〜軍天使ライラ・瞬間接着剤の章
第四章 1. 陽光のきらめきの中、白と黄金の炎が燃え上がる。 「やむをえんのう。降り掛かる火の粉は、払わねばなるまいて」 誰にいうでもなく、空々しい言い訳の言葉を口に、男が、両手に2本の得物を構える。実に使い込まれた、黒光りする木刀の大小。さすがに、殺す気はないのか、あるいは、これで十分なのか。 「よしなさい! ライラ!」 うめき声をあげ、いまだに意識を取り戻さない弟子の恋人を胸に抱きかかえ、神父が、鋭く彼女を制する。だが、完全に逆上している彼女に、その師の言葉に耳を傾けるそぶりはまるでなかった。 「追撃はせぬか。頭に血がのぼっているように見えて、意外に賢明じゃなぁ。あるいは、本能で間合いを取り直したか?」 鬼人の言葉に、ライラの服の胸元が裂ける。袖無しの白い上着の、ちょうど左乳房の下半分が、白く濡れた果実のようにわずかに顔を見せる。もう一瞬、ライラが逃れるのが遅ければ、乳房ごと木刀でもぎ取られ、ましてや追撃などかけていたら、あばらごと心臓を持っていかれていたやもしれない。 「か、がはっ!」 翼をばたつかせ、両の手で下腹部を庇い、痙攣する天使。地面をのたうつ、今度はライラが、その場に涙と涎を滴らせながら、必死に息を整える。 「ぜい、ぜい、ひゅー、ひゅー」 激痛に潤んだ目を見開き、地べたに片頬をこすり付けながらも、必死に体を起こそうとするライラ。だが、手も足も、なかなかに力が入らない。射落とされた小鳥のようにひくひくと体をうごめかせ、そのたびに力無く、地面に体をこすり付ける。ニットの袖なしの下の豊満な乳房が、そのたび、大地にこすり付けられ、捏ねつけられる。地面と、体に挟み込まれ、押し出された乳房の先端、突き出した乳首が、幾度と無く砂砂利にこすり付けられ、赤く腫れ上がる。痛みや苦しみというより、その衝撃に全身の神経がパニックを起こしているのだろう。ようやく、両の手、両の膝をついて、叩き付けられた大地から体を引き剥がす。体と地面でこね回された乳房に、押し広げられた左胸の服の裂け目からは、上着の白よりさらに眩しい乳色の肉球が絞り出されている。微細な砂にまみれ、こすられ、少し赤らんだ乳房とその先端の、砂にこね回され、真っ赤に充血した肉芽がなんとも痛々しい。 「どうした、もう、ごめんなさいしよるのかのぅ?」 口元を嘲りに歪め、男が問う。 「それとも、師匠に代わってもらうか」 そして、続けてそう言い放つ。ライラの背後、溜まらず、助っ人に入ろうとしていた神父を制しての口撃か。神父の動きが、一瞬凍り付く。ライラが、潤んだ目でそちらを睨み付けたからだ。 そんな、彼女の痛々しい叫びが、神父の身体に重荷となって圧し掛かる。剣を失ったライラでは、彼女の柔法では、恐らく、この鬼人のパワーを打ち破ることはできまい。それが分かっていても、必死の彼女の思いを目にしては、その気持ちをむげに踏みにじることもできない。どうしても、自分が助けに入らねばならなくなるその瞬間まで、彼女を信じる決意をした神父は、唇をかんでその戦闘態勢を解いた。だが、その時になってからで果たして間に合うのか否か。 「ひぎゅっ!」 圧迫された腹圧に押し上げられた横隔膜が、天使に押しつぶされた蛙のようなうめきをあげさせる。膝を水月に、向こう臑を下腹に、男が、下肢で天使を押さえ付けるように、体重を浴びせかける。 「ふ、ふぅっ」 男の、天使の腹に酷く減り込んだ、足が、彼女の苦しみを、雄弁に物語る。苦悶に力を失った下肢は標本台の蛙のように力なく、だらりと、股を開き、両の手は、どうにか、男の太い腿に絡み付かせ、女は霞のかかった潤んだ目で、敵の巨体を力なく睨む。