Sorry,this fanfiction was written in Japanese.

第六章 十三粒の金剛石

「やはり、そうか?」
 ジェダは腹心のオゾムを見下ろして言った。ここは魔王の城の賓客用の部屋だった。モリガンの婚約者を決めるための武道会に出場するために、ここしばらくジェダはこの部屋に滞在していたのである。
「間違いありません。ジェダ様。この資料によると、危険な『魔界の扉』は無限の魔力の源となり得ます」
 オゾムは忠実そうに答えた。
「ふむ……」
 口元に手を当てて、ジェダは考え込んだ。
 それがあれば、魔王ベリオールに打ち勝つことも出来るのではないか……。という彼の考えは間違ってはいないようだった。問題はその計画をどのようにして実行するかだった。
 何しろ、その前提になるのは魔界の扉の独占である。また、パワーアップ後、魔王と対決するための兵力も整えなければいけない。
 色々と手を打って置かなければ、後で思わぬ落とし穴にはまるだろう。
 そのまましばらく彼は考えを巡らしている様子だったが、唐突に言った。
「近ごろの霊王ガルナンの様子はどうだ」
「はっ。老いがこたえている様子でおとなしくしています。それにかなり体の調子も悪いようです。が、その情報網は健在かと思われます」
「そうか……」
 ならうかつには動けない。
「それから……気になることがあります」
「魔界の扉を熱心に調べている貴族の中に、あのデミトリ・マキシモフがいるのです。こちらの調査の過程で、扉近くで当主本人を見かけたこともございます」
「数日後に決闘する相手だね。そう聞くと、決闘で止めを指せないのが惜しいと思えるよ。どうやら純粋な研究目的ではなさそうだからね」
 モリガンの婚約者を決めるための武道会は、すでに決勝を残すのみとなっていた。約100名の独身の貴族の男性が、参加に名乗りをあげた。その3分の2以上が魔王による「書類審査」で落とされ、30名ほどが実際に闘技場で争っていた。
 その結果、勝ち残ったのはデミトリとジェダの両名だった。
 決定後、デミトリがモリガンに「決勝戦を行わずとも婚約者は決められるのでは?」と言ったという噂が流れた。
 ジェダはその話を聞いて、「私に勝てないと知る程度の賢さはあるようだな」と冷笑した。
 結局モリガンが「どうせだから、闘ってもらうわ」と言ったので、決勝は行われることになった。
「デミトリ……か。最近のレペ家は扉を見たい者たちが献上する富で潤っているというが、本当らしいね」
 ジェダ本人もレペ家の領地内に部下を立ち入らせるために、毎回多くの貴金属を差し出していた。
「それに、調べました所、レペ家が危険防止のために、あの扉に封印を施していることがわかりました。その封印は扉を小さく、短くしか開かないようにしているものです」
「ほほう。それがなければ、大量の魂が長時間、この魔界に流れ込んでくるのだね」
「その通りでございます。封印はギララ山のふもとに何カ所かございます。レペ家の番人が守っておりますので、レペ家に話を通してみてはいかがでしょうか」
「わかった。今回もお前が行くといい。私はあの吸血鬼に現実の残酷さというものを思い知らせてから、自分の城に帰るつもりだ」
「はっ、ご指名、光栄でございます」
 オゾムは深々と頭を下げた。

 ジェダとデミトリの決闘は予選と同じく闘技場で行われた。
 だが、今回の見物人はそうそうたる顔触れだった。
 魔王は、両者の立場を考えて、
「互いを殺さないこと」
 を条件に決勝試合を許可した。
 さすがの魔王も、この時期にいきなりドーマ家もしくはマキシモフ家の当主が死ぬという事態は避けたかった。
 そんなことになったら、明日からいきなり魔界は大戦乱時代に突入しかねない。
 だが、そのかわり何をもって勝利とするかは難しかった。
 色々な案が出された。
 2回地面に倒れたら負けだとか、3本勝負で審判が勝者を決めるとか、テンカウントとられたら負けだとか、あるいは互いに胸に薔薇をつけてそれを散らされたら負けだとか。
 結局、「先に起き上がれなくなった方が負け。相手を殺しても負け」というルールに決定された。
 こうして、「死なない程度に痛めつけあう」闘いとなることが決まったのである。
 この知らせはたちまち魔界中に広まり、予選終了から決闘開始までの一週間の間に主だった貴族の多くが顔を揃えた。
 その魔力の強さを謳われる者同士だったが、特にジェダが戦場以外でその力を奮う所はそう見られるものではなかった。
 果たして、あいつらの本当の強さはどの程度なのか?
 やじ馬的好奇心と、戦闘力の分析のため、多くの貴族がこの決闘に注目したのも無理からぬことだった。
「やれやれ、随分と集まったものだな。自分より地位の高いものが負かされる場面がそんなに見たいのかね」
 控えの間から外を眺め、ジェダはふうと小馬鹿にしたようなため息をついた。
 集まっている貴族の大半は、デミトリよりも格下の連中だった。もっとも、デミトリより格上というと、ベリオールとガルナンとジェダ本人しかいないのだったが。
「全く暇な連中だな」
 冥王は、椅子の背に凭れながら言った。

