不死身の英雄

不死身の英雄は、神話や民話によく登場します。
今回は、スカーフェイスと万太郎を例にあげて、不死身の男の倒され方のパターンを考えてみたいです。

 

母親の祝福の限界

神話や民話において、不死身の英雄の倒され方は、大きくわけて、次の三つです。

「母の祝福の限界」
「父の恩寵の限界」
「女が弱み」

若い男にとっての重要人物は、大きく分けて「母なるもの」「父なるもの」「彼女」の3つということでしょう。

「母の保護する力の限界」は、ギリシャ神話のアキレウス、北欧神話のバルドル、日本民話の小冠者などです。

アキレウスの母は海の神ネーレウスの娘、テティスです。テティスの夫は人間でした。
「テティスは、息子のアキレウスを不死身にしようと思った。そして、その子が父親から受け継いだ死すべき部分を、夫に隠れて火で少しづつ焼いていった。その途中で夫に見つかり、夫は妻がわが子を焼いているのを見て、声をあげた。そして妻は、海へと去った。」参考『ギリシア神話』アポロドーロス

この話は、人間の男が英雄的行為によって、魔物である女を妻にするが、その女は息子を残して去るという、典型的な超自然的花嫁の物語です。
アキレスは母テティスの力によって、不死身になりましたが、焼け残った部分、かかとの部分だけが弱点として残りました。彼はトロイア戦争で、この弱点であるかかとをパリスに射られて、死にます。それでかかとの骨につながっている腱をアキレス腱というのです。

万太郎がチェックにかけた関節技は、いくつもありますが、そのひとつにアキレス腱固めがあります。キッドもその後、アキレス腱も断裂したに違いないと、図付きで解説しています。悪魔将軍との関連づけや、絵的な問題もあってか、かかとよりもひざがチェックの弱点として描写されていましたが、「アキレス腱」にまつわる神話を、意識はしてたんじゃないでしょうか。不死身を自称する男にアキレス腱固めをかけるという、神話と格闘技の教養がある人の考えそうなネタだったのでしょう。

北欧神話のバルドルは、北欧の主神オーディーンの息子です。

女神であるバルドルの母のフリッグは、息子の死の予言を聞いて、世界中の生き物にバルドルを殺させないように頼んだ。しかし、母はヤドリギにだけは誓いを立てさせなかった。そのことを聞き出したロキという神は、他の男をそそのかして、ヤドリギをバルドルに投げつけさせた。ヤドリギがあたったバルドルは死んだ。
参考『エッダ

寄生植物で、常緑樹の宿り木は、「親に頼る不死身の者」を象徴しています。
常緑樹に不死性を見出すのは、多くの文化圏に存在する見方のようで、日本でめでたいとされる松や竹や榊やもみの木は、冬でも枯れない植物です。

日本の昔話』には「日田の鬼太夫」という話があります。
「出雲の小冠者という天下一の力士と、鬼太夫という力士が勝負することになった。
彼が老松明神の社でに武運を祈ったところ、夢枕に明神が立った。
明神はこう告げた。
小冠者の母親は日本一の力士を産もうと思って、その子の腹の中に在る間、毎日々々砂鉄ばかり食べていた。だから小冠者の体は鉄のように堅いが、たった一度母親がついあま瓜を食べたことがあった。そのために額に一カ所だけ柔らかいところがある……。」
当然、この先の展開はその弱点を突いて、鬼太夫が勝つ、となります。

10カ月も砂鉄ばかり食べ続けたら、どう考えても栄養失調になります。
とはいえ、今でも妊娠中に鉄分をとったり、煮干しを食べる母親とかいますから、テーマ自体は不変の話でしょう。

 

父の恩寵の限界

前述のアキレウスが、戦場で同じく不死身の男と出会う話があります。
その男キュクノスは、ポセイドン(ネプチューン)の息子でした。同じ海の神とはいえ、テティスの父のネーレウスは、ポセイドンより格下です。

父親が偉いということを自慢にする貴公子のキュクノスは、身分的に劣る野性的なアキレウスに迫力負けして、逃げようとしたところを殺害されます。アキレウスによるキュクノスの殺害方法は、体が槍を通さないほど固いので、兜の紐で首を絞めて殺すというものです。キュクノスの場合は、「父の恩寵の限界」でしょう。参考『変身物語』オウィディウス

 

女が弱み

「彼女が弱み」というパターンは、歌劇『ニーベルングの指輪』のバージョンのジークフリート、『ニーベルンゲンの歌』のジーフリト、旧約聖書のサムソンでしょう。

スカーフェイスは、『闘将!! 拉麺男』に登場する、蛮暴狼と同じく、『ニーベルンゲンの歌』のジーフリトを元とします。ニーベルンゲンの歌で紹介していますが、ここでも簡単に紹介します。

『ニーベルングの指輪』のジークフリートは、叔母であり、オーディーンの娘であり、妻であったブリュンヒルデの祝福によって、不死身となりました。彼女が背中を祝福しなかったのは、勇者が敵に背を向けて逃げることなどあるまいと考えたからです。
ジークフリートが彼女を捨てたと思った、ブリュンヒルデはその弱点を他の男に教えます。

『ニーベルンゲンの歌』のジーフリトは、倒した竜の血を浴びて不死身になりました。しかしその時背中に葉っぱがついていたので、そこだけ不死身にならなかったのです。妻のクリエムヒルトは騙されて、敵に夫の弱点をしゃべります。

