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 序章その3:契約

その後は、ギリギリの所で追っ手をかわしたが、もはや行く場所の無くなったザベロは、ここ開かずの森に逃げ込んだのだった。

5日間不眠不休で歩きつづけたためか足元は、もはやおぼつかない。
しかし彼は、森の奥へ奥へとまるで導かれるように足を運んでいくのだ。
額の傷がキリキリ痛む。
あの、女騎士め....
ザベロの脳裏に、レオナの姿が浮かぶ。
かつて部下だが、いまや敵に回って自分を追いまわしているのは明白だ。
それに、この深い傷跡が消えることは決してないだろう。
眉間をそっと手で押さえてみた。

木々の隙間を抜けて、歩いているうちに、やがて広場のような場所に出た。
森の真中になぜこのような場所が...?
ザベロにも合点がいかなかった。
相変わらず辺りの空気は濁ったように澱んでいる。
それに加えここに入った途端、急にガスもかかってきたようだ。
まるで何かを隠すかのように...

慎重に歩んでいくと、霧の中から忽然と石造りの祠(ほこら)のようなものが現われた。
時代は相当古そうで、いつの頃のか見当はつかない。
いったいこれは...
ザベロはその祠に近づいた。
風化して半ば崩れかけた入り口。
その表面には何か文字のようなものが刻まれていたが、ボロボロで読み取れない。
例え保存状態がよかったにせよ、ザベロに思い当たるものは無かっただろう。
遥か遠い昔からここに存在していたかのように、静かにそれはたたずんでいた。
ゆっくりと奥に進む。
うずたかく埃が堆積した床から、一斉に塵が舞い上がる。
それなりの広さを持った内部の空間には、特にこれというものはない。
ただ悠久の歴史を感じさせるのみだ。
何もなしか......
ザベロが、引き返そうとしたその時だ。

ゴドンッ!.....ガタ..

部屋の奥で轟音がしたと思ったら、天井の一部が崩れ落ち、床に激突したようだ。その破片が四散している。
ん?あれは...
良く見ると、床の一部が陥没し、大穴が開いている。
そしてそこからは地下への階段が延びているではないか!!
暗黒の世界に誘わんとするように...

出来すぎている...そうは思ったが、足は既にそちらに向いていた。
興味があると同時に、それに逆らえない何かがあったのだ。
操られるように、階段を降りていく...

地下に降り立つと、10メートル四方の小部屋に出た。
暗いながらもそこには祭壇の存在が見て取れる。
それに近付いてみる。
不思議と恐怖は無かった。
と、そのとき...

ギギギッギイギー....

不気味な怪音が辺りを包んだかと思いきや、祭壇の中より緑色の光に包まれた異形の生物がかげろうのようにゆらめきながら現われた。

「キャキャキャ、導かれしものよ...」

怪物はザベロを見据えて話しかけてきた。
外見は、ザベロよりも1回りほど大きいくらいで人間とさほど変わりはない。
ただ皮膚の色はどす黒く、背中には歪(いびつ)な翼が生えている。
これが魔族...その言葉が脳裏をよぎる.,..

「俺と同じ邪悪な念を持つ者よ...くくく、全てわかっているぞ。お前がなぜここへ逃げ込んできたか、なぜ追われる身なのか...」
「何者だ、お前は!!」
「キャキャキャ、俺か?俺の名はクラヴァン。かつてこの大陸を支配した魔族の末裔さ。それも高級淫魔のな...貴様のような奴が現われるのを待っていたのだ。国王を殺してまで女を手に入れようとする邪念の持ち主をな」

クラヴァンはそう言って、ネコのような眼を光らせる。

全ては、お見通しか....こいつは本当に魔族なのか...

