「真琴ぉ!!!」
 俺は妹の名前を大声で叫びながら飛び起きた。全身には鳥肌が立ち、パジャマ代わりのTシャツと短パンは水でもかぶったようにぐっしょり濡れていた。
「っつ……はぁ……今度は……真琴かよ……」
 さっきまで見ていたリアルすぎる夢……いや、夢と言うよりは予知、お告げと言っても良いだろう。その類を俺が見るのは初めてではなかった。
 小さい頃から親戚の人や飼っていたペットが死ぬたび、こういう夢を見ている。身近な人や動物の死に至るその瞬間が、ありありと映像として夢の中に映し出されるのだ。最近では幸いなことに六年前、祖父が他界して以来死に面することが無く、見ることはなかったのだが……。
 額の汗を拭いつつ、今回の夢の情景を再び思い出す……。林のような木々、緑に繁るその中で一本だけ不思議と赤い木が混じっている。道路は舗装されていなく、雨でも降った後のように水たまりが月の光を反射していた。赤い木の前に立つ真琴は暗がりから伸びてきた手が持っている紐によって首を絞められ、苦しそうにもがいた。しかし、次第にその力も尽きぐったりと脱力し、闇の中へと引きずり込まれていった。
「冗談じゃねぇって……」
 なんとかしないと……。俺は良い考えも思いつかないまま、部屋中を落ちつきなく見回した。……どうする? どうしよう……
 トントン……
 焦っているときのいきなりのノックに、俺は一瞬身構えたが、次には自分の慌てぶりに苦笑すると答えた。
「どーぞ」
 がちゃりとドアが開き、その隙間から真琴が顔だけ覗かせた。
「おにいちゃん、何? 呼んだ?」
「ん? いや、呼んでないけど……」
 真琴は少し怪訝そうな表情をしたが、それ以上、なにも言いようがなかった。どうにも説明の付けようがない。それに下手に不安がらせる事もないだろう。
「そう? なら良いけど……でも、朝から大声あげるのはどうかと思うよ。ご近所迷惑だし。あ、お母さんが起きたんなら、早く下りてきてご飯食べちゃってって」
「おー」
 不意に今日が平日だと思いだし、学校の事といまいち寝足りないこの状態をどうにか出来ないものか考えながら、頭をかいた。
「おー、じゃなくて、はいでしょ。それじゃあたし、そろそろ出ないと学校に間に合わないから。行って来ます!」
「ほいよ。行ってら」
 ばたばたと走り出す妹の足音を聞きながら、俺はゆっくりとベッドを抜け出した。少なくとも両親にはこのことは言っておくべきだろう。娘の危険なのだ。平然としている場合ではない。
 俺がもつれそうな足取りで一階へ下りると、テーブルにはまだ父さんいた。母さんはシンクの前で洗い物をしている。
「おはよー」
「おはよう」
「おはよ」
 朝の挨拶を交わすと、俺は自分の席につき、目の前に置かれたトーストをかじりながら話を切りだした。
「あのさ……」
 母さんは洗い物の手を止めないが、父さんは読んでいた新聞を畳んで、話を聞く体制に入った。
「なんだ?」
「また……あの夢、みた……」
 俺は抑えめの声でそれだけ言った。
「夢? そんなものは誰でもみるだろう?」
 父さんは意味を掴みきれなかったのか、平然とそう返す。
「ただの夢じゃないんだって。昔から言ってた人が死ぬ予知夢なんだよ! しかも今度は真琴が……!!」
「どうしてそんなものが夢じゃなくて予知夢だとわかる? ただの夢かもしれないじゃないか?」
 冷静な態度を崩さない父さんに、俺は半ば苛立ちを感じていた。
「だからぁ! 昔から見てたからだって! ペスの時もシロの時も! おじいちゃんの時だって……その度に言ってただろ、俺は……!」
「いい加減にしなさい!!」
 父さんは怒気を含んだ言葉を吐き捨てると、椅子が倒れそうな勢いで立ち上がった。
「小さい頃の冗談ならまだかわいげもあるが、その歳でそんな悪質な冗談は許されないぞ! ましてや自分の妹が死ぬなんて口にするもんじゃない!」
 怒鳴りつけられ、呆然としている俺にそれだけ言うと、父さんは自分の鞄を掴んで、玄関の方へを消えていった。廊下の向こうから「行って来る」の一言だけが聞こえてきた。
「…………ほんとなのに……」
 俺は少し裏切られたような心境だった。小さい頃、相づちを打ってくれていたのに、あれは嘘だと思われていたんだ……。かじっていたトーストを皿に戻し、コーヒーを一口すする。かなりぬるくなっていた。
「智之……」
 それまで洗い物をしていた母さんがエプロンで手を拭きつつ、テーブルへ着いた。
「嘘かホントか、母さんにはわからないけど、あなたが小さい頃からそう言うことを言っていたのは覚えてるわ」
 母さんの目が俺をじっと見つめる。なぜだか責められてるような感じだった。
「でもね……、迂闊に人が死ぬって言うことは言っちゃだめよ。特にその本人にはね。わかるでしょ?」
「わかった……」
 父さん母さんは俺の言うことを全く信じていない。確かに突拍子の無い話ではあるが……。俺は悔しい気持ちと一緒に朝食を流し込み、学校へ行く仕度をするために自分の部屋へ戻った。


「智くんおはよっ……って、どうしたの? 暗い顔しちゃって……」
 足取りも重く学校へ向かう途中に、この杏子の家はある。と言っても、俺の家から三軒しか離れていないのでいわば幼なじみ、しかも小中高と同じ学校に通っているのだから、腐れ縁と言っても間違いではない。だからといって、会った途端に人の顔をまじまじと見つめるのはどうだろう?
「ん? あぁ、アンコか。おはよ」
「アンコって呼ぶなっ! っていうか、大丈夫? 顔面蒼白だよ?」
 俺は人に顔を見つめられるのが嫌いなのだ。顔を背け背け、見られないようにするのだが、杏子は杏子で慣れているように回り込みながら、なおも人の顔を覗き込んでくる。
「……俺な……また夢、見た……」
「…………マジ?」
 今の杏子の顔には疑うような気配はなく、どちらかと言えば怖がっているように見えた。俺はその問いにただうなずいて答えた。
 昔、俺にも優しくしてくれた杏子のお祖母さんが亡くなったとき、俺はそれを予知していた。最初はその杏子も俺の話をバカにしていたが、お祖母さんが本当に亡くなって以来、俺の夢が本当に当たると知っているのだ。
「…………誰?」
 明らかな不安。杏子の顔に汗が浮かんでいくのが見える。
「真琴が……殺されてた……」
 一瞬の間。杏子にもなにがなんだか理解できなかったのだろう。だが、その直後、杏子は俺に掴みかかるようにして叫んだ。
「真琴ちゃんが!? しかも殺されるって、誰に!?」
「知るかっ! それがわかってたら……こんなに悩んでねぇよ……」
 俺は思わず乱暴に杏子の腕を振り払った。
「わかってたら、真琴が殺される前にそいつをなんとかするさ。でもわかんないんだよ。犯人は暗がりの中から腕だけ出してた。だから、人相も背格好も全然わかんないんだよ!」
 がっくりうなだれる杏子。俺も自分の言葉に現実を再確認させられ、同じような心境だった。しかし次の瞬間には杏子は顔を上げ、何かを覚悟したように俺を見ていた。
「ねぇ、夢の内容……聞かせてくれる? 事細かく、細部にわたって。ひょっとしたら何か新しくわかる事があるかもしれないでしょ?」
 俺がその変化に戸惑っていると、杏子はいきなり俺の背中を強く叩いた。
「それにほら、智くんの夢はあくまで予知夢。まだ起きてないことなんだから」
 そうか。予知夢は予知夢。先のことなのだ。幼かった昔はただ怖がっていたが、今ならその未来を変えられるかもしれない。いや、きっと変えられる。そうでなきゃ、夢が予知夢である意味がない。俺には……変えられるんだ。
「そうだな。諦めなきゃ、なんとかできるってもんだ」
「へへ、智くんはそうじゃないとね。張り合いが無いわよ。さぁて、とりあえずどうしよっか? 昼休みに屋上に集合でオッケー?」
 猫の目のように変わるというのはこういうことをいうのだろうか? 俺は半ば苦笑しながら杏子の仕切りにうなずいた。


 くくっ……。俺は思わず忍び笑いをしてしまった。それが隣に座っている杏子を怒らせてしまったようだった。
「……なによぉ」
 杏子はギロッと睨みつけてくるが、俺の笑いはそう簡単に治まらなかった。
「いやなに、お前って昔からその鉛筆の握り方なのな。変わらねぇなって思ってさ」
「悪いっ!? っていうかもう癖になっちゃってるんだから、仕方ないじゃない!」
 杏子は握りしめるように持ったシャープペンを俺の目の前まで突き出した。今朝は意外な一面に不意を突かれたが、通常ならこうやって杏子をからかって遊ぶことも多い。杏子はすぐムキになる。そこが楽しいのだ。
「ううん。誰も悪いなんて言ってないよぉ。ただ、おこちゃまみたいだなって」
「おこちゃまぁ!? そんな智くんの方がよっぽどおこちゃまじゃない!!」
「はいはい、わかったわかった。そんなことより、今は真琴の事だろ?」
 俺は軽々しく杏子の肩をぽんぽんと叩きながら、膝に乗せているルーズリーフを指さした。
「うぅ……わかったわよ! あとで覚えておきなさい」
 杏子は再びルーズリーフに目を落とすと、途中までになっていた行を書き終え、俺の方に向き直った。
「これで智くんの見た夢の内容は箇条書きにしたはずだけど……何か抜け落ちてる部分はない?」
 俺はそう言われて、改めてルーズリーフを覗き込んだ。
 @絞殺されているのは真琴。
 A犯人は不明。暗がりより腕のみ見える。紐を使っている。
 B森ないしは林で起こっている。緑の木々があり、なぜか一本だけ赤くなっている。
 Cそこには未舗装の道があり、水たまりが出来ている。
 …………正しい。正しいけど……なにか忘れているような気がして、それが気になって仕方がない。
「どうしたの? 違う?」
「いや、間違えては無いんだけど……なんだろ……どこか違うような……なにか忘れてるような……」
 それを聞いた杏子は再度書いてある内容を確認すると、「どこが?」と問うような視線で俺の方を見た。しかし、俺自身、なにがどうなのか説明することも出来ず、曖昧な笑みを浮かべて、首を振るしかなかった。
「困ったわね。情報不足極まりないわ。場所も日にちもわからないし。なにより、真琴ちゃんの行動予定がわかんないんじゃ、護衛も出来ないしね」
「護衛なんかしてるのばれたら、あいつ絶対に逃げ出すぞ? 近くの森や林を片っ端からあたるか? 見つけたらそこで張り込みすれば良いわけだし」
 俺がそう言うと、杏子は大げさに腕組みして、大きくうなづいた。
「うん、場所を探す方が手っ取り早いかもね。場所が特定出来れば犯人も分かるかもしれないし。まぁ、一応念のために、それとなく真琴ちゃんの予定は聞いておくわ」
「それじゃ後は放課後に現場探しかな?」
 そう言いながら、俺はごそごそとバッグから弁当を取り出した。昼休みに突入した直後、張り切った杏子に捕まって、ここまで引っ張り出されたのだ。
「う、うん。放課後ね」
 開けた弁当から煮物の匂いが漂い出す。杏子はその匂いにごくりと喉をならした。
「……アンコ、昼飯は?」
「え!? あ、ちょっと忘れちゃってさ。っていうか、アンコって呼ぶな」
 杏子は慌ててそう言いながら、照れ隠しで頭をかく。
「パンとか買えば? 買い方がわかんないんなら、買ってきてやろうか?」
「っていうか、まぁ、ぶっちゃけるとお金も忘れたのよ」
 今度は恥ずかしそうに縮こまる。相変わらず見ていて飽きない。
「最近、朝飯食べるの止めたんじゃなかったっけ?」
「え、あ、うん…………実は今日も食べてない……」
 杏子は消え入りそうな声で返事した。どうやら恥ずかしいらしい。ダイエットの為だからだろうか? でも、男の俺から見たら、全然太ってないんだけど……、と言うか、胸の辺りにもっとボリュームが欲しいくらいなんだが……。それでも本人は痩せたいらしい。
「どうしようもないドジだな。ほら、これ食えよ。ちょっと手、つけちまったけど」
 食べ始めていた弁当を強引に杏子に手渡す。
「え!? あ、でも、智くんの昼ご飯は?」
「大丈夫。俺、朝の間にパンとか買い込んでるから」
 俺のバッグの中には、昼休み前に買い込んでおいたパンが入っている。昼飯を食べても四時五時を越えれば小腹も減ってくる。本来ならそういうとき用の非常食なのだが、別にちょっと我慢すれば良いだけの話だ。
「ホントに良いのね? 食べるわよ?」
「ホントに疑り深いな。食べろってば。別に後から金払えとか言わないから安心しろって」
 そこまで言われてようやく、杏子は笑顔を浮かべると、弁当を食べ始めた。よほど腹が減っていたのか、かき込むような勢いさえある。
「このオベント、すっごいおいしー。おばさんの料理って上手よねぇ。…………今度教えてもらおうかな?」
「あれ? アンコ、料理すんの嫌いだろ?」
 俺がそういうと、恥ずかしがってるような、すこし怒ってるような、微妙な表情を浮かべて俺を見つめた。
「嫌いだけどさ……。でもほら、いずれは必要になるかもしれないでしょ? っていうか、花嫁修業ってやつ?」
「花嫁修業ねぇ。まだ早いと思うけどさ。いずれ彼氏でも出来てからでも遅くないんじゃないか?」
 それを聞いた杏子は、ふぅと大きくため息をつき、それでも弁当は空にした。
「…………ごちそうさま。お弁当箱、洗って返すから」
「別に洗う必要ないぞ。普段だって洗ってないんだから」
 杏子は弁当箱を持ったまま、ベンチから立ち上がった。もうそろそろ昼休みの終了のチャイムがなる時間だ。
「気持ちの問題よ、気持ちの。お礼の意味も含めて、ね」
「まぁそこまで言うんなら、別に良いけどさ」
 最後の一個を飲み下すと、俺も屋上から中へ入る階段へと向かった。
「あ、ところでさ」
「ん?」
 声をかけられ、杏子の方を見ると、満面の笑顔で俺を見ていた。何かわからないまま、少しの間見つめ合ってしまう。
「…………アンコって呼ぶなって言ってんでしょうが」
 そう良いながらも杏子の顔はニッと微笑んでいる。俺もつられて笑顔を向けた。


「どうやらここじゃなさそうね」
 真琴の通う学校近くの林をかき分けながら杏子が言った。
 放課後になって、まず図書室で地図を調べ上げ、ある程度木が密集したところを探した。
 十年近く前ならいざ知らず、今となってはほとんどそういうところは伐採されて、居住地となっている。小さい頃に冒険のつもりで遠出して見つけたそういう場所も無くなっていて、これまでそう言うことを意識していなかったクセに、急に寂しさが押し寄せてきた。
 そんなこんなでやっと見つけたここだったのだが……。まず、夢に出てきたような未舗装の道路がない。それになにより、目立つはずの赤い木がないのだ。
「あぁ、違うな。夢の中の場所はもっとこう……生い茂ってたし」
「そうは言っても、真琴ちゃんが通りそうな林とか森って言ったら、ここくらいなもんじゃないの?」
 真琴の学校から家までどう歩いても、他の森や林には遠すぎる。当初は簡単に見つけられそうに思ったが、基本的に町中では森や林と言えるだけの茂みなんてそう簡単にありはしない。
「でも、どうだとしたら……連れさらわれるってことにならない?」
「そうだとしたら現場探しはお手上げだな。車とか使われるともっと遠くまででも行ける。俺達だけじゃそこまでフォローしきれない」
 俺がそう言って肩をすくめると、杏子は怒ったような顔で俺を睨みつけた。
「だからって諦めるわけ?! 自分の妹の事だよ? ほっとくって言うの?!」
「誰が諦めるなんて言ったよ?」
 杏子の真剣さが伝わってくる。俺は知らず知らずの内に杏子の頭をなでていた。
「確かに『現場探しはお手上げだ』とは言ったけどな。だからって諦めた訳じゃないって。いざとなれば、どれだけ真琴が嫌がったって見張りに付いていくし、家に閉じこめたっていいだろ。でも、それは最終手段。現場探しが無駄そうだから、別に何が出来るかって考えてたんだよ」
「…うん! そうだね!」
 杏子の単純さに俺は苦笑しながら言った。なにが嬉しかったのか、やけにはしゃぐ杏子。不意に視界の隅に風で揺れる木々が入った。
「今の……」
「……どうしたの? 今の?」
 いきなり硬直している俺を見て、不思議がる杏子。しかし、俺はそれに気を向けている余裕はなかった。杏子をその場におき、揺れた木々へ向かって俺は駆けだした。
「ちょ、ちょっと智くん!? どうしたの? 待ってってば!」
 杏子も追いかけてはくるが、足の速さでは俺の方が早い。その間はどんどん離れていく。目的の木々までは直線でたどり着くのは無理らしく、常にその位置を視界に入れながら、大きく迂回する羽目になった。
 頬や手が切れるのもかまわず、俺はその木々までの枝葉を掻き分け走る。そしてその場に到着し、見たものそれは……例の赤い木そっくりの木だった。周りの木々や茂みに囲まれて気づかなかったが、風が吹いた瞬間、わずかだが見えたのだ。
「これは……」
 木に手を伸ばす。なんとも言い難い奇妙な感触が手に走った。
「智くんってば! なんでいきなり走り出すのよ!」
 息を荒げて追いついてきた杏子もそれをみて絶句した。
「それが……赤い木なの?」
「いや、似てるけど……そっくりだけど、違うな。道路もないし、なによりこんな茂みに隠れてなかった」
 木の上の方を見上げる。木々が日を遮り、夕方ともなればすでに暗闇になるに違いない。ひょっとして道路とかは勘違いで、実はここなんじゃ無いのか? そうも思えた。しかし真琴がこんな場所まで入ってくる理由はない。
 俺はただじっと立ちすくみ、その木に答えを求めるかのように考え込んでいたときだった。
「でもさ……なんで智くんの手の周りだけ赤く染まってんの?」
 杏子の何の気もない一言で俺の思考はかき乱された。
「手の周りだけって……この木、全体が赤い色してるだろ?」
「してないって。智くんの手の周りだけ。そうね……半径にして20センチくらいかな?」
 更なる疑問が俺を混乱させた。一体どうなっているんだろう? 例の夢の場所はここで良いのだろうか? 他の人には赤く見えない木とは?
