初日その6
大石の表情が完全に変化するのを、顕子は余裕たっぷりに観察した。これで自分の推理が実証された。そう思って、顕子は微かに表情をゆるめた。 「あの夜のことを知っている人間は、この世界に三人しか居ないんです。私と、私の彼と、そしてあの覆面の男です。それなのに、どうしてそんな凄い顔をして居るんですか?……気づいたんですよ。あの晩私は学校で気絶した。そしてそのまま意識のないまま家まで運ばれていた。学校の中に他の人間に怪しまれずに入ってきて、なおかつ私の家を知っている人なんて、数がしれてます。あなたは、私をあの晩気絶させ、私の部屋に運びましたね。それは、私をレイプしようとしたからでしょう? そこまでして私を犯したかったんでしょう?だから、私に薬だと偽って、睡眠薬のようなものを飲ませ、あの子達に私を襲わせ弱みを握ろうとしたんです。違いますか?」 顕子はそこまで言って、大石の出方を待つように、こころもち顎をあげてみせた。 大石はその顕子の視線を真っ正面から受けた。もはや動揺もしていなかったし、変に楽観的な考えも持っていなかった。ただ、この場面を切り抜ける方法を考えていた。目の前の顕子は、憎たらしいほど落ち着いていた。もともと聡明的な美しさを誇る顔が、自分の推理が実証されたことに酔っているのか、どこか誇らしげに見えて、大石のプライドをずたずたに引き裂いていった。 ……畜生!何か、ないか?一発逆転の何か……? 大石は狂うほどの圧縮された思考の中に自分をのめり込ませていく。どうにかして、目の前で勝ち誇っている女を叩きつぶしてやらなくてはならない。そうしなければ、今度は自分がやられるのだ。やらなければやられる。その危機感が、大石を追いつめていく。 その時、大石の視線が顕子の向こう側にいる牧田と合った。牧田は、何か大石に目配せしている。そればかりか、牧田の両隣にいる寒河江と北原までもが、自信ありげに小刻みに首を立てに振って何かを伝えようとしている。 ……あいつら、何をする気だ? 大石は訳が分からないながらも、微かに顎を引くようにして、彼らに頷いて見せた。 「先生、ごめんなさい!」 次の瞬間、牧田が泣き声をあげながら、顕子の身体にむしゃぶりついていった。顕子は一瞬身構えたが、牧田の次の言葉に表情をゆるめた。 「お、大石先生が、紺野先生を襲わないと、お前らのことを悪い子供だってパパとママに言いつけるって脅すから……ごめんなさい、ごめんなさい!」 先ほどのお返しとばかりに顕子は、声を荒げた。シーツを裸身に巻き付かせ、頭を撫でるようにして牧田を抱き留めている姿には、気高さすら感じられる。 「先生!ごめんなさい!」 寒河江と北原が牧田と同じようにして、次々に顕子に抱きついていく。それを皆抱き留めてやりながら、顕子は子供を護ろうと外的に牙を剥く牝ライオンのようにして大石を睨み付けた。 「いいのよ。わかってるから。先生、あなたちにはなんの恨みもないんだから。脅かされてだったのね。いいのよ、そんなに泣かなくても……」 大石が視線を下に落とし、がっくりと肩を落とすのを用心深く睨み付けながらも、顕子は牧田達の頭を撫でてやり、優しい言葉をかけてやった。先ほど自分を襲った相手だが、まだ子供で、なおかつ大石に脅されてのやむを得ない行為だったと知って、顕子の教育者としての義務感と誇りが呼び覚まされたのだ。 だが、不意に、大石の口から不気味な含み笑いが漏れ初めて、顕子はそちらに意識を集中させた。この期に及んで、まだ大石が何事か起こすつもりなのではないかと、目の先から炎が吹き出るようにして睨み付ける。 ……まさか、私や子供達に危害を加える気じゃないでしょうね。でも、この人ならありうるわ。簡単に他人にスタンガンを使ったり、一服盛るような人だし。私が、この子達を護らなくては…… 得意の空手の腕前を出さなくてはならなくなるかもしれないと、顕子は大石の次の行動に注意を払う。だが、その前に抱きついている子供達をよけないことにはどうにもならない。 「え?」 子供達をどけようと手に力を入れようとした瞬間だった。三人の子供の全体重を受けて、顕子はあっけなくベットに倒れ込んだ。そして、そのまま子供達は顕子の上に体重をかけ続ける。 