凛子について思いついたままにつらつらと。
凛子の名はリングのリンからとったそうですが、それなら倫子でも、鈴子でもよいはずで、よりによって「凛々しい」の文字なのは、「気が強い女が好き」という作者の好みの反映でしょう。
マリといい、ジャクリーンといい、アリサといい、女の名にリが入っているのがお好きなのかも。ちなみにビビンバ、リンコ、ジャクリーンと、「ン」も多いようです。
なぜ凛子が出会い系喫茶になんかいたのかということですが、飲食無料というだけではないでしょう。
教育者の養母に育てられた優等生の彼女は、母親をつまらない女、と見なして「不良であれる」ということと「男に愛されうる」ことを確認しに、夜の街に繰り出していたのだと思います。自分は母親とは違う、と思いたいのですね。
ここら辺はロビンとケビンの関係に、近いものがあるのかもしれません。
マリはロビンほどは厳しくなかったので、凛子は「夜だけ家出娘」にとどまったのでしょう。
凛子は、捨て子で独身女性に育てられました。
実父を知らず、養父もいない彼女は、男性というものに関して、少し歪んだ興味の持ち方をしているのかもしれません。凛子が実の母親や父親がなんで自分を捨てたか考えてみなかったはずがありません。そして、母親だけでなく、父親にとっても望まれない子だった可能性は捨てられている以上、高いわけです。
なので、男性に自然に接近することができず、男性との距離のとり方が「とりあえず出会い系で様子をうかがう」みたいな感じに。
凛子は最初はきついが、親しくなると優しく、勝ち気で、美人で優等生というゆでヒロインの典型のようなキャラです。
優しく賢く美しく、までは人類普遍の願いでしょうが、勝ち気なのは、ゆで先生の個人的好みでしょう。
後にジャクリーンが登場した後に、凛子の方が外向的でジャクリーンの方が内向的という描き分け方がなされました。外向的な方が明るく、内向的な方が細やかです。庶民とお嬢様という感じでもあります。
凛子に一目惚れした万太郎は、自分の母親のビビンバに似たタイプだと直観したのでは。初恋レベルなら、好きな女のタイプが母親と似たようなタイプというのは、とってもあり得る話です。
また、女性の好みが父親に似ていて、凛子から育ての親のマリと似た雰囲気を感じとったのかもしれません。マリを見て熟女の香り〜と、ときめいているのでそんな気もします。
主人公はブサイク(あるいはチビ)でオチコボレだけど、ヒロインは美人で優等生というのは、1980年代少年マンガによくあるパターンです。
レベルが高い女を手に入れることこそが、勝利の証というのもわからなくはありません。メルヒェンの姫のようなものです。
逆に少女まんがでは美形の優等生という王子様キャラが、なんだかんだ言って人気なわけです。ですが、チェックあたりの扱いを見ると、ゆで先生はそういう「女の子の夢」には、批判的ですね。
でも、レギュラーの女性が揃いも揃って「優しく美人で勝ち気な優等生タイプ」ということは、単に「主人公が対照的なヒロインをゲット」という「男の子の夢」を娯楽マンガとして志しているというだけでなく、やはりこれが作者の好みということなんでしょう。
ちなみに凛子が万太郎に興味を持ったのは、援交目的ではなく、本気で彼女が欲しいのだと知ったからです。
キャバクラに通う未成年でありながら、売春はダメだというお説教をする万太郎。
どうやら、欲望は安易に満たすものだけれど、愛は心底ボクに惚れてくれた女の子から捧げられたいというタイプのロマンチストのようです。
もし、凛子が本当にスレた女の子だったらこういう「モテないけれど、可愛い女の子に本気で愛して貰いたい」タイプの「ロマンチスト」は、警戒して避けたでしょう。嫉妬深くて独占欲が強い、というのが簡単に予測できるからです。
実際、ジェイドが絡んだ時なんかそうだったし。そういう点では、凛子も純情なんですね。
女性に対する暴力行為を最大級の罪とするゆで作品では、性的行為を女性に対する合法的な征服手段としている面があります。
「男は殺し、女は犯せ」が少しぬるくなって「男は半殺し、女は脱がせ」という感じでしょうか。女を脱がそうとするキャラは万太郎位ですが、彼が主人公です。半殺しにした男と、脱がせた女は主人公のものです。
万太郎が何かというと水商売の女性と絡んでいるのは、こういうことでもあるのでしょう。
キャバクラに通って、美人で頭が良くてプライド高い凛子やジャクリーンと一緒に歩く万太郎って、連れ歩く女のレベルの高さと、遊んだ女の数の多さを男らしさの証明とするベタキャラですね。
