ウォーズマン考

ウォーズマンについて思いついたままにつらつらと。読者からの評判と気まぐれによって長くなる可能性があります。

名前について

コーホーという呼吸音からするに、ウォーズマンのモデルの一人は、スターウォーズのダースベイダーなのでしょう。

ソ連出身ということについて

1985年3月にゴルバチョフが書記長の座につきました。その約7年後、1991年12月に旧ソ連のゴルバチョフ書記長が職を辞し、主な権限は、ロシア大統領のエリツィンにゆだねられました。詳しくはwikiで
キン肉マンの連載は1979年から1987年までです。ペレストロイカの始まる前にウォーズマンは登場しました。
日本がもしどこかの国と戦うとしたら、アメリカと組んでソ連と戦うのだろう、となんとなく子供達が思っていた時代を反映していますね。
この漫画でもキン肉マン(日本)のパートナーは、テリーマン(アメリカ)だったりします。力関係は、現実の日米関係とは逆ですが、まあ、日本の漫画ですし。

リサイクルゾーンについて

再生という意味で、リサイクルという言葉が使われています。まあ、物語のテーマ的に言えば、「死と再生」の再生なので、エヴァンゲリオンみたいに、リバースとかいうべきでしょうし、蘇生という意味ならリヴァイバルでしょう。ただ、ウォーズマンは半分機械のロボ超人なので、家電やパソコンと同じ様なものという意味で、「リサイクル」としたのかもしれません。

ウォーズマンのルーツについて

ウォーズマンの超人強度は100万超人パワーです。この超人強度なる数値はウォーズマン対バッファローマンの時に、登場しました。

鉄腕アトムの100万馬力と同じような強さの表現方法です。馬力はエンジンなどの強さを測るための単位です。
そして、一馬力は、七五キログラムの物を毎秒一メートル動かす力です。詳しく

鉄腕アトムは馬100万頭分ということですが、100万超人パワーはなんなんでしょう? まあ、考えてもしかたがありませんね。
鉄腕アトムは最初は10万馬力でしたが、100万馬力のプルートウと戦うときに100万馬力に改造されました。この話はゆで先生の「父に作られた息子」パターンのひとつのルーツじゃないかと思います。ブログへのリンク

父親によって「ロボット」として作られ、成長しない(その体形が小柄である、というのが梶原が飛雄馬に与えた宿命だった)主人公が自身の意思で造反する、というのは「青騎士」と『巨人の星』に共通のプロットであり、たとえ梶原が無自覚であってもそれは『アトム』の変奏としてある。

アトムの命題』大塚英志

父親の理想の息子として作られた人造人間という、手塚治虫からの流れと、生身の人間を鍛え上げるという梶原一騎からの流れが、ゆでたまご作品の中にあります。
ゆで作品では「成長しない息子」はどちらかというと、敵方の物語として存在します。
ウォーズマンの物語はプルートウの物語です。

ウォーズマンに先行してブラックシャドーという黒くて背の高い、筋骨マンの作った超人(人造人間ならぬ、超人造超人?)が、『キン肉マン』には登場します。登場したてのウォーズマンと同じく「口が利けないように作ってある」超人です。
まさにロボットで、彼は試合でそのまま殺されてしまいます。
ウォーズマンの物語は、このブラックシャドーの物語の続きのようなものでもあります。

『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」には、ウランがプルートウにこう呼びかける場面があります。

「プルートウいつかはごめんね
あなたのこと悪くいったりして
あたしあやまるわ」
「あなたはきっとほんとはいいロボットなのね
きっとあなたをつくった人間が悪い人なのよ」

『キン肉マン』でも、ビビンバがウォーズマンに「あなたは悪い人じゃない」と呼びかける場面が何度もあります。
これは、良心の象徴としての女性です。
それをきっかけに主人公は、悪しき父親からの自立を志します。
梶原作品の場合も、星飛雄馬が父親からの自立を志すきっかけのひとつとして、後述するオズマとの出会いの他に「清らかな女性」との関係があります。

ゆでたまご先生の漫画には、明確に「地上最大のロボット」を元ネタとする話があります。
『闘将!!拉麺男』のラーメンマン・ランボーの話がそれです。
ランボーの方が、「過去に孤児だった」とか「過去に貧しい生活をしていた」などの梶原風設定がなく、父親を創造主とするので、プルートウの直系です。

