普段、賑やかな教室が、静まり返っていた。
教室内の生徒の視線は1ヶ所に集中している。
女子生徒は憧れのまなざしで、男子生徒は若い牡の目つきである。
それらの視線が交差する場所に、森川 美佐代は立っていた。
彼女は、数学のテキストを片手に黒板を指差していた。 森川 美佐代は、3年前に大学を卒業すると同時に、現在勤めている私立高校の教職員として採用された。
彼女のスタイルは、学生時代に行っていた新体操のおかげで無駄が全くなかった。
さらにその引き締まった体には、生まれながらの美貌まで備えている。
この美しき聖職者に魅入られない者は、まず誰一人としていないであろう。
事実、男子生徒の目はともかく、女子生徒の目まで釘付けにするほどである。
ただし残念な事に彼女自身は、自分の美しさに全く気が付いていなかった。
美佐代は、日頃から生徒には厳しくそして冷たく接している。
しかし不思議な事に、それでも生徒からの支持は高かった。
それは、彼女の容姿のおかげなのか、それとも何事にも白黒をハッキリとつける性格からなのかは分からない。
とにかく今の美佐代の職場には、実力と美しさで彼女の右に並ぶ者はいなかった。
ある金曜日の夕方であった。
他の教師が雑談で盛り上がる中、美佐代は来週の授業の準備に追われていた。
職員室の前の方から声が響く。
他の職員を監視するように置かれいる机からだ。
この学校のやせ細った教頭が、電話を片手に美佐代を呼んでいた。
「森川先生、ちょっと・・・校長先生がお呼びになっています」
「はい、わかりました、すぐに伺います」
授業用のノートを閉じ、美佐代は席から離れた。
くだらない話で盛り上がる職員室を後にし、校長室へと向かう。
『まただ、あのスケベオヤジ・・・』
美佐代は、度重なる校長の誘いにうんざりしていた。
でっぶりと太った体に薄い頭。
その脂ぎった顔を思い出すだけで鳥肌が立ってしまう。
それでも自分の上司なのだからと自分に言い聞かせる。
美佐代は、校長室のドアを2度ほどノックし中に入った。
「森川です、入ります」
「どうぞ」
その声の持ち主は、黒い革張りのソファーにどっぷりと脂肪のかたまりような体をあずけていた。
好色そうな目が、スカートから露出している美佐代の美脚と大きくもなく、小さくもない
彼女のスタイルに見合った胸の二つの膨らみを往復する。
美佐代は、すぐにでもその場を立ち去りたかった。
「何かご用でしょうか?」
「いや、大した用じゃないんじゃがね、今晩、食事でも一緒に・・・」
下心丸出しの声が気持ち悪い。
このような誘いは、2度や3度ではなかった。
暇を見ては美佐代を呼び出ししつこく誘うのだ。
断れるとわかっていながら。
さらに夏場になれば特にその回数が増える。
美佐代の服が薄くなるからだ。
呼び出しては、じっくりと彼女の体を目で楽しむのだった。
「お断りします、以前にも言ったはずですが・・・個人的なお誘いはお断りします」
「いやぁ〜、真面目じゃね君も・・・今時の若い娘にしては珍しいよ!」
美佐代は、いつものようにあっさりと誘いを断る。
そしてすぐに背を向け入ってきたドアに手をかけた。
彼女の後ろ姿は、校長の目を喜ばせるだけである。
美佐代は、すぐにでもこの部屋から出て行きたかった。
この男と同じ空気を吸っていると思うと吐き気すら感じる。
生理的に受け付けなかったのだ。
いや、多分他の女性でも苦手なタイプであると美佐代は考えた。
「それでは、失礼します」
「あっ! 森川先生」
校長は、軽く頭を下げた美佐代をもう一度呼びとめた。
美佐代は、極力いやな表情を作らないように仕方無しに返事をする。
「はい・・・」
「そうそう、森川先生の妹さん・・・ん〜、確かもうすぐ高校受験じゃね?」
「はい・・・そうですが」
校長の様子がいつもと違う。
何かある。
頭の回転が早い美佐代は、校長の声と表情からそれを素早く読み取った。
「さすが、森川先生の妹さんじゃね、私立の○○高校を受験するとは」
「そのことが何か?」
美佐代は、何故その事を、と思いながらも平然と返した。
油の浮いた顔が醜い笑顔で歪む。
「いやね、ちょっとそこの理事長から妹さんの事で・・・」
「い、妹が何か・・・?」
その妹は、美佐代にとっては大事な娘のような存在である。
美佐代とその妹、美加とは10歳の年の差がある。
美佐代は、幼い頃からまるで母親のように妹の美加の面倒を見続けてきた。
さらに今、両親は仕事の関係で海外に赴任して日本にはいない。
そうとなると、妹の美加が頼れるのは姉の美佐代しか残っていないのだ。
「あ、すまん、すまん、個人的な事じゃから迷惑な話しじゃね」
「いえ、もう少しお話しを・・・」
いつもは何が起こっても冷静な美佐代が、この時ばかりは自分自身を見失ってしまった。
大事な妹の美加の将来にかかわる事となると、余計に焦ってしまうのだ。
校長は、にやりと淫猥な笑みを浮かべた。
『待っておったよ、この時が来るのを・・・』
普段は自分の顔を見てくれない美佐代が、その美しいまなざしで見つめている。
「どうかね? 今は勤務中じゃし、個人的な相談事は個人的な場所で・・・」
「・・・しかし・・・」
美佐代に迷いの表情が現われた。
これはいける、と思った校長は強気に喋り出した。
「無理に、とは言わんが・・・ただ、ワシはうまい物でも食べながら・・・」
「わかりました、食事だけですね」
「あたりまえじゃないか、森川先生・・・それ以外に何をするつもりなんじゃ?」
「うっ・・・では、詳しい事は今晩お願いいたします」
美佐代は、逆に痛いところを突かれた思いだった。
自分の体を守るために言った一言を逆手に取られたのだ。
身の毛もよだつ脂肪のかたまりに。
校長は、一瞬怯んだ美佐代の表情を見逃さなかった。
これまでも教職員の宴会の度に、彼女を呼び自分の横に座らせた。
体にさわると言う行為はしなかったものの、その視線で美佐代の体にふれるのだ。
しかし、今回は違う。
美佐代の唯一の弱点を握っているのだ。
「うわっはっはっは・・・そうか! それなら6時に一緒に出発じゃ!」
「はい、分かりました」
美佐代は、もう一度軽く頭を下げ喜ぶ校長に背を向けた。
すでに彼女の頭の中は、妹の美加の将来に対する不安でいっぱいである。
彼女がドアを開けると、校長の明るい声が耳に届いた。
「すまんの〜、森川先生!」
「いえ、では、これで失礼します」
美佐代は、後ろを振り返らずにそのままドアを静かに閉めた。
そして青い顔をして自分の席へと戻った。
|