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   第一話

1、

闇が濃い。
大都会を名乗るだけあって、東京の夜は人工の星に彩られる。白や黄色やピンクや・・・残業の倦怠感もアルコールの臭いも帰路の道標も明日に備える機械たちも、全てが光に包まれる。うっすらと眼を開けた時に、脳に視覚されるアノぼやけた風景・・・・あれに都会の夜景は似ている。ふと彼女はそんなことを思ってみた。そして、それを嫌いでもない自分がいるのも知っている。
しかし、彼女には解消しなければいけない、問題があった。
きらびやかなはずのネオンは、彼女には暗く翳って見える。
水墨画のフィルターを一枚重ねた感じ。
その墨の濃淡は均一ではない、故意に誰かが油絵のように塗りたくったり、そうでなかったりしている。
誰が?芸術家が?・・・・・・・冗談じゃない!!
ツーリストワゴンの窓に、蝋人形のような白い顔が写っている。少女のような可憐さと、大人のオンナの妖艶さ、両方兼ね備えた美貌だ。程よい色の茶髪が、レッスン後のため左右均等に分けられ束ねられている。深い井戸の底を見据えるような、蒼い瞳が語りかけてくる。
《あんたの仕事だよ》
・・・わかってるよ!ッッるさいなァッ!!
「どうした?なんか機嫌わるいねェ?メンバーと喧嘩でもした?」
「あ、いえ・・・・何でもないです!・・・ア、今宮さん、ここで・・・・・ここでいいです、降ろしてください」
「ええッ?!こんなとこで?キミの家、まだ先じゃない?!」
彼女を家まで送る使命を帯びた運転手兼マネージャーが、心配と驚きの混ざった声をあげる。
高層ビル群から一本ずれた裏通り。100Mほど離れただけで、人影がほとんどなくなる場所。定距離に置かれた街灯が青い円をアスファルトに描いている。吹く風すら、鋭利な刃物を含んだ冷たさをもつようになったようだ。
「ちょっと友達と待ち合わせてるんで・・・・・」
「ホントに大丈夫?まあ、ファンに見つかる心配はないだろうけどね、この人気の無さだったら」
「大丈夫ですよ・・・・・じゃあ!」
元気良く、彼女はワゴンの後部座席のドアを閉めた。それが合図と車は走り去る。
「さて・・・・・・と」
白のキュロットに、グレーのフード付きトレーナーといったラフな格好の彼女は振りかえる。
墨のもっとも濃い場所。
熱帯雨林の空気のように、べっとりと闇がまとわりつく。湿気を帯びすぎ呼吸しずらいような。人ひとりおらず、彼女の影だけが淡く、幅10mほどの道路に伸びる。満月がビルの片隅に隠れ、黄色いカーテンで周囲を覆ってくれる。高層ビルが背景にある以外は・・・どこにでもある街の通り。
「襲うにはもってこいの状況なんじゃない?」
上空―――月に向かって彼女の澄んだ声が飛ぶ。
大きな満月。
それを背後に、ビルのてっぺん――缶コーヒーの広告看板が夜に浮かぶ場所に立つ影。
「・・・さすがだなァ〜・・・・・テレビで初めて見た時から、《食いたい》と思っていたよ・・・」
墨を発生させている張本人の声が届く。
「・・・その登場の仕方、カッコ悪いから早く降りてきたら?」
「フフフ・・・では・・・・・いくぞ!五条麻貴!!」
影――男がビルから飛び降りた。
何十階という高層ビルの、屋上から。
驚くべき事態の前に、しかし、端正な顔を持つ少女は眉一つ動かさない。
地球に引っ張られ、肉の弾丸が一直線にTVでお馴染みの少女―――麻貴に向かう。
加速のついた人型ミサイル、風すら切り裂くスピードのそれを、麻貴はニ回転の後方宙返りで避ける。
ブラウン管を通じ、多くの人々がアイドルグループの一員として踊る彼女の姿は見たろうが、ここまでの身のこなしができるとは思うまい。
降ってきたミサイルは・・・そこで爆発しなかった。
ビルからのダイブは自殺にならず、机の上からでも飛び降りたように、影は平然とそこに存在していた。
