その3(4/11/99)

日記?と言いながら、秋葉原に行ったことしか書いていない、このイイ加減さ。それよりも何よりもまず、週に一度しか更新していない。これでは週記ではないか。でも「週記」と明言してしまうと「月記」になってしまう恐れも多分にあるため、無理をせず書きたい時に書いている。

先週の出張の途中、駅の立ち食いでうどんを食った。まあ、昼時だったし乗り継ぐ電車までには30分ほど時間があったので、そこにあった立ち食いの暖簾をくぐったわけだが、入るなりなんだか嫌な予感がした。人生に疲れたような顔をして麺をすする客の姿は毎度のこととしても、空気の底というようなこの澱んだ雰囲気は一体どこからくるのだろうか?もちろん店員のババアは不細工であるが、これは仕方が無いことだ。いくら屈伏愛好家の私といえども、こんなところで藤原紀香ばりの美女がミニスカートで応対してくれることまでは期待していない。これでも社会人、現実の厳しさも知っているつもりである。
ジロリとカウンターを見ると、妙に薄汚い。客がこぼした汁やらの汚れがこびりついているのだ。いや、カウンターだけではない。良く見ると店内到るところが汚いのだ。
これは穏やかではないなぁ...と不安げに眺めまわしていたところへ、注文の品が来た。
立ち食いなんかに時間はかけたくなかったので早速頬張ってみたが、物には限度という物があっていいと思う。一口食うなりズピンときた。なんだこのまずさは!? 
全くダシをとってない。しょうゆだけをぶち込んだらこんな味になるのではないかという汁。伸びきった麺。関西出身の私としては、許しがたいうどんがそこにはあった。もちろん私は俗に言われる「関西に比べ関東のうどんは食えたもんではない」といっているわけではない。関東のうどんはうどんで、それなりに食えると思うし、好みの問題でもあるわけで、関東のうどんを捕まえて十把一からげにダメだというつもりは毛頭ないのだ。しかし、しかしだ!ここのうどんは、そんな好みの問題なんていう生易しいものを超越し、根源的にまずいのである。そうこの世に生を受けた人である限り、誰もがそのまずさを共有できるレベルなのだ。それはそれで、すごいことなのかもしれないが、こんなものに金を払わされた客は被害者もいいとこである。
当然の結果というべきか、私の隣でそばをすすっていたオヤジなんかは半分も食わずに立ち去ってしまった。最初から味に期待しようもない立ち食いで、全部食えないなんてことになると、これは立派な事件である。今まで出会ったことの無い、衝撃的な光景だった。
とにかく私は七味を振りまくって味付けし、無理矢理流しこんで食いきった。
「立ち食い」といえば「押井守」というくらい彼のアニメには、立ち食いがよく出てくる。「けつねうどんにコロッケ追加」と立ち食いのプロを気取ってみたいなんて密かな憧れを抱いたものだった。でも、客には客の、店には店の、最低限の礼儀ってものがあるのではないか?
去り際だけはかっこよく金をカウンターにおいて出たのが、私の見せた最後の誠意のつもりだった。いくら口先だけのこととはいえ、「ごちそうさん」という決り文句を吐く勇気は私にはなかったのだ。

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