ケビンについて思いついたままにつらつらと。
棘だらけの兜と鎧は攻撃性を表しています。
エビなどの甲殻類を連想させる鎧は、色とも合わせて冷たさを強調します。
羽根のピアスは、自由になりたい気持ちの表れでしょう。
長い金髪は、親に反抗する美形というキャラ付けでしょう。長髪ロッカーのイメージで。
黒いコートは闇をまとうと同時に、寒い場所を連想させます。
なお、背中にある蜘蛛の巣のタトゥーですが、谷崎潤一郎の小説に『刺青』という、美女の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫る話があります。日本の文学からの引用はあまりゆで漫画に存在しないのですが、そこから来ているのかもしれません。一般に家族や恋人などの愛しい者の名や姿を肌に彫るのがタトゥーだと思うのですが、ケビンはコレクター的に征服した相手を愛しているんでしょうか。
ケビンは甘やかされた万太郎の対比キャラです。
おそらく「甘い父」と「厳しい父」という、父親同士の対比が、息子同士の緊張感を作り出しているのでしょう。
その後、「厳しい養父に育てられたが、反抗しなかった」チェックが登場し、彼がd.M.pにも反抗したケビンの代わりに、悪行超人の代表者となります。
この世界の悪行超人の教えは、苦痛に耐えろの一辺倒らしいですね。
万太郎「甘やかされてダメになる」
キッド「放置されて恨む」
セイウチン「そもそも父親がいない」
ケビン「厳しくされて家出し不良になる」
チェック「厳しくされても従い神経症になる」
の5者を並べてみると、キャラクターの個性というのは、ある種の論理的思考の結果なのだと思わざるを得ません。
単純にこういうキャラが好きとか格好良いとかそういうもので、登場人物のあり方を決めているわけではなさそうです。
その後二期生編でスカーとケビンが対比されます。
ここでは、ケビンは秩序の側にいることで、スカーと対比されます。
騎士階級は支配階級なのですから、法に従って援助するのも仮面の貴公子には似合いではあります。
万太郎とケビンの関係は、スグルとアタルの関係が近いと思います。
ケビンはこういう人物です。
よい家柄の出だったが、英才教育に嫌気が差し、家出し、不良になる。
主人公の敵対者として現れ、残虐行為も行うが、主人公と戦わずに援助者として活躍し、主人公の仲間にならずに去る。
再び主人公の援助者として現れる。しかもチームで。
主人公のために戦って死ぬ。
死んでからも主人公を助ける。主人公の力で奇跡の復活。
アタルっぽいですよね。
主人公の手本となり、保護者でもある兄的存在なんでしょう。万太郎が光なら、ケビンは影。
何らかの大会が開かれ、主人公は三人の超人と戦う。
↓
主人公の仲間は、敵に倒される。
↓
主人公は誰かに援助されて、勝利する。
↓
三人目の超人は、主催者か依頼者の息子か弟子で、主人公に倒された後、仲間になる。
これが『キン肉マン』シリーズの基本パターンです。
d.M.p編では、最初は「ケビンが三人目の敵」の予定だったんでしょうが、それでは物語が単純すぎるとゆで先生が思ったのか、ケビンが戦うというのがなくなり、チェックが三人目の敵となります。
敵の息子とか、敵の弟子とかは『キン肉マンII世』のお約束ですが、ロビンマスクは校長として、万太郎の敵といえなくもありません。
万太郎が地球に来る直前は、ロビンの出番が多めです。
ただ、ロビンの息子と言うことで、万太郎は最初はケビンに親しげにするのですよね。
しかし、その後親子関係がケビンにとって、不幸であったと明かされます。
ケビンは最初はただ単にロビンの息子として敵対しますが、この時は戦わず、次はロビンの息子にして、クロエの弟子として、敵対します。
ゆで先生は実父と息子で、後味の悪い話を描きたくなかったのでしょう。
ニーベルンゲンの歌を参照して下さい。
あっさり言うと
「ケビンはスカーの妻。ジェイドはスカーの妾。スカーはジェイドの征服者で、万太郎はジェイドの保護者として、スカーに恨みを晴らす」ということなんでしょう。
ゆで世界では「負けた男は、勝った男のもの」ですから。