「あ、あなたたち!」 何が起きたかわからないままに顕子は叫んだ。 「ククククク。ざまあねえなあ、紺野先生!」 子供達の行動を受けた大石は、すぐさま叫ぶ顕子の両足に、上体を乗せるようにしてのしかかった。自然笑いがこみ上げてくる。何とか大石をふりほどこうと暴れる脚の感触がたまらなく心地よい。暴れる魚を無理矢理釣り上げた瞬間を思い起こさせるような、征服感に溢れた喜びが大石の体の中を貫いていく。 「よくやったぞ!ガキども!おい、高橋!俺の部屋にスポーツバッグがあるからもってこい!すぐだ!」 顕子の下半身を押さえつけながら大石が指示を出す。たった一人、何が起きたかわからないように呆然として成り行きを見守っていた清治は、大石の声に弾かれたようにして部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。その腕の中には、顕子を責めるための道具の詰まった大石のスポーツバッグがある。 「ようし。その中から手錠とロープがあるだろう?それをこっちにもってこい」 言われるがままに清治は手錠とロープを持って大石の傍らにやってくる。 「手錠で両腕を繋ぐんだ」 大石の指示に清治は頷く。顕子の両腕は、寒河江と北原がそれぞれ押さえていた。まず寒河江の持っていた腕の方にはめ、次に北原の方にはめた。その間、顕子は泣き声のような悲痛な叫びを子供達にぶつけ続けた。 「あなたたち、こんな形で先生を裏切るなんて、最低よ!最初から、最初からあの男とぐるだったのね!」 だが、そんな顕子の言葉は、今の教え子達にはまったく届かなかった。皆、大石の指示通り、淡々と顕子の自由を奪っていく。 「高橋、今度はお前が脚を押さえるんだ。そう、お前は右足を持て」 清治を呼びつけてロープを受け取ると、大石はそのまま清治に顕子の右足を押さえつけさせ、自分は左足首を器用に縛った。そしてそのままロープの先をベットの脚に絡ませる。次に、寒河江を呼んで左足を押さえさせると、ベットの脚に絡みついたロープを持ち上げて、もう一方のベットの脚に絡みつかせる。そしてそのままベットの上にロープを運び、素早く顕子の右足首を縛る。これで、顕子の下半身は、脚を左右に開きつつもベット自体の重みによって固定されてしまうことになる。 「北原、その手を上に伸ばすんだ。おい、此処はいいから、寒河江と高橋も手伝ってやれ」 大石はさらに子供達に命じて顕子の前手錠に固定された両腕を頭の上の方に伸ばさせた。顕子は盛んに身をよじって暴れたが、下半身を固定されてしまうと、動き自体が鈍く弱々しいものになってしまう。 子供たちが顕子の両腕を押さえつけているのを見ながら、大石はスポーツバッグから短めのロープを出した。そしてそのまま顕子の手首にはめられた手錠にロープをつなぎ、その先を顕子の頭の真後ろの格子に通して結んだ。 「ようし、いいぞ。牧田、ご苦労だったな」 ずっと顕子の腹の上に体重をのせていた牧田の肩を叩いて、大石は顕子の身体を固定したことを告げた。 牧田はにやりと大石に笑って見せてから、顕子の身体から離れた。ベットから降りる前に、顕子を見下ろしてみる。 両腕をひとまとめにして頭上に引き延ばされ、下半身は左右に開いたまま固定されている。見事に人型の形に拘束された顕子の姿に、牧田は思わず魅入られたように溜息をついた。さらに、顕子の表情が、牧田の嗜好をそそる。先ほどまで、大石を追いつめたと得意の絶頂であったその顔は、信じていた子供達の二度目の背信に、情けないほどに歪んでいた。悲しみ、屈辱、絶望、そして恐怖。それらが入り交じった不可思議な表情は、牧田にとって初めて見る顕子の表情だったが、いままでに見たどんな表情よりも艶めかしく感じられた。顔の造型が美しい分だけ、歪んだときの魅力もずば抜けているのだ。そう思って牧田は、改めて追いつめた獲物の美しさに感動する。 その視線に気づいた顕子は、涙目になってしまっている瞳を強張らせて、牧田を睨み、振り絞るような声を発した。 「満足かしら?こんな形で女性を、それも先生を辱めて!あなた達みたいな子供は、ろくな大人になれるはず無いわっ!」 