 疑問が頭の中をぐるぐると回り、次第に目眩にも似た感覚が押し寄せる。
 その時だった。
「それはその方のオーラの問題です」
 木の背後から誰かが姿を現した。真琴と同じ制服を着た長髪の女性。と言うことはこの近くの学生なのだろう。しかし……こんな茂みの奥にいるというのは明らかに不自然。しかも、茂みの中をかき分けもせず近づいてくるのは奇妙としか言えなかった。
「ムラはあるようですが、その方の力はかなり強いですね。ですからオーラを通してみれば、普通の方でも手の周りの木の色は赤く見えますし、私が近づけばこの通り、私の事を見ることも出来ます」
 杏子も俺も突然のことに驚き、今ひとつ状況を飲み込めないでいた。それを察したのか、説明をしていた女性は軽くお辞儀をして言った。
「申し遅れました。私、巴 鈴鹿と申します。数年前からこちらで自縛霊をしております」
「…………………………は?」
 ここまで愛想のいい幽霊というものも少ないのでは無いのだろうか? 俺も杏子もそのままの格好で硬直した。
「自縛霊と言うものをご存じありませんか? 自縛霊というものは……」
 俺は言葉を無くしたまま、首を左右に振った。
「あ、ご存じでしたか。では、どういたしました?」
「……………………あ、い、いや、なんでもない……幽霊ってものを見たのが初めてだから……」
 杏子より一足早く我を取り戻した俺がそう言うと、幽霊は怪訝そうな表情をした。
「おかしいですわね……あなたほどの力があれば見ないはずは無いのですが……」
「そう言われても……」
 幽霊は少し考え込むと、なんらかの結論を導き出したようだった。
「おそらく、これまでは無意識のうちに力をセーブしていたのでは無いでしょうか? そうでなければ見えないはずはありませんから。でも今はなんらかの理由で力を開放した状態にある……そうですね……さしずめ捜し物とか」
「おぉ! ビンゴ!!」
 反射的に硬直から回復したのか、杏子が驚いたように声を上げた。
「よくわかったわね、捜し物だって」
「ふふっ、生前、推理小説研究会の会長をしておりましたから」
 それは理由になるのだろうか? とりあえず俺はそんな会話を遮って、幽霊に質問をしてみることにした。
「あの、幽霊さん?」
「鈴鹿とお呼びください」
 案外自己主張が強い幽霊……。
「それじゃ鈴鹿さん、この赤い木ってのはなんなんだ? これに似た木を探してるんけど……」
 一瞬、鈴鹿さんの表情がこわばった。
「この木には……いえ、赤い木の下には、無念を抱いて無くなった人の遺体が眠っているんです。桜の木なら良く聞く噂話なんですけどね」
 杏子はヒッと鋭く息をのみ、自分の足下を見た。
「私の遺体が見える事はありませんよ。太い木々が立ちふさがっていますから、見たいと思っても掘り起こすのは無理だと思います」
 『私の遺体』と言う言葉が痛々しかった。その時の鈴鹿さんの表情が微笑んでいるのに、なぜか泣いているように見えたのは気のせいだったのだろうか?
「ところで赤い木ですが、他にはここから見える範囲にはありませんね。探すにしてもかなり広範囲に渡って探し歩かないと見つからないと思います。でもどうして、そんなものを探しているのですか?」
 今度は俺と杏子の表情がこわばった。だが、説明しないことにはなにも始まらない。俺はゆっくりと口を開いた。
「俺、昔から身近な人の死を夢で予知できるんだ。その夢の中で、今度は俺の妹が赤い木の近くで殺されてた。だから、俺はその木を探し出して妹を助けたいんだ」
「そうでしたか……そんな事が……。私にも妹がいましたから、その気持ち良くわかります……。そうだ! そう言うことなら、微力ながら私もお手伝いさせていただきます! いえ、お手伝いさせてください!」
 鈴鹿さんが大きな胸を張って言った。
「でも…………」
「『でも』? なんでしょう?」
 杏子が口を挟み、盛り上がってた気分に水を差された鈴鹿さんは少し不満気味な声をあげた。
「……鈴鹿さんって自縛霊でしょ? 手伝うって言っても……ここから動けないんじゃ……」
 ……………………三人が無言のまま、交互に顔を見合わせる。
「……あぁっ!! わすれてました!」
 そういうことを忘れるものなのだろうか? だが、鈴鹿さんはすごくショックを受けたようにその場にへたり込んだ。
「なんてことでしょう。そんな一大事にお手伝いすら出来ないなんて」
 そういう問題でもない気がするのだが、とりあえず俺はお芝居のようにさめざめと涙にくれる鈴鹿さんに声をかけた。
「……鈴鹿さんは自分が死んだことも、自分の身体を掘り出すのが難しいことも理解してるんだろ?」
「え? えぇ、まあ……」
 俺の質問が鈴鹿さんにはピンとこないのか、不思議そうな顔でこっちを見つめた。
「それじゃなんで、自縛してんの? あれってそういう理由から自縛するもんじゃないの?」
 鈴鹿さんは驚いたように大きく目を見開いて、答えない。
「それじゃ鈴鹿さんはここに居続ける必要はないわけ?」
「まぁそういうことになるんじゃないかな? 幽霊の世界はよくわからないけど」
 杏子はよくわからないと言った表情で俺に問いかけ、それに俺が答える頃には鈴鹿さんの顔は驚きと喜びに包まれていた。
「………………わ、私、やってみます!」
 拳を握りしめ、決意を決めた鈴鹿さんはそう言うと、すすっと宙を滑るように移動し始め、木から離れていった。しかし、その鈴鹿さんと木を結ぶ糸のようなものがピンッと張りつめると、鈴鹿さんは引っ張られ、それ以上進めないようだった。
「がんばって、鈴鹿さん!! あともうちょっと!!」
 杏子からなんの根拠もない激励が飛ぶ。しかし鈴鹿さんも方もそれに乗せられて何度と無くチャレンジを繰り返していった。その内に、気付くとその糸状のものは徐々に細くなっていく。
「後ちょっと! がんばって!」
「ほら、がんばれ! 鈴鹿さん!」
 杏子の声と鈴鹿さんの頑張りに、思わず俺まで声をかけていた。
「んっ!! ん〜〜っ!!」
 まるでバラエティー番組でよくある、ゴムを身体に付けて引っ張る競技のように全力で木から離れようとする。しかし伸びることはあっても、切れそうにはない。このままでは埒があかない。
 俺はなにか手伝えることは無いかと考えた。そしてひょっとしたらと思い、鈴鹿さんの前に出て、鈴鹿さんの手を取ってみた。触れる!
「ど、どうしたんですか?」
 突然手と握られたせいか、赤面する鈴鹿さんに答えず、俺はそのまま体重をかけて引っ張った。
 プッチン……
 案外軽い間抜けな音を立てて魂の糸が切れた。
「や……やったぜ、鈴鹿さんっ!!」
「これで晴れて自由ねっ!」
 俺と杏子が声をかけると、最初呆然としていた鈴鹿さんはなんの前触れもなく涙をこぼし始め、いきなり俺に抱きついてきた。杏子の表情が強張り、次に引きつった。
「わ、私、ここにいなくても良いんですね? 他に行っても良いんですね? ずっと……ずっとここにいて寂しかった……寂しかったんですよぉ」
 杏子の視線はどんどん不機嫌なものに変わっていくが、それをあえて気にせず、俺は鈴鹿さんの頭を撫でてやった。あくまで想像の範囲内でだが、鈴鹿さんが寂しかっただろう事は痛いほど感じ取れた。
 幽霊とはいえ自我のある高校生、しかも女の子なのだ。心細かったに違いない。まして家族も、鈴鹿さんがここにいることを知らないわけだ。いきなり家族と離され、誰も来ない場所で一人っきり……。その寂しさときたら、きっと杏子や真琴には耐えられないものだろう。
 幽霊と言うものは良くわからないおかしな挙動をすると怪談話で良く聞くが、それはそういうところから精神がおかしくなってしまうのではないだろうか? 俺はふとそんなことを考えた。
 そんな事を思っていた時だった。突如として鈴鹿さんが大声を上げた。
「あっ!!」
「なんだ? どうした?」
 俺が鈴鹿さんの方へ目をやると、鈴鹿さんは恐縮した表情で自分の手を見せた。その手首から伸びた魂の糸は紛れもなく俺の手首に繋がってしまっていた。
「こ、これは……」
「自縛霊じゃなくなったら、今度は背後霊になっちゃったみたいですね」
 ……………………誰もが一瞬無言になった。
「って……言うことは?」
 おそるおそる俺は質問を口にした。
「これから……よろしくお願いします」
 恥ずかしそうに深々と頭を下げる鈴鹿さんを見た杏子は拳をわなわなと震わせながら叫んだ。
「……冗談じゃないっ!!」


「おはようございます」
 俺が目を覚ますと視界いっぱいに女性の顔が飛び込んできた。
「…………おはよ」
 そう答えておいて、俺は寝ぼけた頭をフル回転させ、状況の理解を試みた。
 ……あ、そっか。昨日あれから鈴鹿さんは俺に憑いてきたんだっけ。まぁ、背後霊と化しちゃったんだから仕方ないっちゃあ仕方ないか。
 鈴鹿さんは能力開放状態の俺に取り憑いている間は普通の人からも見えるらしく、そのままでは家族に説明が出来ないため、意識的に姿を消していてもらうことにした。
「ほら、早く起きましょう。いい天気ですよ」
 そう言うと鈴鹿さんはカーテンを全開にした。差し込んでくる朝日がまぶしい。
 健康的な幽霊って言うのもなんだかなぁ。俺は心で苦笑しつつ、ベッドから出てパジャマ代わりのTシャツと短パンを脱ぎ捨てた。
 ふと…………視線を感じる? 周りを見回してみると、鈴鹿さんが赤面しながらベッドに座り込んでマジマジと俺の乱暴なストリップを凝視していた。ふと、目線が交わる。
「あの……鈴鹿さん?」
「あぁっ! すいません、消えておきますから!」
 そう言うと徐々に姿が透過していく。
「ちょ、ちょっと! 消えてたっているのはいるんでしょ?」
「そりゃまぁ、背後霊ですから……」
 それじゃ全然意味がない。俺は頭を抱えた。今後どこへ行こうがなにをしようが、見張りが付いているようなものなのだ……。ん? ちょっとまてよ……。
「あの……それじゃ風呂やトイレにも……?」
 俺がそう言うと、鈴鹿さんはいきなりこれまでになく赤面し、慌てふためいた。
「い、いえ、お風呂はその……見てない……ことはありませんけど、その……だ、大丈夫です。トイレの方は個室が小さいので外で待つことも可能なので、大丈夫です……」
 なにが大丈夫なのか? おそらくは聞いても明確な答えは出てこないと確信した俺は、半ば諦めて制服のズボンに足を通した……その時だった。
「智くん!」
 ノックもなしに部屋の扉が開かれた。ベッドに座る鈴鹿さん、半裸の俺。それを見た杏子は次の言葉も発することが出来ずにその場に立ちすくんでいる。
「ア、アンコ……あのな……」
 別に杏子にどうこう言い訳する必要は無いのだが、勘違いされて騒がれるのはイヤだ。とりあえず俺は真実だけは言っておこうと、杏子に近づいた。
「さ……」
「さ?」
 杏子がぽつりと言葉をもらした。しかし意味がわからず、オウム返しに尋ねる。
「さ……さっさと服を着なさいって!!」
 杏子は怒気を込めて、言葉と近くにあったクッションを俺にぶつけると、怒ったようにそっぽを向いた。
「それと、アンコって呼ぶなっ!」
「なんでそんなに怒るんだよ……」
 俺はぶつぶつと文句を言いながら、手早く制服を身につけた。
「怒ってない! それより大変なんだってば!」
 俺が服を着終えたことを確認すると、杏子はいつもよりかなり慌てて言った。
「大変って、なにが……」
「おにいちゃん、杏子ちゃん、あんまり騒ぐとご近所迷惑だってば」
 丁度学校へ行くところなのか、俺の部屋の前を通りがかった真琴が中を覗き込みながら言った。苦笑を浮かべて。
「お、わりぃ……って、なんでお前そんな格好してんの? お前んとこ今日が体育祭だっけ?」
 真琴はなぜだかジャージを着ていた。
「体育祭は先々週に終わったよ。今日から二泊三日で野外研修に行くの」
「野外研修!? 二泊三日って……土日含めて!?」
 俺の頭の中で何かが弾けた。そうだ……。杏子のメモを見たときの違和感……それはこれだったんだ。夢の中の真琴はジャージを着ていた。ふと、杏子の方を見ると軽くうなずいた。杏子が言おうとしていた「大変」はこの事だったんだ。
「どうしたの、おにいちゃん。杏子ちゃんと見つめ合っちゃって」
 事情を知らない真琴はのんきにそう言うと、にこりと微笑んだ。
「あたし、杏子ちゃんがおねえちゃんになるんなら反対しないよ」
「あのなぁ……ぜんっぜん違う。そういうことじゃねえって」
 訂正する俺の声に、あえて耳を貸そうとしない。
「あ、でもこの年で叔母さんになるのはやだなあ」
「ばっ、馬鹿なこと言ってないで、さっさと行け! そろそろ遅刻するぞ」
 そう言われて時計を見た真琴は、慌てて階段を駆け下りていった。どうやら図星だったらしい。真琴は早め早めに行動し始めるものの、のんびりした性格なのか、結局ぎりぎりになってしまうことが多い。でも、杏子みたいにぎりぎりで行動して慌てたあげく、パニックに陥って結局遅刻してしまう人間より格段に良いと思う。