「まあ、そうビクつくなよ。ふふふ。今からざっと1000年前、人間どもとの戦いで不覚にも破れた我らが魔族は、次々と封印されていったのだ。いくら油断していたとはいえ屈辱以外の何物でもなかった。長い長い時を経て、ようやくその呪縛より俺は這い出てきたんだ。だが....」

これを見ろ、とザベロの目の前に手を突き出した。
その先には指がまだなかった。

「このとおりまだ、完全に復活したわけではない。かつての力を再び得るためには、俺の血となり肉となる生贄が必要なんだ。どうだ、俺と契約を交わさないか?」

クラヴァンは、冷酷そうな眼を細めて笑いかける。
ぎょっとしながらもザベロはなるべく顔に出さないようにして答えた。
少なくとも殺すつもりではないらしい。

「いったいどうしろというのだ?」
「貴様のようなとびきりの邪念を持つ者が、3年間の間満月の夜に処女の肉体を生贄として俺に捧げるのだ。その純潔の滴りが俺に力を与え、肉体の完全復活へとつながる。かつて自由自在に操れた淫呪とともに...」

不気味にクラヴァンは笑う。
少し考えるそぶりをしてザベロは、

「では、わしに何の得があるというのだ?やらねばこの場で殺すとでもいうのか?」
「いや、お前には見所があるからな...そうだな、俺が完全に復活した暁には力を少し分けてやろう。使い魔程度なら使いこなせるだろうし、ある程度の呪文を詠唱することも可能になる。お前の中にはすさまじいまでの負のパワーを感じ取ることが出来る。だからそれくらいの力は充分に使いこなせるだろう。普通の奴なら逆に力に飲みこまれてしまうがな....キャキャキャ...」
「力か...」
「そう、この世において聖魔法と対極をなすもの。今は封印された禁呪もこれに含まれる。そして淫呪さえ復活されれば地上の女どもは、肉のうずきに耐えきれずに俺様の前にひざまずき、喜んで下半身を差し出すことだろう。
再び魔族の楽園が姿をあらわすのだ!!」

一人悦に入るクラヴァンを半ばさめた目で見つめる。
それに気づいたのか、鋭い眼光を投げかけてこういった。

「お前、追われている身なんだろう?何を考える必要があるんだ?お前は俺と組むのだ。そうすればお前はなんでも手に入れることが出来るんだぞ」
「なんでも....思うがまま....」
「そう、なんでもだ 」

ザベロの脳裏をランシングの面影がよぎる。
一時はあきらめた肉体。
豊満な胸を揉みしだいた感触が左手によみがえる。
ランシング....
ザベロはその左手をぐっと握り締めた。

そうだ。俺は王妃を手に入れることができるのなら、命を捨ててもいいと思ったではないか。
あの国中に知れ渡る気高い精神を叩き落し、徹底的に汚しぬく。
王妃から肉奴隷へ。
想像しただけでも股間が隆起してくる。

また額の傷がずしりとうずく。
あの生意気な聖騎士レオナ。その鍛え上げられた肉体を限界までいたぶり抜いた挙句、屈辱のセリフを吐かせ泣いて許しをこわせたい。
待っていろよ...
ザベロの半ば濁っていたような瞳がギラギラと異様な光をはなつ。

「いいだろう。あんたの言うとおり何でも協力しよう。だから、3年経ったら...」
「キャキャキャ、その時には俺達は一心同体だぜ。お前の邪念は俺に暗黒のパワーを与える。俺はお前に力を貸す。そういうことだ」

そういうとクラヴァンはザベロの手をとって、

「契約の証しをお前の手に」

見る見るうちに怪しげな紋様が浮かび上がる。

「これで俺とお前は同士だ」

ニヤニヤ笑いかけるクラヴァンにザベロも笑い返した。

俺は悪魔に魂を売ったんだ。
この国を、いやあの女を手に入れるために...


それから数ヶ月後。
満月の光が照らす中を駆ける男の姿があった。
黒ずくめで正体はようとして知れない。
ただその背には不釣合いなほど大きな荷物のようなものを担いでいる。
いや、よく見るとそれは荷物なんかではなく、うら若き少女であった。
しかし気を失っているらしく、ぐったりしたままでその身を男に委ねていた。
男は走る。
3年間生贄を捧げれば、魔の力が手に入る。
そのためには、悪魔にだってなりきってやる。
ランシング...お前をものにするために...

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