アシュラマンについて、順々に。
アシュラマンの名は、悪魔超人にふさわしい名前です。阿修羅のインド神話での意味は、「悪魔」です。阿修羅という名の悪魔がいるのではなく、「悪魔達」が阿修羅なのです。彼らは阿修羅族といわれ、その王が阿修羅王です。それが仏教の神になるとともに「阿修羅」という特定の神の名になりました。仏法を守護する天竜八部衆の一です。
『リグ・ヴェーダ』の宗教は多神教である。神々はデーヴァ(deva)と呼ばれる。これは神を意味するラテン語のデウス(deus)、ギリシア語のテオス(theos)と語源的に対応する。「輝く」という意味の語根 div- から派生し、「輝かしいもの」という意味を持つ。これに対し、神々に敵対する悪魔はアスラ(asura,阿修羅)と呼ばれる。しかし、最初期においては、アスラは必ずしも悪い意味で用いられてはおらず、デーヴァと異なる性格を有する特殊な神格を指していた。
『インド神話』 上村勝彦
およそ三千年前に作られた『リグ・ヴェーダ賛歌』には、「アスラの歌」という詩があります。ですが、この「アスラ」は創造神であり「両性を具備する牡牛」として表されます。この両性具有の牛がさまざまなものを産んで、世界が出来たという神話です。また、『リグ・ヴェーダ賛歌』には、後世シヴァ神となる、ルドラという神に捧げられた詩があります。ルドラは強烈無比の破壊力を発揮し、時に牡牛と呼ばれ、アスラの地位にあります。すごくおおざっぱにいえば、シヴァのルーツは、アスラと呼ばれた神です。
『キン肉マンII世』では、アシュラマンには、シバという名の息子がいたことになっていました。おそらく、現在のゆで先生は阿修羅が、インドの神であるということをご存じなのでしょう。
最初は興福寺の阿修羅像に近い姿でした。
ただ、アシュラマンは中国風の鎧を着ているので、この阿修羅像じゃないのかもしれません。
アシュラマンは「奪う者」です。悪魔超人の呪術的な怖さの表現として、他人の技や体を奪ったりすることが多くあります。強者は弱者から奪う。こういう悪魔超人のあり方を代表するかのような存在です。
アシュラマンの話は、延々と続く悪魔の娘(息子)のパターンの連鎖です。冷酷な主人とそれに反抗して、主人公を援助する従者の話です。アシュラマンが主人の場合もあれば、逆にアシュラマンが従者の場合もあります。
アシュラマンはこの、黄金のマスク編で最初に登場します。
アシュラマンはまず、五重塔でテリーマンと闘います。この時のアシュラマンとバッファローマンは「悪魔六騎士の一人」と「7人の悪魔超人の一人」で、アシュラマンの方が格上だということが何度も強調されます。テリーマンとテリーマンの父親の絆が何度も強調されるのも、この試合の特徴です。アシュラマンに腕を奪われて苦戦するテリーマンを、バッファローマンの腕が助けます。それによって、テリーマンはアシュラマンと引き分けます。この敵(アシュラマン)とその殺された部下(バッファローマン)と、主人公(テリーマン)と、その父親がここでは重要です。
その後、アシュラマンはキン肉マンと闘います。キン肉マンにとっては、親友の敵討ちであり、奪われたテリーマンの腕を取り戻す闘いでもあります。この時も、バッファローマンがキン肉マン側に味方してくれます。
そして、今度はアシュラマン自身が、悪魔将軍にその身を奪われます。
悪魔超人の呪術的な怖さの表現としては、他人の体を奪ったり、乗っ取ったりすることが多いんでしょう。
最後に、アシュラマンはサンシャインと共に、悪魔将軍を見捨てる形で、自立します。
悪魔将軍の支配から自由になった、アシュラマンとサンシャインが組んで、再度テリーマン達と闘います。
キン肉マン達と闘った時は、アシュラマンが主人の側で、サンシャインが仕える側です。アシュラマンが従者であるサンシャインに裏切られ、サンシャインはキン肉マンの味方をする、というのだとバッファローマンと同じパターンになってしまいます。ですから、サンシャインはアシュラマンを裏切って、アシュラマンを助けるのです。ここで描かれるアシュラマンの葛藤は「父親を裏切る」です。魔界の王である父親の期待や教えを、裏切るかどうかで、アシュラマンは悩みます。なんでいきなり魔界の王子という設定になるのかというと、もはや悪魔将軍のように「上司」という手は使えないので「権力者である父」になるのです。
アシュラマンもまた「王女にして魔女であり、父親を裏切って、英雄である主人公を援助するメディア」の末裔なのでしょう。古い神話に近づくように、設定は後付けされます。
キン肉マンを裏切って(?)アタルの側につきます。しかし、アタルの目的はキン肉マンの援助でした。アシュラマンは、キン肉マンの「援助者」にはなっても、「仲間」になったという印象がありません。
アシュラマンが師匠のサタンクロスと闘うのも、「悪魔の息子」のバリエーションです。「上司」を裏切り、「実父」を裏切ったら、後はもう「師匠」に反抗するしかないのでしょう。
ボルトマンを切り捨てるのは、黄金のマスク編の頃のアシュラマンの再現でしょう。
また、黄金のマスク編の敵とその殺された部下(バッファローマン)と、主人公(テリーマン)とその父親のパターンは、『キン肉マンII世』のアシュラマンとその殺された息子(シバ)と、主人公(万太郎)とその父親の話と共通する構図です。
アシュラマンは、正面から悪魔将軍に反抗したことはないので、アシュラマンが正面から悪魔将軍に反抗するのは、新展開です。
悪魔の従者(息子)であり、主人(父親)というのが、アシュラマンのポジションです。立場的にはまさに「悪魔の王子」です。一番偉いわけではない(王ではない)けれども、他人を支配し、犠牲にすることになれている、そういう人物です。