「さすがの私もこれほどの大舞台は初めてだな」
 彼のための控えの間で、デミトリは傍らのカミーユに、余裕を見せて微笑みかけた。
 だが、彼も内心では恐れていた。相手は仮にも三大貴族のひとりだ。自分の十倍もの年月を生きた死神の王。出来れば闘いたくはない。それで、モリガンに「あの色気のない男との結婚を望むのかね」と聞いてはみたのだが、「強い男が好きなの」と微笑みかえされたのだった。
 彼はジェダが名乗りをあげたときから、落ちつかなかった。家柄では向こうが上、彼が「モリガンの好意」を得られなければ、順当にジェダが望むものを得るだろう。そう考えて彼はモリガンの所へまめに通ったのだが、モリガンはどうやら本気で「ジェダも悪くない」と考えているらしかった。そしてその理由は彼には理解できなかった。やはり、強さか。年齢か。それとも家柄か。デミトリは内心歯がみした。
 サキュバスの寿命から考えて、モリガンの余命はあとたった200年。たかだかそれだけの歳月を待てば、魔王の座は自動的にモリガンの夫となった男のものだ。
 こんな美味しい話があるだろうか。
「もし負ければ、大勢の魔界貴族の前で恥をかく結果になる。だが、もし勝てばいずれは私が魔界の王たる存在であることをこの場で示せるのだ」
「はい。いずれは全てがデミトリ様のものに。ですがお気をつけ下さいませ。何かこの決闘には意外な結末が待っているような気がするのです」
 魔族のひとりとして、カミーユには一際鋭く物事を感じ取る力があった。
「裏があるというのかね?」
「はい。ジェダ様は得体の知れない人でいらっしゃいます」
「ふむ……毒でも盛る気かな」
「それとは違うような感じなのですが……」
 カミーユは自分の神経が感じているものを探ろうとするかのように、目を閉じた。