だが、もはや顕子に対して無垢な(と顕子は思っていた)視線を返してくれる優等生の牧田はどこにも居なかった。彼は顕子の言葉に恥じ入るどころか、あからさまに鼻で笑って見せた。 「先生、さっき先生は大石先生に教育者失格って言ってたけど、先生だって失格さ。自分の教え子をそんな風に怒鳴ったり、詰ったりしてはいけないよ。それも、ろくな大人になれないなんて……子供の向上心を奪うようなこと言っちゃあだめだよ。先生にそんなこと言う権利は無いんだし」 小憎らしいまでの牧田の返答に、顕子はさらに声を荒げた。 「私はあなたの先生です!どうして、その私に権利がないなんて言うの?先生は、あなた達を心配してるんです!」 完全に自分を見下す少年の受け答えに、顕子は言いようのない怒りを感じていた。自分の教育者としてのふがいなさに対するしっぺ返しが、いきなり津波のようにして一度に襲いかかってきたような感じだった。どこで間違ってこんな子供にしてしまったのだろうと、思えば思うほど自分自身に腹が立ってくる。 「強気?先生は当たり前のことを言っているだけです!」 もし、言葉を形にすることが出来れば、おそらく今顕子の口から漏れる言葉は、皆一様に燃え立つ炎の形をなしていたに違いない。それだけ顕子の牧田に対する言葉の発し方は激しく、厳しいものだった。 だが、牧田はその言葉に先ほどから微塵も怯んでいない。それどころか、声を荒げる顕子の顔を面白そうに見下ろしているのだ。 「当たり前のこと……?先生、それこそ僕らの行動も当たり前のことだよ。だから言ってるでしょう、さっきから。先生は僕らがどうしてこんなことをしたのか考えてみたことがあるの?って。先生、優秀なんでしょう?ママがそう言ってたよ、今度来た紺野先生ってものすごく優秀なんですってねって。優秀とかって言葉に弱いんだよ、家のママは。ブランド好きだし。でも、僕らの行動理由がわからないなんて、思ったより頭が悪いのかな?」 牧田と顕子のやりとりを大石は面白そうに見物している。先ほどから牧田には助けられてばかりだと大石は思って、自分が手駒どころか強力な盟友を手に入れたことに、充分すぎる満足感を感じていた。 ……さて、顕子先生はどうお答えしますかな? 子供ながら、言葉で顕子をなぶろうとしている牧田の秀麗な横顔が非常に頼もしく見える。このまま大石が顕子という極上の素材を使って女のいろはを教えてやれば、怖ろしい女泣かせが生まれることは確実だった。 「ね?先生、わからない?どうして僕らがこんなことをしたのか、だよ。担任なら、考えなくちゃ。子供の心理を理解して指導するのが先生の仕事でしょ?」 牧田は執拗以上に顕子を小馬鹿にしてみせる。顕子がその度に、怒ったり悲しんだりするのがたまらなく愉快だった。颯爽とした教室での顕子の表情がだぶるだけにそれは、たまらなく興奮する瞬間でもあった。 「……女性の身体に興味があったからでしょう?違う?」 顕子の声はそれまでとは打って変わって、どこか牧田におもねるような響きを持っている。顕子は顕子なりに牧田の言葉を重く受け止めようとしていたのだ。確かに、自分はさっきから本当の意味で子供達がどうしてこんなことをしたのか考えてはいないと、反省したのだ。 「うーん、100点満点で20点くらいかな。女の身体に興味があるだけだったら、わざわざこんなまわりくどいことしなくてもいいでしょ?それに別に相手が先生でなくてもいいんだよ。だいたい、そんなぼんやりしたおおざっぱなことで僕たちがここまでやると本当に思ったの?」 顕子の表情が途端に弱々しいものに変わっていく。顕子には、大石の気持ちならわかると思うのだ。成人男性ならば、女性と性交渉を結ぶことを至上の目的にして人生を生きる人もいる。顕子の恋人もそれほど頻繁ではないが、顕子の肉体を求めてくる。成人男性は、どんな朴念仁だろうと、性欲を発散させること無しに生きていくことは無理に近いのだ。それはその男性の人間性云々の前に、生理的なものなのだから、仕様のないことだと、顕子には理解できた。そして、その性欲が強かったり、人間的に問題のある男性が女性を力尽くで犯すのであろう。 だが、精通が漸く始まったばかりのような子供が、それもついこの間まで優等性的な存在だった彼らが、自分をこんな目に遭わせるとは考えも及ばなかったし、その動機も殆ど教科書的な考えしか浮かばなかった。