今回は「主人公が誰かを従者にする」という、パターンを扱います。『キン肉マン』の世界では「闘いのための仲間を集める」となります。この場合の「従者」は複数です。二者関係ではなく、主人公と三人のお供みたいな関係です。
それでは、主人公が旅の途中で仲間を集めるというお伽話を、いくつか紹介しましょう。
真っ先に思い浮かぶのは、「桃太郎」です。旅の途中で傭兵を雇うタイプの話です。賃金(きびだんご)を払うのが、この話の特徴です。
『キン肉マン』の世界では、ミルク金時で仲間を集める「宇宙野武士編」がこのパターンです。
勇者が酒場などで仲間を集める、RPG(ロールプレイングゲーム)の「よくある展開」はこれに近いでしょう。
「桃太郎」のように、主人公が動物の助けを得るという話は、西洋のメルヒェンにもあります。
『グリム童話集 2』の「二人兄弟」<KHM 60>の話です。
旅の途中で、お腹が空いた主人公が野兎を見つけて鉄砲でうとうとします。
「かりゅうどさん、わたしは生かしておいとくれ、かりゅうどさんには、子供を二羽あげましょう」『グリム童話集 2』
そうして連れてきた子兎二羽が、子供らしくかわいいので主人公の兄弟二人は、これを殺して食う気になれず、手元に置くことにしました。こんな感じで、彼らが獣を撃とうとする度に、その獣が子供を二匹連れてくるということが繰り返され、最後はライオン二頭、熊が二匹、狼が二匹、狐が二匹、それから兎が二羽となりました。その動物達を連れて旅をするのですが、彼らは闘いの役には立ちません。お使いや案内がお役目です。
同じく動物をお供にする話である「不死身のコシチェイ」が『ロシア民話集 上』に、収録されています。
主人公は、鞭打たれていた罪人の借金を代わりに支払い、恩返しとして「鋼の勇者」と名乗るその男がついてきます。旅の途中でお腹の空いた二人は狩りで獲物を捕ろうとします。
「こいつを殺してやろう」と鋼の勇者が言った。「もう食うものがないのだから」
「どうか殺さないでください」と雌犬が頼んだ。「子犬たちがみなし子になりますから。そのかわり、いつかお役に立ちましょう」
「それなら行くがいい」『ロシア民話集 上』
西洋だと「主人公が殺そうとした、動物が命ごいし、援助を約束する」のですね。親の動物が子供を差し出して自分が助かろうとする話は、日本の昔話では、聞かないパターンのような気がします。
日本なら、「他人が殺そうとし、主人公が命を助けた動物が、恩を返しに来る」というところでしょう。罠にかかっていた山鳥を助けて、代わりに銭を挟んでおくような話です。しかも日本では、「敵を倒すのを手伝いに来る」というより、「女房として、ご飯を作ったり、機を織りに来る」というパターンの話の方が多い気がします。鶴女房とか。西洋だと「人魚」とか「天女」の女房はありえても、「魚」や「鶴」なんか嫁に来ません。「呪いをかけられて蛙にされた王子」は、元が人間で、動物じゃありません。日本のメルヒェンの方が、動物に愛情や友情を期待しています。
たぶん、キン肉マンや万太郎の援助に駆けつけてくる「かつて倒された敵」というのは、「止めを刺されなかった恩を返しに来た動物」みたいなものなのでしょう。ガゼルマンとかセイウチンとか、チェック・メイトとかは、「主人公の男友達」ではなく「言葉をしゃべるお供の動物」なのかもしれません。
男を仲間にするタイプのメルヒェンのスカウト話としては、異常な能力のある者が主人公を助ける「六人組の世界旅行」のパターンがあります。
例としては「六人男、世界を股にかける<KHM 71>」(『完訳
グリム童話集〈2〉』に収録)や「六人のけらい<KHM 134>」(『完訳
グリム童話集〈4〉』に収録)や「二つとない船」(『フランス民話集』に収録)があります。
「六人男、世界を股にかける<KHM 71>」は、だいたいこんな話です。
戦争がおしまいになって、わずかなお金を払われただけで、くびになった兵隊がいました。
その男は「いまにみろ、おいらだって気のきいたけらいがみつかりゃ、王様に国中の宝物を出さしてみせるぞ」と、怒りました。
そして男は次々と常識外れな能力を持った者を見つけては、家来にならないかと声を掛けます。
例えば自分の片方の足を外して、片足で立っている男を見つけます。彼は、二本足で走ると早すぎるので、そうしているのだといいます。