「それでは、ジェダ・ドーマとデミトリ・マキシモフの両名の決闘を、これから執り行う」
 デミトリとジェダが闘技場の真ん中に進み出ると同時に、司会役の声が闘技場の客席のすみずみにまで響き渡った。司会役はアデュースだった。
「この決勝戦の勝者に、モリガン・アーンスランド嬢との婚約が、魔王の名において許されるものとする」
 デミトリはその回りくどい言い方に、内心で舌打ちをした。モリガンは「婚約までなら破棄できる」と考えて、そういう条件にしたのだろう。なぜ、「勝者と結婚」と言わずあくまでも逃げようとするのだ。
 だが、今はそれでも構わぬ。いずれあの女、逃れられぬようにきっちりと捕らえてくれよう。
 デミトリは、特別席からこちらを見ているモリガンを一瞥して、ジェダに対して身構えた。
 ジェダは「賞品」の方を見ようとはせず、ただデミトリを冷静に見つめていた。
「それでは、始め!」
 その声と同時に両者は高く前へ跳んだ。
「ファイア!」
 デミトリの手からオーラをまとった蝙蝠が放たれる。
 ジェダは気づいて、宙で我が身をかばった。
 そして地に足をつけると同時に、デミトリは翼を広げ、身を翻した。
 同じく地に降りたばかりのジェダを、青黒い翼が襲う。
 ジェダは再び身をかばい、デミトリの翼によるダメージを最小限に押さえて、デミトリの無防備な足をけとばした。
「つっ!」
 よろめいたデミトリの首筋をつかんで、宙に吊り上げ、脇へ投げる。
 すばやく態勢を立て直して、今度はデミトリが鎌を奮おうとしていたジェダの隙を狙って、足払いをかける。
 倒れたジェダの背中を、デミトリが宙返りして踏み付ける。
「ぐっ」
 ジェダの背が大きくしなる。
 デミトリは、ジェダの背中から降りるとすっと後退りして、再び蝙蝠を放った。
 が、一瞬速くジェダはデミトリに向かって跳び、宙で両手の長い爪を交差させた。
「うっ」
 慌てて顔の辺りをかばったデミトリの腕から、血が飛び散る。
 次の瞬間、ジェダは手薄になった腹の辺りを蹴飛ばした。
 しかし、彼が地に足をつけた瞬間、今度はデミトリが彼の肩をがっちりとつかんだ。
 そのまま、ばさっと大きな音をたて、高く飛び上がると、デミトリはジェダを頭から地面に叩き落とした。
 人間ならば、首の骨が砕ける所だが、ジェダは液状の体を少し飛び散らせただけだった。
 さらにその肉体を地に塗れさせてやろうと、デミトリは殴り掛かったが、一瞬早くジェダが長く伸びる爪を彼の腕に突き刺した。
「がっ」
 デミトリは傷ついた腕を振って、自分の血を払い落とした。
「かなり利き腕が痛むだろう」
 さっと後ろに下がってジェダがいった。
 デミトリはきつく睨みつけた。
「てあ!」
 ジェダは自分の翼の先をむしりとり、それを宙で回転する刃に変えた。デミトリに投げ付ける。
「ファイア!」
 デミトリは、蝙蝠を召喚してその刃を弾いた。と、彼の頭上からジェダが舞い降りる。
 とっさにデミトリは翼で身をかばった。長い爪が彼の方へと伸びる。
 翼に微かな苦痛を感じたが、デミトリはそのまま空中のジェダを翼で殴りつけた。
 叩き落とされたジェダが地に伏せるのを踏み付ける。
 ジェダは一瞬呻いたがすぐさま起き上がり、後ろへと飛んだ。
 デミトリが追ってつかもうとするのを、ジャンプしてかわし、宙返りして刃と化した翼で、デミトリの肩を斬る。
「うおっ!」
 デミトリが右肩を押さえて後ろに下がる。
 さらにその腕を痛め付けようとジェダがのばした爪を、デミトリは交わしざま、冥王の首筋に跳び蹴りを食らわす。
「ぬっ…!」
 ジェダの肉体の蹴られた部分から、体液が飛び散る。
 だが、自分の目の前に着地したデミトリに冥王は大鎌でばっさりと切りつけた。
 投げようと試みていたデミトリの右腕から鮮血が吹き出す。刃は骨までとどいていた。
 デミトリはあわてて後ろに下がった。踏み込むジェダ。
「デモンクレイドル!」
 デミトリの回転する翼がジェダの伸ばされた右腕を切り落とした。
 地に落ちた右腕は赤い液体となって飛び散り、土に吸い込まれた。
「ふうっ!」
 ジェダは肘から先のない腕を振った。すると、じゅぴっという音と共に、腕が再び生えた。
「ちっ」
 デミトリは舌打ちした。液状の肉体に再生不能などあり得ないか。
 では、と彼は再びコウモリを召還した。
「ファイア!」
 召還の隙を狙い、ジェダは宙へと舞った。それを待っていたデミトリは、翼を翻した。その彼の喉元をジェダの長く伸ばされた爪が狙う。
 空中で両者は激突し、地へと落下した。
 デミトリは起きあがろうとした。が、体が動かない。
 苦痛に眉根をよせたまま見やるとジェダも同じ状態らしく、地に倒れ伏し、服のつなぎ目から、赤が滴っていた。
 左腕で身を起こそうとすること10数秒。
「これで終わりとするか」
 つぶやくような調子の魔王の声が轟いた。
「両者倒れたのは同時。よってこの勝負は引き分けとする。再戦を行うかどうかは、魔王ベリオールと、モリガン嬢の判断に委ねる。しばし待たれよ」
 アデュースが声を張り上げた。
 デミトリは首を傾げて敗因を考えながら、魔王の言葉を待った。
 しかし、ジェダは待たなかった。
「引き分けか…」
 ジェダは唇を歪めて笑った。
「この私と引き分けるとはね。どうやら、君のモリガン嬢に対する執着は本物らしい。ならば、私は君に彼女を口説く権利を譲ろう」
 ジェダは鎌を肩にかけたまま、デミトリを見た。
「だが……フフ。君の男としての魅力は実のところどれほどのものかな? お手並み拝見といこう」
 何をいうか、この独身主義者、と心の中で罵りつつ、デミトリは一礼した。
「譲ってくださるとは有り難い。これでモリガン嬢とゆっくり語らえるというもの。では、魔王陛下。モリガン殿のお相手は私で異存はございませぬな」
「私にはないな。いずれ正式に婚約者とすることにしよう」
 魔王は傍らの後継者を振り返って言った。
「モリガン。よもやこの期に及んで嫌だとは言うまいね。この決闘もおまえの望みで行われたものなのだからね」
 モリガンはにっこりと笑った。
「ええ。それでは、魔王陛下。私自らマキシモフ公とお手合わせすることをお許し願えますか」
「ほう、なぜ」
「私以上に強いのかどうか、確かめたいからです。私より弱くては、話になりませんから。
「マキシモフ公は怪我をしている。後日にするがいい」
 魔王は制止したが、モリガンは直接デミトリに声をかけた。その声は甘かったが、笑みは不敵な自信に満ちていた。
「いいでしょう? デミトリ。今ここであなたと闘いたいわ」
「いいでしょう。モリガン殿。あなたの誘いを断りはしません」
 似た笑みを浮かべ、「闇の貴公子」はお辞儀をした。
「魔王陛下。私は挑まれた以上、闘います」
「では一時間後に二度目の決闘を行うとしよう」
 ベリオールは宣言した。