その後、悪魔の種子編でわざわざケビンとスカーを一度タッグとして組ませて、スカーに万太郎と組めと言わせた後で、万太郎とケビンを組ませていますよね。
勝敗から割り出すなら「ケビンに負けた万太郎は、スカーがいる限り、ケビンに組んで貰えない立場の者」ですが、万太郎自身がスカーに勝っているということで、こういうことになったのだと思います。
そしてこの漫画では和解が成立した後は「一度は力で征服した相手を、他の敵から保護する」ことが、「償い」のようです。強者は破壊者、征服者ではなく、保護者であらねばならない、というのですね。
だから、ケビンは万太郎を助けるために、死ぬのだろうと思います。
さらに主人公のために誰かが死ねば、主人公はその相手を復活させる義務を負います。
ケビンの悪魔の種子編での死は、他の人物と比べてとりわけ「万太郎のために死んだ」という意味あいが強いので、次のタッグ編は万太郎がケビンを生き返らせるというのが、大きな目的なのでしょう。
そして、こういう「償い」の原則があるので、ケビンが戦闘不能のタッグ編で、スカーがジェイドと組んだりするんでしょう。この二人の関係も「一度は力で征服した相手を、他の敵から保護する」です。
通常戦闘イベントは主人公の勝利で幕を閉じますが、ケビンは例外です。
それが、この二人の関係の特徴です。
ケビンが万太郎に勝てた理由のひとつは、ケビンが勝って不幸になる人間が万太郎ぐらいだからというのもあるでしょう。チェック・メイトやスカーフェイスやボーン・コールドが勝つとそういうわけにはいきません。
まあ、最初の頃に戦った敵の扱いがひどいインフレ漫画では、最初の頃に戦わせないのは、良策ですね。
ケビンは万太郎に尊敬されるべき存在だという位置づけでしょう。
甘えよりは反抗の方が大人だということかもしれません。
万太郎の試練とケビンの援助を通して、万太郎がケビンを獲得するまでの物語ともいえます。
スカーと万太郎とケビンの三角関係ですが、ケビンがスカーと死別したので、万太郎がケビンを奪ったという形にはなっていません。
万太郎とケビンの関係が確立した後すぐに、時間超人の犠牲になっています。スカーではなく、万太郎がケビンの保護者となるためのステップかもしれません。スカーはジェイドの保護者ということになりました。どちらかが、危機に陥るともう片方が救うというのが、万太郎とケビンの基本的な関係なのかもしれません。
最初はややひねった形で登場したケビンも、オリンピック編は「敵対者」、悪魔の種子編で「援助者」、タッグ編で「犠牲者」と、途中からは、ゆで先生的正道パターンが成立しています。
ケビンが厳しくしつけられていた幼少期、大人しいアリサさんは夫に逆らわず、黙ってみているだけだったんでしょうか。倫敦の若大将編を見るとロビンの母親も、「夫が暴力を振るっていたら止めるが、息子の味方と言うわけでもない」という感じの人だったので、そうかもしれません。親子関係は引き継いでしまうことが多いですから。
ですから、ケビンがグレた時には父親のみならず、父の英才教育を止めなかった母親に対する復讐心もあったと思うのです。ですから、タッグ編で献血して、母親に心配をかけた償いをしているのでしょう。
家出少年となった、ケビンの不幸の救済者は、まずスカーでしょう。
より根本的な所でケビンを救ったのは、クロエの献身だと思いますが。
さらに根本的な所で万太郎がケビンを救えるかどうかが、タッグ編のテーマのひとつのような気がします。
ウォーズマンか万太郎かキッドを援助者に、ロビンがケビンを救うのかもしれませんが、そこは微妙です。
ケビンの傷は、「ダディはやはりオレのことを愛してくれていたんだ」と、実感できれば癒されるような気がしますが、それが父親の偉大さにむしろ結びつかない気がするんです。
「愛すべき父」は「ダメな父」というパターンがある気がするので、ロビンがケビンのためにがんばるけれど、負けるというパターンもありかなと。そうなると、やはり万太郎が救うのかな、と。
ケビンを救おうとする物語の流れがあるということは「反抗した息子の親との和解と新たな友情」というテーマには、こだわっているんでしょうね。