そんな彼女の、肩と股間に手をかけると、男は膝を離し、天使の身体を易々と地面から引き離し、その身体を高々と両の手で持ち上げた。そして、身体を返すと、そのまま、天使の背を、一気に地面に叩き付ける。プロレスでいうところの、パワースラムだ。しかも、地面から引き抜いて、である。 「がはっ!!」 受け身すら取れぬままに、硬い地面の上で、2mの大男の投げを食らったのだ。常識から言えば、間違いなくK.O.である。呼吸すら出来ぬまま、文字どおり眼を白黒させ、まな板の上の魚のように、ただ、口をぱくぱくとさせるしかできないライラ。 「どうじゃ、参ったか?」 彼女が弱い訳ではない。だが、男の規格外のパワーの前に、天界最強の軍天使と呼ばれたはずの彼女が、まるで男の力の前に蹂躙されるしかない、力ない娘のように、易々と...凌辱と言ってすら、問題ない責めに、為すすべもなく屈服を強いられる。 「ふざけるな....」 自分の持つ柔法の定石が、一切効かない以上、剣も機動力も奪われた今の状況で勝てる術は皆無だ。だが、一言参ったと言ってしまえば、千分の一の勝てる望みすら失われてしまう。手を伸ばし、地面に爪を立て、天使が地を這いずり、男から離れる。めざすは、そう、自分の最強の、剣だ。 「くっ...」 だが、容赦ない下突きが、またも、ライラのボディを打ち抜く。 「ぐばっ!」 息を吐き、一瞬、気の遠くなりかけたライラの頭を肩に、もう一方の手を、彼女の腰に、その弱々しい肢体を頭上に高々と持ち上げる。プロレスでいうところの、ブレンバスター?! 「まさか?!」 その殺人技に、慌ててカットに入ろうとする神父。だが、それより一瞬早く、男の巨体が、宙に舞った。 「...手加減はしたやったからな。案ずることないて。正直、儂の軟弱な弟子にくらべれば、主の娘の方が、数倍楽しめるわい」 そう言い残し、彼等の前から立ち去る大男。 「...これで、うぬも、儂との試合で、いささか本気を出す気にはなったじゃろう?」 最後にそう言い残す男を振り返りもせず、今度は自分の弟子のライラを胸に、『悪魔』の別名を持つ神父は、口の端をわずかに引きつらせ、凄惨な...そう、先の男にモノにも似た、凄惨な笑みを浮かべ、武蔵が去るのを待った。 2. 「ライラ、しっかりなさい。ライラ」 まさに鬼の異名に相応しい、不破烈堂武蔵の猛攻に、幾度となく胴を打ちぬかれ、両の股関節を脱臼寸前にまで責め立てられた、哀れな天使を胸に、神父がその頬を軽く叩き、意識を呼び覚まそうとその名を呼ぶ。幸いというか、首から上には直接の打撃、衝撃は加えられておらず、脳にダメージは無かろうというのが、せめてもの救いであったが、それでも、執拗なボディへの加撃は、女の身には相当つらいものがあったであろう。無意識に両の手で下腹を庇い、蓄積されたダメージにすっかり力を失った下半身をだらりと脱力させ、苦しげに眉根を寄せ、うめきをもらすライラの長い金色の睫毛がかすかに震え、ゆっくりと目を開いた。 「ふ、うぅ」 力無く半開きになった唇の隙間から、熱く湿った吐息が漏れる。師の腕の中、わずかに身じろぎした彼女は、しかしその瞬間に腹を襲った鈍い痛みに、わずかに顔を顰める。一方、股関節から両の太股の鋭い痛みは、ひどくはあったが、逆に我慢できない痛みではなかった。元々身体の柔らかいのと、最後の最後で武蔵が手加減した...結局、彼の目的は彼女を打ち破ることなどではなかったのだ.. 「気がつきましたか? よかった。とりあえずは一安心ですね」 そんな彼女を覗き込み、しかし、言葉とは裏腹に、笑顔というものを見せぬ、真顔の神父。一方、対照的に安堵の表情を浮かべ、満面の笑顔を見せる、麗と兜卒天。