アトムにはそれを作った父(天馬博士)がいます。
手塚先生は、「父と息子」です。原始的な分、こちらの方が普遍的ではあります。キリスト教の世界観では神は父、アダムはその父の作った被造物です。

ただ、ランボーは「清らかな美少女」に心を動かされて父親に対する反抗を試みたわけではなく、主人公であるラーメンマン本人に心を動かされていますので「悪魔の娘」のパターンでしょう。

梶原一騎作品の敵役で、「鍛え上げられた生身の人間」のパターンは数多くあります。『巨人の星』のオズマもその一人です。彼は無表情で背の高い黒人です。

自らを野球ロボットと自称するオズマは、孤児院からアメリカの球団に、ひきとられました。彼は球団の費用で養育され、徹底的なベースボールの天才教育を受けました。そして主人公を倒そうとする主人公の父に連れられて、再登場します。

この「何らかの組織によって改造された人間」というオズマの物語は、虎の穴で鍛えられたタイガーマスクの物語へと継承されていきます。

ゴリラマンなどの、身寄りのない怪奇レスラーを連れた、燕尾服を着たX氏(ミスターX)がバラクーダのひとつのルーツでしょう。単にロビンマスクがイギリス紳士というだけではなく。
『キン肉マン』のアニメ化を担当したスタッフも、ウォーズマンのルーツを虎の穴の悪役レスラーと思ったらしく、アニメオリジナルの設定として「蛇の穴」が登場します。

『キン肉マンII世』に登場するキャラクターでは、チェック・メイトが「何らかの組織によって改造された超人」という設定です。
もっとも組織うんぬんというより、師弟関係が中心です。サンシャインが『あしたのジョー』の丹下段平のようなルックスになっていることからも、それはわかります。

オズマにも、タイガーマスクにも「創造主」としての父はいません。実父は話には登場せず、彼らを調教し、訓練した者だけが登場するのですから、似たようなものではあるかもしれません。

「父と息子」の構図は『巨人の星』や『あしたのジョー』に顕著です。

おそらくパターン的に「創造主が作り上げた人造人間」と「組織が改造した身寄りのない人間」との中間にあたるのが、発表年代的にも『鉄腕アトム』と『巨人の星』の間に位置する『サイボーグ009』でしょう。主人公達がブラックゴースト団という、悪の組織によって作られたサイボーグという設定の漫画です。ですが、組織と個人の関係だけではなく、ギルモア博士という人物が彼らを改造し、その後も彼らの父親的役割をになっています。

個人を圧殺する組織というものを、梶原先生や石ノ森先生は敵として想定できたのでしょう。「個人対組織」の構図です。『タイガーマスク』は「父に反抗」ではなく「組織に反逆」の物語です。

おそらくウォーズマンというキャラクターの物語的ルーツは、虎の穴の悪役レスラーと、プルートウでしょう。

ゆでたまご先生が「似た話だ」と意識的にか、無意識的にか、理解していたからこそ、この両者がまざりあう形で「鍛え上げられた人造人間」の物語が描かれたのでしょう。
ウォーズマンは半機械超人、ロボ超人です。「半機械超人」というのは世間に迫害されたが故に、現実に対して感覚的、感情的に反応することをやめてしまった人物の比喩なんでしょう。
ゆでまんがだと、「父親に作られた優等生の息子は、その父親の出来の悪い息子の面倒を見る」という、オリジナリティあふれる展開をするのですが、ウォーズマンやミート本人は成長しないって意味では、手塚時代から変わっていないような気がします。

アスペルガー症候群

アスペルガー症候群とは、発達障害の一種で、言語の発達に異常のない自閉症です。高機能自閉症と言われることもあります。
DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』の診断基準では、こんな感じです。

