テリーマンについて、思いついたままにつらつらと。今回は『キン肉マン』限定です。
テリー・ファンク(Terry Funk 1944年6月30日-)は、アメリカテキサス州アマリロ出身のプロレスラー本名:テレンス・ファンク(Terrence Funk)。身長188cm、体重110kg。「テキサスブロンコ」・「テキサスの荒馬」の異名を持つ。実兄であるドリー・ファンク・ジュニアとタッグチーム ザ・ファンクス」を組み、日本でも大活躍した。
このテリー・ファンクが、テリーマンの名前とあだ名の元です。ブロンコというのは「アメリカ西部産の小馬で、放牧されているもの。また、野生化したムスタング。」で、ムスタングというのは、「米国で、野生の状態で暮らしているやや小形の馬。スペイン人が放牧したものが野生化した。」です。「テキサスブロンコ」は「テキサスの小馬」という意味ではなく「テキサスの野生馬」の意味でしょう。参考 Yahoo!辞書 - すべての辞書 - ブロンコ
上記の人がモデルです。あと、ちょっと嶋田先生に似ていなくもありません。
日本語で漢字表記するとき、アメリカを亜米利加と書くので、アメリカは米国、米国人のテリーは額に米。
なんでアメリカ人なのに、額に漢字が書いてあるのでしょうか? おそらく、K-1などの日本を中心に行われる格闘技の大会に出場する外国人選手に、日本語の刺青を背負っている人が時々いるのと同じ様な理由だと思います。K-1のカタカナで自分の名前を背中に入れている選手は、日本人に名前を覚えてもらいたいのでしょう。それと同じように「日本で稼ごう!」と決意したテリーマンは、日本語のタトゥーをして来日したのです。日本人は外国人が日本語を使うと、好感を持つので、日本人のヒーローになりたい場合、効果的な手段でしょう。
超人ですから、「たまたま漢字に似ている、生まれつきのアザ」とか、そういう可能性もあります。アシュラマン戦での回想場面では、幼少期にすでに額に「米」の文字がありましたが、イメージ映像とか、記憶は正確な事実ではないということも考えられます。
テキサス州は、西部劇の舞台です。怪獣退治の頃、カウボーイハットをかぶった、ガンマンとして活躍するのは、そのためもあるでしょう。
「アメリカからきた男の巻」は、キン肉マンのライバルとしてテリーマンが初登場する話です。
「アメリカからきた男の巻」からしばらくテリーマンの出番はなく「翔んでるナツコの巻」で、再登場します。これはどちらが「ナツコの憧れのヒーロー」になるのかを競う話です。「プロレス大決戦の巻」は、テリーマンのピンチをキン肉マンが救う話です。実は、キン肉マンをヒーローにしてあげようとする、テリーマンたちの気遣いだったという裏があります。「キン骨マンの巻」は、キン肉マンのピンチをテリーマンが救う話です。「巨人ナツコの巻」ではナツコを助けようとしてピンチに陥るテリーマンが、キン肉マンに助けられます。
初期の怪獣退治編では「アンパンマン、新しい顔よ!」という感じに「キン肉マン、ニンニクよ!」とやってます。ポパイのほうれん草がたぶん、このパターンの元祖だと思います。
怪獣退治編の特徴は、リングロープのない闘いということです。ですから、キン骨マンとテリーマンの闘いに、キン肉マンが飛び込んできても、反則ではありません。そういう状況で、体を張っての助け合いが展開されています。また、この時期はテリーマンに限らず、ミート、ナツコ、ママ、その他ゲストキャラがみんなで「ダメなキン肉マン」を助けてくれます。
テリーマンとロビンマスクが友人であることが強調され、その友人同士が戦うのだと説明されます。普通ならば、さわやかな試合になる展開でしょう。ですが、テリーマンは、キン骨マンがキン肉マンを銃で撃とうとするのを止めようとして、重傷を負ってしまいました。そして、自分のせいではないのに、負けてしまうのがイヤだと思ったテリーマンはなんとしてでも勝とうとします。反則技を使って勝とうとするのは、テリー・ファンクが「日本ではベビー(善玉)だが、米国ではヒール(悪玉)であることも多かった」ということと、関連するのでしょう。
「栄光と転落」はキン肉マンのパターンです。アメリカ編の前編のテーマは、「ロビンマスクの転落」で、後半は、「テリーマンの復活」です。