彼らは主人公の仲間にならないかという誘いを、素直に承諾します。
この6人組が都へ行った時に、王様が自分の娘と競争をして勝った者は娘と結婚させてやる、その代わり負けたら死刑だ、というおふれを出していました。
主人公は代わりに家来を走らせてもいいかと王様に聞きます。
王様は、負けたら主人であるお前と家来の両方が死ぬが、それでもいいかと聞きます。
主人公は承諾し「片足で立っていた男」を駆けさせます。
他の家来の援助もあって、「片足で立っていた男」はお姫さまに勝ちました。しかし、どこの馬の骨ともしれない男が勝ったので、王様とお姫さまは主人公をお婿さんに迎えるのをいやがり、次々に試練を出します。
それも他の家来の力ではねのけて、主人公とその家来はお姫さまの代わりにお金をどっさりもらって楽しく暮らしました。
参考 『完訳
グリム童話集〈2〉』
かけっこ勝負で姫を獲得、というパターンは、死か結婚で紹介したアタランテーとも共通するパターンです。この二つの話が文書に記録された年月には、2000年の開きがあるのですが、お伽話の歴史というものは永いものですね。
娘をやりたくない王様が難題を出すと言うところは、花嫁の父で紹介したのとも通じるパターンです。
「六人男、世界を股にかける<KHM 71>」では、主人公は姫と結婚しませんが、「六人のけらい<KHM 134>」や「二つとない船」では結婚します。
仲間のその後については「ずっと仲間」と、「役目を終えたので去る」のパターンに分かれます。
力の使い道がわからず、雇い主もなく埋もれている連中に声を掛けた、主人公の「見る目(直観)」こそが、大成功した秘訣という話なのかもしれません。
直観で声を掛けて友人(家来)にするのは、『キン肉マンII世』ではありません。
「万太郎とカオス」とか「ロビンとキッド」とか「ネプチューンマンとセイウチン」のように、パートナーとして選ぶのは、また違うパターンでしょう。
違うパターンではありましょうが、『キン肉マン』シリーズでは、男が男の才能を見込んでスカウトするというのは、師弟を初めとして上下関係のあるコンビでは、非常によくあるパターンです。俗に言う「シンデレラボーイ」というやつですね。
西洋では「男が男に勝って、仲間にする」は、メルヒェンのよくあるパターンではありません。女に勝って妻にするんだったら、よくあるパターンなんですが。あるいは前述したように「動物に勝って、仲間にする」パターンとか。
それでは「男が男に勝って仲間にする」パターンを、日本の昔話から取りあげましょう。
「力太郎」です。
昔あるところに、不精なじいさまとばあさまがいた。
二人は子供がなかったので、ある時風呂に入って垢で人形をこしらえた。
その子に飯を食わせるとたちまち成長した。
成長した子供は、力業の修行に出るから、百貫目の鉄の棒を杖の代わりに作ってくれといいます。
主人公はその鉄の棒を軽々と持ち上げたので、力太郎と名付けられた。
彼は、旅の途中ででっかい御堂を背負っている、大男に出会います。
相手は天下一の力持ちと名乗り、力太郎と勝負したが、負けてしまい力太郎の家来になった。
次に石切り場で働いている大男に出会った。彼も天下一と名乗ったが、力太郎に負け、恥じ入って家来になった。
やがて長者の娘が化け物のいけにえになるという話を聞き、力太郎は助けようと家来と家の守りを固める。
家来は次々に負けて、化け物に呑まれるが、力太郎は化け物を倒し、仲間は吐き出され、娘も助かった。
力太郎は長者の娘と結婚し、仲間や両親と幸せに暮らした。
参考 『日本昔話100選』
「最強の主人公が、他の最強を名乗る男を倒して味方にする。やがて化け物が現れ、主人公の味方は次々に倒される。しかし主人公が化け物を倒すことによって、味方は復活し、ヒロインも救われる」
という、少年漫画によくあるパターンは、日本古来の伝統です。
この「力太郎」は、小学二年生用の国語の教科書(光村)にも、採用された話です。読んだ覚えのある方もいらっしゃるでしょう。
『キン肉マンII世』の悪魔の種子編って、小学校二年生にもよくわかるお話ですね。
「最強とされる主人公の万太郎。ミートが悪魔超人達にさらわれ、万太郎が助けに向かう。すると万太郎がかつて倒したスカーやバリアフリーマンやハンゾウを含む、5名の男達が味方として現れる。スカー達は次々と敵に倒されるが、万太郎の勝利によって、彼らは復活し、いけにえになりかかったミートも救われる」