1.社会的相互作用の質的障害

2.制限された反復的で常同的な、行動、興味および活動のパターン

これだけでは、なんのことかわかりにくいので、簡単にいいかえると、こうなります。

1.目の前の人間の気持ちがよくわからず、上手く話をあわせて、人と親密になるのが苦手です。

2.何かのマニアだったり、専門家です。

「友人がいなくて、他人と上手くつき合えません」というだけではなく、「ダンボール一杯のキン消しコレクション」とか「キン肉マンに登場する全ての超人の名前が言える」とか、そういう「個人的な特定の興味」があると、それっぽい気はします。
ですが、友人がいなくて、何かのマニアでも、自閉症の傾向がある人は一握りです。医師にアスペルガー症候群と診断される基準は厳しく、ある研究によれば400人に一人とも言われる位のまれな障害です。
不安になった人は、どうぞこの自閉症スペクトラム指数(Autism-Spectrum Quotient: AQ)自己診断を。

自閉症どうこうはおいておいても、ウォーズマンの人気投票での順位が『キン肉マンII世』で高い理由のひとつは、『キン肉マンII世』で人気投票の葉書を書く、読者のマニア比率の高さでしょう。ウォーズマンはマニア気質の人に、好かれるキャラクターです。

アスペルガー症候群の厳密な診断基準に関しては、あなたもアスペルガー症候群?等のウェブページ、あるいは、『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』を直接参考にして下さい。
ここでは、医学的な診断基準ではなく、よくある特徴のうち、ウォーズマンと共通しそうな点をあげていきます。参考資料『ふしぎだね!?アスペルガー症候群(高機能自閉症)のおともだち』『ガイドブック アスペルガー症候群』『自閉症とアスペルガー症候群』『アスペルガーの偉人たち』等。

ウォーズマンの容姿について

アスペルガー症候群の人は、黒尽くめとか、無彩色の服を着る傾向があります。あるいは、地味な服を着ています。

ウォーズマンは、仮面をつけています。仮面を付けていると、冷ややかで知的な印象です。
『エレファント・マン』のような、身体障害者の物語でもあるのでしょうが、これは精神的な問題を表すものという見方もできます。アスペルガー症候群の人の中には「自分は仮面をつけている」という人がいます。障害のない、普通の人の振りをしているのだ、ということです。
彼らの知性や才能にひかれて、アスペルガー症候群の人と親しくなった人は、相手の人格に何かが欠落していると感じて、しばしば失望します。それは彼らの側から見たら「他の人間達は、わたしの素顔を見ると去っていく」ということにほかなりません。

人間関係や社会性について

アスペルガー症候群が「発達障害」とされる理由のひとつに、共感性の欠如があります。目の前の人間の感情に、自然に同調したりするのは苦手な傾向があり、時に非人間的な印象を与えます。
率直です。社交辞令は苦手で、客観的な事実を好みます。
「空気が読めない」とされて、学校などではよくいじめやからかいの対象になります。
ウォーズマンの少年時代は、アスペルガー症候群の少年にはよくある状況です。

他人に興味を持つ人と持たない人がいます。持つ場合も、特定の一人に興味が偏りがちです。芸能人やスポーツ選手の、熱狂的な追従者になったります。
好きな人のことはすごく好きですが、それ以外の人は露骨に無視したりします。
しかし好きな人と仲良くするのは、苦手です。
SCRAP三太夫 (2)』のウォーズマンは、友人達とわかれてしまった話をしていました。

アスペルガー症候群の人は、対等で相互的な人間関係を築く能力に欠けるため、年上や年下と仲良くなりがちです。

「愛着か無視かの両極端。命がけで愛着する。絶対服従か支配かになることが多い」ADHDとアスペルガー症候群との比較


役割分担の明確な二者関係が、彼らには向くようです。
ウォーズマンは弟子になると決めたときに、主導権をバラクーダに全面的に譲り渡す選択をしたのでしょう。
彼に好意を持ってくれる人は少なかったし、自分に何か欠落があるという意識も強かったので、下手なことをしてバラクーダに、嫌われたくなかったのかもしれません。

またアスペルガー症候群の人は、正義感や義務感が強く、明文化されたルールは守ります。秩序を愛し、論理的なのです。
アスペルガー症候群の少年は、周囲に理解があり、その少年の「普通の人とは違う所」を、個性として尊重する場合は、「素直ないい子」として過ごせますが、周囲に理解が無く、迫害的に接した場合は、様々な問題行動を起こす可能性があります。
共感性に欠けるため、攻撃はしばしば容赦のないものとなります。
ウォーズマンの、「残酷な攻撃者」の側面と、「従順で真面目」という側面とは、コインの裏表のようなものなのでしょう。