 真琴の姿が消えるのを見計らって、鈴鹿さんが姿を現した。どうやら真琴の気配を察知して、あらかじめ消えておいてくれたようだった。
「ねぇ……ひょっとしたらその現場って野外研修の……」
「うん。俺もいまそう思ってたところなんだ」
 もしそういうことなら、事件は今日明日にも起こる。もっと確実な情報が無いと手遅れになってしまうかもしれない。気だけがどんどんと焦っていく。
「私と真琴さんは同じ学校のようですし、野外研修には私も行ったことがありますので、その夢の映像を見せていただければ何かわかるかも……」
「見せるって言っても……」
 どうすれば良いのか? 俺がそう口にするより早く、鈴鹿さんは突如片手を俺の頭に突っ込んだ。頭の芯が冷たさを感じていた……ような気がする。
「ひいぃっ!!」
 目のすぐ上から伸びる腕の怖さに身動きはとれなかったが、視界の隅に立ちすくんでいる杏子の表情は真っ青に染まり、今にも倒れ込みそうになっていた。後から聞いた話では俺も似たようなものだったらしいが。
「智之さん、夢で見た光景を詳しく思い浮かべてください」
 鈴鹿さんの声に促され、俺はぎゅっと目を閉じ、必死の思いで夢の映像を頭に思い浮かべた。普通の夢なら起きてしばらくするとおぼろげになっていくが、なぜかこの夢だけはまるでビデオにでも撮ったかのようにありありと思い浮かべることが出来た。
「わかりました……」
 鈴鹿さんの声がして頭から妙な喪失感を感じて目を開く。疲れ切ったように床に座り込んだ杏子と、何故だかとても険しい表情をした鈴鹿さんが見えた。
「やはり、その場所は野外研修の宿泊所の近くです。そして時間はおそらく明日の夜……少なくとも六時以降ですね」
 その鈴鹿さんには何故だか怒りとも憎しみともつかない感情がこもっているように感じた。そしてそのいきなりな内容に、元々すぐには言葉を発せられそうにない俺と杏子は一層言葉を無くした。
「……あの腕……おそらく、私を殺したのと同じ腕……」
「!? お、同じ犯人!?」
 俺はその言葉にショックを受けた。まさか夢の中で真琴を殺す犯人と、鈴鹿さんを殺して埋めた犯人が同一人物だなんて……。偶然と言うものは複雑で残酷だと思った。いや、ここまで来ると運命と言い換えても良いだろう。
 ふと見ると、鈴鹿さんの瞳に危険な光が宿っていた。怨み……きっとそういう事なのだろう。自分を殺し、なおも犯行を続ける犯人。その思いを俺は伺い知ることは出来ない。しかし、だからといって……。
「許せない……絶対に許せない……」
「ちょ、ちょっと……鈴鹿さん?」
 鈴鹿さんは長い髪を逆立たせ、まるで物語に出てくる怨霊のように見えた。部屋の中は風ではない何かが吹き荒れ、物が飛んだり本が崩れたりし始めている。杏子は恐怖のあまり震えながら壁に張り付いている。
 俺だって怖いけど、無理矢理笑顔を作って、鈴鹿さんを落ち着かせようと声をかけた。しかし、そうなりそうな気配はない。
「殺してやる!」
「だめだ! やめろ、鈴鹿さんっ!」
 俺は全力で風ではない何かに逆らいながら鈴鹿さんに近づいた。
「鈴鹿さんがそんなことしちゃだめだ! そのまま怒りに任せたら、鈴鹿さんも犯人と同じ人殺しになっちまう!」
 吹き飛ばされないように気を付けながらじりじりと鈴鹿さんに近づき、それでもやっと俺は鈴鹿さんの肩を掴んだ。まるで氷のような冷たい感覚に、皮膚が切れたかと思うほどだった。
「俺はイヤだぞ! 自分の背後霊が怨霊になるなんて! それにそんな顔、鈴鹿さんに似合ってない! そんな鈴鹿さんみたくない!!」
 俺は思いきり鈴鹿さんを抱きしめた。驚きからか、目を見開く鈴鹿さん。その瞳にはもう危険な光は消え去り、一滴の涙がこぼれ落ちた。
「犯人は俺がなんとかするから! 鈴鹿さんは昨日みたいに微笑んでてよ!」
「あなたが……私のなにを知っていると言うのですか……?」
 小さな囁きが耳元で聞こえた。同時に逆立っていた長い髪が、ぱさりと俺の腕にかかるように落ちてきた。吹き荒れていたものも収まっていく。
「昨日会ったばかりなのに……私は幽霊であなたは生きてる人間なのに……なのにどうして、あなたの言葉はそこまで私に届くんですか?」
 鈴鹿さんは大粒の涙をいくつも流しながら俺の顔を見つめた。
「あなたが私を見ることが出来て、触れられるから?」
 鈴鹿さんの手が俺の手を取り、自分の胸へと押しつけた。大きく柔らかな胸が大きくひしゃげてたわむ。
「木の呪縛から解き放ってくれたから? 背後霊になることを許してくれたから? 今、危険をかえりみず怨霊になりそうなのを救ってくれたから?」
 俺が答えられずに立ちすくんでいると、鈴鹿さんはそのまま俺の胸に寄り添ってきた。そして、自分が発した問いに首を左右に振って答えた。その時なぜか鈴鹿さんの髪から良い匂いがした……ような気がした。
「多分、それ全部が……理由なんです……。幽霊になった私が、生きている人に言ってはいけないことなのかもしれませんけど……私、智之さんのことが好きになってしまったようです……」
「鈴鹿さん……」
 頼りなく不安げに揺れる瞳。それが俺の気持ちを知りたがっているのか、まっすぐ俺の目を見つめていた。
「俺……良くわかんないけど……でも鈴鹿さんを木から助けてあげたいと思ったし、背後霊になられてもイヤだと思わなかった。鈴鹿さんが怨霊になるのはイヤだったし、出来ればこれからもいてくれた方が楽しいと思う……」
 そう言うと、鈴鹿さんはゆっくりと目を閉じた。そっと壊れ物に触れるように肩を抱きしめる。微かに震える彼女の肩が頼りなげで、愛おしかった。
 ゆっくりと唇に唇を重ねる。柔らかい感触が、普段の俺には見ることすら出来なかったものだと思うと不思議に感じた。
「智之さん、暖かい……」
 鈴鹿さんは真っ赤になった顔を見られまいとしてか、抱きつく腕に更なる力を込めて顔を埋めてくる。
「抱いて……いただますか?」
 俺の腕の中で、彼女は呟くようにそう言った。すると、彼女の着ていた物が徐々に透けはじめ、触れている手の感触も布のそれから肌のしっとりしたものに変わっていった。
 ふっと杏子の方に目をやる。ぐったりと床に座り込んでいた。どうやら気絶しているようだった。
「すいません……杏子さんには気を失っていただきました……しばらくは起きません。ドアも……開かないようにしました……」
 俺の視線に気づいてか、申し訳なさそうにそう言った。
 俺は少し罪悪感を感じながらも、答える代わりに赤く染まりつつある鈴鹿さんの首筋に口づけした。
「んっ……」
 軽く身をよじるとたわわな乳房が揺れる。
 俺はともすれば倒れ込みそうになる鈴鹿さんの身体を支えながら、首から鎖骨、そして胸の谷間へと少しづつ位置をずらしながら、口づけを繰り返した。
「くぅ……ん」
 彼女はキスされるたびに身体をびくっと震わせ、指を噛むようにして耐えていた。
「鈴鹿さん……」
 俺は片手を乳房にあてがうと、そっと持ち上げるように触った。とても柔らかで俺の手に合わせて形を変えていく。
「ひっ……あ……」
 新たな刺激に膝をつきそうになる鈴鹿さんを、ゆっくりとベッドの上へと倒し込んだ。白い肌が赤く染まっている。美しい……。俺は素直にそうおもった。
 思わずまじまじと見つめる俺の視線に恥ずかしそうではあったが、どこか嬉しそうに俺に微笑みかけてくれている。
 俺は再び乳房に手を伸ばした。今度は覆い隠すように手を乗せると、円を描くように刺激した。手と乳房の間では乳首がこねまわされ堅さを増している。
「ああっ! 智之さんっ! わ、私……」
 何か言おうとする鈴鹿さんの言葉を遮るように、俺は乳首に軽くキスするとそのまま口にふくんで吸った。舌先で執拗に乳首の先を突っつくと、鈴鹿さんの身体は痙攣でもするかのように大きく震えてくる。その快感に耐えようとしてなのか、彼女は俺の頭を乳房に押しつけるように抱きしめた。
 俺はそのまま片手を彼女の膝へ滑らせた。
 ビクッ!
 いきなりだった為の驚きか、鈴鹿さんは全身を硬直させたが、徐々にその力を抜いていった。
 膝を撫でるように触った後、ゆっくりとそれを太股へと移動させた。無駄な脂肪の付いていない、でも筋肉質でもない足の肌が触っていて気持ちよかった。
「んぅう……」
 冷たかった鈴鹿さんの身体が少しづつ熱を帯び、しっとりと汗ばんできている。
 俺は太股を撫でていた手を内股へ潜り込ませた。鈴鹿さんは恥ずかしさで反射的に足をぴったりと閉じている。
「智之さん……私これ以上は……恥ずかしいです……」
 鈴鹿さんは両手を自分の頬にあて、潤んだ瞳で不安そうに俺を見つめていた。
「それじゃやめておく?」
 鈴鹿さんの不安を少しでも和らげるため、そっと髪を撫でた。汗と髪の匂いが混じり合い、良い香りが立ち上る。
 鈴鹿さんは泣きそうな表情にうって代わり、ふるふると首を左右に振った。目を閉じ、唇を噛むようにして、ゆっくりと太股を開いていく。
 恥ずかしいなら無理しなくても……。そうは思ったが、その恥ずかしさに耐えてでも俺に合わせようとしてくれていると思うと、彼女への想いは増していった。
 そっと手で股間を覆うと、手のひらに熱気を感じた。そっと中心を指で押し開く。むせ返るような熱と液が溢れるように出てくる。
「鈴鹿さん……」
 俺がそれだけ言うと、彼女はこくりとうなづいた。
 鈴鹿さんの足の間に身体をずらし込んで、膝立ちになると、ズボンとパンツをずらし下ろした。鈴鹿さんの視線がそこに注がれる。
「……そんなにじっと見られたら恥ずかしいんだけど」
「あっ……ご、ごめんなさい」
 彼女が目をそらすのを待って、俺はペニスを彼女の股間に数回こすりつけた。
「はっ……ひぁっ!!」
 ベッドのシーツを握りしめて、彼女は身体を仰け反らせている。俺はそのまま手を彼女の腰のあたりに回して抱え込んだ。
「あっ!! と、智之さん……!」
 驚きの表情で彼女は俺を見つめた。これからなにが起こるかも理解しているのだろう、ある種の覚悟のような色も見受けられる。
 俺のペニスはすでに鈴鹿さんから溢れ出た愛液で覆われていた。これなら大丈夫だろう。俺はペニスの先端を彼女の膣口にあてがうと、前のめりに唇を重ねながらゆっくりと彼女の中へ押し込んだ。
「んぐ……くふっ!!」
 鈴鹿さんは思い切り歯を噛みしめながら、その異物感や破瓜の痛みに耐えている。彼女の中は俺のものの侵入を拒み、押し出そうとするかのようにせまくてきつかった。だが、軽く体重をかけると、それは抵抗を残しながらも徐々に奥へと受け入れていく。
 俺は彼女の痛みを少しでも和らげられればと思い、目の前で震える彼女の乳房を口にふくみ、強めに吸った。もう片方は先端を指でつまみ、軽くはじくようにいじった。すると、彼女の中は焼けるような熱い液体で満たされ、徐々に痛いほどの抵抗感は気持ちいいと言える程までに変わっていった。
 再度、若干の力を込めてペニスを押し込む。そしてとうとう、これ以上奥へ進みようがないところに達した。ぴったりと俺と鈴鹿さんが一つになっていることを感じていた。
「ふあぁっ!!」
 鈴鹿さんの身体が仰け反りながら、時折軽く痙攣したように震えていた。
「鈴鹿さん、大丈夫?」
 その問いの答えに、鈴鹿さんは涙目のままにっこりと微笑んだ。
 俺はその反応を痛くないと言うことだと思うことにして、奥まで入っていたペニスを入り口近くまでゆっくりと引き出した。鈴鹿さんの中が喪失感に震えた。しかし再び押し込むと気持ちのいい抵抗感を持ちながら受け入れてくれた。
「あっ……あふっ……とも……ゆきさ…………ぁん……」
 鈴鹿さんはいま自分に起こっている感覚にどう対処して良いのかわからない様子で、戸惑ったように名前を呼びながらただ俺の目を見つめていた。俺はそんな鈴鹿さんがかわいいと思った。それまで綺麗だとは思っていたが、いきなりそんな感想が頭をつき、俺はその戸惑いを少しでも埋めたくなり、思い切り抱きしめた。
 彼女もそれに答えるように俺の背に手を回し、キスを求めてきた。唇を合わせ舌を絡め合う俺と鈴鹿さん。俺はもう欲望と衝動に任せて激しく腰を動かしていた。
「んっ! んあっ……ふっ…………ああっん……」
 断続的に鈴鹿さんの声があがる。俺も自分の下半身への快感に思わず声をあげそうになるが、かろうじてそれは耐えた。だが、それがもう持ちそうにないのは自分でわかっていた。
「鈴鹿さん、俺……もう……」
「わ、私も…………」
 俺は鈴鹿さんの身体を壊しそうなほど抱きしめた。同じように彼女も、その細い腕のどこにそんな力があるのかわからないほどの力を、俺の背に回した手に込める。
 ガリリッ!
