漆黒の暗闇。外は雨。閉ざされた闇の中。
タールで塗り固められたようなその重苦しい室内を、ひときわ黒い影が動いている。
黒一色の闇の中を影が動いてなぜ判別できるのか知れないが、異形の淫魔、クラヴァンであるということだけで説明がつくのだろうか。
闇よりも暗いオーラの類のものを身にまとっているのかもしれない。
それにしても、一体ここはどこなのか?
いつぞやの祠かもしれないが、どうにも判然としない。
じっとり湿った室内の中央にその影は歩を進める。
するとそれに呼応するかのように、室内がぼんやりと明るさを持ち始める。
どうやら腕を水平に突き出し、何ならぶつぶつと呪文のような文言をつぶやいているようだ。
しかしその言葉は常人で聞き取ることのできない種類のもののようである。
横顔は真摯。一心に何かを念じている。
地に向けた手のひらを2,3回揺らめかせる。
一体何が始まるというのか...?
その時である。
黒色の床が、ぐらりとゆれる。いや、揺れたと表現するのは誤りである。
正確には「盛り上がった」のである。そんなことは本来全くありえないことであるはずである。
しかし、そう言っているうちに既にクラヴァンの膝の辺りまで持ち上がっているだろうか...むくむくとまるで自らの意思を持っているかのように活動を開始しているのである。
床に現れたそれも最初はただの塊に過ぎなかった。
やがて先端が膨らんだか後で見る間に頭部を形成し、
その高さを増すとともに横から枝が伸び、それが腕となり、
更に長さを増して指になる。
見る見るうちに人の形を成していくのだ。
泥のように黒ずんだ色もすっかり抜け落ち、艶めく雪肌があわられている。
そして豊かなボリュームを見せる黒髪。
紛れもない女の姿がそこにはあったのだ。
それにしても美しい女である。
濡れ羽色の髪が体の向きを変える度に綺麗な円弧を描くように広がる。
同性愛者でもない限り決してその呪縛から逃れられないであろう艶かしい瞳。
小ぶりだが肉付きのいい下唇。しっとりと唾液で濡れる様は確実に男を狂わせることだろう。
もちろん体つきも申し分はない。
出るところはきちんと出、窪むところはきちんと窪んでいる身体は、超絶的な計算の末に編み出されたとでもいうべきか。
象れば一級の美術品としても通用しそうな釣鐘型をした双乳。
更には針金で引き絞っているのかと思わせるような細腰のくびれ。
見るものの溜息すらも封じ込めてしまう。
こんな美女が全裸で現れたのである。
どこから見ても完璧な女体。
ただ一点彼女が背に暗褐色の翼を背負っていることを除けば...そう、彼女が淫魔である証としての。
「クラヴァン様..お召しにより参上いたしました。お目汚しにならぬように気をつけて参ります」
それを聞き、クラヴァンはいとおしむような目つきで蕩け落ちるような身体を眺める。猫のような目を更に細め、笑みすらもうっすら浮かべているようだ。
「カリアか、よく来たなぁ...クキャキャ」
名を呼ばれ、ややうつむき気味だった頭を上げる。
何度見ても「美しい」、それした言いようの無い神秘的な美。
いや、彼女にはそんな形容はすら生温い。
悪魔的、いや破壊的な亡国の美がそこにある。
とりすました目でクラヴァンを見つめる。
わずか二言三言交わしただけで、もうそれ以上話さなくても分かり合える関係。
クラヴァンを見つめるその眼差しは、全幅の信頼を置く主従の関係、そう主人と僕の間柄を如実に物語っているのだ。
「『お目汚し』等と謙遜するとはお前らしくもないなぁ。自分の身体に他の誰よりも自信を持っているくせに...」
「ふふ、ご冗談を。私でも身の程は知っております。私よりも美しい方は何人もおりますわ...でも、なぜか余命が幾ばくもない方ばかりで...」
ゾクリ...一種異様な笑みを浮かべる。やはり淫魔だ。
「キャキャキャ、多くを言わずともわかっておるわい。お前がいかに嫉妬深い女であるかは、マスターたるわしがよぉーくな! クヒヒヒ...しかしようやくわしもお前の封印を解けるまでに復活したようじゃわい...あの男に感謝せねばならぬかもしれんな...どうだ、また二人で世界を相手に暴れて見るか?」
「はい...」
カリア・・・クラヴァンの第一の側近にして忠実な僕。かつてはクラヴァンとともに大陸中の人間を肉欲の虜にした高級淫魔でもある。男だけではなく、同姓である女であっても弱点を知り尽くした粘りつくような責めの前に、どれほど泣き落ちたことだろうか...もちろん泣いて許してもらえる相手だったら彼女達もまだましだったことだろう。言葉では謙遜しているようにも聞こえたかもしれないが、その実彼女は自分の美しさに対して圧倒的な自信を持っているのである。それと同時に、自分に並びたつような美を備えた女を見るや持ち前の残虐な性向を余すところなく発揮して常軌を逸した色責めを加え、肉体までもか精神までも崩壊させずにはおられない狂気の性格を併せ持っていたのだ。
まさに彼女をして「肉欲の破壊神」と例えることは言いえて妙である。
クラヴァンの手招きにおおじて、その側へ寄り添っていく。
ザベロが契約を守り、律儀に”生贄”をささげてくれるおかげで、以前に比べると力強さを増したその肉体。筋肉の隆起すらも手にとるようにわかる...
クラヴァンの手の内に入り、身体を預けていく。
「私の髪の毛一本、細胞のひとかけらにいたるまで全てクラヴァン様のものです。いかなるときも思うがまま。私がその意にそむくようなことがありましょうか...」
”マスター”を見つめるカリアの目には一点の曇りも無い。
その瞳の中に、カリアをじっと見つめるクラヴァンの姿もある。
ゆっくり、ゆっくりと、これまで離れていた時の隔たりを埋めるように、カリアは身体を開いていく
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