「力太郎」と似た話が西洋にもあります。『フランス民話集』に収録されている、「熊のジャン」です。ですが、それは友の裏切りで終わっていました。
「熊のジャン」は異常な誕生をした、金棒を担いだ力自慢の男が主人公です。仲間達は勝負に負けたのではなく、声をかけられてついてきました。ですが、彼らは特殊能力は持たず、主人公ほど力のない力自慢です。そして彼らは化け物に次々と倒されます。主人公は化け物を倒し、姫を助けます。ところが、主人公の成功を妬んだ仲間二人が主人公を罠に掛けて姫を奪います。そこへ主人公が現れて、姫を取り戻します。裏切り者は慌てて逃げ出し、主人公は姫と結婚します。
日本では、義経と弁慶の五条大橋の伝説とかのように、「負けたら家来になる」は正道パターンなんですけれどね。やはり、ヨーロッパには馴染まないパターンなのでしょう。
中国にもこれに似た話があります。『けものたちのないしょ話 中国民話選』の「サンジシャー物語」です。これはタイ族に伝わる民話だそうです。
これは予言によって王様に誕生を恐れられた勇士が、各国を回って農民や猟師や果物売り、狩人などさまざまな職業の4人の勇士を探し出して、彼らとともに様々な冒険をする話です。彼らを見込んで、仲間にしようと声をかけた主人公を、彼らは一度は断りますが、主人公と腕を競って負けると仲間になります。最後の一人だけは相手が立派な4人連れだったので、仲間に入ることを決めました。彼らは主人公ほどではありませんが、力持ちだったり、足が速かったりして、活躍します。
これらの従者は「悪人」として登場しません。従者と主人公の間には「主人公のスカウトを断った」とか「道でけんかになった」という程度のいさかいがあっただけです。『キン肉マン』のように、かつて殺しあった仲とかそういうことはありません。
主人公である男が悪人である男に勝ち、改心した男は主人公の仲間になる。『キン肉マン』のよくあるパターンです。
例を上げる必要もないでしょうが、初代『キン肉マン』ですと、ウォーズマンとか、バッファローマンでしょうか。キン肉マン二世では、悪行超人から改心して、主人公に連れ歩かれた人物は、チェックとスカーとハンゾウとバリアフリーマンとイリューヒンとケビンと言うことでいいのでしょうか。ケビンとイリューヒンは、万太郎に倒されていませんが。
仏教を背景にした、「主人公が、敵である悪人を倒して仲間にしていく」という、有名な小説があります。
『西遊記』です。
つまり、「ドラゴンボール」の元ネタです。ドラゴンボールで、悪事を働く化け物のプーアルが孫悟空に倒されて仲間になる話は、そのまんま西遊記のパロディです。
もっとも『西遊記』は正確には「主人公の三蔵法師あるいは孫悟空が、自ら悪人を倒し、その罪を許して仲間にした」というわけではありません。
『西遊記』で、孫悟空達が三蔵法師のお供になったいきさつは、おそらく多くの人が知るでしょう。
孫悟空を倒したのはお釈迦様で、三蔵法師は孫悟空の罪を許し、牢屋から出しただけです。
沙悟浄や猪八戒、三蔵法師の乗った竜の化けた馬についても同じで、「観音様が予め、悪人を懲らしめて、三蔵法師のお供をするようにと言いつけておいた。」という、援助者である仏が、とても偉大な物語なのです。
ミートが三蔵法師で、チェックが馬で、万太郎が猪八戒で、沙悟浄はケビンで、孫悟空はキッドあたりなのかもしれません。が、別に『西遊記』に当てはめなくてもいいでしょう。
これは「動物をお供にする」パターンでもあるのかもしれませんが、「改心」というのが重要な要素でしょう。
古代インドの説話であるジャータカにも、主人公が男に勝って家来にする話はあります。「大薬賢者物語」が、そうです。
主人公が賢者として王に召し抱えられることになった。主人公に地位を奪われることを恐れた、王の家臣が次々に主人公に難題を出す。主人公は次々に試練を突破し、王の養子となる。それを妬んだ家臣は主人公を陥れようとするが、主人公はその企みを暴き、相手に勝利する。それのみならず、慈悲深い主人公は、相手を許してそのまま家臣とする。
参考 『ジャータカ物語〈5〉』
家来にした相手が、その後全く役に立たないのも、紀元前からのお約束です。
日本の少年漫画の「男の敵が次々仲間になる」の遠い源流は、「他人の罪を許せ」と教える仏教なのではないでしょうか。