「勝利とは? 存在とは? 君たちには永遠に不要のテーゼだ」
これは勝ちぜりふだが、「テーゼ」という言葉の使い方を間違っている。
「テーゼ」は哲学的概念であり、元はドイツ語。【These】と綴る。
そして、このせりふをほかの言葉でいいかえるなら、
「勝利とは? 存在とは? 君たちには永遠に不要の概念だ」
というあたりだろう。
実際、意訳と思われるジェダのこのせりふの英語版は、
“True victory? True existence? You know nothing”
である。こっちの方がシンプルで良い。日本語に訳すなら、
「真の勝利とは何か? 真の存在とは? 君たちは何も知らない」
となるだろう。
「テーゼ」は「概念」や「認識」というような意味の言葉ではない。
広辞苑(第一版)を引くとこう出ている。
[テーゼ]定立。(1)提議。提案。(2)政治的・社会的運動において、活動の根本方針を示す要領・事項・綱領。
[定立](1)具体的全体からその特定の面や一定の内容を抽き出し固定すること。或物または或事柄を妥当なものとして、真なるものとして、実在するものとして、暫定的・仮定的にでも或は恒常的・決定的にでも規定するところの、思惟にとって基礎的な判断作用。一つの判断・命題を立てること。(2)定立されてあるもの。命題。主張。
この広辞苑からの引用によれば、「テーゼ」は「命題」とも言い換えられる。そこで、呉智英の『言葉につける薬』(双葉社)から、「命題」についての記述を引用しよう。
命題というのは、論理学の用語で、判断を整理して記述した形式のことであり、英語で言えば「プロポジション proposition」(提案、陳述)である。典型的には「AはBである」という文章をいう。例えば次の三つはどれも命題である。
●日本の通貨は円である。
●エリザベス女王は日本人である。
●東京タワーは富士山より高い。
なぜこの三例が命題か。どれも判断の陳述だからである。ただ、エリザベス女王の例と東京タワーの例は、まちがった判断である。すなわち、命題はただ判断であればよく、その真偽は未だ問われていない。だから、命題には、真なる命題と偽なる命題があることになる。
また広辞苑の第四版では「定立」は、
「カントの説く二律背反のうちの肯定的主張」「ヘーゲルの弁証法で、三段階進行すなわち定立(正)・反定立(反)・総合(合)の最初の段階」
とも紹介されている。
しかし、ジェダのせりふを作った企画担当者が、カントやヘーゲルやその弟子たちの本から「テーゼ」を引用したとは思えない。それならば、間違えないだろう。
おそらく、この「テーゼ」はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌『残酷な天使のテーゼ』からの引用だろう。ジェダというキャラそのものが「人類補完計画」(あれ?「魔界救済計画」だっけ)を企むようなキャラだから、これに違いない。
それでは、『残酷な天使のテーゼ』という歌の歌詞での「テーゼ」の使い方は正しいのだろうか。
結論から言うと正しい。
少なくとも間違いとは言えない。
「残酷な天使のテーゼ」は「残酷な天使についての判断の陳述」(「陳述」は口頭などで意見を述べること)といいかえられる。これは「少年」についての判断と主張に満ちたあの歌詞にふさわしいタイトルと言える。
●少年とは残酷な天使のようなものである。
●残酷な天使とは、やがて思い出を裏切って、窓辺から飛び立っていくものである。
これらは「テーゼ」には違いない。
ということで、ジェダのせりふを「テーゼ」を残して訂正するならば、
「君たち愚かな弱者は、個として存在する必要はない。これこそが私のテーゼだよ」
という感じになるのではなかろうか。
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