だから、顕子はその原因を大石に見出そうとした。だが、子供達が自主的に行動していることを先ほど理解した顕子は、まったく彼らの考えがわからなくなっていたのだ。 ……いったい、この子達に私が何をしてしまったというのだろう。女性をレイプすることに、並の男性でもけして軽い理由があるわけではないだろうに。何か、重大な理由があるのではないかしら? 顕子が精神に染みついてしまった優等性的な思考を巡らせているのを見下ろしながら、牧田は焦れったそうに、口を開く。 「まったく!本当にわかんないの?じゃあ、ヒント。僕らは先生の身体の一部分がものすごく気になって仕様がなかった。どう、何となくわかってきた?」 ……私の身体の一部分? その言葉に、顕子はすぐに牧田の言わんとしていることがなんなのかを理解した。 ……私の胸のことを言ってるのね 顕子はそのことに、少なからざる精神的打撃を受けた。顕子にとって、自分の胸は長い間、そして今現在もコンプレックスの源泉であった。生理が始まった頃を境に急に膨らみ続けた胸は、中学を卒業する頃には並の下着のサイズには収まりきらないほどに成長していた。無論、日々どこにいても男性の視線を感じないときは無かったし、何よりショックだったのは、小学生の頃からずっと通い続けていた空手道場の指導者や先輩たちにまで奇異の視線を浴びせられるようになったことだった。ただ胸の成長が著しいというだけのことで、急に男性は彼女と稽古をすることを敬遠し始め、中にはあからさまに、胸の大きさが気になって稽古にならないという指導者も居た。そんな男性の思考が当時まったく理解できなかった顕子は、そのことで非常に傷つき、逆に技の切れで男性を見返してやろうと猛練習を続けたのだ。そして、小学校の教師になろうと思ったのは、そうした身体的特徴を子供はあげつらったりしないだろうという考えもあったからだった。 だが、目の前で自分を見下ろしている小学生は、顕子の胸が気になってしようがなかったといった。では、またこの胸がいけないのだろうか?自分の胸にどうしてこんなに、大人も子供も男性はこだわるのだろうか?答えがわからないまま、顕子は哀しい目をして牧田に向かって口を開く。 「先生の胸に興味があったのね。そして、この胸を……」 言いよどんだ顕子の顔を覗き込みながら、牧田は相好を崩してみせる。 その牧田の顔と、自分の胸に幼い性器を挟んで腰を叩き付けた時の牧田の顔が瞬間的に重なって、顕子は下唇をぎゅっと噛み締めた。 ……そうだ、あんな破廉恥な行為は、私の胸だからこそできたのよ。普通の女性の胸だったら、あんなことは出来ないし、すること自体考えつかない。私の、私の必要以上に大きい胸だから、あんなことが出来た。私の胸だから、子供達までおかしくなってしまった……そうよ! 牧田の問いかけに対する答えを顕子は見出していた。彼らを子どもだと思いこんでいたから、理解できなかったのだ。そして、子供も又女性の身体的特徴に敏感に反応することを知らなかったから、わからなかったのだ。 「……牧田君、先生わかったわ。先生の胸を自由にしたくて、こんなことしたのね。さっきしたみたいに、先生の胸をレイプしたかったのね」 殆ど嘔吐するときのような、こみ上げる感情をそのまま息として吐き出したという感じで、顕子は喋った。こんなことを小学生の教え子に、言わなくてはならないことがたまらなく情けなく、悔しかった。それは同時に、そこまで子供の幼い精神を蝕んだのが自分の肉体であるということを自分で認めたことなのだ。 「やっと、わかったみたいだね。そうだよ、だから先生に偉そうにいう権利はないんだよ。先生が綺麗で、そのくせ胸がそんなに大きくなければ、僕らだってこんなことはしなかったんだ」 牧田は顕子に優しい声で頬笑みかける。その笑顔はかつて教室で顕子が毎日見ていたものとまったく変わらなかった。思わずいつもの牧田に戻ったのではないかと、錯覚してしまうほどに。 だが、その錯覚は所詮錯覚に過ぎなかった。 「だから、先生は僕らに償わなくてはならない。