それに、いつのまに駆けつけたのか、麗の友人の、小鉄少年の姿も。まさか、この場の全員が自分の恥ずかしい姿を見たとも限るまいが、それでも、なんとはなしに複雑な気持ちになるライラ。が、それも一瞬の事、皆の心配そうな目を見るだけで、不思議とそんな恥辱の思いは溶け、流れていく。 「心配したにゃ! ライラ姉ちゃんにもしものことがあったら、小鉄はどうしたらイイにゃ!」 胸の前に腕を組み、芝居がかって小鉄が怒る。 「おおげさな奴だな。でも、お前も私のことを心配してくれたのか? ...その、あ、ありがとう」 小鉄の言葉に、少しはにかんで答えるライラ。この街に来るまでは、神軍の王女、軍天使三万を率いる姫将軍として、人に礼など言ったことのなかった彼女のこと、いまだに、感謝と謝罪の意思表明は、得意ではない。 「すみません、ライラさん、僕、師匠を止められんで」 彼女が意識を失っている間、最も狼狽していたであろうことが、想像に難くない兜卒天が、その屈辱にかすかに涙を浮かべ、顔を耳まで朱に染めて、天使の傍らに土下座をして謝罪する。 「お、おい、頭を上げてくれ」 そんな友人の肩に静かに手を触れ、かなしげな瞳で、その姿を見詰めるライラ。両手を地について、さながら水辺の人魚がしなだれかかるかのように、力の入らぬ腰から下をひきずって、その若者の側に、そっと寄る。 「もしも、もしもライラさんがこのまま目を醒まさんかったら、僕、刺し違えてでもあの師匠を殺るつもりでした。でも、それよりも許せんのは、その師匠に一撃でのされてしもた自分です」 土下座したまま、顔をあげず、懺悔のごとく呟く若者。その手を、天使がそっと触れ、心苦しそうに、男から目を伏せた。 「気にするな。...私がやられたのは、自分が弱かったからだ。お前には関係ないさ」 本人は、一応慰めのつもりなのだろうか、いささか男の身には辛い慰めの言葉を囁くライラ。多少、歯車の噛み合わぬ風はあるものの、それなりに悪くない雰囲気の二人の間に、小鉄が割って入る。 「ライラ姉ちゃん、おクスリにゃ」 何の、とは、一言も言わず、そんなライラにごく自然に、どろりと白く濁った液体の満たされた薬瓶を手渡す小鉄。心配をかけた負い目からか、それとも、心配してくれる友人の存在が嬉しいのか、顔を伏せ、少し赤らめつつもはにかんだ微笑を浮かべ、ライラが黙ってその薬瓶を受け取る。 「すまない。...ありがとう。な」 それだけ見ていると、とても神軍最強の軍天使、長大な両手剣を自在に操る天駆ける有翼の女剣士、元神軍姫将軍と恐れられた黄金の髪の魔女とは思えぬ、可愛らしい笑みを浮かべ、何の疑いもなくその薬を一口、飲み下す。 「う!」 と、今、薬を飲み下したライラの眉が、途端に顰められ、たっぷり2秒の沈黙と、嚥下の後に、なきそうな表情で咳き込み始める。 「げ、げふっ。...な、なんだ、コレは?!」 口の端からこぼれる、白濁した糊のようなその薬を手の甲で拭い、舌と喉に貼り付くような薬の不快感に、泣きそうな表情を浮かべる、ライラ。思わず不平を言う彼女の舌の上で、粘つく薬が長く糸を引く。生臭い、鼻を突く臭みと、どろりとした舌触りは、とても、人が口にするものとも思われない。責めるような天使の視線に、小鉄が、その自信は何処から来るのか、疑問に思える程の自信を持って、はっきり、言い切った。 「全部飲むにゃ。小鉄の、虎の子の万能回復薬にゃ」 至極当然の権利とでも言うように、轟然と薬を拒絶する天使。だが、途端に小鉄が悲しそうな表情を浮かべ、しゅん、と項垂れる。そして、微かに肩を震わせると、震える声で、彼女の言いようを非難する。 「そんな、せっかく、ライラ姉やんのために、小鉄が....。