サムソンの秘密は、不死身の秘密ではなく、怪力の秘密です。

サムソンは怪力の英雄でしたが、彼を騙そうとするデリラという美女の誘惑に負けて、自分の怪力の秘密は長い髪の毛だとしゃべってしまいました。
そして、サムソンは寝ている間に髪を切られ、牢獄に閉じこめられます。
歌劇「サムソンとデリラ」のあらすじ

ちなみにこのサムソンが牢獄で科せられた刑は「大きな石臼を回す」という、とってもどこかで見たような刑罰です。『キン肉マン』って、古典的ですね。アシュラマンの先生であるサムソンの名もここからでしょう。

仏教の阿修羅の名は、インド神話のアスラという悪魔の一族を指す言葉から来ています。

このアスラの家系に、ニクンバという魔王がいました。彼の二人の息子のスンダとウパスンダは、世界を征服する力を得ようと、激しい苦行を行いました。それを見て恐れた神々は妨害をしようとして、美女や宝石で誘惑しましたが、彼らは心動かされませんでした。そこで梵天(ブラフマー)は、自ら二人の所へ行き、願い事を叶えてやると言った。彼らは力と幻術に優れること等や、不死となることを望みました。不死以外の願いを梵天は叶え、不死の代わりに他の願いを言えといいました。彼らは、お互い同士の何者にも傷つけられないようにして下さいと、願いました。こうして力を合わせれば無敵となった悪魔の兄弟は、世界を征服し、悪逆の限りを尽くしたので、神々は困りました。そして、最高の美しさを持つ天女を作りだし、二人の悪魔の所へやりました。酒に酔っていたアスラの兄弟は、女を巡って争い、互いに殺し合いました。『マハーバーラタ』

これは、「女絡みで身を滅ぼす」パターンであり、「父なる神の恩寵の限界」の話でもあります。

 

まとめ

多くの不死身の英雄は、何かの神秘によって、不死身であり、怪力です。

科学的トレーニングも職業レスラーも存在しない昔は、つわものとは「神に選ばれた者」「祝福されためでたい存在」でした。

平安時代では、相撲は都で年に一回天皇の前で行われる儀式でした。
そうして、国家安泰・五穀豊穣を祈ったのです。
ですから、力士もプロの職業ではありませんでした。
いわばアマチュアの祭典だったのです。
相撲が見世物になり、力士が職業になるのは、江戸時代です。

実際、現代でも「強さ」とは、最終的には「神に選ばれた」しかいいようがないものです。
なぜ、そんな才能がその者に宿り、また開花したのかは、運命とか偶然の域でしょう。

しかし、血筋や親や神に頼らない、スカーや蛮暴狼の強さは、彼らの努力の成果であることが強調されています。蛮暴狼を初めとして、『闘将!! 拉麺男』によく出てくる、「苦行をして神通力を身につける(無敵になる)」というのは、遠くインドの古代からの信仰です。それが中国にも伝わって、『少林寺』等の映画にも表現されて、ゆで作品にも影響を与えたという解釈でいいのでしょう。もちろん、日本にも密教という形でそういう思想が伝わっていますが、『闘将!! 拉麺男』の世界は、あんまり密教じゃないと思います。

己の力のみを頼る孤児の野生を「強さ」とするのは、神話やメルヒェンでは、珍しいパターンです。彼らは神の血をひかず、女神にも祝福されていません。そういう所は現代的です。
スカーや蛮暴狼を、万太郎やラーメンマンという神秘の力を持つ存在と、対比させているという面も、あるでしょう。

「父親にも、母親にも限界がある」というのは、神話にも語られていることです。「男にとって、女は危険」というのも、よく語られる話です。それならば、神にも父にも母にも頼らず、女を無視すればよいのでしょうか? スカーフェイスとか蛮暴狼は、自力で己を鍛え、女に目もくれませんでしたが、「男の裏切りによって」破滅しました。
スカーの弱みは「ケビンを好きになったこと」です。
もしケビンを助けなければ、スカーは無敵だったでしょう。
少なくとも、あの古傷はありませんでした。
そして、ケビンが秘密を話すことによって、スカーは敗北します。物語展開においても、『ニーベルンゲンの歌』の影響下にあると思われる、スカーフェイスは「女の裏切りが、英雄の破滅につながる」というパターンの変形ともいえましょう。
ゆで作品には「人に情けをかけることは、弱さ」という考えが、くり返し出てきます。
ケビンも止めを刺さないのは甘さだと、クロエに叱責されました。

それが直接の敗北の原因ではありませんが、ケビンに肉のカーテンの隙間をつかれた万太郎は、いわば「母に保護されている」タイプの「無敗」でした。
親指をしゃぶるというのは、母の不在が寂しい子供がやる仕草です。母の乳首の代わりに、自分の指をくわえるのですね。
ミートという母親役の保護を失い、万太郎は敗北します。
キッドとチェックが揃っていれば、ミート代理としてのお役目が果たせたかもしれませんが、ケビンにクロエという強力な母親代理がついていることを考えると、その二人では心許ないですね。
オリンピック決勝戦は、選手同士の戦いというだけではなく、セコンド同士の対決でもあり、血筋対決でもありました。

いかに偉い父親を持とうと、死は訪れる。女神に頼れども限界はあり、他人を愛すれば、それが弱みとなる、そういう英雄の物語は多くの人々を切ない気持ちにさせてきたのです。

 

関連書類 スカーフェイス考 ニーベルンゲンの歌


初出2006.8.11 改訂 2007.8.18

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