謝らなくてはならないんだ」 声変わり直後特有の掠れ気味だった牧田の声が、今まで聞いたことの無かったほど低く重く顕子の耳に届いてきた。 「償う?謝る?十分じゃない!私の身体を自由にしたじゃない!もう、いいでしょ?先生、十分償ったでしょ?」 牧田の言葉に思わず顕子は声を荒げた。教え子である少年達に犯された。だが、顕子は先ほどその原因は自分の肉体にあると自分で認めたのだ。これがどれほど女性にとって屈辱的で哀しいことか、目の前の少年にはわからないのだろうかと思って、顕子は大声を出してしまっていた。 「十分なわけないでしょう?全然ですよ、これっぽっちも僕らは満足してない。そればかりか、先生一言も謝って無いじゃないですか。自分だけ、さも辛い目にあってるみたいに大声出して、卑怯ですよ。僕らが毎日どんな思いで教室で授業を受けていたと思ってるんですか?寝てる間に身体を自由にされたり、ベットに縛られていることなんか、全然可愛いくらいですよ。それこそ気が狂いそうな思いだったんですよ。先生を、触りたい、揉みたい、舐めまわしたい、嗅ぎたい、そして僕らの初めての女性になって欲しい……。僕らは毎日、先生が目の前にいるのに、何もできないことで、心も体も擦り切れそうになっていたんですよ。その苦しみがわかりますか?わからないくせに!先生が悪いのに、僕らのことをまるで悪者みたいに!卑怯だ!先生は卑怯だ!」 思わずあげた顕子の牧田への非難は、次の瞬間、倍以上の激しさと敵意を持った非難で返された。その言葉があまりに自己中心的で、どこか狂った匂いを漂わせていることに気づきながらも、顕子は表情を柔らげて牧田に謝罪する。そしてそれは、真剣に牧田のことを考えての言葉だった。 「わかったわ、牧田君。先生が悪かったわ。先生のせいで牧田君達が辛い思いをしていたなんて、気づかなかった。先生、反省したわ。牧田君達が今回してしまったことも、先生がもう少しあなた達の気持ちを理解していれば起こるはずのないことだったのよね。これからは、そうした気持ちまで理解するように努めます。ごめんなさい。そして、もう、こんなことは止めてね。あたな達の将来のためにもよくないことなんだから。ね?」 だが、牧田の心の中に巻き起こった嵐は鎮まることがなかった。 「それで、謝ったつもりなの?いままで僕らに味わわせてきたような気持ちを、自分は味わうことなく許されようって言うの?いい加減にしろ!きちんと、謝るんだよ!」 肉食獣が咆哮するような声をあげて、牧田は顕子に謝罪を迫る。そして同時に、顕子の右側の乳房に手を這わせて、ぎりぎりと絞り上げる。 「い、痛い!や、止めて、牧田君、止めて……」 口調も声質もそれまでとは打って変わって、急に荒々しく、大人の牡っぽいものに牧田は変わっていた。その視線すら、血走って濁ったものに変化していた。 「……ああ、さっきのじゃ、どうして駄目なの?教えて……」 乳房に食い込む牧田の爪が、鋭い痛みを送り込んでくる。その痛みが、牧田への従順な弱々しい態度を顕子にとらせる。空手の稽古の時に感じる健全な痛みではない、爛れた感じのする病的な痛みは、顕子の中の不安をどんどん増殖させていく。 「全然駄目だ。自分を弁護するのはまず止める。そして、説教するな。教師風を吹かそうと思うな。今、この場にいる紺野顕子は、先生であって先生じゃないんだ。……そうだな、たとえば、私、紺野顕子の胸が必要以上に大きいことが、前途有望な小学生たちを惑わせ、間違った道を歩ませてしまったことを謝ります、ごめんなさいとかいいんじゃないかな?」 途端に、牧田の後ろの方でことの成り行きを見守っていた大石や寒河江達が吹き出す。その笑い声を耳にして、顕子は耳まで真っ赤にして下唇を上の歯で噛み締める。両手が自由ならば、顔を覆っていただろうし、脚が自由ならばこの場を立ち去ることもできた。だが、今の顕子には何一つ出来ない。ただ、真っ赤に上気した顔をくなくなと自分の引き延ばされた二の腕にこすりつけるだけだ。 「おい、牧田。それ面白いから、ちょっとまってろ。今ビデオをセットするから」 大石が牧田にストップをかけてから、スポーツバックの中からビデオカメラをとりだした。普通ならば、今回の林間学校を撮るはずのものだが、大石の本来の目的はこっちの撮影の方だった。