ウォッシュ・アス戦

『キン肉マンII世』のウォッシュ・アス戦を考察する文章です。排泄に関する表現があります。

 

摂取と排泄

幼い時においての人間の関心事は、入れることと出すことです。
これは単に肉体的な次元での「食べる」と「便をする」ということを意味しません。
例えば、他人の長所に学ぼうとすることも、「取り入れる」ことです。
すべての「よいもの」は食べ物に例えられ、すべての「わるいもの」は便にたとえられるといった、原始的な感じかたを子供はします。そうやって子供は自分にとってのよいものとわるいものを学び、自我を作っていきます。
そして、この排泄と摂取の比喩は、子供の時だけのものではありません。
「美味しい話」や「クソ野郎」とか大人でもいいます。上品な表現ではありませんが。
ここで、話が食べられるのか、とか、人間は大便ではない、とか突っ込んでも始まりませんよね。

『キン肉マンII世』の万太郎対ウォッシュ・アス戦は、排泄の快楽と摂取の快楽を秤にかける、みたいな話です。
トイレの誘惑対食べ物屋台の誘惑ですから。
こちらはベンキマン戦のような「死と再生」の雰囲気はあまりありません。万太郎が帰ってくるのは、父親の血を継いでいることの証明みたいなものです。

小学校において、いじめとは「きたないものの排除」だったりします。
それは単純にみなりを構わない子供が、いじめられるというだけではありません。
「不愉快」とか「嫌い」の言い替えとして、「汚い」ということもよくあります。
「バイキン」とか言って、相手を汚いものして、攻撃するのは、よく見られる光景です。汚いもの扱いすることそのものが、一種の攻撃でもあります。

親のしつけに、不潔な行為を叱るというものが、含まれている以上、「汚いものへの攻撃」は、子供が知る最も古い正義のひとつでしょう。
そうしていじめは、正当化されるのです。

以前、学校でウンチができなくて便秘になる子供とかが、話題になりました。
学校のトイレでウンチをすると、きたないもの、としていじめられてしまうからです。ウンチをしない人間などいないでしょうに。子供の時期はきたないものに対する関心が強く残っている時期でもありますが、それを抑圧していく時期でもあります。
なので、そういう「攻撃的な秩序としての清潔」とか、「肉体性に対する強烈な見下し」が存在するのでしょう。

キン肉スグルの「うんちとして流されることへの抵抗」は、いじめられっ子の意地なのです。

『キン肉マンII世』の話に戻って、ウォッシュ・アスを万太郎は、ウンチで攻撃しますが、対MAXマン戦でも、ウンチで汚すという攻撃はありました。対クリオネマン戦では、おしっこで汚していました。スカーフェイス戦では、パンツドライバーを使っていました。
清潔なものをよごそうとする万太郎は、父親と違っていじめっ子な性格だと思います。また、人工的な秩序や、しつけられることへの反感があるのでしょう。

万太郎とセイウチンの関係は、この「汚す」というのが、一種のキーとなっています。かつては万太郎のお尻にセイウチンがキスしたりもする仲でしたが、万太郎はセイウチンが清潔にした洗濯物を踏み、万太郎が汚れたパンツを洗わせようとしたりすることで、両者の仲は壊れます。

排泄物による攻撃という子供の幻想は、普遍的なものです。
『Dr.スランプ』にも、ウンチで人を驚かすという表現がよくありました。
それは単に「ウンチをすると気持ちがいいから、ウンチをすることに興味を持つ」という以上のものです。
以下に引用する文章は、数多くの精神的な問題を抱えた子供の治療にたずさわったメラニー・クラインの言葉です。

幻想の中で、排泄物は危険な武器に変化する:おもらしは、切ったり、刺したり、燃やしたり、水浸しにすることと見なされるし、大便の塊は武器やミサイルと同じものとされる。私が描写してきたこの時期の後半の段階では、これらの暴力的な攻撃法は、サディズムが編みだしたもっとも洗練された方法による秘密の攻撃にとってかわり、排泄物は有毒物質と同等視される。

メラニー・クライン用語集

この「排泄物は有毒物質と同等視される。」というのについて、補足しておきましょう。「寝室のトイレ」として精神科医を求めた患者の例を、クライン派のスィーガルは語っています。クライン派の考えでは「苦痛や不安を一方的に排出する人」は、「他人を便器扱いする人」となります。

よくネットでは「不快感を攻撃的な言葉で表現する人」のことを「毒吐き」といいます。ですが、生物学的には人間は、口からは毒を吐きません。
しかし尿や大便には人間にとっての、毒素が大量に含まれています。「毒吐き」さんは、クライン的に考えれば「毒出し」さんなのですね。
ネットには「毒素を出すための場所」としてのブログやサイトが、あちこちにあるような気がします。それは彼ら彼女らの、プライベート・トイレなのでしょう。
自家中毒を起こすくらいなら、ネットの片隅に「心のためのトイレ」を作っている方がいいのかもしれません。

「美味しい情報」を求めてネットを徘徊している人が、「排泄されたもの」を踏んで、憂鬱な気持ちになるのも、きっとよくあることです。

『キン肉マンII世』29巻掲載のインタビューって、作者の排泄に対する考え方が表れていますよね。


初出2006.8.20 改訂 2007.4.8

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