テリーマンは、転落というより引退です。その「引退」の裏には、「キン肉マンを守るために、犠牲になった」という事情があります。キン肉マンとテリーマンは二人で組んで、キン骨マンとイワオのコンビを倒します。足を失った分の復讐は、見事果たしたというところでしょう。
キン肉マンは、自分の都合でテリーマンを誘いに来たのですが、それがテリーマンを立ち直らせることになりました。「主人公が自分のために犠牲になった、友人を復活させる」というのは、キン肉マンのパターンです。ではありますが、「テリーマンの復活劇」には、主人公の活躍で死者が蘇るというような、魔術的な要素は絡みません。あえていうなら、足が「つけかえ自由」という部分でしょうか。車椅子の子供との話は、超人はヒーローである、というより、プロレスラーはヒーローである、という話ですね。
キン肉マンがどうやって、テリーマンにタッグを組むのを承知させたのかは、わかりません。ですが、タッグを組んで当たり前と言った雰囲気が、この当時の二人にはありました。だから、作者も大胆に省略できたのでしょう。オリンピック編の「重傷なのになんとしてでも、勝とうとした」テリーを思い返すと、「このままで悔しくないのか」という方向性の説得かなと思いますが、ギャグに持ち込むのなら「ナツコが応援に来る」とか、そういう説得もありかもしれません。
テリーマンはブラックシャドーの死に際して怒りを見せたり、エンペラーズに対する残虐行為を止めようとしたりしています。そのエンペラーズが、その後テリーを助けてくれます。前からテリーマンは熱い男でしたが、おそらく自分が大ケガをしてから、人の痛みや不幸に敏感になったのでしょう。
テリーマンは、子犬を助けて解説役になります。おそらく前回のアメリカ遠征編で、主人公並の活躍をしたからでしょう。この時、テリーマンは「自分が失格になっても、子犬を助けよう」とは思っておらず、「子犬を助けたら、失格になった」のです。委員長の判断に、意外そうな反応を見せています。ですが、それを運がなかったとあきらめるのは、優しさですね。
この頃は解説役としても、大活躍します。
ケガをしたキン肉マンに変装して、テリーマンは悪魔超人と戦おうとします。しかし見破られ、殺されかけますが、キン肉マンが助けに来ます。二千八百年前の『イリアス』にもある「主人公の身代わりとして戦った友人が、敵に倒されて主人公が本気を出す」というパターンですね。
テリーマンは魔雲天との闘いの際に、仲間との友情をけなされて、反則もためらわないほどに怒り狂い、そのために隙ができてしまいます。一度はピンチに陥りましたが、先に倒れたロビンやウルフの無念を晴らす形での勝利となりました。友情に厚く、熱い戦いをするテリーマンのファイトスタイルは、この辺りで確立したのでしょう。
ここでも、テリーマンはアシュラマンに仲間のことを悪く言われて、怒ります。テリーマンの腕が奪われたときに、キン肉マンは「あの肉のつきぐあい(中略)まさしくテリーマンの腕だーっ!」と、タッグパートナーらしいことを言っていました。
テリーマンはウォーズマンの体内を傷つけてしまったことを、悔やみます。この辺りは、ブロッケンJrとの、対比の意図があるのでしょう。そしてテリーマンは、自分を犠牲にしてウォーズマンと仲間を救おうとします。そして負けた仲間を処刑した、アシュラマンたち悪魔騎士の残虐さが語られます。テリーマンは「仲間以外の人物に対する残虐行為」にも、憤りを感じる男です。そして、そのことによって、アメリカ遠征編の時のように、敵であった者に助けられます。アシュラマンに殺された、バッファローマンの腕が、テリーマンを援助し、テリーマンとアシュラマンは引き分けます。
テリーマンはジェロニモと組みます。「身体的な不幸」に同情的な人だからというのと、アメリカ超人同士ということが大きいでしょう。彼はジェロニモという弟子をとることによって、成長しようとします。しかしタッグ解消をキン肉マンから、裏切り行為だとののしられます。テリーマンはジェロニモと組みますが、指示を待つジェロニモにイライラします。これはおそらくテリーマンとジェロニモに力の差がありすぎたために、「助け合う」関係になれなかったという話なのでしょう。単なる実力差だけの話ではなく、先輩のテリーマンが自分の判断に従うことを求めすぎたこと、ジェロニモは先輩が判断してくれることに甘えたこと、それぞれに問題があったと思います。「こういう時はこうするのだ」と先輩が後輩に指示するのは、練習の場合にはとても大切ですが、本番ではそれはできません。自分達二人だけで練習して、他のタッグチームとのスパーリングが不足していたのが、テリーマンとジェロニモの敗因だったのでしょう。テリーマンとジェロニモの物語は「下の者が自己犠牲を申し出るが、上の者がそれはできないと、名誉という犠牲を払って相手を守る」という展開になります。