 不意に激痛が走った。鈴鹿さんの爪が俺の背中に触れ、思い切り引っ掻いたのだ。
「くっ!! あっ……んぅ…………」
 その痛みに、俺の集中力は途切れて、そのまま鈴鹿さんの中へ精液を吐き出し始めた。身体中から力が抜け、鈴鹿さんを抱きしめたままその上にのしかかる。
「あっ……熱い……です…………智之さんの……」
 俺は虚脱感に任せたまま、鈴鹿さんの中にすべて吐き出し終えるまでそのままでいた。鈴鹿さんはたまに大きく身を震わせながらも、同じようにベッドに身を沈めていた。お互いが落ち着くまでの数分間、俺と鈴鹿さんはそのままで抱きしめ合った。
「鈴鹿さん……ごめん。その……俺、中に……」
 俺がそう言うと、鈴鹿さんはくすっと笑った。
「多分大丈夫ですよ、私、幽霊なんですから」
「あっ、そっか」
 触れるし話せるし、ましてや…………。俺はすっかり彼女が幽霊だと言うことを忘れてしまっていた。
「それよりも……いくら真琴さんより学校が近いと言っても、そろそろ出ないと遅刻ですよ?」
「ああっ!! 忘れてた!」
 俺は慌ててだるい身体を起こし、再び身支度に取りかかった。
「いつっ!!」
 制服のシャツを着ようとすると、背中の傷がつっぱって痛みが走る。
「あっ……す、すいません、爪を立ててしまって……」
 鈴鹿さんはそう言いながら俺の背後に回り込み、シャツをめくりあげた。血はなぜか出ていないものの、ヒリヒリとした痛みは続いている。
 鈴鹿さんがゆっくりと舌でその傷を舐める。背中にゾクゾクとした感覚が伝う。途端に傷の熱さや痛さが引いていった。
「これで……治るまでの間くらいなら痛みは消えていると思います……」
 背中に頬を触れさせた鈴鹿さんはそう言った。頬から鈴鹿さんの身体の火照りが伝わってくる。急に気恥ずかしくなって、俺はそっと身体を離してシャツを下ろした。
「ところでさ……」
 ほとんど身支度を終え、ふと疑問を思い出し、杏子を起こそうとしている鈴鹿さんに声をかけた。
「なんで明日の晩ってわかったんだ?」
「あぁ、それは月が水たまりに映ってたからなんですよ。月の欠け方を見れば、あの月が明日の月だって事はわかります」
 なるほど。さすがは元・推理小説研究会会長だけのことはある……かな? 自慢げに鈴鹿さんがそう言っていると、杏子がゆっくりと目を開いた。寝ぼけてるみたいに周りをキョロキョロ見回し、鈴鹿さんを認識すると身を強ばらせた。
「……先ほどはどうもすいませんでした。逆上して怖がらせるようなことをしてしまいました」
 丁寧に謝る鈴鹿さんに、杏子は少し恐怖感が拭いきれないような表情をしながらも微笑んで、気にしていないことを表した。
「あ……アタシ気絶してたのね……っていうか、時間やばいって! どうしてもっと早く起こしてくれなかったのよ!」
 杏子はそう言うとバタバタと立ち上がり、走って部屋から出ていった。
「なんだかな、あいつは」
 俺がそう言って苦笑していると、鈴鹿さんはくすくす笑っていた。
「さて、俺たちも行こうかな。ぐずぐずしてるとホントに遅刻だ」
「はい、そうですね」
 鈴鹿さんが俺の背中にもたれかかり姿を消すと、俺は杏子を追いかけた。


「はぁ? それが作戦?」
 昼休みの屋上。本番を明日にひかえての作戦会議。その場で俺は自分の考えた作戦を披露した。しかしそれを聞いた杏子の反応は、口にくわえた弁当のエビフライをこぼさんばかりの驚き……あるいは呆れだった。
「そう。作戦だ。これならなにも心配することはないだろ?」
「でもそれだと、智之さんが危険では?」
 姿を消したままの鈴鹿さんが心配そうな口調で言った。ちゃんと俺にくっついているようだ。
「危険かどうかはやってみなきゃわかんないって」
「でもさぁ……」
 杏子は今ひとつ乗り気でない。箸を止め、困ったように俺を見ている。
「まぁ、これが最善とは言わないし、他に打つ手があるかもしれないけどさ。でも、今日の明日だぜ? 一番簡単でしかも確実なのは、俺にはこれくらいに思えるんだけどな……」
「先に犯人を見つけだせば……」
 杏子はそう言いながら考えているのか、弁当に視線を落とし、食べるでもなく箸でおかずを突っついている。
「まだ起きてないことに証拠はないだろ? 見つけたところでどうしようもないんだよ。例え鈴鹿さんの事で詰め寄ったとしても、しらを切り通されたらそこまでだ。それ以上どうしようもないし、確かに犯人が警戒して真琴は助かるかもしれないけど、数日後か数ヶ月後か数年後、どっかの女の子が被害にあうかもしれないんだぜ?」
 俺は二人に言い聞かせるように言った。今回の事のきっかけは確かに真琴のことかもしれない。でもその犯人はその前に鈴鹿さんを、そしてひょっとしたらその後も繰り返しているかもしれないのだ。許せる相手ではない。俺は心に決めていた。
「犯人を……捕まえるんだ」
 その決意を口にすると、鈴鹿さんはもう何も言わなかった。
 ただ、杏子はなにやら複雑な表情を俺に向けている。
「わかるけど…………」
 杏子はそう呟いた。目頭に光る物が見えた。
「わかるけどヤダっ! 智くんの言ってることはわかるし、すごい大事なことだと思う。でもヤダ! どうして智くんがしなきゃいけないの?」
「そりゃ……俺が夢で見たから……」
 勢いに気圧されて口ごもるように言う俺の服を掴み、なおも杏子は続けた。
「わかってるよ! それくらいわかってる! でもヤなの! ヤなの!!」
 杏子は叫ぶようにそう言うと、思い切り立ち上がった。膝に乗せていた弁当箱が床に落ちて中身がひっくり返る。しかしそんなことを気にする様子もない。
「智くんのばか……」
 涙ぐんだ杏子は少しの間俺を睨みつけ、俺が呼び止める間もなく走って校舎の中へ消えていった。
「…………困ったな……」
 俺は頭を抱え込んだ。杏子があそこまで怒ったのを見るのは初めてだった。あんな悲しそうな顔も、俺は見たことが無い。
 杏子を誘うのは無理かな? そうも思ったが、作戦の面で言えば杏子がいなければ、成功どころか実行すらままならない。
「……追いかけなくて良いんですか?」
 周りに誰もいないことを確認して、鈴鹿さんが姿を現した。ここは屋上でも物陰になっている場所で、密かな専用の穴場となっている。
「いますぐに追いかけて何を言っても、怒ってる以上火に油だろうし。まぁ、落ち着いたくらいに話しに行くよ……」
 俺は杏子が落とした弁当箱を拾い、ぶちまけられた中身はホウキとチリトリで集めるとゴミ箱へと捨てた。
「杏子さんの気持ち、私にもわかりますよ……」
 鈴鹿さんがぽつりと言った。
「誰かがしなきゃいけない、しかもそれは智之さんにしか出来ないって事は彼女も理解していると思います……。でも、感情がついてこない……納得できないんですよ……」
 きっとそういうことなのだろう。杏子は自分の感情をコントロールできないでいるのだ。だからといって、杏子を説得する方法は思いつかず、作戦をやめることは出来ない。
「私はほら、もし智之さんになにかあったとしても一緒に幽霊すれば良いだけのことですから。でも杏子さんにすれば、それが怖いんでしょう」
 少しふざけ口調で言う鈴鹿さんに、俺に対する気遣いを感じて少し楽になった。
「でも、すぐにわかると思いますよ。智之さんは『作戦』を諦めないでしょうし、その智之さんを助けられるのは自分だけだって」
「……だと良いけどね。なにしろアンコは物わかりが悪いから。いつでも最後まで諦めないしさ」
 俺は鈴鹿さんに苦笑してみせると、弁当箱を二つもって校舎の中へと戻り、次の休み時間を待って、杏子のクラスに行ってみた。
 教室の中を覗き込むと一番近くに中学の時に同じクラスだった女子を見つけた。同じタイミングで向こうもこっちを向いたので、手を振って合図を送る。
「よぉ、久しぶり」
「久しぶりって……まぁ久しぶりだけどぉ。どうしたの? 珍しいじゃない」
 話の途中だったのか、一緒に座って話し込んでいた相手をチラチラと気にしている。
「あ〜まぁな。ちょっとアンコに用事があるんだけど……」
 これで通じるほど、同学年の相手には杏子の「アンコって呼ぶな」は有名なのだ。まぁ、そう言われてもずっと呼び続け、それにあいつが言い返し続けてるのが理由なのだが。
「あぁ、杏子? 杏子はぁ……」
 そう言いながらフッと俺の持つ弁当箱に目をやる。そしてにやっと笑った。
「愛妻弁当で夫婦喧嘩?」
「そんなんじゃねぇよ。大体あいつの料理が食えるか」
 杏子は自分で作った料理の味見をしない。なぜだかしない。だから美味しくもなく不味くもない、微妙な死線を行ったり来たりしてるような味付けの料理が出来るのだ。正直に言って、あえて食べたいとは思わない。
「そう? でも、ざーんねんでした。杏子、昼休み後に調子悪くしたとかで早引けしたよ?」
「………………そっか。ありがとよ。帰りでも家に寄ってみるわ」
 俺がそう言うと、変ににやにやしながら自分の席へと帰っていった。さっきまで話していた友達も一緒になってこっちに好奇の目を向けている。
 週明けからきっとアンコはからかわれるんだろうなぁ。俺は内心で謝りながら杏子のクラスを後にした。


 ぴんぽぉん……ぴんぽぉん……
「はぁい、どちら様ですかぁ」
 呼び鈴を押すと、ドアの向こうから杏子の母さんの声がした。
「あ、智之です……」
「智之ちゃん? ちょっと待ってね」
 杏子の母さんはそう言うと、ドアを開けて出てきた。
「アンコ、帰ってます?」
「昼くらいに帰ってきたわよ。なんだか調子が悪いとか言って部屋にこもりっぱなしだけど」
 俺はちらりと二階に目をやった。玄関の真上が杏子の部屋になっているのだ。案の定、カーテンの隙間から誰かがこっちを見ている。
「ふぅん……。あ、これ、アンコが忘れていった弁当箱」
 そう言って杏子の母さんに弁当箱を渡すと、杏子の母さんは俺に耳打ちしてきた。
「何かあったの?」
「え? いや、別になんにも」
 杏子の母さんはそれを聞くと軽くため息をついた。
「そうよねぇ。相手が智之ちゃんだもん。押し倒されたとか無理矢理されちゃったとか、あり得ないもんねぇ。あ、でも、だからかも……」
 二階から抗議するように、暴れている音がする。やはり聞き耳たててたか。
「…………もしもし、おばさん?」
「案外、喜ぶかもしれないわよ? でもまだおばあちゃんにはなりたくないから、それだけは気を付けてね」
 …………なんとなくだが真琴と杏子の母さんの仲が良い理由がわかった気がした。
「それはともかく、調子悪いんなら気を付けろっていっといてもらえます?」
「良いけど……あがって行けば? 本人から言った方が喜ぶと思うわよ?」
 俺は門の外に出てもう一度二階の窓を見上げた。それに気づいたのか覗いていた人物は慌ててカーテンを閉め、隠れるように奥へ動いていった。
「いや、今日は止めときます。明日は用があるから、来れるようなら明後日にでも」
「そう? それじゃまたね」
 杏子の母さんはドアを閉めて中へ入っていった。
 俺は最後にもう一度だけ二階の窓を見上げ、それから自分の家に帰った。


「智之さん、起きてます?」
 暗い部屋の中、ベッドに転がってみても、明日起こる事を考えたらなかなか眠りにはつけなかった。
「起きてるよ」
 俺がそう答えると、ぼんやりと鈴鹿さんが姿を現した。
「どうするんですか、明日……」
「どうするもなにも、作戦は使えないから……。まぁ行って見て考えよう。場合によったら犯人が真琴を襲う時に、張り込んでおいて逆に襲うとか……。困ったな、体力には自信ないんだけど」
 鉄パイプか木刀でも持っていくか……。確か物置にそんな感じのもん、いくつかあったよな……。
「私が生身なら、お手伝い出来るんですけど……」
 鈴鹿さんが悔しそうに言った。俺は手を伸ばし鈴鹿さんの頭を撫でた。
「鈴鹿さんのおかげで場所と時間がわかったんだ。そうじゃなきゃ、いつどこで起こるかわからない事件に怯えてなきゃいけなかったわけだし。鈴鹿さんがいてくれて、ホントに助かったよ」
 俺がそう言うと、鈴鹿さんは俺の手を取り自分の頬に当てた。冷たさの中にどこかほんのりとした暖かさを感じる。俺の中で彼女が幽霊だと信じ切れていない部分があるのは、そう言うところからかもしれない。
 そのまま鈴鹿さんを引き寄せる。何かを察したのか、鈴鹿さんはそっと目を閉じた。鈴鹿さんの唇と俺の唇が近づく……。
 コンコン……
 部屋の窓がノックされた。あともうちょっとだったのに…………。俺の部屋は二階にあるので、そんなところの窓をノックするヤツなんてそうはいない。
 俺には相手が誰だか大体わかっていたが、鈴鹿さんは反射的に姿を消した。
「アンコか?」
「アンコって呼ぶな。っていうか、窓開けてよ。寒いんだけど」
 ふてくされたような声に、俺はカーテンと窓を開け、杏子を中へ招き入れた。
「こんな時間にどうした?」
 そう言っても杏子は不機嫌な表情のまま床に座り込み、そっぽを向いている。
「なんだよ、用があるから来たんだろ?」
 杏子はキッと俺をにらむと、手に持っていた紙袋を投げつけた。
「いてぇだろ。なにすんだよ」
「頼まれてた物よ。それがなきゃ作戦できないんでしょ……」
 次第に杏子の声が小さくなっていく。
「ねぇ……どうしてもするの? ホントに?」
「やる。これはもう真琴の為だけじゃない」
 俺は投げつけられた紙袋の中を確認しながら答えた。頼んでいた物は全部用意されているようだった。
「死んじゃったらどうするの? 相手がすっごく強かったら……」
「きっと大丈夫だろ……と思うしかないだろ」
 それを聞いた杏子はいきなり立ち上がって、俺の服を掴み前後に激しく揺さぶった。
「そんなのヤダよ!」
 そう叫ぶ杏子の目からは涙がこぼれていた。
「そんなのヤダ……好きな相手に告白も何もしないまんま死なれたら、アタシはどうすれば良いのよ!」
「アンコ…………」
 俺が杏子の肩に手をかけると、杏子はそれを振り払った。
「アンコって呼ぶな……」
 そう言いながら、杏子は袖で涙を拭い、俺をじっと見据えた。
「アタシ、ずっと……ずっと昔から智くんが好きだった。今でも……幽霊女になんか負けないくらい好きなんだから」
 杏子は自分の上着に手をかけると、そのまま一気に脱ぎ去った。
「ちょ……お前、なにするつもりなんだよ」
 俺は慌てて、次はスカートを脱ぎ捨てようとする杏子の手を押さえて止める。
「鈴鹿さんがいることだってわかってるんだろ?」
「わかってるわよ! でも鈴鹿さんが背後霊になっちゃったってことは、見られるの気にしてたら一生無理じゃない! それならこっちから見せつけてやるの!」
 じたばたともがき暴れる杏子。
「なんでそんなヤケになるんだよ! ちょっとは落ち付けって」
 半ば怒鳴るようにそう言うと、突然杏子はぴたりと暴れるのを止めた。
「ヤケなんかじゃないわよ……」