 派手な音を立てて、木の椅子が倒れた。
 腹立ちまかせに控え室の質素な椅子をけとばし、デミトリは低い声でいった。
「あの女、あくまでも逃げるつもりか!」
 右肩と右腕が痛む。いかに彼といえど、この傷が一時間で治るものではない。
 この状態ではモリガンはジェダ以上の敵だ。
 かといって、あの状況下で「疲れたから一週間後にしてくれ」などとは言えない。要はモリガンにまんまとはめられた訳である。
 あの女は強い。自分以上だとは思わないが、自分に迫る力はある。
 だが、負ける訳にはいかない、いかないのだ。
「デミトリ様……」
 カミーユは主人にそっと寄り添った。
「どうぞ」
 デミトリはその喉に荒々しく噛みつき、血を啜った。

 デミトリは右腕に血のにじむ布を巻いて、闘技場に現れた。
 戦闘用の黒のボディスーツに着替えたモリガンは、薄い笑みを浮かべてそれを迎えた。
 闘いの開始を告げる、アデュースの声が響きわたった。
 それと同時に両者共に一歩踏み込む。
 モリガンはデミトリが左腕で殴ろうとするのをしゃがんでかわし、向こうずねをけとばした。
 よろめくのを見て後ろにひょいと跳ぶ。
 デミトリは体勢を立て直し、隙無く構えてモリガンを見つめていた。その赤く輝く瞳からは闘志が失われていないことが明らかだった。その体からは陽炎のように淡く光るオーラが立ちのぼっている。


