この文書では、テリーマンのくつひもの謎を江戸時代の埋葬から、エジプト古代文明まで、遡って考察します。
テリーマンのくつのひもが切れる場面は、『キン肉マン』に何度か出てきます。
「あ…シューズのひもが…」
『まさか仲間の身になにかが…』
『キン肉マン (5)』文庫版
今回は、このオカルティックな現象の謎に迫ります。
下駄の鼻緒が切れると不吉というのは、時代劇などにもよくある演出です。
おそらくゆで先生は、それらを見習ってこう演出したのでしょう。
しかし、この言い伝えの起源は何でしょうか?
かつて、日本には葬式の際に死人を埋めた土を踏んだ草履を、その場に投げ捨てる習慣がありました。それは汚れを払うためでした。
その時に、死者がそれを履かないように、鼻緒を切って捨てたといいます。
参考 重箱の隅|バックナンバー
1376 「切れる靴ヒモ」
しかし、「鼻緒の切れた草履」から、「葬式」が連想されるから、今に至るまで「下駄の鼻緒が切れると不吉」という言い伝えが残っているのでしょうか。
単純に日本人は「何かが切れるのは不吉」と感じるのではないでしょうか。
縁にしろ「魂の緒」にしろ、切れるとよくありません。
ところで、親しい人の危機を、何かのものの異変で知るというのは、神話やメルヒェンによくある話です。特に兄弟の危機を知ることが多いです。
古くは『エジプトの神話』 の「アヌプ(アヌビス)とバタの物語」でしょう。
弟は兄と別れる時にこういいます。
「それから、もしだれかがあなたにビールの壺をわたし、そのときそれがこぼれたら、わたしになにか起こったのです。そうしたら、すぐやって来てください。」
有名なものでは『完訳 グリム童話集〈2〉』 の「二人兄弟」<KHM 60>でしょう。養い親は旅立つ兄弟にこう言います。
「おまえたちがわかれるようなことがあったら、この短刀を、わかれ路の木の幹へ突きさすのだよ。そこへ戻ってくれば、この短刀で、いない方の兄弟の安否がわかる。それはね、もしもその者が死ねば、その者の行ったほうの片面が錆びるし、その者が生きているあいだは、そっちの片面はいつまでもぴかぴかしているからな」
魔法の魚の腸を目印にする話もあります。『イタリア民話集 上』の「七頭の竜」では、長男が弟たちにこう言い残して旅に出ます。
「万一、梁に吊した腸から血が滴ったならば、ぼくを探しにきておくれ。そのときには、ぼくは死んでいるか、あるいは何か大きな災難に見舞われているのだから。さようなら」
つまり、ビールがこぼれたら、短刀が錆びたら、魚の腸から血が滴ったら、不吉の証。友や兄弟の身に何かが起こった証ということです。
それがレスリングシューズのヒモになるのが、『キン肉マン』です。
「ビールがこぼれたのは、弟が殺されたからだ」というのに比べれば、シューズのヒモの方が、現代日本人には「リアリティ」があります。このリアリティというのは「生活感」に近いものです。
そうやってメルヒェンは、時代にあわせて衣を変えて生き延びてきました。
主人公のキン肉マンが、肉体派なので、親友のテリーマンが、こういう「霊感」といった感じのも含めて、精神面を担当しているのでしょう。『キン肉マン』のこの話は、自分が戦っている最中も、共に戦っている仲間の心配をする、テリーマンの優しさと仲間たちの深い絆を表しているのでしょう。表現がオカルトチックだからこそ、「心のつながり」というものが感じられる演出だと思います。
ちなみに『キン肉マン』のアメリカ編では、この「悪い予感」を逆手にとったギャグがあります。 以下はミートとキン肉マンの会話です。
「ぼくのメガネが われているんですよ なにか 恐ろしいことを 暗示しているように思えて」
「心配するな なにも 暗示しとらん!
それは わたしが けさ 便所へいくときふんづけたのだ…」
『キン肉マン (3)』 集英社文庫
これは、よくある展開を、わきまえている作家ならではの、ギャグでしょう。
次の週で、キン肉マンとテリーマンの上に照明が落ちてくる、という展開があったので、恐ろしいことがおきる暗示としても、受け取れる場面です。