 まるで立たされた子供のようにうつむきながら杏子が言った。
「智くん、わかってない……もし明後日になって、智くんがいなかったら、アタシはどうすれば良いの? 今日中に全部を伝えておかなかったら、絶対後悔するに決まってるじゃない」
 杏子の肩が震えている。俺はなんて言葉を返せば良いのかわからなかった。
「でも智くん、そんなそぶり見せないから……。アタシなんて眼中になさそうだから……。それなら自分からこうやるしかないじゃない」
 躊躇して力を抜いていた俺の手を振りほどき、次にスカートを脱ぎ捨てた。下着姿の杏子が月の光に照らされる。
 俺は微かな声で「ごめん」と言うと、杏子に近寄り抱きしめた。その時、鈴鹿さんがぽんっと俺の背中を叩いた……気がした。
「……後は俺が脱がせてやるよ……」
 杏子の耳元でささやくと、俺はブラジャーのホックに手をかけた。
「…………あれ?」
 最初は見ればわかると思っていたのだが、なぜか全くはずれない。
「……こう……じゃないな……あれ?」
 焦れば焦るほど手元は怪しくなっていく。その内、杏子の忍び笑いが聞こえた。
「智くんのヘタクソ」
 それまでの無茶な態度は消え、普段の杏子が戻ってきていた。俺は内心でほっとしながらも、恥ずかしさと気まずさから、強引に杏子の背後へ回り込んで前へ手を回す。
「もう脱がさなくてもいっか」
 俺はおどけ気味にそう言うと、ブラの下から中に手を滑り込ませた。幼児体型というか、胸の膨らみが少ないためすんなりと奥へ入っていく。
「んっ……んん……ちょ、ちょっと、智くん?」
 指の股で乳首を引っかけるようにしながら、そっとこねるように乳房を撫でた。杏子の口から熱い吐息が漏れる。
「ふあっ……うぅん……自分でするから……脱がさせて……」
 下着とはいえ、服を着たままというのが恥ずかしいのか、もじもじと足をすりあわせる。普段の杏子に慣れきっている俺には、そんな仕草が違和感と一緒に妙ないやらしさを感じさせた。
「もう脱がなくても良いってば……」
 俺はもう片方の手でパンツを押さえ、指先でゆっくりと繰り返し、中心がある部分を押した。
「くっ……んぅうう…………」
 膣口を守るように左右の柔らかい恥丘が指を押し返す。布の上からでは良くわからないが、それでも指先でその間を探してそれを左右に押し分ける。時折、指先がその谷間の底らしい部分に触れると、杏子の膝は今にも崩れ落ちそうにがくがくと震え出した。
「ひっ……智くん……恥ずかしくて……ふぁあっ…………こ、怖い……よ……」
 俺は杏子の身体を自分の身体にもたれさせると、ベッドに座り込んだ。杏子の膝と膝の間に俺の両膝を入れ、閉じられないようにする。
「ちょ、ちょっと智くん……!」
 杏子が慌てて足を閉じようとして俺の膝を押す。しかしそれより早く、俺はパンツの股の部分を横に引っ張って股間を露わにした。指先に蒸れたようなぬめりを感じる。指先でお尻の方から陰核のあたりまで撫でるとそれは量を増し、指先が滑る程絡みついた。そのまま陰核を指先で探り、その先端をこねまわす。
「あ……んんぅ……だめぇ…………そんなに……」
 これまで聞いたことのない、杏子の甘えるような声が俺を高ぶらせていく。思わずそれまでは撫でているだけだった乳房を強く揉みしだいていた。手の中央で固いしこりを押し潰しながら。
「……いたっ……んぅぁ……いたいよ、智くんっ……」
 紅潮した頬に汗を浮かべながら、杏子は俺の方を振り返るように見つめていた。
「わりぃ……」
 そう言って俺は乳房から手を離した。
「んっ……止めてって事じゃないのに……でも、智くん優しいから……」
 杏子は微笑みながらそう言うと、思い切り俺の方へ倒れ込み、軽く唇を触れ合わせるだけのキスをした。
「今の、アタシのファーストキスなんだから。ありがたく思ってよね」
 小さい頃から見続けていた笑顔がそこにあった。俺は杏子を手放したくない衝動に駆られ、思い切り抱きしめた。杏子の身体から汗の良い匂いがする。
「責任、とらなきゃな」
 俺が微笑んでそう言うと、杏子は驚きと恥ずかしさで真っ赤になって俯いた。
「なにかして欲しいことでもあるか?」
 俺がそう言うと、紅潮していた肌が一層赤みを増し、首筋まで染まっていた。
「そ、そうね……それじゃ……その……智くんの……アレ……見せて……」
「アレって…………これ?」
 俺が自分の股間を指さすと、杏子は恥ずかしそうにうなずいた。
「だって……興味あるんだもん……」
 杏子は俺の返事を待たずに、少し身体を起こすと俺の短パンとトランクスを引き下ろした。すでに興奮の中にあった俺のペニスはすでに硬く張りつめている。
「これ……すごい……」
 杏子はおずおずと手を伸ばし、俺のペニスを両手で包み込んだ。
「すごく熱いね……小さい頃とは全然違う……」
「そっちだって全然違うだろ?」
 俺も杏子の股間に両手を伸ばし、左右に押し開いた。杏子はそうされても恥ずかしがりはせず、ぼんやりしたような目つきでその光景を見つめている。
「智くんのこれが、アタシのそこに入るんだよね……? なんか夢みたい……」
 両手の平で包み込んだペニスを、杏子はゆっくりと指でさすり始めた。遠慮気味な触り方がとてもくすぐったい。
「もうちょっと強くしてくれよ」
「大丈夫なの? 敏感なんでしょ?」
 雑誌やなんかで読みでもしたのだろう。杏子は不思議そうな顔をしていた。
「限度によるけど……もうちょっとなら丁度良いくらいだな」
 両手の平に若干の力を込めて握ると上下にこする。
「これくらい?」
「んっ……丁度……それくらい……」
 杏子の手の温かさと汗の湿り気が気持ちいい。背筋を這い登ってくる刺激が身体を震わせる。少しの間、俺は目を閉じてその気持ちよさに身をゆだねた。
「あっ…………く……」
 思わず小さく声を漏らしてしまう。俺はなぜか恥ずかしくなり、目を開けた。ペニスをいじりながらも俺の顔をにんまりと見ている杏子と視線があう。
「智くんってかわいい」
 聞かれていた事の恥ずかしさに加え、かわいいと言われると妙なプライドが働いた。逆襲と言わんばかりに杏子の陰核を包んでいる皮を剥き、陰核を直接摘んだ。
「ひっ!! う……ぐぅ……」
「かわいいって言うのは今のアンコみたいなことを言うんだと思うけどなぁ」
 耳元で囁くが今の杏子の耳には届かないのか、それとも返事できないでいるのか、ひたすら身体を前屈させ、縮こまって耐えようと必死になっている。
 俺は調子に乗って、更に摘んだ陰核を軽く引っ張りこねた。くにくにとした感触が指先に帰ってくる。
「ひぐっ!! んあああっ!!」
 まるで痛みに耐えるように杏子は前のめりにベッドに倒れ込み、がくがくと震えだした。俺は途端に心配になり、身体を起こして杏子を覗き込んだ。
「大丈夫か? 痛かったのか?」
 杏子は涙目で唇を噛みしめていた。そして返事に首を左右に振る。
「それなら良いんだけど……いきなり悪かった」
 俺はまだびくりと震え出す杏子の背中に手を置いてさすった。
 しばらくそうやっていると、杏子は大きく息を吐き、やっと顔を上げた。
「ふぅ…………もう大丈夫。ちょっといきなりだったからきつかったけどさっ」
 杏子は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべて頬をかいた。
「あ、ところでさ、こんな時くらい、アンコじゃなくて杏子って呼んでよ……」
 今度はすねたような表情をした。これくらいころころ表情の変わるヤツも珍しい。でもそこが彼女の魅力と言える。
「アンコって呼ばれるのイヤだったのか?」
 杏子は首を左右に振った。
「智くんがアタシのことアンコって呼んで、アタシが『アンコって呼ぶな』って言うの、大好きなの。二人だけの合い言葉みたいでさ。他の子には滅多に言い返さないんだよ、アタシ。でもほら、こういう時くらいは名前で呼ばれたいの……。ダメかな?」
「ダメなこと無い」
 俺は背後からのしかかるように抱きしめると、再びブラに手を入れてめくりあげた。
「実は何度かアンコって呼ぶの止めようかとは思ってたんだけどな。なんか杏子って呼ぶと距離があるようでさ……」
 露わになった乳房の下端を指先でなぞり、そこからなめらかに続く腹部を撫でる。
「でも、これだけ身体をくっつけてると、杏子って呼ぶのも……良いな。なんか普段と違って、今の杏子、色っぽいし」
「んっ……んふぅ……智くんに杏子って呼ばれると……なんかゾクゾクする……変態かな、あたし……」
 杏子は苦笑しつつじれったそうに俺の手をとり、腹部から更に下へ押し下げた。手のひら全体に熱いぬめりを感じる。それは太股の半ばまで達しようとしている。
「智くん……あたしもう限界なの……お願い……」
 杏子はそう言うとベッドに四つん這いになったまま、ペニスに触れ、その先端を自分の膣にめり込ませた。
「んっくぅ……!」
 俺はそこから杏子にのしかかるようにして、自分のペニスを杏子の膣内に埋め込んでいった。ざらつくようなヒダをペニスが押し広げる。
「くあぁっ……うあ…………あああっ……」
 うめくような声を上げると、時間的にやばいと思ったのだろうか、杏子は自分の指を噛んで声を抑え始めた。
「杏子と一つなんだな、今……」
 ゆっくりと腰を動かしながら囁くと、うっとりした目つきで微かに身を震わせる。
「痛くないか?」
 シーツの上に破瓜の血が見えた。
「ううん、最初ちょっと痛かったけど、今はすっごく気持ちいいよ……」
「そっか。なら少し激しくしても良いかな?」
 そう言っている間にも、ペニスはぐりぐりとヒダを割って奥へと潜って行っている。
「う、うん。怖い気もするけど……もっと……どんどん激しくしてくれても良いから……」
 俺はそれを聞いて、ペニスを膣の入り口ぎりぎりまで引っ張り出すと、いきなり奥まで突き入れた。激しく揺さぶられる杏子の身体と痙攣しているような膣内が何とも言えない感覚のリズムを生んでいた。その感覚を求め、何度も何度も乱暴にそれを繰り返した。
「きゃふっ! あっ……んくっ!! くっ……くるし……」
 杏子の声が更なる俺の衝動を突き動かした。俺は無理矢理杏子を犯しでもしているように、頭をベッドに押さえつけ、乳房を鷲掴みにする。
「ひぎっ……! 智く…ん怖い……くぅん……でも……気持ちい……」
「俺も……すごく……気持ちいい……よ……」
 深夜の室内に俺の腰と杏子のお尻がぶつかる音が響いていた。
「ああっん!! 頭が……痺れちゃって……くふっ……すごいぃ……」
 熱に浮かされたように杏子が呟いた。同時にペニスにからみつく膣に力がこもっていく。でもそれは、ペニスの動きを妨げようとするのではなく、刺激を与えようとしているように思えた。俺は歯ぎしりがしそうなほど噛みしめて耐えていく。
「智くん! もうダメ……あたしもうだめぇ! んんっ……んんぅうう……」
「だめだ……俺ももう……!!」
 杏子の身体が俺の腕の中でがくがくと震え、そして硬直した。膣内に熱い液があふれかえる。俺もそれとほぼ同時に杏子の中へと、精液を放っていた。
「あふっ……すごく熱いよ……智くんの……中にいっぱい出てる……」
 杏子はうつぶせでお尻だけを突き出すようにして、まだ襲ってくる快感の波に耐えている。俺もその上にのしかかり、余韻を味わっていた。
「…………初めてでこんなに……恥ずかし……」
 ふと快感から覚めて、自分の言動を振り返ったのだろう。杏子は恥ずかしそうにベッドに顔を埋めて呟いた。
「別に気にしなくても良いと思うけどな。エッチだろうが変態だろうが、乱れてた杏子、良かったけどなぁ」
 俺は杏子の頭を撫でながらそう言った。落ち着き始めていた杏子の全身がポッと赤く染まる。
「……あっ……ティッシュ……」
 俺と杏子のが混ざった液が杏子の中から溢れ出したのを感じ、杏子は枕元においてあるティッシュを手に取った。
「智くん、ちょっと……その……智くんの抜いて……あっち向いてて……」
 冷静に戻った今となっては恥ずかしいのだろう。杏子はためらいがちに股間に手を伸ばしながらそう言った。が、俺はとっさにあることを思いつき、ティッシュを持った手を掴み、後ろ手にねじって俺と杏子の身体で挟み込んだ。
「な、なにするの? ベッドが汚れちゃうよ」
「いいからいいから。俺に任せて」
 俺は杏子の膝を抱え込んで、小さい子におしっこさせるような格好をとり、ベッドに座った。
「やっ……智くんのバカ! エッチ! 止めてよ、恥ずかしいから……」
 杏子が唯一動かせる膝先をじたばた動かしてもがく。しかしそれくらいでは離したりしない。
「鈴鹿さん!」
 俺はこの部屋の中にいるはずの背後霊に声をかけた。杏子の身体が動揺でビクリと跳ね、意図を掴みかねる表情で俺をみている。
「鈴鹿さん、みてたんだろ? 姿を出しなよ……」
 背後霊は憑いている人間からそう遠くには離れられないらしい。室内にいるのは確実だろう。
「はい……」
 少し躊躇したように鈴鹿さんは部屋の真ん中に姿を現した。上気した顔が月明かりの中に浮かぶ。
「鈴鹿さん……綺麗にしてくれる?」
「なっ……ちょ、ちょっと……」
 俺がそう言うと、動揺しながら俺の顔を見つめた。
「はい……」
 鈴鹿さんは静かにそう言うと、ゆっくりと近づいてくる。徐々に衣服が透け、白い裸体が浮かび上がる。
「鈴鹿さんもやめてっ!」
 杏子が怯えたような目を、自分の足の間に座り込もうとしている鈴鹿さんに向けた。
「私、杏子さんも好きですから……」
 そう言うと躊躇もせずに、鈴鹿さんは俺と杏子が繋がっている部分から滴る液を舐めあげた。
「だ、ダメ! まだ身体が感じすぎ……ひっ……!!」
 杏子は目を閉じて身体を反らせる。
「私、背後霊ですから、例え他の方と智之さんがいる間でも離れることは出来ません。正直に言うと、それを想像すると涙が出そうなくらい辛いです。でも、それが杏子さんとなら不思議と大丈夫なんです……。勝手な話かもしれませんが……」
 鈴鹿さんは一旦口を離すと、陰核を舌で探り、口にふくんで吸い上げた。
「ふああっ……んぅ……」
「私も一緒に……いさせていただけませんか?」
 柔らかく豊満な身体を俺たちの接合部にこすりつけるように伸び上がると、鈴鹿さんは再び快感に身をゆだね始めた杏子の唇を奪った。鈴鹿さんの肌にぬめる液の線が一筋浮かぶ。
「ん……んんぅ…………」
 杏子はキスで口をふさがれたまま、こくこくとうなずいた。
「ありがとうございます……杏子さん……」
 鈴鹿さんは指先で俺のペニスの裏側や杏子の陰核をこすり撫で上げ、同時に杏子の乳房を口にふくむ。
「あっ……ダメ……ダメぇ……」
 鈴鹿さんに刺激され続け、杏子の中に入ったままの俺のペニスは次第に放出前の状態に戻りつつあった。軽く杏子を持ち上げて落とすように自分の腰にたたきつける。杏子の身体が前後に大きく振れ、膣からはさっき溜まった液がほとばしった。