 無理しちゃって、とモリガンは思った。
 少なくとも、右腕を用いての攻撃は出来ないことが明らかで、体力もだいぶ削られているはずだ。
 彼女は怪我をしているデミトリに挑むことを卑怯とは思わなかった。
 これは不意打ちではない。怪我をしているのに、「闘います」と意地を張ったデミトリが莫迦なのだ。
 その高すぎる誇りを打ち砕いてあげるわ。
 彼女はすっとデミトリに近づいた、間合いと見てデミトリが大きな蹴りを放つ。 しかし、モリガンの平手打ちが先に彼の頬に飛んだ。高い音が響きわたる。
 勢いを失った蹴りを余裕でかわし、再び後ろに下がる。
 そしてモリガンは高く前に飛んで翼を無数の針に変え、デミトリの喉元辺りを狙った。
 と、デミトリも高く垂直に飛び上がり巨大な蝙蝠の翼を回転させた。宙を切り裂く青黒い疾風。
 それはモリガンの翼を薙払い、彼女の右の一の腕の肉をえぐった。
「ああっ!」
 悲鳴をあげて左手で傷をおさえる。
「腕一本を痛めたといえど、私にはまだ翼があるのでね」
 デミトリはこの状況下で悠然と笑って見せた。
「そうこなくちゃね」
 モリガンは傷口から手を離して、楽しげに微笑んだ。
 だがモリガンは意外にデミトリが疲れていない様子なのに、少し驚いていた。
 その答えは、控え室で青ざめた顔をして、貧血にたえているカミーユなのだが、モリガンにわかるはずもない。
 ちくちく攻めて、存分にいたぶってあげようかしら、などと考えていたモリガンの全身が引き締まる。
 負けるわけにはいかない。
「やっ!」
 モリガンの手から蝙蝠の形をした光弾が打ち出される。
 が、次の瞬間デミトリの姿が消えた。
 はっとして、モリガンはとっさに身構えた。その目の前にいきなりデミトリが出現した。吸血を行う時の姿で。
 左腕だけで彼はモリガンの右肩を掴んだ。とっさにモリガンは左側へと体をひねった。細い喉を狙った太い牙は狙いを外れ、モリガンの右肩から赤い血と白い飾り羽を散らす。微かな悲鳴。それは服に化けた蝙蝠の声か。
 モリガンはデミトリの腕を逃れて、地面に倒れ込む。
 その背中をデミトリは踏みつけた。
「あぁっ!」
 モリガンは白い頬を土に擦りつけるようにして、苦痛に悶えた。しかし、牙を喉に受けていたらそこで止めであったろう。安い代償といえた。
 デミトリは少し下がって、蝙蝠を召還した。起きあがろうとしているモリガンに、それを放つ。
 更にモリガンを蹴りとばさんと跳躍する。
 モリガンはすばやくデミトリと彼の蝙蝠から己の翼で身をかばい、デミトリの脇腹に蹴りを入れた。
「ぐっ」
 デミトリは脇をおさえてかがみ込んだ。
 さらに蹴りこもうとしたモリガンの目の前で天地が回転した。
 苦痛ゆえにかがみ込んだと見せかけ、デミトリが彼女の足を思いっきり払ったのだ。
 再び、モリガンは転倒した。体全体が痛い。このまま負けてしまうのか、と弱気な考えが頭をかすめる。
 デミトリは一歩下がった位置でモリガンが起きあがった隙を狙って、幾多の蝙蝠を召還しようとしていた。
 が、次の瞬間デミトリの眼の前でモリガンの肉体が虹色に輝いた。そしてモリガンの姿がふわっと二重になった。はっとデミトリが振り向くと彼の後ろにもモリガンがいた。
 自らの魔力を一時的に実体化させ、寸分違わぬ分身を作り上げるモリガンの術。その中に彼は落ちたのだ。
「お仕置きの時間よ……」
 いいざまに、モリガンはふたりの彼女に挟まれて身動きのとれないデミトリの頬を平手でたたいた。そのまま思うがままに蹴り、殴る。
「気持ちいいでしょう?」
 からかいを含んだ声を残して、ひとりに戻るとモリガンは隙なく倒れたデミトリに対して身構えた。出来れば起きあがって欲しくなかった。彼女は肩で息をしながら、デミトリの震える肩を見つめていた。
 だが、デミトリは起きあがった。しかし、次の瞬間にがくりとひざをついた。
 彼は眼で殺そうとするかのようにモリガンを睨み付けたが、すぐ顔を伏せた。その肩は激しく上下している。
「勝負あったな」
 魔王ベリオールのつぶやきを受けて、アデュースがモリガンの勝利を宣言した。
「この決闘の勝者はモリガン・アーンスランド嬢である!」
「魔王様。これで私は当分の間、婿を選ばなくてもいいですわね」
 腕から血を流したままの姿で、ひざをつくデミトリの傍らに立ち、モリガンは笑みを浮かべて言った。
「仕方あるまい」
 ベリオールは苦笑した。
「それでは、負傷者の手当をしてやれ」
 その言葉に王室付きの医師団が、担架を運んできたが、デミトリはそれに乗せられることをきっぱりと拒絶し、自分の脚でよろけながら歩いた。
「それから、敗れたりと言えども勇敢な戦いを見せてくれた、ジェダ・ドーマ、デミトリ・マキシモフの両名には後で褒美を与えよう。そうだな。宝石箱に上質のダイアモンドを詰めて送る事としよう」
 その言葉に、羨ましげな声が上がった。そして、会場のどこかで手をたたいたものがいた。それはたちまちのうちに広がり、万雷のような拍手になった。