ひっく、もう、いいよぉ。ライラ姉が、そんなに、嫌やいうんやったら、飲んでくれんでも、いいにゃ....」 わずかにぐずぐずと鼻を鳴らしながら、自分を非難する少年の、その言い様ももっともと、彼女の良心が、少年の姿にしくりと痛む。途端に、世話の仕方も解らぬのに、突然生まれたばかりの子供を押し付けられた未婚の娘のようにおろおろと、目にみえて慌て、動揺するライラ。 「いや、その、えっと、あの、....私が、悪かった。すまん。言い過ぎた。謝る。だから、な。あの、その、えっと、....許してくれんか?」 そんな彼女の、ある意味滑稽なほどの狼狽ぶりに、ようやっと機嫌を直したのか、小鉄も静かに顔を上げ、恨みがましい視線を天使に投げつつも、小さく一つ、こくりと、うなづいて見せた。 「小鉄は、ライラ姉やんのために....」 まだぐずぐず言う小鉄の目の前で、ライラがままよとばかりに薬瓶の中身を一息にあおる。腐っているのではないかと疑わしいほどの異臭と、喉の焼ける塩辛さとかすかな苦み、それに何より、舌に絡み付く、歯で噛まねばなならぬかと思わせる、粘りと抵抗感。それを、無理矢理飲み下し、込み上げる吐き気と、胃の腑の焼けるような不快感に苛まれつつも、ごくり、ごくりとそれを飲み下す。喉の奥から逆流してきそうになる薬をどうにか押さえつけ、わずかに脂汗すら浮かべて、ようやく瓶を空にするライラ。 「けふ」 思わず、息が零れる。舌も、口も、喉の奥も、ぬるりと粘つく薬が、べったりとこびりついて膜が張ったかのように違和感がある。込み上げる吐き気を必死で押え込みながら、少し影のある笑顔を浮かべ、かすれた声で、ライラが呟く。 「ありがとうな、小鉄。....なんだか、おかげで、少し楽になったみたいだ」 あまり、というか、かえって調子の悪そうな様子で、少年を安心させようと、まだ青い顔に微笑を浮かべて、ライラが微笑む。その微笑みに、小鉄が指で、涙を拭い、少し、嬉しそうに笑う。 (おめでたい女だよ。しかし、まぁ、あんなにいっぺんに飲んじまって、大丈夫なンかよ。これから繰り広げられるショーんコト想像すりゃ、脳勃起モンだね、こりゃ。) あの小生意気な天使が、これからおこる自分の体の変化、反乱、暴走に、どんな風に戸惑い、混乱し、おびえ、啜り泣き、そして、真相に気づき、何を悟り、何を思うのか。 (そのときになって、手前の愚かさ呪っても、手遅れなんだよなァ) そんな男の、陰湿な爬虫の視線に気づいたのか、視線の先、ライラが、不審げに顔を上げ、そちらを見やる。感覚的な悪寒に、ついと顔を上げただけなのであろう、確信にいたらぬ不安感が、やや険しいながらも、はっきりとした敵意を示しきれずにいるライラ。 (とと、さて、と。気づかれるまでに退散するとするか。....ここは小僧に任せて、こちらはこちらで、宴の支度を整えるか。ちっとヤバめの裏街道で、好きそうなヤツ、あつめて、その時がきたら、みんなでボロクソにののしってやるさ。手前の惨めさと、無様さに、夜の度に夢に見そうな、嘲笑いかたでな。) だが、それにはある程度の、サクラを用意しておく必要がある。そっちの方は、部下たちがうまく人集めと、工作をしているはずだが....。と、思いを巡らせる男。できれば、自分たちと同じに、あの小娘を苦々しく思っている輩が良い。が....。 (もっとも、あのお嬢様の性格なら、俺達同様、あの女のコトぉ憎々しく思ってる奴ァごまんといるだろうぜ。あのタイプなら、生きて街ン中歩いてるだけで、あの女のコトどろどろに汚してやりてぇと思う男は、掃いて捨てるほどいるだろうな。) 幾許かの同情と、残り圧倒的な嘲弄を含んで、男が小さく肩を竦める。 |