アスペルガー症候群の人は、学校のような集団での教育には向かず、一対一の師弟関係に向きます。
それは彼らには、彼らのペースがあり、他の人がしないような理解や誤解をするからでしょう。
逆に師匠にあたる存在がいない時は、自分のオリジナルなやり方を工夫します。
ウォーズマンも、全てをプログラムされた存在ではありませんでした。

アスペルガー症候群の児童の予後は、教育次第な点が多いです。
彼らには多くの人間が持つ「他人と自然に仲良くなる」能力が、生まれつき欠けています。ですから、『ガイドブック アスペルガー症候群』には、「いかに友人関係を学習させるか」に多くのページが割かれています。

相手が似合っていない服を着ていても、「似合っているよ」とほめるのが、「ヤサシサ」で、嬉しくないプレゼントをもらっても「嬉しい、ありがとう」といううのが「オモイヤリ」なんですよ。とかいうことを、指導する立場の者が細かくプログラミングしていくのが、アスペルガー症候群の少年達に対して必要な教育なのです。

「ヤサシサ」+「オモイヤリ」+「アイジョウ」=「ユウジョウ」
は、美しく簡略化された式ですが、「ユウジョウ」を「インプット」するのは、アスペルガー症候群の少年達の周囲で現実に行われているのです。

ウォーズマンの能力と関心

アスペルガー症候群の人は、数学や論理的思考に優れている人が多いです。
アインシュタインやニュートンなど、優れた物理学者の中に、アスペルガー症候群だったのだろうと言われる人が多くいます。
現代では、コンピューター関係の仕事につく、アスペルガー症候群の人も多くいます。ウィンドウズのビル・ゲイツが、アスペルガー症候群の特徴を、備えているという話もあります。
ファイティングコンピューターのウォーズマンも、設定の上では、「計算や分析が得意」ということになっています。

アスペルガー症候群の人は、細部にこだわる傾向があり、しばしば普通の人が気付かないことに気付きます。ウォーズマンが時折見せる鋭さは、そういうことなのかもしれません。

アスペルガー症候群の人は、何か特定のものに強い興味を持ちます。彼らは多くの場合、何かのコレクターであり、何かのマニアであり、誰かのファンであり、何かの専門家であり、何かの研究者です。この「興味」が彼らを単なる対人恐怖の人などから、区別する特徴のひとつです。
ウォーズマンの場合は、それは格闘技でした。

ロボットとか電車とかの機械が好きな自閉症圏の男性は、よくいます。
扇風機とか、換気扇とかの、回転する機械にひきつけられたりします。
これは『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』の自閉症の項にも記述があります。スクリュードライバーは、自閉的なロボ超人にふさわしい技なのかもしれません。

アスペルガー症候群の人は、忍耐強く苦痛を訴えない傾向があります。
ウォーズマンもそういう人物だったので、バラクーダの苛酷な特訓に耐えられたのでしょう。

アスペルガー症候群の人は、柔軟性が無く、急な環境の変化についていけません。それと考え合わせると、ウォーズマンの30分しか闘えないというのは、面白い表現です。

アスペルガー症候群の発見者である、アスペルガー先生は彼が観察した子供達について、「この子供たちは知的な機械人形(オートマタ)なのです」と書きました。これは機械人形(automata)と、自閉症(autism)をかけた文章です。

アスペルガー障害の人は、その言動にはある種の非人間的な雰囲気が漂います。彼らは発見者によって機械人形に例えられたのみならず、この症候群のことを何も知らない人にも「機械的」と言われます。そして、アスペルガー症候群の人自身も、自らをそう例えます。

 僕はただ、論理だけで生きて、感情は抜け落ちています。自分が餌食にされた後から、隠れていた反発の気持ちが出てきます。感情はすべて自分の弱さの現れなんです。僕の固さときたら、窒素ボンベの中の太い金属棒みたいなものです。……僕はきっと、機械のような、かちかちの人間になります。だれからも好かれず、愛されもせず、僕が墓場に行ったらみんな大喜びでしょう。お金のことでしか僕は関心をもたれません。……こんな悪循環があります。1、僕がいじめられる。2、自分で自分を惨めにしてひねくれる。3、またいじめられる。……最高にいい学校は、機械を相手に勉強していられる――人間の要素をなくしたところです。
自閉症とアスペルガー症候群