「デミトリ様。魔王ベリオール様の使者が、魔王様からの親書と大粒のダイアモンド13個を持って参りました」
 それ自体が工芸品として美しい宝石箱を胸元に捧げ持ち、イザベラは主に声をかけた。
「そんなものよりあの女が欲しかった」
 自らの城の私室で侍女に腕をもませていたデミトリは、不機嫌な声で答えた。
「そうでございましょうね。ですが、遠方から来た使者たちに持って帰れともいえません」
「使者へのもてなしは、君に任せる」
「かしこまりました。それでは、後で魔王陛下への礼状をしたためておいて下さいませ」
 デミトリの愛人たちの中で、最も古く、最もこの城の女の中で高い地位にある女は、主に優しく微笑みかけた。二百年以上前から、時を止めて美しい腕がすっと伸びて、デミトリの手の中に宝石箱を置いた。
 デミトリは箱を開けて、ダイアを親の仇のように眺めた。
 金額に直して、彼がモリガンに送った品々の合計金額よりかなり高額だろう。
 金の点ではむしろ儲かったとさえ言えるのだろうが、多くの観衆の前で負けた屈辱感は金銭や物品では癒せそうになかった。
「惜しいところでございましたわね。でも、またチャンスがあるかもしれません」
「当分ないだろうな。そのための決闘だ」
「そして、宝石だ。これをやるからおとなしくあきらめてくれ、ということだ」
 ダイアをつまみ上げた指に力がこもる。
 イザベラの目には主人の指の間で、ダイアが砕けそうに見えた。
「美しいが……突っ返したい気分だ」
 イザベラは、それ以上何もいえなかった。これが、他のことであれば「そのようなことは、お忘れ下さいませ」とその傍らについと身を添えて、その肉体で主人を慰めるところだが、当の主人が他の女のことを考えている今は逆効果になる可能性があった。
 デミトリはしばらくその指で十数個のダイアモンドを弄んでいた。青みをおびた最高級のダイアは、転がすたびに冷たい炎のようなきらめきを放つ。
「征服されざる者」との名の由来を持つ硬い石は、妖しく儚いブラックオパール、血や彼の瞳と同じ色のルビーと同じく、デミトリのお気に入りの宝石のひとつだった。
 その輝きに少しは慰められたのか、デミトリは石を置いて椅子から立ち上がった。落ち着いた声でイザベラに命じる。
「寝室へカミーユを呼んでくれ」
「わかりましたわ」
 イザベラはどことなくほっとした表情で一礼をした。
「カミーユと……そうだな、君も後で来てくれ」
 女として望まれる喜びにイザベラは、包み込むような柔らかな笑みを浮かべた。

 ジェダとデミトリの決闘の一月後、霊王ガルナンが死んだ。
 その知らせは瞬く間に魔界中に広がった。
 そして、それは多くの魔界貴族にチャンスとして受け止められた。
 デミトリもそう判断したひとりだった。
 彼はガルナンと同盟を結んでいた多くの魔界貴族に働きかけ、勢力範囲を拡大しようとした。
 ガルナン亡き後のヴォシュタルの一族の凋落は甚だしかった。他に力のある者はおらず、家臣や同盟貴族は次々に離れていった。それは、領地の減少でもあった。
 離れていった者たちのある者は自ら小国の王となり、ある者は別の国の家臣となった。
 その騒ぎの中でジェダもデミトリと同じくより多くの魔界貴族を、味方に引き込もうとしていた。
 そのための対外交渉に役だったのが、口の上手いオゾムだった。
 彼はガルナン亡き後は、ジェダの後につくのが一番の得策だと多くの者達に信じ込ませた。
 実は、今回魔王ベリオールはそのようなパイの奪い合いには積極的に参加していなかった。だが、「寄らば大樹の陰」とばかりに保護や利益を求めて彼の元に走る者も少なくなかった。とはいえ、全体としてはジェダとデミトリの陣取り合戦だった。
「口先のドーマと腕ずくのマキシモフ」
 という評判は本人達にも届いていた。その争いは一見したところ、ジェダの方が優勢だったが、鋭い者にはデミトリが「対ベリオール」を想定して、勢力範囲を拡大していることが知れた。
 そして、ベリオール本人は用心しつつも、そのようなデミトリの行動には「反逆か…フッ、若いな」という悠然たる態度を崩さなかった。

「何くだらないことをやっているのかしらね」
 アデュースから、ガルナン亡き後の魔界貴族の諍いについて聞かされた、モリガンはうっとうしそうにつぶやいた。
 魔界全体を巻き込む大混乱だったが、今のところ小競り合い程度の戦闘は絶えないものの武力衝突より、交渉だの同盟だのと政治的な手段で解決が図られる傾向にあった。
 それがモリガンにはつまらない。どうせなら、派手な戦乱になればよいのに、と思っていた。アーンスランド家は基本的にこの件に関して「傘下に入ろうとする者は拒まず、戦いを挑もうとする者には相応の報いを」という消極的な態度だったので、モリガンなどは完全に傍観者の立場だった。
「これから、戦乱になるのかもしれませんよ。さすがに全てが話し合いで何とかなるとも思えませんからね」
「あら、今度は大軍を率いてジェダとデミトリが争うというの?」
「多くの者がそう見ていますし、実際その可能性は高いでしょう」
「ということは、ほかの可能性もあるのね?」
「はい。特にデミトリ様の方に陛下への反逆の意志ありと見なすものがいます」
「やりそうね。でも、できるのかしら」
「だからこそ、ガルナン様の死が大きな意味を持つのですが」
 そこでアデュースはふぅとため息をついて告げた。
「ともかく、雲行きが怪しくなって来ましたので、モリガン様はとりあえず結婚なさらずに正解でしたね」
「失敗したわ」
「は?」
「デミトリあたりと結婚していれば、今頃は毎日が戦いで退屈せずに済んだでしょうに」
「……そうですね。デミトリ様としても、この時期優秀な戦士がいれば有り難かったでしょうね」
 アデュースはさすがに疲れたような顔で答えた。
「それじゃ、支度して」
 モリガンはすっと椅子から立ち上がった。
「わ?」
 アデュースが変な声を出す。
「暇だから、また人間界に遊びに行くわ」
「そういう場合ですか! この魔界の行く末が案じられている時に……」
「私には関係ないもの。勝手にやらせておきましょ。幸い、ベリオール様がご多忙らしいし。いい機会だわ」
「お嬢様〜。うっうっ」
 アデュースは目にハンカチをあてた。

