第1幕 「生贄」
はあ…。 (せっかくの週末、どうしてあたし残業なんかしてるんだろう…) 麻木早苗は、今までペンを動かしていた手を止め、大きくため息をついた。 (つまんない…) それもそのはず。今現在、彼女の目の前で同じく残業に従事しているのが、彼女が社内で最も嫌っている男だったのだから。 「麻木さん、つまんなそうだね」 突然、狭山がデスクに視線を向けたまま、早苗に云った。 (馴れ馴れしく、あたしに声かけないでよ) 胸の中で吐き捨て、あまり会話したくはないのだという表情を露わにしながら。 「ええ、そうですね。せっかくの金曜日なのに、残業ですから」 無理矢理笑みを浮かべて、早苗は答えた。狭山は、笑顔を浮かべた早苗を正面から見つめ、満足そうな顔で頷いた。 「そうだね。…どう?仕事終わったら、食事でも」 (ほら、来た) 「結構です」 力一杯、拒絶の意志を示した早苗に、狭山は一瞬驚いたようだったが、すぐにいつものような薄ら笑いを浮かべてこうのたまった。 「そんなに嫌がることないでしょ。…そんなに否定するところをみると、僕のこと嫌いなの?」 しゃあしゃあと云う狭山に、いつになくむっとした早苗は、反射的にこう答えた。 「当たり前でしょ」 しまった…。云ってしまった。 「いつもいつもあたしをいやらしい目で見て、あたしが気付かないとでも思ってたの?いつもあたしの動きを目で追って、誰かと話してると…相手が男だと、すごい嫉妬むき出しの目で、その相手を睨み付けて…。もうウンザリなのよ。あんたなんか、あたしの彼氏でもなんでもないじゃない。あたしに構わないで。あたしをどう思ってるか知らないけど、あたしはあんたなんか大嫌いなの。顔も、声も、大嫌い!」 早苗の言葉を遮って、静かに狭山は呟いた。 「え…」 バン! 「何なの? あたしに、何かしたの…」 貧血なんか、今まで起こしたことなんかなかった。どうしたんだろう。あたし、どうしちゃったんだろう…。まさか、まさか狭山…、あたしが知らない間に、毒でも飲ませたの? 「来ないで! あたしに、触らないで!!」 伸ばされた手を振り払い、早苗は覚束ない足で後退する。 「…あたしに、触らないで…」 (寒い…) (あたし、どうしたんだっけ…?) (そうだ、あの男…!) 「え…」 両腕を頭上で、左右ともに拘束され、下半身は、両膝をまげ、大きく両脚を開いてM字に縛られているのを感じた時、彼女は背筋が凍る想いがした。 「いや…」 どうして?どうして、自分がこんな目にあうの?あたしが何をしたっていうの? 「目が覚めたようだね…」 ふと、彼女の耳に届いたのは、自分をこんな状況に追い込んだ男の声だった。 「狭山さん…」 まだ眩しさに目が慣れない状態のまま、早苗は低く吐き捨てた。 「何のつもりよ。ここはどこなの?あたしをどうしようっていうの?」 一気に捲し立て、早苗は漸く慣れてきた目で、男…狭山要を見据えた。 「ここは、僕の部屋だよ。…周りを見てみなよ」 余裕の笑みを浮かべながら、狭山は早苗を促すように部屋の中を見回した。 「何、これ…」 それは、数え切れないほどの写真だった。どれも、同じ女性が写っている。笑っている顔、沈んでいる顔、真剣な顔、遠くを見つめている顔…。 「どういうこと、これは。どうしてこんな写真、あなたが持っているのよ!?」 信じられなかった。まさかこの男は、休日ですら、自分を追っていたのだろうか?自分が知らない所で、いつも自分を見つめていた…? 「だって、当然のことでしょ?君は僕の物だもの。僕の所有物を、僕がいつも監視してるのは、当り前だよ」 楽しそうに微笑む狭山の顔は、狂気に満ちていた。 「所有物…?」 |