これは、十二歳のあるアスペルガー症候群の少年の文章です。

また、自閉症の女性であるグランディンは、自閉症の男性達について「彼らは『スタートレック』に登場する人造人間、データを思い出させます」と書きました。

ウォーズマンは、アンドロイドのデータと、同系列のキャラクターなのでしょう。
アスペルガー症候群の人は、単なる機械人形ではありません。
彼らは何かに熱中し、己の中の正しさに従うが故に、しばしば反抗的です。暴走する機械人形なのです。
半分機械で半分生身のロボ超人というのは、アスペルガー症候群の良い比喩といえましょう。
キン肉マンのキャラクターは、容姿がその人の本質を表している場合が多いです。
彼らは「文字どおり」であり、「絵どおり」なのです。

超人オリンピック編のウォーズマン

「父とその復讐の道具である息子が、支配者としての父から自立し、友のところへ。」
というパターンでしょうか。

キン肉マンとウォーズマンの関係を中心にあらすじを語ってみましょう。

ウォーズマンは、キン肉マンの前に不気味な者として現れました。オリンピック参加者同士ですから、敵対な間柄です。
ウォーズマンは、ビビンバに優しい人として好意を持たれます。
ウォーズマンは、特訓で死刑囚達を殺します。また、ペンタゴンの翼をもぎます。
ウォーズマンはラーメンマンに重傷を負わせます。
ウォーズマンと、スグルは決勝戦でマスク剥ぎデスマッチで戦うことになります。

ビビンバのウォーズマンに対する好意を知って、スグルは嫉妬します。
パロスペシャルはスグルにとって恐怖の対象となります。
スグルはラーメンマンに止めを刺そうとしたウォーズマンに憤ります。
両者はリングで戦い、ウォーズマンはパロスペシャルをかけ、スグルのマスクを剥がそうとします。
実はウォーズマンは、キン肉マンに復讐したいと願うロビンマスクを師匠とします。
ウォーズマンは戦いの間に師匠からの自立の意志に目覚め、凶器であるアイアンクローを投げつけます。
スグルは苦戦しますが、最後に逆転します。

スグルはウォーズマンに止めを刺すという行為に罪悪感を抱き、観客が一斉に止めを刺せといいますが、それを行いません。

醜い素顔を晒したウォーズマンは、スグルに心を開き、己の不幸な過去を語り始めます。

変換ページで、主人公に「キン肉マン」相手に「ウォーズマン」と入れて「救済と獲得」のリストを見た場合そのまんまですが、これでいいでしょう。


成長物語としては以下のように流れていると思います。

キン肉マンの世界で最も重い罪は「女性を暴力で傷つけること」です。
だから、女性(ビビンバ)を一貫してかばう、ウォーズマンは「実は良い人」なのです。彼がロビンに従うことを拒むきっかけは、ビビンバを殴ったから、です。
女性に対する優しさが女性(母親的存在)に、愛される(受容される)ための条件ということなのでしょう。

途中で、路上で喧嘩してパロスペシャルを披露していた過去が明かされるのは、ウォーズマンにも「オリジナリティ」が存在するという表現でしょう。
オリジナリティとは「自分らしさ」であり、師匠(父)に自立を認められるための条件です。

ロビンはここで「支配」を象徴する鞭を折るのです。
厳しい父というのは迫害者ですから。

子供は基本的に「教育」を「迫害」と思うし、「世間」を「軽薄」だとも思います。世間も学問も子供にはまだ理解できませんから。
軽薄な世間の迫害から逃れるために教育を受ける、というのは『キン肉マン』より古い世代の考え方でしょう。ウォーズマンは、こういう生き方の人物でもあります。

それらの感情の流れを受けつつ、キン肉マンはウォーズマンに勝利するのですね。

観客が一斉にウォーズマンを非難します。そして殺せと言います。
自身の判断でそれに従わないということは、自分自身を立ちあげるということです。
そういう点では、これはキン肉マンの自立の物語でもあります。

それと、この流れでは優れているが故に弱者を許さない厳しい父親役も、優しいが故に悪を許さないまじめな母親役も残酷なものとなり、スグルの友情だけがウォーズを救うという感じですね。