正直、女性の観客に顔がきれいというだけできゃーきゃー言われているだけの、スカーやジェイドやチェックよりも、中学生程度にして欲望のままに女と接することをためらわない万太郎の方が、よほど男性読者に「ガキのくせに、いい思いしやがって」と羨まれ、「風俗自慢をする男うざい」と疎まれそうです。女性読者はいわずもがな。
実の所、ゆで先生はあまり女性そのものに魅了されないタイプというか、少なくともそれをまんがで表現するのが得意なタイプではないと思います。『キン肉マンII世』のエロネタは、「こういう女の姿ってエロいよね」という作者の女性に対する萌えの表現ではなく、「こういうのが男ってやつだと思う」という男性の欲望に対する肯定に重点が置かれています。一言でいえば、あれは女性賛美ではなく男性賛美なのです。
「女の子のこういう仕草が可愛い」とか「こういうポーズがそそる」とか「こういう体つきがセクシー」とかそういうものを表現するのは男らしくない、と思っているんでしょうか。でもそういうのがなければ、「エロい」ということでプレイボーイ読者に喜ばれる可能性は低そうです。プレイボーイグラビアは、ひたすら女性の美しさを男の目で賛美するものです。
三角関係はゆで世界のお約束のようなものです。
そして、あまり発展しません。
ビビンバがウォーズを心配していたのも、その後あまりかえりみられることのなかった出来事でした。
ヒロインの役割は、「勝つと貰える」か「不幸な人のために泣く」です。それとパンチラ。
カオスが凛子に惚れたのも「勝つと貰える」系のパターンですね。好きな子とお近づきになるために戦う。
「凛子が男同士をつなぐ」とかいう、ジェイドの時と同じ様なイベントが、今後カオスと万太郎の間でもあるのかもしれません。っていうか、すでにあったか。
ジェイドが倒れるというイベントが、タッグ編で
凛子は最初の出会いの時、倒れた万太郎を「葉っぱでつついて」いるんですね。触っていません。そしてヒカルドに倒されたジェイドに駆け寄った時も、抱き上げたりはしていません。
つまり、凛子に抱きしめてもらった男はいないワケで、これはゆで先生的に「凛子はどの男も選んではいない」ということでしょう。
凛子と万太郎の間には、明確な「敵対」や「征服」が存在しないので、ストーリーの流れはこうなります。
「探索・援助」「受難・保護」「別離・再会」です。捨て子だったりして、端から見ると不幸なのですが、本人はそう思っていないそうなので「不幸・救済」に相当する物語の流れはなかった気が。もしかしてタッグ編でそうなるんでしょうか。
彼女として探索され、敵対者による受難と主人公による保護を経て、女友達として獲得され、ジェイドと三角関係になり、その後は、なんとなく友達関係を続けている。これが凛子の現状ですね。
凛子と万太郎のストーリーパターンに一番近いのが、カオスと万太郎の話です。
みんなに振られて「相手」を探索し、一目惚れで「相手」を発見し、最初は振られるが、なんとか口説き落とし、「援助」イベントを差し挟みつつ、「保護」イベントで男を見せるという感じですね。「別離・再会」はカオスの場合は、違う時代に分かれ、墓という形で再会なのかもしれません。
王子様の万太郎は、庶民を口説くのが好きなようです。
主人公を含めて男を拒否している残酷な処女が、主人公によって愛に目覚めるというのが、死か結婚で紹介した西洋メルヒェンの典型的ラブストーリーです。
お気楽でお人好しで恋多きヒロインというのは、存在しません。
ただ、凛子は現実的な設定の人物なので、「求婚者を次々に死刑にする美人」というトゥーランドット物語のパターンは、「彼氏を探す気もないのに出会い系喫茶で、スケベ男の誘いをタバコを吸いながら断るのが趣味」という、ぬるい設定に落ちついています。
まあ、古きメルヒェンのような「99人も求婚者を葬った姫」なんてものは、現代では変質者としか見なされませんからね。ジャクリーンの「危険な状況で男同士を戦わせる」がせいぜいでしょう。
初代キン肉マンだと「女性の敵対」は、ナツコやオカマラスのように「巨大化して暴れる」とかいうもので、ある意味のどかでしたが、今より怖いっちゃ怖い。
トゥーランドットパターンの正道は、「本人との勝負に勝つ」ですが、それではビビンバと同じ話になってしまうので、凛子は「魔物に囚われた姫を助ける」というお約束パターンに落ちついています。
これも神話や童話によくあるパターンで、海の魔物を退治してアンドロメダを貰ったペルセウスとか、ヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメを貰ったスサノオとか、そーですよね。
カオスと凛子の話はやはり「姫を獲得するためにがんばる」という例のパターンですか? そして姫は異世界に去るという、「かぐや姫」パターンだったりしないだろうな。