後のマシンガンズと完璧超人の闘いでは、カメハメがこういいます。
「ひとりを生かすために ひとりが犠牲になる それが ひいては ふたりが生きる 結果となる… 今までの友情の中で 一番 立派じゃぞ キン肉マンに テリーマン」
自己犠牲的な友情は、単に「熱い行為」というだけでなく、「賢い行為」という話ですね。
自分とジェロニモを助けてくれた、カメハメに対する恩返しとして、ジェロニモの仇討ちとして、テリーマンはキン肉マングレートのマスクをかぶり、キン肉マンのパートナーとなります。この試合のポイントは、キン肉マンはテリーマンと知らずに組んでも、テリーマンをパートナーとして信頼する、裏切られたと思っても信頼する、という所です。雨降って地固まるのですね。「隠されているものに気付く」という展開ですと、「なれ合い」ではなく「真実の友情」という感じがします。そしてテリーマンは見事仇を討ちますが、アシュラマン達を屈辱的な目に遭わせるのを、テリーマンは拒みます。その思いやりが伝わったのでしょう、アシュラマン達は自ら負けを認めます。
完璧超人対マシンガンズ戦では、テリーマンが一度死にます。この死んでもなお友のために闘うという友情は、感動的です。死後の世界(地下世界)で何かを垣間みてきて、助言者になるところは、人間臭いテリーマンには珍しく「英雄的存在」としての神秘性が与えられています。
「オ…オレは ちっちゃい時から 人になめられる のが大キライ だった………」「相手が強者で あれば あるほど よけいに そうだった!」
テリーマンの負けん気と、強いものに対する反抗心が、よく表れています。後に、牧場経営者として自立した暮らしを営む、彼にふさわしい心意気でしょう。キン肉マンと仲良くなれたのは、テリーマンとキン肉マンが出会ったとき、キン肉マンの方が「弱者」だったから、気軽なつきあいができたんじゃないでしょうか。
遠くからキン肉マンの試合を見守っていたテリーマンですが、遠くから駆けつけてきます。
あのメンバー表のあぶり出しは、「もし、誰かが自分を助けてくれるとしたら、それはテリーマンとロビンマスクだ」と、考えていたという事ですね。万が一、対戦表が開かれてあぶり出しがバレても「名前の書いてある人間が出場しない」分には、大きな問題はないのではないでしょうか。選手の欠場は、よくある話です。
キング・ザ・100トンとの試合は、力に勝る巨漢に、テリーマンが酷い目にあわされつつも、根性で向かっていき、キン肉マンの助力で助かるという展開です。
マッスルスパークの実験台として、ロビンマスクではなく、テリーマンが大ケガを負うのは、キン肉マンが「身近な人間ほど、扱いに遠慮がない」という人物だからなのでしょう。『華岡青州の妻』みたいに、危険な実験台にされる方が「親しい」間柄なのだと思います。
力任せにひどいことをする強者が嫌いということでは、テリーマンの性格は一貫しています。
しかしテリーマンは、最初子供をなめきった態度をとっていました。キン肉マンとの出会いをきっかけに変わりました。もしかしたら、単にキン肉マンの言葉に感動しただけではなく、日本で華々しくデビューする前のテリーマンには、強者になめられまくっていた新人時代があったのかもしれません。そういう人が成功すると、今度は逆に周囲をなめきった態度をとりがちなものです。しかし、ダメ超人扱いされていたキン肉マンとの友情や、片足を失ったことで、他人を思いやる心を持つ男に、成長していったのでしょう。
闘いのパターンとしては、大柄な敵と戦うことが多いです。キング・ザ・100トン、力に勝る巨漢と闘うのは、キン肉マンのパターンです。そして、テリーマンの敵には、魔術や幻術を使うようなタイプは少ないのです。また、テリーマン自ら、妙な工夫や閃きで勝つことは少なく、キン肉マンの思いつきに助けられることが多くあります。