月村手記を読む


この文章では、月村幹彦が何を考えていたのか、月村手記を引用しつつ推測してみます。「月村手記」を見たことのない人はネタバレですので、この文章を読むのをお勧めしません

月村の憂鬱

私には日記を付けるという趣味はない。

日記をつけないことを強調する月村は、日常生活というものを、軽蔑しているという気がします。この世の出来事に、関心がないのでしょう。それでも日記を書いたという事は、やはり要に「一見親切そうだが、実は強姦者で、殺人者」とか、思われたくはなかったのでしょう。

私のこの下らぬ生に唯一。

やはり月村には、人生が楽しくなかったようです。単に楽しくないだけではなく、他人から見ても何も成し遂げていない人生に見えるだろう、という気持ちがあったのでしょうか。それならば、医師になれずに教師になったのは、野心のない月村にとっても、挫折にはちがいなかったのかもしれません。

痛いことを辛いと感じたことがあまりなかったが。

私には目もない、耳もない、鼻も口も、皮膚の感覚も無いに等しい。

これは、性的虐待を受けて心に傷を負った少年によくある解離性症状でしょう。非道な扱いを受け続けている少年の中には、「これは自分の身に起こっていることではない」と思うことで、辛い現実から逃れようとする者がいます。そして、彼らの一部は、現実に帰れなくなります。現実を実感する能力を失うのです。

解離障害があるかどうかを測る解離体験尺度(DES)というものがあります。
解離体験尺度

この解離体験尺度の問19に注目して下さい。
「苦痛を無視できることがありますか?」という項目が存在します。
痛覚をはじめとする感覚の消失は、解離性症状のひとつの典型なのです。

この解離体験尺度の正常人の平均値は10で、統合失調症(精神分裂病)の人の解離体験尺度の値は21辺り、PTSD(心的外傷後ストレス障害)患者は約30で、DID(多重人格・解離性同一性障害)患者は44(資料によっては60辺り)です。この解離尺度の値が一桁だと、こういう方向性においては何も問題はないでしょう。30以上の方は心当たりがあるのなら、精神科医を訪ねてみましょう。
それとこれで出る値はあくまでも自己診断なので、結果を盲信しないで下さい。

また、月村の「死に対する興味」は、「母の死を目前にしたこと」と関連していると思います。親しい人の死を目の前にして、心的外傷(トラウマ)を負った子供が、遊びの中にトラウマを再演しているのでしょう。これと似た話としては、目の前で両親を殺された戦災孤児が、お墓を作って遊ぶ映画である『禁じられた遊び』があります。

現実を感じることができないという感覚は、本人にとって苦痛です。月村は、幼い時の苦痛な体験から逃れようとして、半ばこの世の住人ではなくなってしまったのでしょう。

母の死によって、自己の病によって、二重に死に縛られた月村を救ったのは、自分が死んでも要は生き続けるということだったのです。

保護者であり、迫害者

人を変えたい。

月村先生は、一言で言えば、要に自分と同じ様な生き方を、して欲しかったのでしょう。

それは「信じていた父に犯された、少年の生き方」です。
月村は、「他人を愛さない」「他人を信じない」「他人を利用する」「他人と関わらない」という生き方をしてきました。
そんな彼の生き方のうち、月村は要に「他人を信じないから、脅したり報酬を与えて、利用する」という対人操作の部分を学んで欲しかったのでしょう。
月村の謎かけは「自分に親切にしてくれる人を、信用しない」人ならば、あっさりと答えが出る謎かけです。

月村は月村なりに「自分の人間観は正しい」と思っていた、というより感じていたのです。
それはあくまでも「心に深い傷を持つ者にとっての正しさ」であって、他人に深い傷をつけてまで、理解させるようとすべきではないでしょう。
しかし、それが月村の「愛」だったのです。

私は消える。君の心の中に、生涯消えない傷を残して。

それは懺悔でもありますが、処女を奪った男の勝利宣言でもあるかもしれません。

私は生来、人への興味が希薄な人間なのだ。

もしかしたら、月村先生には自閉症的な傾向があったのかもしれません。このタイプの人は、生きた人間との社交よりも、物を収集することを好む傾向があります。程度の軽い自閉症である、アスペルガー症候群の人の中には物だけではなく、人に執着する人もいます。その関係は「支配」か「服従」であり、相手に対する関心の持ち方は「全ての関心がその人に向く」となります。関心のない人間に対しては、冷酷な態度をとります。

3.特定の人に強い「愛着(こだわり)」を持つ。「友達になりたい」と強く望み、人に接近するが、人格対人格という通常の友情や恋愛の形式と異なる独特の人間関係のイメージを持っている。周囲から「理解されない」と感じていることが多い。アスペルガー症候群私見

自閉症的な人には、相手の言葉を文字どおりに受け取りがちな側面もあります。月村先生は「死にたい」という言葉を文字どおりに受け取りました。月村先生にそういう傾向があったとするならば、周囲が失望するのも仕方がなかったでしょうし、月村先生がその理由を理解できなくても不思議ではないでしょう。

私はただ普通に過ごしているだけなのだけれど、私の周囲にいる人たちは、必ずどこかで私に失望して去っていく。

月村には、要もまた自分の元から去るのではないかという、恐れがありました。月村の要に対する「あなただけを特別に、所有し、支配し、保護したい」という気持ちは、愛は愛でも「愛情」ではなく「愛着」でしょうが、それ故に本気すぎるほど本気だったのでしょう。

「月村先生度チェック」というのは、悪い冗談ですが、自閉症スペクトラム指数(Autism-Spectrum Quotient: AQ)自己診断
へのリンク
を置いておきます。興味のある方はどうぞ。

参考資料


初出2007.9.18 改訂 2007.9.18