鼻歌混じりでビデオを三脚に固定する大石を後目に、牧田は顕子に言わせる台詞を考えている。 「寒河江、さっきのでいいと思うか?」 牧田は、いまいち自分の案に満足いかないのか、寒河江の方を振り返る。 「もっと、言葉を直接的にしたらどうかな?胸は、おっぱいとかさ。それに、先生自身を貶めるようなことを自分で言わせるんだ」 寒河江は薄く笑いながら牧田にそう提案した。それに頷いてから、牧田は顕子の耳元に謝罪の言葉を囁いている。 「よし!いいぞ、カメラはセットしたから、その女に謝罪させるんだ」 部屋中に大石の上機嫌な声が響く。ファインダー越しに、大石の視線はベットの上に固定された顕子にズームで近づいていく。微かに汗をかいてひかる額が蠱惑的だと、大石は顕子をみて思う。その顕子が今にも屈辱的な言葉を吐き出すのかと思うと、愉快でたまらなかった。 「さあ、言うんだ」 牧田が顕子に促す。無論、乳房を絞り上げる手はそのままだ。見ていると、ぎゅうっという擬音がしてきそうなくらい、牧田は爪を食い込ませ、力を入れていた。 「この謝罪が終わったら、先生を許してくれるの?」 不安げな表情で顕子は牧田の顔を見上げる。それに対して牧田は軽く頷いてみせる。顕子はなおも不安だと言うように、口を開く。 「でも、大石先生はどうかしら?私をこのまま放すわけないわ」 小声で顕子の耳元にそう囁き返る牧田の姿は、台詞の確認をしているようにしか大石には見えなかった。牧田はそれを知っているのか、まったく堂々としていた。だが、その真意は誰にもわからない。顕子には謝罪したらすべて許すようなことを言ったが、それはビデオを撮らせる方便に過ぎないのかもしれないし、一方で大石を出し抜いてやろうという気持ちがそういう言葉を吐かせたのかもしれなかった。 「さ、言うんだよ」 顕子の耳元から口を離しながら、牧田は再び促す。顕子は急に表情を改めて、ビデオカメラの方に顔を向けた。自分の二の腕に顔の下の方が隠れているが、視線だけはきちんとカメラのレンズに向けた。 「……私、紺野顕子は、おっぱいの大きさだけが取り柄のどうしようもない駄目教師です。がんばって勉強したり、空手をしたのは、おっぱいしか能のない自分を認めたくなかったからです。ですが、どこに行っても誰にあっても話題にあがるのはおっぱいのことばかり。おっぱいの前では、私の取るに足らない努力がまったく無意味だということを知りました。おっぱいこそが私の一番の長所だと気づいたのです。ですが、私にとって、おっぱいが誉められる唯一のようなものなのに、それが教え子を苦しませていたことを今回初めて知りました。私の自慢のおっぱいが前途有望な優秀な小学生を惑わせていたことに気づいて、私は自分がこの世の中にとって必要ない存在だと思いました。このおっぱいさえなければ。そう思いますが、もう後の祭りです。私にはやはり謝罪するのも償うのもおっぱいしかないのです。……ですから、このおっぱいを使って私に謝罪させて下さい。ご自由に弄んで下さい。それで私の謝罪に返させていただきたいと思います。ごめんなさい」 一気にまくしたててから、顕子は大きく溜息をついた。屈辱的な自分自身で自分の半生を辱めるような台詞を、顕子は何も考えずにただ吐き出した。だが、牧田はこれで許してくれると言ったのだ。漸くこの戒めから解き放たれるかもしれないと顕子は期待を込めて牧田の顔を見上げた。 だが、それに対する牧田の表情は冷たかった。 「本当に言っちゃったんだ。馬鹿だね、先生。これであのビデオテープで大石先生や僕らの奴隷にならなくてはいけなくなったね」 冷静な視線を返され、それよりもっと冷たい口調でそう教えられた顕子は、三度教え子に騙されたことをその瞬間に理解した。そして同時に自分が先ほど口にした台詞を思いだして、気絶してしまいそうなショックを感じていた。 ……ああ、私は、取り返しのつかないことを……! 心の中で顕子は自分の愚かしさを嘆いた。だが、すべては後の祭りだった。大石はファインダーから顔を上げて、にやりと牧田に笑いかけ、牧田も笑い返していた。 この瞬間、顕子は完全に彼らに搦め取られてしまった自分を知ったのであった。 |