「ダメ……このままじゃ……すぐに…………ぃ」
「俺も……ちょっとキツイ……」
 すでにペニスは絶頂前を知らせるようにびくびく震え始めていた。
 二人の言葉を聞いた鈴鹿さんは再びしゃがみ込み、杏子の膣口へと舌を這わせた。ペニスとの境目を舌先で沿い、手で剥き出しにした陰核を吸って舌で転がす。
「あっ!! ひ……あっ……あああっ!!」
 杏子は身体を仰け反らせ、膣から液を溢れさせた。膣壁がぐいぐいとペニスを締めあげる。鈴鹿さんは液がかかるのもかまわず、今度はペニスに滴る液を舐めとるように舌を動かした。
 ぐったりと脱力している杏子の身体を抱きしめて耐えていた。しかし徐々に杏子の膣の力は増し、鈴鹿さんの舌はまるで精気でも吸い取るかのように冷たく、俺の忍耐力を削っていった。
「うっ……あっ!!」
 俺は限界を感じると杏子の膣からペニスを抜き去った。鈴鹿さんの顔から胸元にかけて精液がかかる。
「ん……あぁ……」
 腰から背筋に痺れるような感覚が走り抜け、俺は思わずベッドに倒れ込んだ。脱力していた杏子も俺の上にのしかかる。
 身体全体を虚脱感が支配していた。もう腕の一本動かすのも億劫なくらいに。
 しかし突如、萎え始めていた俺のペニスにねっとりと何かが巻き付いた。みてみると鈴鹿さんが口にふくみ、舌を巻き付けている。
「ちょ……鈴鹿さん……んっ……も…くぅ……良いから……」
 その言葉も耳に届いていないように、ただ鈴鹿さんは全体に舌を這わせて、先端を吸った。そしてやっと口を離したときには、俺は完全にダウンして、全身をベッドに投げ出した。
 すると次に俺の上に寝ころんでいた杏子がビクリと身体を震わせた。
「きゃ……鈴鹿さんっ!? あっ……これ以上はもう……く、狂っちゃう……」
 手で股間を隠し足を合わせて抵抗しようとするも、さすがは幽霊。すり抜けようと思えばすり抜けられるらしく、杏子の股間に顔を埋めると膣口のあたりを舌で舐め、中心に口をあてがい再び吸った。
「よぉ、目は覚めたか?」
「ん……んぅ………さっきから起きてたわよ! くぅ……ただ声を出すのも面倒だっただけ!」
 杏子はそう返事をしながら俺に抗議の視線を浴びせた。
「ふあっ…………」
 鈴鹿さんの掃除が終わったのか、そう声をもらすと杏子は再び俺の上に倒れ込んだ。
「智之さん、杏子さん、大丈夫ですか? あの……言われたように綺麗にしましたけど……」
「あ……うん……ありがと……」
 鈴鹿さんがそう言って微笑みながら俺たちを覗き込む。俺はかろうじて返事をしたものの、杏子はただ息を荒げている。
「隣……良いですか?」
 そう言いながら鈴鹿さんもベッドにあがり、俺の隣に寝そべった。返事の代わりに微笑み返す。
「……スケベ」
 ぐったりしていた杏子が手を伸ばし、俺の頬をつねる。
「よくあんな事言い出したわよね……。嫌がられるとは思わなかったの?」
「まぁ、あの状態見てたら杏子は何とか誤魔化せそうだったし……」
 ぎりっ! 頬をつねる力が増す。
「いてぇって! それにほら、こういうのって男の夢だし……」
 ぎりりっ! 杏子は不機嫌そうに更に力を込める。
「痛い! マジ痛いって! あとほら、鈴鹿さんってあんなところにずっといたわけだから、なるべく人がいた方が寂しくないかなって。結局、邪魔にしてたわけだし……」
 途端、杏子の手が頬から離れた。妙ににっこりと微笑んでいる。
「それならまぁ、譲歩して許してあげる」
 そして鈴鹿さんの方へ目を向けた。
「ごめんね、鈴鹿さん。見せつけてやるとか言って。鈴鹿さんの気持ち考えたらヒドイ事言っちゃったよね……」
「いえ、そんな……」
 逆に恐縮する鈴鹿さんを見て、なぜか安心したように杏子はホッと息をついた。
「でも、一緒って話には一つだけ条件があるわ。鈴鹿さんと智くんの二人だけではしないこと。良い?」
「……はい、わかりました。絶対にお約束します」
 杏子と鈴鹿さんは一度真剣な顔でお互いを見つめると、すぐに微笑みあった。
 俺はそれを見ながら、安心と疲れからすぐに眠ってしまった。


「あ、おかえり」
 朝からシャワーを浴びて部屋に戻ると、床に杏子が座っていた。
 明け方近く、鈴鹿さんに起こされた俺と杏子は自分達の姿に驚いた。汗だくな上に、そのまま寝てしまったため、半裸……と言うか、局部を出したままという全裸よりたちの悪い状態だったのだ。
 杏子は服を着直すと一旦家に帰って風呂に入り、着替えてきたらしい。まぁ、あの格好では……当然といえる。俺も家族を起こさないように風呂に行ってきた。
「……………………」
「な、なによ?」
 思わず黙ったまま見つめた俺に、杏子は恥ずかしさで赤面した。
「いや……身体、大丈夫かなって……」
 俺がそう言うと、更に恥ずかしそうに顔の赤みを増すと、照れ笑いを浮かべた。
「ま、まぁ、ちょっとだるいけど、大丈夫。痛いとか無いから」
「そっか……。ほら、俺は男だからそう言うのわかんなくて……」
 …………妙な気まずさが部屋に漂った。俺は話の矛先を鈴鹿さんへと向けた。
「えっと、あ、鈴鹿さんは大丈夫?」
「幽霊ですから」
 …………そうですね。いい加減物覚えの悪い自分に苦笑した。
「…………鈴鹿さんに大丈夫?」
 俺が自分の言葉に自分で呆れていると、何かを察したように杏子が呟いた。
「鈴鹿さんに大丈夫ってなに?」
 杏子がにこにこ微笑んだまま、詰め寄ってくる。
「大丈夫ってなに?」
「えっとそれは……その……実は昨日の朝、アンコが気絶してる間に…………鈴鹿さんの暴走を抑えるために……」
 少し湾曲してる部分もあるが、方便というヤツである。
「…………まぁ、一回と一回で平等とも言えるから良いけど……。今回だけよっ! 次からは約束、忘れないでよね! それから、アンコって呼ぶな」
 ビシィッと俺を指さしながら言った。
「はいはい、わかったよ、杏子」
「朝っぱらから杏子って呼ぶなぁ!!」
 杏子は一瞬身震いし、真っ赤になりながらこっちに向けていた指を更に突きつけた。
 じゃあどう呼べって言うんだよ。俺は苦笑しながら荷物の用意を始めた。
「ところで、昨日持ってきた荷物、用意するもんはそれで全部なんだよねぇ?」
「そうだな。あとは行って、時間を待つだけだ」
 作戦に必要な物の大半は杏子に用意してもらった。昨日の夜に確認したら全部あったので間違いない。
「手はずの最終確認は良いんですか?」
「それは行きの途中でしよう。今話したところで忘れたら意味無いしな」
 俺はふと時計を見た。実際、野外研修の場所までは列車で一時間強、そこからバスで同じく一時間弱かかる距離なのだ。乗り換えに数十分かかったとしても、列車の時間にさえ間に合えばかなりの余裕はある。
「あ、そうそう。ところで鈴鹿さんさ、俺の夢の映像みたらすぐにあの手が犯人だってわかったよね? なんか目印でもある?」
 俺はその疑問がふいに頭をよぎり、鈴鹿さんを見ながら言った。何しろ相手を捕まえる必要がある。その特徴はより多く知っておいた方が良いし、なにより間違えてただの痴漢を捕まえて、警戒されるような事は避けたかった。
「手の甲に傷があります」
 鈴鹿さんは右手の手首の関節くらいから小指にかけてを指さした。
「その当時の犯人は紐とか使ってなかったんです。ですから死の瞬間に呪力を込めて引っ掻いてやりました。私が成仏なり消滅なりしない限り癒えない傷です。きっと昨日今日と疼いているはずですよ」
 鈴鹿さんの表情の端に冷ややかな笑みが浮かぶ。怖くはあるが、ある種美しいとも言える表情を俺はじっと見つめてしまっていた。取り憑かれている俺が言うのも何だが、取り殺されても良いかなと思わせるほどの笑顔……言うなら魔性の笑顔とでもいうのだろうか? そう思えて仕方なかった。
「鈴鹿さん…………」
 俺も杏子もそんな鈴鹿さんをじっと見つめた。例え相手がどんな悪人でも、そして法律上は存在しない力で存在しない人物がやったとしても、殺すのは絶対に良くない。
 その視線をまともに受け続けていた鈴鹿さんは、しばらく経ってふぅとため息をし、これまで通りの笑顔に戻った。
「大丈夫ですよ。怨んでたって、殺したりはしませんから。死なせてしまって逆恨みされて、霊体戦にでもなってしまったらこちらも無傷ではすみませんし。何より智之さんとの約束もありますから」
 にっこりと俺と杏子を交互に微笑みかけながらそう言うと、最後に「痛いの、嫌いなんです」と付け加えた。さっきまでとまるで違う雰囲気が室内を包み込んだ。
「あ……と、そろそろ出た方が良いんじゃない? あっちで赤い木を探すのにどれくらいかかるかわからないし、何よりリハーサルのようなこと、一度はやっておいた方が良いんじゃないかな?」
 変に意識してしまったのか、赤面した杏子が誤魔化すように時計に目をやってそう言った。確かに待つほど時間が余ったとしても、足りないよりは何倍も良い。それにそれ以外にも向こうでの準備がまだ残っている。
「そうだな。それじゃ行くか。忘れ物は無いな?」
 二人がこくりとうなずく。俺は昨日の時点で用意していた荷物を持ち上げた。荷物と「責任」の重さが肩にのしかかる。
 俺は大きく息を吐くと、ドアを開けた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 二日目の午前中の課題の終わるのが遅くなったあたし達の班は、他の班より遅めの昼ご飯をやっとこさ食べ終わった。すでに自由時間に食い込んでしまっていて、どうするか話し合った結果、自分たちの部屋に戻ってのんびりすることに決まってしまった。
 あたしとしては近くの森なり湖なりに行って散歩してたかったのだけれど、輪を乱すわけにもいかなくて、仕方なくそれを夕方の自由時間にでも回すことで自分を納得させた。
「どしたの〜? 元気ないじゃん、まこっちゃん」
 自分の荷物の前で手持ち無沙汰のまま座り込んでいたあたしに、後ろから抱きついてきたのは同じ班の巴 静香ちゃん。班のムードメーカーのような役割のにぎやかな子。あたしと一番良く遊んでいるクラスメイトの子。
「別に元気なくは無いよ」
 苦笑しながら言うあたしの顔をにまりとした笑顔で覗き込む。
「ホント〜? 実はホームシックとか? おにいちゃんに会えなくて寂し〜って」
「違うってば〜。明日の夕方には帰れるんだよ?」
 静香ちゃんはまるで柔軟体操の時みたいにあたしに体重をかけてくる。
「まだ一泊残ってるじゃない。独り寝が寂しいんじゃないの〜?」
「別に家でだって一緒に寝てるわけじゃないよ」
 そう言いながら周りを見てみると、班のほぼ全員があたし達を見てる。よっぽど暇なんだろうなぁ。
「でもそれにしちゃあ。いっつもおにいちゃんおにいちゃん言ってない? そう言う願望が有ったりして……」
 更にぐいぐいと身体を押しつけてくる。普通に身体の硬めなあたしには、これ以上ちょっと無理。
「あたしそんな趣味じゃ……いたっ、いたたた……もぉ、それ以上は曲がんないってばぁ」
「まこっちゃん、ちょっと身体硬いよ〜? ほら、がんばって…………ん? 何、この手紙……」
 静香ちゃんはあたしの荷物の上に乗っけられていた手紙に手を伸ばした。でもあたしにも見覚えがないんだけど……。
「!! これ、まこっちゃん宛てのラブレターじゃない? やった! 目指せノーマルな恋愛、脱ブラコン!」
「ちょ、ちょっと! 返してよ! 返してってばぁ!」
 いくら手をバタバタ振ってみても、前屈させられ、その上に乗っかられたところからでは届かない。
「え〜なになに? 『お話ししたい事があります。今日の夕方六時、地図の場所までいらしてください』だってさ〜」
「静香ちゃん、読むなんてヒドイよぉ。プライベートの侵害だよぉ〜」
 ブータレてるあたしに、静香ちゃんは手紙を元に戻して手渡してくれた。
「こんな人目に付くところに置いてて、プライベートとか言われてもねぇ」
 不意に体重をかけてくるのを止めて、静香ちゃんは立ち上がった。押さえる力が無くなって、仰向けに寝転がるあたし。
「差出人は?」
 ギャラリーの好奇の声に、静香ちゃんは腰に手を当てた状態で答える。
「それが書いて無いのよ。中にも外にも」
 あたしは手渡された手紙をしげしげと眺めた。確かに宛名だけあって差出人の名前がない。
「ストーカーだったりして〜」
 ギャラリーの声に顔をしかめる静香ちゃん。何かイヤな思い出でもあるみたい……。
「で、行くの? 行かないの? 名前もないし、行かない方が良いかも……。もし、行くなら『一人で』とは書かれてないし、一緒に行こうか?」
「んっと……どうしよかな?」
 寝転んでいる頭の近くで仁王立ちされ顔を覗き込まれるとなんだか怖くて、あたしはちょっとはっきり答えられなかった。
「行かなきゃ! 行くべきだって!」
 周りにいたギャラリーから声があがる。まぁ、行っても良いんだけど、明日は自由時間がないから、周りを散歩するなら今日が最後のチャンス。
「あ……雨が降ってきた……」
「でもさっき天気予報聞いたら、何時間かでやむってさ」
「午後のスケジュールどうなるんだろ?」
 悩んでいる内に周りの子達は興味を失ったのか、口々に別事を話し始めた。あたしとしてはそっちの方が良いんだけど。
 『雨上がりって空気中のチリが雨で流されて、空気が澄むんだよねぇ。風景見るには最適かも……あ、でも手紙の人が待ち合わせ場所で待っててくれるんなら、少なくともお断りは入れないといけないかなぁ……』
「ねぇ、どうするの?」
 静香ちゃんの心配そうな視線の中、ぼんやりと考え込んでいると、部屋に戻ってきていなかった班員の一人が慌てて戻ってきた。
「みんな何してんの! 雨で変更になったスケジュールを発表するから、今から全員中央講堂に集合だって!」
 途端に室内がざわめいた。あたしも慌てて起きあがる。
「え〜? だってまだ自由時間なのに〜?」
「そんなこと言ったって、先生がそう言ってたんだもん。急がないと遅刻だよ〜」
「連絡網どうなってんのよ! あっ、もう隣の部屋誰もいないっ!!」
 とりあえず手紙のことは後回し。あたし達はバタバタと部屋を後にした。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 天気予報通りに雨は夕方までにはやんだ。舗装済みの道路はほとんど水をはき、木々の葉にはたくさんの水滴が重そうに枝をしならせている。
 たまに風は吹き抜けるが、こういう寂しい場所にあるためか、葉擦れの音も重苦しく感じられた。
 今、ジャージ姿の少女が立っている前の道路は未舗装で、その所々にあるくぼみには水が溜まっている。空には鮮やかな月が姿を見せ、その照り返しでいつもの夜に比べて少し明るかった。