キン肉マン対ウォーズマン戦の主な登場人物の役割は、以下のようになります。

「主人公」キン肉マン
「主人公の援助者」父親
「相手」ウォーズマン
「相手の犠牲者」ラーメンマン(後に「主人公の援助者」となる)
「相手の主人」バラクーダ
「相手の援助者」ビビンバ

これらが具体的にどう絡むかというと、こうです。

父親に支えられて闘いに挑む主人公。ひそかに対戦相手に心をひかれているヒロイン。対戦相手に再起不能にされる主人公の友。実は対戦相手の師匠は主人公に対する復讐の念に燃える、主人公のかつての対戦相手。倒れた友の励ましを受けて立ち上がる主人公。不幸な対戦相手のために泣くヒロイン。

以上、「ベタな少年まんが」でした。

それぞれの人物の役割について『キン肉マン』と『キン肉マンII世』のオリンピック編を比較してみましょう。

助言者兼特訓の相手役として、このオリンピック編の真弓は存在感があります。II世ではミートが主にこなす役ですね。
II世のオリンピック編では、「相手の犠牲者」兼「主人公の援助者」というラーメンマンの役割は、対ケビン戦ではなく対ヒカルド戦で、生霊ジェイドが果たしていました。ウォーズマンはラーメンマンの仇でしたが、ケビンはイリューヒンの仇という構図にはならず、イリューヒンを助けたミートを侮辱したケビン、という構図になりました。
バラクーダの役はクロエ(ウォーズマン)が引き継ぎました。
何かというと三角関係になるのが、ゆでまんがのヒロインですが、II世のオリンピック編では凛子がジェイドに心をひかれたりしていました。
雨の中、敗者に膝枕ということでは、オリンピック編で泣きながら万太郎を膝枕したジャクリーンが、ビビンバの類似キャラです。
殺せといっておきながら、倒れた相手にかけよったりするのは、サンシャインとチェックの関係のようです。
もし、オリンピック編でケビンが負け、ジャクリーンがケビンを膝枕したら、II世のオリンピック編は、更に前作を踏襲した展開になったでしょう。

ウォーズマンのその後について

キン肉マンの敵から味方になった超人がたどる道は、たいてい「敵対者」→「援助者」→「犠牲者」です。
強い敵だった相手が、主人公を助けて、新たな敵の犠牲になる、ということですね。
そして主人公は、自分のために犠牲になった相手を助けるために、新たに登場した強敵に立ち向かっていきます。

二回目のオリンピック編では、ウォーズマンは敵として登場します。
ウォーズマンはキン肉マンに罪を赦されて仲間となります。

七人の悪魔超人編では、何者かが超人パワーを吸い取っているという事態をいち早く理解し、キン肉マンにそれを告げます。警告は援助の一種です。
その次にミートを助けるために、バッファローマンに倒されて、犠牲者となります。

黄金のマスク編では、プラネットマンの心臓になり、正義超人の勝利のために死にます。これは主人公を助ける行為です。助けられた主人公は、逆に体内に入り、ウォーズマンを助けます。

タッグ編では、師弟コンビを組みます。これは特に主人公を援助する行動ではなく、ロビンマスクを援助する行動です。そのままネプチューンマン達の犠牲者となります。

王位編では、超人墓場でキン肉マンを助けます。その後、キン肉マンというよりは、ミートを助けるために、生き返ることを決意します。そして、何もわからなくなった所を、ロビンマスクとキン肉マンに助けられます。

こうして大まかに記述してみると、仲間になってからのウォーズマンの物語は、助けるために死に、助けられて再生するのくり返しですね。


ロビンマスクから見てのウォーズマンとの関係は、「獲得し、反抗され、和解し、別離し、再会する。」です。大雑把すぎますが、今回はここまでです。『キン肉マン』では、特にウォーズマンがロビンマスクを援助したイベントはありません。タッグを組んだのがそれにあたるのかもしれませんが、あまり助けているようにも見えません。これが『キン肉マンII世』でのクロエとしての活躍につながるのでしょう。『キン肉マンII世』を読んだことがある方はクロエ考をどうぞ。


初出2006.1.8 改訂 2007.10.6

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