ニヤリと笑って立ち尽くす。
全身黒づくめの男。年の頃・40。オールバック。裸眼。
何十メートルという高さから飛び降りて平気な体は、人間と呼ぶのには抵抗がある。
だが、その異常を前にして、麻貴に恐れはない。
どころか・・・・・
「ッッ?!!・・・・・ただのアイドルではない、ということかな?」
「・・・オジさんがただのヒトじゃないのと一緒」
「まさか、身構えるとはな。しかもサマになっておる。トップアイドル・五条麻貴は仮の姿だったらしい・・・」
両の掌を前方に向け、左斜めに体を開いて立つ。腰を落とし、やや前傾姿勢となったその構えは、武道家としてのそれに近い。
「その言い方、シャク。アイドルが本業なんだけど」
「ククク・・・やけに冷静なわけがわかった。だが、何ができるのか知らんが、逆に悲しくなるだけだ」
無表情といっても言いくらいの醒めた瞳を、麻貴は黒い男に向ける。
時として“タカピー”に写るその冷静さは、ネットの掲示板などでは叩かれていたりもしたが・・・麻貴にとっては必要なことでもあった。
「強気だね。でも、やめた方がいいよ。どうせ私を襲いたいってくだらない目的なんでしょ?」
「そうだな・・・泣かして、喚かせて、穴という穴を犯して・・・奴隷として屈服するまで、嬲り尽くすつもりだ」
「わあ・・・・・スゴイ下衆。ちょっと痛い目見せた方がいいかもしれないけど・・・今黙って帰るなら、見逃してあげる」
「それは忠告かね?」
「そうよ」
麻貴がスッと右手を挙げる。
その手に収められたモノ・・・それは、世に言う警察手帳に似ていたが、星が黄色ではなく赤になっている。
「!!!・・・・・そうか、なるほどな・・・キサマ、『イリミネーター』だったのか!」
「そーゆーこと。あんた、『淫魔』でしょ?このまま帰らないってなると、排除することになるわ。」
淡々とした麻貴の声は、事務的であるがゆえに冷徹に響く。
また、冷徹にさせるだけの意味がその手帳には込められていた。
男は・・・・・動かない。数瞬。そして・・・・
男の目尻が下がる。
唇が吊り上がる。
ニタ〜リ
三日月三つで描ける笑い。凶凶しい笑い。
麻貴の背中にビクンと日本刀が斬りつけられる。
「・・・・・ィィッッ・・こう・・・・だァァッ・・・・・」
「・・・???・・・・」
「最ッッ高ゥッッの獲物だよ、お前はァァ・・・・・五条麻貴!!その思いあがった根性、よくぞ育てた!褒美に奈落に落としてくれよう!!!」
血走った男の眼が、紅く光る!
くるッッッ!!!
血が巡る、鼓動が高鳴る、神経が研ぎ澄まされる、五条麻貴・戦闘態勢完了!
錯覚か、闘気のなせる技か、男がぶれる。
・・・がッ・・・来ない??!
いや・・・・・・・・・・・・・
「足がないッッッ??!!!」
真夏日のソフトクリームのように、男の足はドロドロに溶けている!
ゲル状になった男の下半身が、海に流れ出た重油の如く麻貴の足元まで垂れ流れ・・・・・
気が付けば、少女はドロ沼の中、孤島のように囲まれている。
「こいつ・・・・ドロ人間なのッッ?!!」
「得てして、事態は終わった頃に気付くものなり」
四方を囲んだ黒いドロが、さざ波を起こして膨れ上がるや、竹林が生えるが如きに、数十本の槍となって、少女を襲う!
「なにィッッ!!」
声をあげたのは・・・・・男の方。
麻貴が動く。後ろに避けない、前に殺到する!
麻貴の脚力が、ドロの槍の突き出されるスピードを凌駕する。
7mを、砂塵を撒いて、一気に詰める。
男の目の前に、麻貴。月のような冷たく静かな視線。
手の平を向けた右ストレート!いわゆる掌底突きが、腰からの回転運動を伝達させて、渦を巻いて男に伸びる。
正中線に放たれたブローを、体を捻って男はポイントをずらす。
左肩に当たる麻貴の右の突き。そこは人体構造上、急所に成り得ない場所・・・・・