 少女は誰かを待っているのか、時折その腕時計に目を落としてはキョロキョロと辺りを見回している。しかし、誰の姿も捉えることが出来ず、ため息を吐いては間が持たない様子で空を眺めていた。雨で空気が澄み、普段より星や月が鮮明に見える。
 まるで魅入られたかのように空を見つめ続ける少女。
 突如ガサリと目の前の木々が揺らめいた。少女は夢から覚めたように一気に緊張すると身構え、それが何かを確認しようとした。
 いつでも動き出せる瞬発力を溜め込んだまま、ゆっくりと近づきつつ、その茂みを覗き込む。しかし、その茂みには何も動く物は無かった。
 『風かな? それとも動物かな?』
 しゃがむようにして、茂みの更に奥を覗き込んだ。何もいないように見える。
 フゥとうつむいてため息を吐く。『どうも緊張し過ぎてるなぁ……』
 再び時計に目をやる。時間は七時。もう一時間以上もここで待っていた事になる。自分で自分に肩をすくめ、苦笑した。
 だが、すでにその茂みを揺らした石を投げた人物は、少女の背後に立っていた……。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 がさっ……がささっ……
 茂みを歩く音が聞こえてくる。同時に身体を揺すられるような感覚が全身に起こった。
『智之さん……智之さん…………目を覚まして……』
 耳の奥……いや、頭の中で鈴鹿さんの声がする。
『目を覚まして……早く……目を覚まして、智之さん……』
 頭の中に反響するような声だった。しかし不思議とうるさいとか頭が痛いとは思わなかった。。
 目を覚まさなきゃ……。俺はそう思ってゆっくりと目を開いた。目の前には背の高い男の背中と地面が見える。どうやら俺は肩に担がれているようだった。
『良かった……気が付いたんですね……もしこれでずっと目を覚まさなかったらって……私……』
 再び鈴鹿さんの声が頭に響く。その声からは安堵の涙が感じられた。
『こいつが例の……犯人?』
 俺は鈴鹿さんに伝わることを祈りながら、頭でそう考えた。一応、事前にそれが出来ることは試してみていたのだが、それでもやはり不安感は拭い切れなかった。
『そうです……。この人が智之さんの首を絞めたんです』
 俺は予知夢が当たったことを自覚した。
 夢の中で犯人がどれくらいの時間、首を絞めたかあらかじめわかっていた俺は、早めに抵抗を止めて意識を失うのを防ごうとしたのだ。だが、犯人に気づくことが遅れてしまったため、大きく息を吸うことが出来ず、結果として死には至らなかったものの意識を失ってしまっていた。
 正確に再現された予知夢。唯一違っていた点、それは首を絞められたのが真琴ではなく、真琴の格好をした俺だったってことだ。
『そうか……こいつが犯人……人殺しなんだな……』
 俺は気持ちを落ち着けて思い切り腕を振り上げ、犯人の後頭部めがけてヒジを叩き込んだ。不意を突かれた犯人は大きな声をあげてふらつく。
「がっ!!!!」
 その隙に俺は犯人の腕から逃れ、ポケットから使い捨てカメラを取り出すと、犯人の顔写真を撮った。
「おまえ……死んで……なかったのか……」
 犯人がゆっくりと顔を上げる。顔に見覚えは無いが、やけにがっしりした体つきをしている。
「死んでなかったんだよ。あらかじめわかってたからな」
「あらかじめ……わかってただと?」
 犯人はそう言いながら立ち上がった。男としては低めの俺から見れば、見上げるほどの大男だった。
「ああ。わかってて、あえてのってやったんだ。気付かなかっただろ、俺が妹の身代わりになってオトリしてるなんて。二卵性でも似てるからな、俺と妹は……」
 俺は自分でも驚くほど話した。命が助かった安心感からか、それともまだ危機を脱していない緊張感からか……。
 とりあえず俺は犯人から目を離さず、後ずさるようにして少しづつ距離を取った。
 小さい頃から妹とそっくりの容姿のため、何度もいじめに近いケンカを売られてきた。その度に殴り合いまで持ち込んでいたから、ある程度のケンカ慣れはしていると自分では思っている。だけどこれだけの体格差はどうしようもない。犯人の体重の乗ったパンチをいくらかもらったら、俺はもう動けなくなるだろう。警戒はしておいて無駄な物ではない。
 しかしそれに伴って徐々に距離を詰める犯人。お互いの距離はほぼ一定のままだった。
「ともかく、お前の殺人未遂は確定だぜ。だけど、お前のこれまでやってきた犯罪から考えるとそれだけじゃ少なすぎる。巴 鈴鹿さんだってお前だろ? どうにかしてそれも立証してやるよ。」
 俺が足を止めてそう言うと、犯人の目は驚きで大きく開かれ、すぐに危険な光を帯びてスッと細められた。
「……どこまで知ってる?」
「さぁね……。教えてやらない」
 自分の震えを抑え込みながら虚勢を張る。今にも逃げ出したいのだが、それは出来なかった。もし、背後を見せたら後ろから襲われるかもしれない。それに……。
「あの時は誰も見てなかったはずだぞ……だから今まで何年も捕まらなかったんだからな。どこに埋まってるかも知られてないはずなんだ……」
「何の事かな? どうしたんだ? そんなに怖い顔して。手の傷でも疼くのか?」
 俺はあえてしらばっくれた。犯人の怒気と苛立ちがふくれあがるのを感じる。
「手の傷の事まで知ってるとは……まさか……そうか……見てたんだな?」
「ん? 俺が何を見たって?」
 俺はあくまで犯人を挑発した。ある一言を言わせるために。
「殺しの現場だよ! 俺が! 巴 鈴鹿を殺した!」
「…………俺は、巴 鈴鹿さんが殺されたとは一言も言ってないけどな……」
 俺は犯人へ視線を向けたまま、近くの木の陰へ手を伸ばした。カチリとレコーダーの録音ボタンを止め、中のテープを抜き取る。
「自白、ありがとう」
 心臓がばくばくと鳴る。これで犯人ががっくり膝を付いて諦めてくれれば……最初はそんな刑事物のドラマみたいなことも考えていたのだが、今となってはそうなる望みはかなり薄かった。なにしろ犯人の目つきは一層ヤバイ光を強めていったから。
 『杏子、早くしてくれ!!』俺は心の中で叫んだ。杏子には近くの交番から警官を呼んでくるように頼んでいる。計算上ではあと数分と言ったところのはずなんだけど……。
「……その写真とテープが無ければ、なんとか逃げられるかもしれないな……」
 犯人はそう言って舌なめずりした。まるで金縛りにでもあったように俺の身体は動かなくなった。色んなケンカはしてきたが、これほどコワイヤツとやったことなど一度もない。なにしろ、殺すことを前提で襲ってくるのだからヤバさが全然違う……。
「智之さん、落ち着いて……」
 鈴鹿さんの声が耳元で聞こえ、背中をポンと叩かれた。そうだな、とりあえず落ち着こう。落ち着けば勝てなくても、負けることは無い……と思う。俺はいきなりその場で準備運動を始めた。思いがけない行動に犯人も少し呆気にとられた。
 手首回して……足首回して……屈伸して……
「……人をバカにしてるのか?」
 犯人は素人離れした動きで一気に間合いを詰め、大振りの蹴りを繰り出してきた。
 しゃがんで避ける俺。犯人はにやりと笑い、その距離を一層縮めてくる。
「今のを避けるか……全くの素人じゃないみたいだな」
「素人なんだよ、残念ながらっ!」
 俺は強引に距離を取るべく、後ろに跳ねた。至近距離では明らかに手足の長さの勝る犯人の思うままにされてしまう。
 しかし、犯人はそれを待っていたかのように、一気に畳みかけてきた。着地した直後は身動きが鈍くなるのを計算してのことだろう。
 左のジャブ……避けた。
 右のストレート……なんとか避けた。
 左のローキック……とっさに膝を落として受ける。でもかなり痛い。痣くらいは確実に出来ているだろう。
 右のフック……避けきれず肩口に食らった。
 そして体勢が崩れたところにとどめの右の回し蹴りが脇腹に飛んできた。俺の身体はどうしようもなく簡単に吹き飛ばされ、近くにあった木に背中をしたたか打ち付けた。
「がはっ……」
 一瞬息が詰まる。そして口の中になま暖かい物が溢れるのを感じた。脇腹からは呼吸の度に鈍い痛みがして、なんとなくだが肋骨を折られたなと感じた。
 あのコンビネーションと読み……。おそらくヤツは空手かなんか、格闘技をかなりやっているに違いない。
「写真とテープを出すんだ。そうしたらお前の命だけは助けてやる」
 木の根本に崩れ落ちている俺の目の前で手を差し出し、見下している。俺の本能は「こいつの言葉は嘘だ!」と叫んでいた。もし渡したとしても目撃者を逃がすはずがない。
「やなこった……」
 大きく舌を突き出す。
 すると犯人はなんの躊躇もなく俺の髪を掴み、右拳で俺の顔を殴りつけた。口の中が切れ、奥歯が悲鳴を上げる。ガードしようと左の腕を上げようとしたが、さっきのコンビネーションで肩がはずれたのか、動こうともしない。恐怖のためか興奮のためか、痛みを感じないのが唯一の救いだった。
「殺すぞ……」
 俺はこの時ほど、「殺す」という言葉にリアリティを感じたことは無かった。恐怖で全身を震えが襲う。しかしチャンスは今しかない。相手があえて「接近」してくれて「油断」しているのだ。
 俺は右手でぬかるみの泥をすくい上げ、犯人の顔めがけて投げつけた。
「わぷっ……! きっ、きさまぁ!!」
 もろに目に泥を食らった犯人は叫びをあげながら、それを拭い落とそうとしている。
「うあぁああっ!!」
 俺は急いで立ち上がり、思わず大きく叫ぶと全身の力を込めて犯人の鳩尾めがけて拳をたたき込んだ。これまで山のようにそびえ立っていた犯人は一瞬身体をくの字に折り曲げる。そして、その瞬間を逃すまいとして、俺は躊躇せずに身体を思い切り反らし、額をヤツの鼻先に振り下ろした。
 犯人の鼻と口から血があふれ出す。俺はその血が付くのも構わず、襟首を片手で掴み、再び振りかぶって同じ位置に額を打ち込んだ。額がずきずきと痛む。だが俺は歯を食いしばり何度も何度も頭突きを繰り返した。そして、俺の額に犯人の歯が当たって切れた血と犯人の血で、お互いの顔が真っ赤に染まった頃、俺は犯人を掴んでいた手を離した。
 犯人はそれでもゆっくり身体を起こした。すごい体力だとは思ったが、酔ってでもいるかのように身体を揺らしたかと思うと、そのまま仰向けにドウと倒れ込んだ。
「はぁっ……はぁはぁ……かはっ……」
 俺はその場に座り込み、大きく息をした。身体中からドッと汗が噴き出す。さっきからどれくらいの時間が経ったのだろう? 杏子は……警官はまだなのか? さっきの頭突きはちゃんと入ったのか? 実はまたヤツは起きあがってくるのでは? 身体が動くのを拒否している。その代わり頭の中を色んな事が駆けめぐる。
「智之さんが首を絞められてから三十分くらいです……」
 鈴鹿さんがそっと姿を現してそう言った。
「そっか……遅いな、アンコ……」
 鈴鹿さんは俺の呟きに反応せず、俺の手を取って涙を零した。
「こんなにぼろぼろになって……私に任せてもらえればもっと……簡単に……」
「簡単に……何?」
 俺が鈴鹿さんの顔を見つめると、鈴鹿さんは続きを口ごもった。
「……こいつは犯人として逮捕され、裁かれなきゃ意味がないと思うんだ……。それが殺された人にも、遺された人たちへも一番良い事だと思う。鈴鹿さんがどうにかして殺すのは確かに簡単かもしれないけど、それはこいつを楽にさせる事でしかないんだよ……」
 鈴鹿さんは恥ずかしそうに赤面して、うつむいた。
「それにさ……、仇討ちは生きてる人間がやるもんだよ、鈴鹿さん」
 俺がそう言って血だらけの顔をにっと歪めると、鈴鹿さんは涙しながら微笑んだ。
「さて……と。ホントに遅いな……。まさか場所に迷ったかな……?」
 俺はゆっくり立ち上がると、あの未舗装の道路まで出てみることにした。幸い、犯人から逃げるように移動した結果、例の赤い木から数メートルくらいの場所まで戻ってきていた。
「歩けますか?」
 鈴鹿さんが肩を貸してくれる。足に怪我は無いはずなのだが、疲れと緊張から足はがたがたと震えてなかなかまともに歩けそうにない。
「ホント、無茶しましたね……。しばらくご飯も食べられないんじゃありませんか?」
「食べられないだろうなぁ。口の中切ってるし、奥歯だって折れそうにぐらぐらしてるし……」
 あごの辺りをさする。徐々に興奮が冷め始めてるのか身体中が痛くて仕方ない。
「杏子さんが見たらどういう反応するでしょうね?」
「そうだな……怒る……かな? いや、泣くかもしれないな……」
 くすくすと鈴鹿さんが笑う。俺もつられて苦笑する。
「ところで智之さん…………」
 パアアァン…………。
 鈴鹿さんが何かを言おうとしたときだった。打ち上げ花火のような音がしたと思うと、いきなり何かに押されたように鈴鹿さんの身体が前のめりに倒れ込んだ。肩を借りていた俺も同じく倒れる。
 俺は慌てて鈴鹿さんに這い寄って抱き起こす。視界の隅がヤツを捉えた。犯人は大きく立ち上がり、その手に持った拳銃から煙を立ち上らせている。
 俺は痛みに耐えながら、動かない身体で鈴鹿さんを引きずった。赤い木の陰まで倒れ込めば手が届くくらいの距離なのだが、たったそれだけの距離が異常に長く感じられた。
 パァン……パアアァン……パァァン……
 犯人はふらつく手で俺に狙いを向けたまま、数回引き金を引いた。全ての弾が地面を穿つ。しかし急がないと偶然にでも当たらないとは限らない。俺は後少しの距離を、自分を後ろに倒す反動で鈴鹿さんを木の陰に引っ張り込んだ。
「鈴鹿さん……鈴鹿さん……!!?」
 揺さぶっても反応のない鈴鹿さん。俺は彼女をうつぶせにして傷の具合を見た。背中から一発の弾丸が撃ち込まれた跡が残っている。しかし血も何も出ていない。俺の頭の中を「鈴鹿さんは幽霊だ」という事実が横切った。実体化してた状態ではあったが、案外大丈夫かもしれない。
 俺はとりあえず目の前の犯人をなんとかするべく、木をもたれるようにして立ち上がった。なにかわからないものが背中から染み込んでくるような得体の知れない感触に別の恐怖が走り、思わず一歩木から離れた。
 かちり……
 一歩踏み出した俺の頭に硬い物が押しつけられた。
「……お早いお着きで……」
 恐怖を押しやり、なんとか軽口を言う俺の襟首を掴んだ犯人は、俺の腹に蹴りを入れ、そして振り回すように赤い木に叩き付けた。
「ぐっう……」
 再び口の中いっぱいに血の味が広がる。俺は口の端から血が滴るのを感じ、それを拭った。
 犯人はなおも、俺に銃口を向けている。どれだけそれを阻止しようと早く走ろうが、引き金を引く指の早さにはかなわない。もし勝ち目があるとしたら、犯人の狙いが怪我のために今ひとつ正確ではないというところだろう。左右にフェイントを入れたら…………いや、ダメだ。フェイントを入れられるほど今の俺の身体は動いちゃくれない。それに鈴鹿さんを人質にでも取られたら一巻の終わり……。
 なにか手はないのかっ!!