 空に突き刺さるようなギラ・ギララ山脈。
 モリガンにとってはもはや見慣れた風景だった。
 だが、今回は様子が変だった。
 いつもは、多少の宝石と色仕掛けで「禁断の土地」に入れてくれるレペ家の番人が難色を示したのだ。
「できれば、このままお引き取り願いたいのですが」
 という番人に凄みのきいた脅しをかけた所、
「有力貴族がレペ家の当主に話を通して『扉』を借り切っているんです」
 と言う話だった。
「それは、アーンスランド家と敵対、もしくはそれに準ずる立場にある貴族なのね」
 モリガンの言葉に番人は青ざめた顔でうなずいた。
 これまでは、レペ家としても魔王に反逆の意志など見せる気はなかったので、モリガンの通行を黙認していた。が、今回モリガンを通したら、その「有力貴族」に対する約束をレペ家が破ったことになる。
 もし、モリガンがここで下手に暴れればお忍び旅行が国際問題になってしまうだろう。
「わかったわ。それじゃ、ベリオール様にレペ家が怪しいことをしているって報告するから」
 モリガンは優しげな笑みを浮かべてそう言った。
「そ、それはお辞め下さい!」
 番人は大柄な体を震わせた。
「あと2週間、2週間ほどお待ち下さい。おそらく、今おいでになっているその貴族の臣下は、今晩『扉』が開くのを観察した後、彼の主人に報告に戻るはずです。ですから、次に開くときは数人の監視以外はいないと思うので……」
 モリガンは不承不承うなずいた。

 言われたとおり2週間後、モリガンが扉の番人の館を訪ねると番人は「くれぐれも内密に」と念を押して、「扉」に通じる道の門を開いてくれた。もちろん、この「門」は物理的な扉ではなく、許可なくしてこの山に入るものを防ぐための結界のゲートである。
 モリガンはいつものように堂々と空を飛んで行くのはまずいと考え、山頂近くまで、岩陰に隠れるようにして、進んだ。突風が時折吹き、岩壁にたたきつけられそうになったことが何度もあった。
『もう、あぶないわねっ』
 心の中で何度もどなる。
 そして、山頂近くの岩陰からのぞくとそこそこ強そうなのが何人か。
 しかし、モリガンはすぐには手出しをしなかった。魔界の扉が開く気配をうかがっていたからだ。
 あともう少し。あともう少しで「もうひとつの世界」への扉が開く。
 その直前の気配をモリガンは肌で感じた。世界が歪む不気味な感覚。
 まずは、注意をそらさなきゃね、とモリガンは手近な岩を思いっきり蹴り落とした。
 ガラガラ、ゴロ、ドン、ドス、ガタッ、グシャラ、ドドトッ。
 岩雪崩の音が響く。
 モリガンは素早く滑空して、その場を離れ別の岩陰からのぞいた。
「何だ! どうした」
 見張りの者たちは皆そちらに集まっていた。
 今だ。
 その隙に、高い空の裂け目に向かってモリガンは力強くダッシュした。扉が開く気配。
 その時空の裂け目に入り込もうとした瞬間、感電したようなショックがモリガンの全身を駆け抜けた。
「きゃあぁぁっ!」
 それは、「扉」自体に施された特殊な封印だった。
 その衝撃に背中や頭に翼として付いていた、コウモリたちがバラバラになり、黒い羽毛の様に散る。
 モリガンは気を失ったまま、岩だらけの谷底へとイカロスのように墜落して行った。
 その悲鳴を聞き付けて、見張りの男たちが一斉に振り向く。
 慌ててモリガンが落ちた方へと駆け寄るが、あいにくとその辺りは切り立った高い崖で、落ちたはずの女の姿は見えなかった。
「落ちた!」
「何者だ?」
 口々に叫んで遠く霞む下の方をのぞき込む。
「……何者だとしても、この高さじゃ絶対死んでるぜ」
「死体だとしても、身元は確認しなければならない。誰か死んだみたいです、では報告にはならない」
 リーダーらしき男が命じ、見張りの男たちのうち空をとべる者、三体が翼を広げて降りて行った。
 そして、しばらくたった時、今度は男の悲鳴が響き渡った。