ボンッッッ!!!!!

爆発音とともに、男の黒い左肩から先は、粉末となって飛び散っていた。
「UUGGGGWWWWUUOOOーーーーッッ!!!」
猛獣の叫びが轟く!無敵と信じた己の肉体への餞だったか。
麻貴が、微笑む。――SO COOL.残酷さが氷の美しさを彼女に与える。
『イリミネーター』=『排除する者』としての美しさ。
「・・・これが私の【ちから】よ」

“超震動”・・・・・・それが五条麻貴を『イリミネーター』たらしめている異能力であった。
物心ついた時から、彼女は他の人にはない能力が、自分にはあることに気付いていた。
世間一般に言うところの超能力という奴だ。
その能力を、実用化・戦闘化したものがこの【ちから】である。
彼女は手の平に触れるモノに通常認識のレベルを越えた震動を与え、分子レベルから破壊をする。
それが鉱物であろうと、生物であろうと・・・ドロであろうと。

「・・・・・それがお前の【ちから】かァァッッッ!!!」
男は終わっていなかった。
残る右腕が、大振りのフックとなって麻貴の左側頭部を狙い撃つ。
咄嗟の出来事だった。
男の反撃は、麻貴の予想より、コンマ何秒速かった。
そのコンマ何秒の差が、麻貴に不用意な防御をさせた。
拳を握り、腕を鉤状の形で上げて、降りかかる右のパンチをガードする。
本来なら、尋常ならざるスピードで襲いかかるそれを、受けただけでも称賛に値するやも知れぬ。
だが、握った拳からは“超震動”は放てない。
そして、男はドロの体を持った、人外のモノ―――・・・・
男の右腕の、ガードして受けた箇所より先の部分が、ドロと化してなだれ込む!
(!!・・・しまった!!!)
ビチャリッ・・・と黒い粘着物が、麻貴の白い素肌に掛けられる。
「うああッッ!!」
潤いを含んだ大きな瞳に、ドロが直撃する!視界を奪われ、不意の痛みに襲われて、思わず麻貴は、両手で顔を覆い、スタイルのいいその肢体を、くの字に折り曲げて悶絶する。
視界を失った人間の取る行動は、逃げるというベクトルに向かう。超能力を持つ麻貴といえど、例外ではない。
混乱に陥りながらも、本能が、その場所からの退避をさせる。
(キョ・・・・キョリを取らなきゃッ!!)
眼に入るドロを拭いながら、後退さる少女戦士。
「・・・はッッ!!!」
動けなかった。
ドロの目潰しによって、霞む視界の中、麻貴は粘液状と化した敵が、己の下半身に絡みつくのを認めた。
「ちょ・・・・超震動・・・・・・・」
掌をドロに向ける・・・・・できない。
這いずり上がったドロが上半身にまで絡み付き、身体の自由をほぼ奪われてしまっていた。
「うッ!・・・ううッッ!!・・・・・・くッ!・・・・」
噴き出した汗が、アゴの先端から落ちる。一滴、二滴・・・・・
僅かに動く体で懸命に抵抗する麻貴。目潰しで汚されたその視線が足元に溜まったドロを見つめる。
肩幅くらいに開いた股の真下―――そこに蠢くドロ粘土。
(ま・・・・・まさか・・・・・・・!!!)
激しく体を動かす麻貴。だが、掌は、ドロの形をした敵に、あと数十センチ届かない。
「クックックックッ、どうやら気付いたようだな?五条麻貴」
密着したドロの中から声が響く。声のした周辺の部分が丸くなり、スイカくらいの大きさになって、麻貴の顔のすぐ後ろに現れる。
「さぁ、トドメの時間が近づいてきたぞ。お前の負けだ!」
「くうッッ!・・・・くッッ!!・・・・・うくくッッ!!・・・・・」
ドロのスイカが人間の顔になって笑う。これから襲ってくる悪夢を振り払うように、激しくかぶりを振る五条麻貴。眉を寄せる。唇を噛む。汗が飛び散る。・・・それらを嘲笑うかのように、足元のドロが沸騰したミルクのように波立つ。心なしか、ジリジリと両足が開けられる感覚。
「・・・ウ・・・・ウソ・・・・・・・・・」
(やめろ・・・・やめろ・・・・・やめろォォーーーッッ!!!)
「ククク・・・もう一度、言っておこう、麻貴くん。得てして、事態とは終わった頃に気付くモノなのだよ・・・」

ドシュウウウッッッ!!!!!

足元のドロから黒い槍が、閃光のように麻貴のもっとも大事な秘所を貫く!!
「うわあああああああーーーーーーッッッッ!!!!!」
16歳の少女の絶叫が、人通りのない路上に木霊する。
「ワーッハッハッハッハッ!!ショーはこれからがお楽しみだ!《食らい》尽くしてくれよう、五条麻貴ッ!!!」
処刑執行の宣告を、麻貴は自らの悲鳴の中、どこか遠くに聞いていた・・・・・・・・・・・


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