 じりじりと時間が流れていくなか、俺は必死に考えた。
 …………おっし、一か八か……。
 俺は再び右手でぬかるんだ泥をすくい上げ、犯人の顔に投げつける。だが、その行動を予想していたのだろう。犯人はさっと自分の目を腕でかばった。そしてすぐに再び腕を下ろし俺に照準を……
「!!」
 握り拳より一回りは大きそうな石が犯人の顔を直撃した。同じ手段が二度通用するなんて元々思っていない。俺は泥を投げるとすぐに、その近くにあった石を投げつけていたのだ。
 『いまだ!!』俺は立ち上がり犯人に向かって走……ろうとした。だが、がたがた笑う膝は、更にぬかるみに取られ、俺は思いきり足を滑らせ、その場で倒れ込んだ。
 グリ…………
 四つん這いになった俺の頭に何かが押しつけられる。おそらくは犯人の拳銃だろう。俺は死にたくないと思いながらも、死を覚悟した。
 あとちょっと警察が早かったらなぁ……。でもまぁ、真琴を助けられただけでも良かったとしようかな……。
 俺がそんな風に考えたときだった。木の根本と接触してる足から右手へ何かが走り抜けた。何かが頭の中でそれを告げる。
 俺は何かに命じられるままぬかるみに身体を投げ出し仰向けになると、犯人に向けて右手に現れた「魂で出来た銃」の引き金を引いた。音は全くしなかったが、光の矢のような弾丸は狙いを外さず、犯人の右手首と腹部を貫いた。
 貫かれた右手から拳銃を落とし、大きく目を見開いてがくがくと震え出す犯人。その身体は俺の方へ向かって崩れようとしていた。
 俺の身体の中の何かが再び身体を突き動かす。電光石火。そうとしか言いようのない早さでいきなり立ち上がった俺の身体は、その犯人の左腕を右腕で抱え込みながら襟首を持つとそのままの早さで身を翻し、犯人の身体を投げ捨てた。犯人は受け身を取ることすら出来ず、頭から落ちると仰向けに倒れ込む。
 その時になって、やっと俺は何が起こったのかを理解した。倒れて動けなくなっている犯人に近づくと、その気付かない内に左手に握られていたナイフを蹴って捨てる。あのまま倒れ込まれていたら、俺はきっと刺されていたに違いない。
「智く〜ん!! どこ〜!?」
 俺がそのまま呆然と、動かなくなった犯人を見ていると、道路の方から杏子の声がした。振り返ってみると、杏子と一緒に二つ三つの懐中電灯の光がこっちに向かってきた。
「こっち……こっちだって……」
 俺は足から……いや、全身から力が抜け、腰を抜かしたようにその場に座り込んだ。途端、身体の中に入って来た何かが再びスウッと木の中へ抜けていき、それはそのまま木から上へ抜けていった。
 キラキラ光りながら上へと登っていくそれは、まるで天の川のようだった。警官が駆けつけ、俺の周りをざわざわと歩き回り、犯人を抱え起こして連れて行こうとする間も、俺は一人、それを見つめていた。
「智くん!! うわっ!! そんな血まみれで……すぐ病院に連れて行ってもらうからね!?」
 どろどろになるのも構わず、杏子は俺近くに座り込んで慌てている。
「智くんってば! どっか悪いの? 痛いの!? それとも遅くなったの怒ってるの!?」
 俺が反応しない事に一層不安が増したのか、杏子の慌て振りもまた増していく。
「智くぅん……」
「いってぇ!! そこを掴むな!! 肩が抜けてんだぞ!!」
 半泣きの杏子は俺の身体を掴んで揺さぶった。激痛が脳天を突き抜ける。
「アレ見てんだよ……ちょっと静かにしててくれ……」
 俺は杏子の手を振り払うと、木の上に立ち上る光を指さした。
「…………どれ?」
「あ、そっか。見えないんだっけ……」
 あの赤い木と同じで、俺のオーラだかなんだかが無いと見えないらしい。
「これなら見えるだろ……」
 俺は杏子の肩を抱いて引き寄せた。頬と頬をくっつける。
「ちょ、ちょっと、智く…………わあ……なに、あれって……」
 いきなり抱き寄せられて真っ赤になった杏子も、光を見るとそれに見入った。
「…………俺を助けてくれた正義の味方だよ……」
 次第に登る光の量が減っていく。俺は消えていく光に向かって、一度大きく頭を下げた。つられて杏子もその光へ頭を下げる。
 少し肌寒い風が吹き抜けた。風に赤く無くなった木がそよぐ。俺はヒリヒリとする傷に顔をしかめながら、杏子に手伝ってもらって立ち上がると、その場を後にした。


 それから後が大変だった。
 俺はすぐさま救急車で運ばれ、緊急入院を言い渡された。まぁ、あばらが三本折れ、肩は脱臼、額を三針縫い、そして身体中打撲ともなれば当然と言えるかもしれない。ついでに言うなら首にはロープの痕が痣で残り、それが犯人の持っていたロープと一致した。
 それに対して犯人は、鼻骨と歯、顎がかなりの損傷だったらしい。特に前歯は全滅のようだ。「魂で出来た銃」で撃った手首と腹は傷さえ無いものの、手首は動かず、腹は激痛が走っているらしい。どうやらあの銃は、その身体に入っている魂を打ち抜くようだ。医者が診ても原因不明と言うのもうなずける。
 父さんと母さんは俺が入院したと連絡を受け、慌てて病院にやってきた。とりあえず、どう説明したものかと悩んだが、何も聞かれないのでそのままにしておいた。
 真琴は野外研修が終わった日の夜に見舞いにやってきた。今にも泣き出しそうなほど心配そうにしていたが、俺が元気そうなのを見ると、「野外研修の最終日に手紙が来て、待ち合わせ場所に友達と行ったけど誰も来なかった。おかげで自由時間が無くなった」と愚痴り始めるほどだった。
 実のところ、あの手紙は俺が書いた物だったりする。要するにあの場所へ真琴が来ないように手紙で別の場所へ呼び出しておいたのだ。無論、誰も来るはずがない。その点に関しては悪いと思ったので、甘んじて愚痴は聞いてやった。でも、不必要な心配をかけてもなんなので、真相は教えてやらない。
 犯人に撃たれた鈴鹿さんと言えば、霊体だから痛みは無かったけど撃たれたショックで丸一日は意識が無かったらしい。精神体はそう言うことに弱いんです……と鈴鹿さんが言っていた。そういうもんなのだろうか?
 入院初日の夜、目を覚ました俺は気絶したままフヨフヨと空中に漂っている鈴鹿さんを見て、悲鳴を上げそうになった。想像してみれば分かると思うが、マジで怖かった。ただ、俺が疲れ果て、一時的に例の能力も薄れたため、普通の人には気絶したままふよふよ浮いてついてくる鈴鹿さんが見えなかったようで、それは不幸中の幸いだった。


「………ホントにもう赤くないですね……」
 鈴鹿さんが現場の木を触りながら言った。
 退院してから色々聞いたり調べたりしてみたのだが、この木の下に誰が埋まってるのかは分からなかった。しかし、図書館で調べた十年以上前の新聞で、銀行強盗を追いかけて行方不明になった警察官の記事を見たとき、俺は何となくこの人だと直感した。ちなみにその銀行強盗は捕まらず、逃げおおせている。
 きっとその警察官はあの殺人犯を捕まえた事で、銀行強盗を捕まえられなかった無念を晴らせたに違いない。それで成仏したのだろう。
 杏子はその木の根本にそっと花束をおいた。
「そういや、あの犯人、隣町の学校の教師だったらしいな……」
 後日、事件を報じる新聞にはそう書かれていた。鈴鹿さんの通う学校と交流が深く、自分が顧問をしているクラブが練習試合などをする時にめぼしい相手を物色していたらしい。警察の取り調べには素直に自供してるらしく、今のところ鈴鹿さんの物を含めて三件の殺人が分かっている。でもまだ拳銃等の入手先は不明らしい。
 実は俺も取り調べは受けた。でも真実を言うわけにもいかず、結局「鈴鹿さんの事件のことを図書館で読んで、興味がわき、調べてる内にめぼしい人間が出てきた。それで次は野外研修中に起きそうな推理になったので行ったら襲われた」とか言う、説得力に今ひとつ欠ける理由を語った。そして警察からは「そう言うときは警察に知らせなさい」と言うことと「相手が犯人にしてもちょっとやりすぎ」と言うことの二点をたしなめられた。
 殺されかけてたんだから、手加減出来ないって……。
 とりあえず、また今度、何かあったら事情聴取に呼ばれるかもしれないらしい。俺としてはこれ以上話せる事はないんだけどなぁ……。
「しっかし……良く死ななかったな、俺……」
 今、あの時の事を思い出しても身震いがする。今でも耳の奥にヤツの「殺すぞ」という声は残っている。そして銃口を向けられた時の恐怖はふとしたときに身体を震わせる。
「あんたに助けられたから……こうして生きてられるんだよな……。ありがとう……」
 俺はあの木の幹に手を触れた。もう中からは何も感じられない。
「もうあんなこと止めてよね。アタシ達がどれくらい心配したか分かってる?」
 杏子が呆れたように言う。鈴鹿さんはそれを見てくすくす笑っている。
「心配したって割には、警察呼んでくるの遅かったよな〜」
 俺の言葉に杏子は痛いところを突かれたのか、一瞬言葉を失った。
「そっ……それは…………あの時の雨で、自動車が山道で脱輪したとか、故障したとかで、交番に誰もいなかったんだから仕方ないじゃない……」
「でもそのおかげで死にかかったんだぜ〜? 拳銃はさすがに怖かったよな〜」
 追い打ちをかけるように杏子の顔を覗き込んだ。杏子はからかわれるとすぐムキになる。そこがまたかわいくて楽しい。案の定、杏子は俺を睨みつけた。
「むっか〜! あのねぇ! あの計画通りだったら、智くんは犯人から逃げ出す事になってたじゃない! なんであんな血まみれになるまでやり合ってんのよ!」
 うっ……。俺的には最初から犯人とやり合うつもりではいたのだが、それを言ったら絶対に反対されると思って、杏子と鈴鹿さんには「すぐ逃げるから大丈夫」とか言ってたんだっけ……。
「それは……ほら、あれだ。犯人が予想以上にタフだったから、頭殴ったくらいじゃなかなか気絶してくれなくて……」
「なんで気絶させようなんて思うわけ!?」
「……………趣味……」
 ホントはただ単に例の犯人が許せなかっただけ。鈴鹿さんを殺し、真琴を殺そうとした相手に自分の拳で一撃は食らわせたかっただけ。でも、照れくさかったので言わないことにした。
「そんなバカな趣味の為に死にかけてどーすんのよ!!」
 杏子は俺の胸ぐらを掴んで怒鳴った。普段は冗談で済んでいるが、さすがに今回のことは杏子にとってもキツイ出来事だったようだ。
「そんなことの為に……アタシはここまで心配したの? 真琴ちゃんだって毎日お見舞いに行ってたじゃない……鈴鹿さんだって…………」
「アンコ…………」
 俺は正直言って戸惑った。今にも泣き出しそうな杏子の顔を見ていると胸の奥がずきっと痛んだ。
「アンコって呼ぶな……」
 杏子は絞り出すような声でそう言うと、俺の胸に顔を埋めるようにうつむいた。
「………………」
 俺は何も答えることが出来ず、ただ杏子を抱きしめようと杏子の微かに震える肩を掴んでいた。……泣いてるのか……? 俺は杏子を覗き込むようにそっと唇を近づけた。
「あ〜、すっきりしたっ!」
 突然の展開にひっくり返らんばかりに驚き硬直する俺を後目に、杏子はまるで息継ぎでもするように顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「ほら、鈴鹿さんも言いたいこと言ってやったら? すっきりするよ?」
 そして、その変化の早さに俺の硬直が解けきらない内に、杏子は少し離れて見ていた鈴鹿さんの腕を取って連れてきた。
「そうですか? でも……」
「良いって良いって。アタシが許す。おもいっきり好きなこと言ってやりなよ」
 杏子はそう言って鈴鹿さんの背中を押す。よろけるようにててっと俺の近くに寄ってきた。
「智之さん…………」
 鈴鹿さんの怖いほど深く澄んだ瞳が俺を捉える。俺は魅入られたようにその瞳から目を反らせなかった。
「智之さんっ!!」
「はいっ!」
 鈴鹿さんの珍しく大きな声に、俺は反射的にびくっと身構えて大声で返事を返した。
 が、その鈴鹿さんはそのまま俺に駆け寄ると、ぎゅっと抱きついた。鈴鹿さんの長い髪がふわりと舞う。
「……大好き…………」
「鈴鹿さん…………」
 俺はその鈴鹿さんの肩を抱きしめ、指先でそっと鈴鹿さんに上を向かせた。ゆっくりと目を閉じる。唇と唇が近づく。
「あっ……ああっ!! 鈴鹿さんずるいっ!!」
 今度は杏子が駆け寄り、飛びかかるようにして抱きついてきた。奪われまいとして鈴鹿さんも俺の首に腕を回してしなだれかかる。
「お……重い………おまえら重いって……」
 俺の自重に杏子の重さ、それになぜか鈴鹿さんの体重までがかかる。
「重いなんて失礼な。女の子に言う言葉じゃないわよ。ねぇ、鈴鹿さん」
「そうですね」
 二人は顔を見合わせて悪戯っぽく微笑みあうと、俺に一層体重をかけてきた。がくっと膝を付く俺。
「おい……こら…………俺は病み上がりだぞ……」
 四つん這いの状態で必死にこらえるが、なにしろ入院生活で体力が落ちていた。二人が俺の背中に馬乗りになると、そのままうつぶせに突っ伏した。
「………………あ、そうだ。アタシ、交番の人にお礼言って来なきゃ……」
 何事も無かったかのように立ち上がり、すたすたと歩き出す杏子。鈴鹿さんは誤魔化すような笑みを浮かべたまま、無言で姿を消した。
「お〜ま〜え〜ら〜」
 身体を起こすと顔や腕からぽろぽろ土塊が落ちた。
「あ、あはは……やだな……冗談じゃない、冗談」
 そっと振り返る杏子。立ち上がった俺を見ると、そう言って頭をかいた。
「問答無用」
「ちょ……ご、ごめんって!」
 俺がじりじりと詰め寄ると、同じように後ずさり、一定の距離を保とうとする。
 カササッ……
 ふと、小さな葉擦れの音がやけにはっきり聞こえた。俺がそっと振り返ると例の木に光がふりそそぎ、その照り返しはあの時の光を思い出させた。
 俺はもう一度、その木に向かって頭を下げた。
「お、お先っ!!」
 俺が振り返っている隙に、杏子は交番のある方角へ逃げるように駆けだした。
「まてよ、こら!」
 カササッ……
 追いかけ始めた俺の耳にさっきの葉擦れの音が響いた。
 それはなぜか……優しい微笑みのように胸に留まり、俺の耳の奥に残っていた犯人の声をそっと消し去ってくれた。