 夜。魔界の森は生々しく蠢いていた。黄昏を目覚めの時と心得る鳥や獣たちが、近くで羽音を立て、また遠くで吠え声を響かせる。木々は妖しくざわめき、死に損なった者たちを地の底や枝葉の陰から呼び起こす。そこは限りなく暗い緑の世界。
 その森の中にほとんど獣道に近い、荒れ果てた道が通っていた。
 レペ家の所領から、マキシモフ家の所領へと続く道だった。
 その道を黒塗りで2頭立ての馬車が走っていた。護符等から葬式用のものであることは明らかだった。
 その車を見て、幽霊たちが御者席で鞭を振るう男に囁きかけた。
「ソノ死体ヲ置イテイケ…」
「体ガ欲シイ、体ガ欲シイ」
 その声は澱んだ空気のようにかび臭く、死者たちの生への強い執着を感じさせるものだった。
 フードを被り、長いケープをまとった黒ずくめの男は、無視して馬達を急がせた。
 すると今度は馬と男の温かい血肉を求めて、腐りかけた屍者達が両側の薮から姿を現した。
「アア…」
「ウ…ンガァ…」
 もはや、言葉を忘れてしまった者たちだった。
 男は無言で鞭を強く振るった。それは宙を生き物のように走り、一撃で屍達の頭部を砕いた。
 彼らの腐肉を蹄と車輪で地に塗れさせながら、葬式用の馬車は夜を疾走して行った。
 やがて、ふたつの領地が近接する辺りで、レペ家の番人たちがその馬車を呼び止めた。
 彼らは身分証の提示を求めた。
 男はすっと一枚の紙を彼らに差し出した。
 それによると、男はマキシモフ家の領地に住む者で、レペ家の領地に商取引のために滞在していた者だった。
「その車はどうした」
 番人が死者のための車であるのを見とがめて言った。
「妻が病で死んだ。葬式のために故郷に帰るのだ」
 男の返事は簡潔だった。
「念のために柩の中も含めて車を調べる」
 髭の長い男の高圧的な物言いをフォローするかのように、髪の茶色い男が言った。
「悪く思わないでくれ。この間も密輸騒ぎがあったんでね」
「わかった」
 男は静かに車の扉を開けた。
 番人たちは車の中を調べ回り、柩の蓋を開けた。
 黒い柩の中は赤い布で張られ、白い薔薇が一杯に詰められていた。
 薔薇に埋もれていたのは、生者の世界の全てを拒絶するように美しい女だった。
 長いまつげが伏せられ、瞳の美しさは解らぬものの、その面立ちは死体になるために生まれて来たように、冷たく整っていた。
 女は死者のための、黒い繻子の衣を着せられていた。蒼白い肌と長い銀髪がその黒に映える。
「怖くなるような美女だな」
 髪の茶色い男が白い肌に手を伸ばしかけたのを見て、黒服の男は、
「妻に触らないでくれ。調べは済んだろう」
 と言った。
「ああ」
 髭の長い男がそう答え、彼らは馬車を降りた。
「言ってよし」
 その言葉と共に再び馬車は走りだした。
 しばらくすると馬車は今度はマキシモフ家の側の番人に止められた。
「その馬車、止まれ!」
「辺境でのつとめ、ご苦労。私はマキシモフの一族の者だ。今すぐ貴族用の速い馬車を呼んでくれたまえ」
 男は先程とは打って変わった尊大な調子で言った。
「貴族様……。証しだてるものはございますか」
「これを見たまえ」
 男が示した指輪には薔薇と蝙蝠をかたどった紋章が彫り込まれていた。
「承知致しました」
 貴族用の馬車がつくと、男は御者に金貨を与え、行く先を告げた。
 そして葬式用の馬車の床板を外して、小さな木箱をふたつ取り出した。その荷物を御者に命じて新しい馬車に積み替えさせる。
 それから、女を柩から抱え出した。

 御者から女の顔が見えないように、自分の体で隠しながら馬車に乗りこむ。男は静かに女を後ろの座席に寝かせた。
 窓のカーテンを引いて、男は女の細い手首を掴み、頬擦りしながら囁いた。
「冷たい手だな。薬がよく効いているようだ。君はどんな夢を見るのかね……」

                          第七章に続く
 


 2000.6.21.脱稿

 作者 水沢晶

 URL http://www.yuzuriha.sakura.ne.jp/~akikan/GATE.html

 

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