今回は、『キン肉マンII世 究極の超人タッグ編 (1)』や『キン肉マンII世 究極の超人タッグ編 (2)』における、「英雄伝説」的な特徴や「箱船伝説」的特徴について、考察します。
英雄の誕生にまつわる伝説については、英雄の誕生でも解説しましたが、今回は大塚英志の本からの孫引きではなく、元の本から直接引用します。
さて、平均的伝説自体は図式的にはおよそ次のようにまとめることができよう。
主人公の英雄はきわめて身分の高い両親の子で、たいていは王子である。
その生誕の前には、困難がつきまとっている。たとえば、禁欲、あるいは長期にわたって子宝に恵まれないこと、あるいは外部からの禁止や妨害による両親のかくれた性交など。母胎にいる間に、あるいはすでにそれ以前から、その誕生を警告する告知(夢。神託)が行われ、たいてい父親に危険が迫っているとするお告げである。
それに従って、新生児はたいていは父親もしくは父親に代わる人物の命令で、殺されるか棄てられるかすることになる。通常は小さな箱に入れられ、水にゆだねられる。
それから動物、あるいは身分の低い人々(牧人)に救われ、雌の動物あるいは身分の低い女から乳を飲ませてもらう。
成長し、紆余曲折を経て高貴な身分の両親に再会し、一方では父親に復讐し、片方では認知され、出世し名声を得る。
すべてこれらの神話においては、上の図式が示すように、きまって英雄と父親・母親とのあいだの正常な関係が阻害されているようである。
『英雄誕生の神話』オットー・ランク著
まず「究極のタッグ編」における「英雄伝説」的特徴について、書きます。
「主人公の万太郎は王子である。」「主人公は父親が高齢になってからの子どもである。」という点については、特に説明の必要はないでしょう。二重に「特別な子供」なのです。
「主人公は自分が父親に倒される夢を見る。」
タッグ編冒頭では万太郎が、女性の乳房を吸おうとして、父親に殴られる夢を見ていました。
これは単なるエロネタと解釈することもできますが、「息子」「女(母親)」「父親」の三角関係(エディプス・コンプレックス)とも解釈できます。
多くの英雄伝説では、これとは逆に父親が息子に倒される夢を見るのですが、それは父親を倒して母親を独占したい息子の願望が、逆転する形で表現されたものと、ランクは考えています。ランクはエディプス・コンプレックスを提唱した、フロイトの直弟子です。
ランクが「箱に入れられ海や川などの水に流される」という要素を重視するのは、彼はそれが「箱=母胎」や「水=羊水」という形で、「誕生」のイメージと結びついていると考えるからです。
万太郎は箱に入れて流されたりはしていません。もっとも、二世の冒頭でヘラクレスファクトリーから、地球に向けて小さな宇宙船で送り出されてはいます。
究極のタッグ編では、「水の入った箱に入れられた、ほぼ裸で何もできないケビン」の方が、胎児っぽい雰囲気です。ケビンの話を、「母親が重体なので、まだ生まれていない息子が死にかける話」と要約すると、切迫流産の話ですね。こういう「実はいくらでもある話」だからこそ、時間を超えるとかなんとかという、科学的かつ非科学的な設定でも、読者にそれなりのリアリティを感じてもらえるのでしょう。
動物や身分の低い女性に育てられるとかいう設定は、今回の万太郎にはありません。その代わり、カオスにあります。これについては、カオス考で。
そして万太郎は父親のキン肉スグルに敵視されつつも、認知されつつあります。
多くの英雄伝説では「奇形とか、不吉な予言とかの、理由があって棄てた子だから」とか、「私生児だから」とかいう理由で、父親は息子を息子だと認めません。しかし、この作品は現代作品らしく「まだ生まれていない息子が、未来から父親をたずねてくる」という展開になっています。
まあ、読み切り版キン肉マンは「私生児」でしたし、連載版キン肉マンは「捨て子」でしたから、こういうのもひねりがあって、よろしいかと思います。
この究極のタッグ編の冒頭部分には面白い特徴があります。
この部分は「箱船伝説」らしいのです。
「箱船伝説」というのは、旧約聖書のノアの箱船の話として知られる話です。
これと同じ様な話は、聖書の時代よりさらに古く、メソポタミアの粘土板に刻まれた、最古の英雄伝説である「ギルガメシュ叙事詩」にも、記されています。
「主人公は神のお告げを受け、洪水によって世界が滅びようとしていることを知る。しかし愚かな人間たちはそのお告げを信じない。主人公は選ばれたものだけを船に乗せて、災難を逃れ、新たな世界の人間となる」
という話です。
きっとプロレス団体のノアも、「新世界への箱船(この場合の旧世界は全日本プロレス)」のつもりで、そういう名前なのでしょう。
この腐った世界はやがて滅びるので、選ばれた我々は悪と闘い、災害の後も生き残って、新たな世界に向かわねばならない、と書くと、よくあるカルト教団の教えですが、究極のタッグ編の冒頭にはそんなノリもあります。
究極のタッグ編での「時空船(タイムシップ)」は、「船」らしく、水辺で作っています。単に材料がお台場にあるからというより、「船だから水辺で建造」という、どこかで見たような光景を描いているのでしょう。
「世界が滅びるという予言」は、ミートの本などで示されます。
「愚かな人間たち」の描写も、ありました。
「選ばれた民」である正義超人は、その意義が一般人に理解されない会議を開き、社会に対する破壊活動を行っていました。
万太郎を中心に考えるならば「王子が滅び行く世界から、箱船に乗って、父親である王のところへ、認知を求めに来る」という、箱船伝説と英雄伝説をまぜたような話です。
そして、ランクは「神話」で、主人公が箱に入れられて、水に流される話と、洪水の中、箱船に乗った者だけが救われる話は、同じ誕生に関する話だと書いています。前者は、息子が父親に自らに反抗する者として、殺されかける話です。後者は神という父に従順である健気な息子が、父の殺意を逃れるという話です。裏表の関係にあるのですね。
たぶん、この究極のタッグ編は、「主人公は、王である父に認知され、神に選ばれた者として世界も救う」という、聖書レベルのベタに落ちつくのでしょう。