第1話:握られた弱み
「あなたってその年にもなって報告書ひとつも書けないの?」 「す、すいません。」 都内にあるG電機本社ビル。今一人の男が課長に呼び出されてこっぴどく絞られている。 この男、容姿ひとつとってもテキパキ仕事をこなすようには思えない。 伏し目勝ちな目つきが象徴する自信のない顔つき。 いつクリーニングに出したかわからないようなヨレヨレのシャツ。 くたびれきったズボン。 後ろ手に組んだ手のひらをモジモジさせているところなどは情けないとしか言いようがない。 それに引き換え、課長の凛とした態度はどうだ。彼女、そう課長の名は九能理恵。 社内報に幾度と無く出ている社内でも有名な美人女性管理職だ。 今日もおしげもなく体の線をあらわにしたスーツを見事に着こなしている。これで34歳の1児の母親とはとても思えない。 眼鏡越しにその大きな澄んだひとみを部下に向ける。 「川田君、聞いてるの?私に何度でも同じ事をいわせないで頂戴。」 「は、はい...」 畜生...みんなの前でさらしものにしやがって.. 川田の耳には他の社員のあざけりの声が聞こえてくる。もちろんそんなことはありえないのだが。 くっそー、人がまじめに報告書書けば書いたで難癖つけてきやがるし、この女、なめてるのか。 毎回前に呼び出しては他の連中の前でぐちゃぐちゃ文句を言いやがる。 ちょっとばかり顔がいいからと俺をバカにしやがって。 もちろんそれは川田の報告書が稚拙なだけであり、理恵にしては部下のことを思って教育しているつもりなのだが、こんな男にとっては逆効果なだけでしかない。 「ここのところの言葉もね、誤用してるわよ。」 話すたびに扇情的なまでの口元が開き、鋭角的なあごがゆれる。 「は、はあ。申し訳ありません。」 ひたすら平身低頭を装いながら、川田は心の中では憎悪の炎を煮えたぎらせるのだ。 お前だって失敗くらいはするだろう。見てろよ、いつか泥水飲ませてやる... こうなれば完全な逆恨みだった。 ブツブツ何かつぶやきながら席に戻った川田に、隣の須藤玲子が声をかけた。 「ふふ、またずいぶんしかられたわね。」 「うるさいんだ、お前は!」 ジロリとにらむ川田に、おどけた表情を見せながら 「あらぁ、せっかく同期が心配して声掛けてるのに、サブって冷たいのぉ。」 川田三郎、通称サブで通っている。 「このままじゃ、腹の虫が収まらないな。」 玲子はスラリと伸びた自慢の足を組替える。その瞬間なんともいえない香水のにおいが川田の鼻腔をくすぐる。男を惑わす色香だ。 「まあ、私にも我慢できない奴っているけどね。」 その眼の先には、今年から派遣で来た水野カヲリがいる。 水野カヲリ。派遣されたことにはなっているが、実は九能課長の遠縁にあたり、そのコネで入ったとのもっぱらの噂である。 じゃあ仕事が出来ないかというと全くその逆で、先輩社員以上にもソツなく仕事をこなす要領のよさは回りも認めるところだった。 もちろん玲子にとっては面白いことではなかったが、それ以上に我慢ならなかったのは、カヲリが部署のアイドル的な存在として居座ってしまったことだ。 それまでは、職場の華として玲子がチヤホヤされていたものだが、カヲリが来てからというものの、男連中は彼女に執心しており、玲子の地位は大きく後退してしまった。 元から自己顕示欲の強い玲子がカヲリを目の敵にし始めたのも無理はない。 昼休みなど、何人かの男性社員に囲まれて談笑するカヲリ。 その天使の微笑みを見ていると誰もが明るくなるのだった。ただ一人玲子を除いて。 あいつを職場に居られなくしてやる。そうじゃなければ私がダメになってしまう。 その自慢の体をメチャメチャにして..麗子の妄想は既に暴走し始めていた。 しかしその機会は比較的すぐに訪れた。 気晴らしに男とホテルに向かっていたとき、偶然そこから出てきたカヲリを目撃したのだ。しかも相手は同じ職場の妻子ある主任だ。 とっさに玲子はバッグにほおり込んであったデジカメにその一部始終を収めた。 「ふふ、いいネタが手に入ったわ。」 「どうしたんだい?いきなり笑いだしたりして。」 「あなたには関係ないのよ。でも今日はすごくいい気分なの。口でたっぷりイカせてあげるわ。」 「本当かい?じゃあ、僕もはりきらないとなあ。」 バカげた台詞を吐く男はすでに眼中になく、玲子の頭の中は写真の使い道でいっぱいだった。 数日後、いつもどおり出社したカヲリは一通のメールが来ているのに気づいた。差出人は先輩の須藤玲子になっている。そのsubjectは「見ちゃった」 「何かしら?先輩からなんて珍しいわね。」 「で、俺に何をしろというんだ?玲子。」 女っていざとなれば、どれだけ残忍になれるのだろう。 ふん、見てなさいよ。今まであなたに味あわされた屈辱を何倍にもして返し上げるわ。ふふふ、明日が楽しみだわ。
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