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18世紀後半、狂人は獣に類似した「非理性的な存在」として、隔離、監禁されていた。 だが、1793年ピネルによるビセートル病院の狂人の「解放」が行われ、狂気がようやく治療の対象になろうとしていた。 が、当時の治療法は「頭から水をぶっかける」「閉じこめて様子を見る」に近いもので、狂人も「人狼」に近い認識をされていた。 やがて狂気は「野生化」ではなく、「知性化の行き過ぎ」と言ったような解釈をされるようにもなる。 知的で内向的で夢想的な青年が引きこもって本ばかり読んでいると、鬱病になるといった「狂気の解釈」である。 この解釈はある意味現代でも通用する。鬱病の「症状」は脳内のセロトニンの量の不足によるのだが、運動不足だとセロトニンが不足して鬱になりやすくなるのだ。 このような狂気の解釈が流行った頃に書かれた「吸血鬼」(1819)の主人公オーブレーは「物を見極める力にまさって夢想する」な青年である。 彼は「うら若く純粋で美しい」田舎娘を愛するが、彼女を吸血鬼に殺され、すっかり弱気になる。その吸血鬼がかつての友人であると知り、またその不死身の吸血鬼が自分の内気な妹を狙っていると知って、すっかりおびえ、錯乱して色々訴えるのだが、後見人達は彼を狂人と見なして身の回りの世話をする医師をひとりをつけて自宅に軟禁する。 そうして一年が過ぎ、妹が彼の軟禁中に婚約し、しかもその結婚式が明日で、相手がかの吸血鬼であると知るや、彼は再び錯乱し、絶対止めろというのだが、医師や後見人達は痴れ者のたわごととして、それを無視し、彼は怒りのあまり血管が破れて死に、妹は血を吸われて殺される。 これがメロドラマ小説「吸血鬼」のあらすじである。 ちなみに彼の病気は「憂鬱症」と診断されている。で、治療って監禁するだけ? SSRIはないの? とかつっこみたくなるような描写だが、これが当時の狂気に対する扱いだったのである。 また、ホラーな鬱病治療法No,1の電気ショック療法は1938年発表なので、当時はない。 そして三環系抗うつ剤が次々と開発されるのは、1957年にイミプラミンの抗うつ剤が報告されてからである。 ちなみに鬱病は紀元前から病気として認識されていて、ギリシャのヒポクラテスは「胆汁が過剰になるとおこる」という説をとなえている。 なお、現代医学の解釈では、胆汁の役割は乳化作用を起こして、脂肪の消化を助けることである。 |
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