を支えるのがやっとであった。
そして、ついにトレーンクローは動きを見せた。
一歩、一歩ハニーに進めながら銀のマスクを取ると、下から現れた血のように真っ赤な唇を歪ませた。
「馬鹿な娘。ずぅーとガスを出していたのに、ちっとも気づかないなんて」
「くっ、ひ、卑怯な・・・」
この倉庫に立ちこめていたのはコンプレッサからの蒸気だけではなかった。
そのガスにやられたのだ。
今のハニーにはこうして反論するのもやっとである。
四肢からは力が抜けもはや動くこともできない。
目は霞み、喉はカラカラに渇き、体中汗が止まらない。
なにより、ハニーを混乱させているのは今までに経験した事のない体の火照りである。
体中が燃えるように熱い。
それがハニーの動きを結果として封じていることにもなるのだ。
後は睨み付ける事くらいしかハニーにはできることが残されていないのである。
トレーンクローは自分を睨み付ける、しかしレイピアの支えでなんとか立っているだけのそのハニーの正面に立つといよいよ作戦を実行に移した。
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