この文章は、WWEのユージンとリーガルと、『キン肉マンII世』の万太郎とチェックの関係を比較する文章です。
WWEというのは、世界最大のプロレス団体です。アメリカを本拠地とするこの団体は、プロレスは演劇であると公言する団体で、試合がテレビドラマかドキュメンタリーのように組まれています。ユージンとリーガルはそこに所属するレスラー(WWEではスーパースターという)です。
それで、ユージンとリーガルの関係は、どことなく万太郎とチェックに似ています。
米国でアニメの『キン肉マンII世』が放映されたのは、2002年9月から2004年5月まで。内容的には、万太郎登場から、ケビン対万太郎まで。
WWEでのユージンの登場は、2004年4月ごろ。話数でいえば、#567からです。初登場時からリーガルが保護者。リーガルはこの時期に初登場したわけではありませんが、この時期に病気による長期休場から復帰して、ユージンの世話係をきっかけにヒールからベビーフェイスにターンしています。
アニメ版を最初の1年ほど見て、WWEでもこういう話をやろうとか思って即実行すると、まさにこのタイミングでしょう。
子供で天才な主人公が大活躍する痛快さと、悪役が好きになれる相手を見つけて良心的な保護者として献身する感動話、お説教役とお子様のコントあたりが、共通する面白さのポイントです。
2004年当時のユージンとリーガルの人物像は、それぞれこのようなものです。
ユージンは、ロウという団体を管理するビショフの甥です。レスリングの才能はあるが、知的な発達が遅れているため、20代にも関わらず幼児のような行動をとりまづ。明るくて純真だけど、おばかでとんでもないイタズラ好きで、可愛い女の子大好き。世話係であるリーガルに懐いているが、迷惑をかけまくってもいます。プロレスマニアで、技や選手のことにやたらに詳しい。怒ると誰にも止めようがない勢いで、暴走します。
ユージンは怒ると暴走しますが、これは火事場のクソ力です。
精神的な発達に何らかの原因で遅れが見られる人の中に、時たまそういう力を見せる人がいます。解離現象ですね。詳しくは、痛みを感じない者は誰かで。
ユージンの「よくもボクの友達にヒドイことを!」というストレートな暴走の仕方は、いい年をした大人レスラーの多いWWEでは、あまり見かけません。
「幼児的な暴走」として、怒りのパワーを描いたWWEは、さすが精神医学に対する理解が脚本家の基礎教養になっていそうな、アメリカだけあります。
日本のプロレスや少年漫画にありがちな、「怒りで切れて暴れる」という行動に対するロマンティシズムは、アメリカ作品にはあまりない気がします。
わたしが無知なだけかもしれませんが、幼稚さが売りのプロレスラーって、かーなーり珍しいと思います。単純に道化キャラというのなら、菊タローとかくいしんぼう仮面とかもいますが、保護者を必要とする「天然バカキャラ」というのは、いないような気が。
リーガルがユージンについて、この子はブーツの紐もひとりで結べないといいます。おそらく普段は、リーガルが結んでいるという話なのでしょう。
万太郎にキックレガースをつけさせる、チェックみたいですね。
ユージンは万太郎より道化色の強いキャラです。万太郎の幼稚さについての説明は「親が甘やかした」だけですが、ユージンは知的障害と、スカイパーフェクTVの公式サイトでも明言されていました。
キャスティングの問題で、ユージンが20代でしかあれないことは確実です。
14歳に見えるスーパースターなど、いるわけがない。
10代ならまだしも、20代で万太郎並の言動だったら、正直終わってます。
日本なら「個性」とかいわれそうですが、アメリカならば、それは「医者などの専門家が、何らかのカテゴリに入れる存在」です。
なので、「ユージンが大人になれないのは、本人の責任ではない」ということにする必要があったのでしょう。
これなら万太郎のように「いい加減成長しろよ」と読者から罵倒されずに済みます。
そして、WWEのユージンに対する扱い方の方が、道化役であることを徹底しています。ユージンは永遠に成長しない。ただ、彼のキャリアは積まれていきます。
逆に最近の万太郎みたいに「あのユージンがここまで成長を……」という感動はありません。
リーガルは、礼儀正しい口調が印象的な貴族風悪役レスラーです。病気で1年ほど欠場していましたが、ユージンの叔父のビショフから、コーチ兼世話係の役目を任されました。
リーガルの上司であるビショフは、ユージンを厄介者だと思い、ヒールであるリーガルに影でユージンの邪魔をするように命令します。
だが、リーガルは苦労しながら面倒を見ているうちに、純粋なユージンに対し、保護者としての愛情が芽生え、ビショフを裏切りユージンの味方として戦うことを決意します。だが、上手いレスラーではあるが、強さは中堅程度なので、最強のレスラーであるユージンの敵のHHHに重傷を負わされたり、闇討ちされたりと酷い目にあいます。それでもユージンに献身します。
30代の元ヒールらしく、ずるい大人でもあるが、ユージンと組んでいた時期は英国人らしい理想主義を唱える一面も。何かというとユージンにお行儀良くしなさいと、お説教をしていますが、あまり聞いて貰えません。
リーガルは「ミートの役割を演じるチェック」だと思うと、近いかもしれません。「叔父に世話係を命じられる」と「敵として出会う」が複合したリーガルとユージンの出会いは、そんな感じです。参考リンク→#567
まあ、ミートとチェックの役割を足しても万太郎の敵との試合数は0ですが。あ、Vジャンプ版のチェックを足せば、1試合はありますよね。
II世のミートよりも、スグルの父親の真弓に世話係を命じられてイヤイヤながらも従った初代のミートの方が、よりリーガルに近いと言えば近いです。ユージンのリーガルに対する頼りっぷりは、リーガルの役割は、ミートと同じく専任の保護者だと考えると、そのまんまのいきおいです。普通プロレスラーがここまで、セコンド(WWEではマネージャーと言う)を頼ったりしないものです。Bad Blood 2004
リーガルとチェックは「体を壊し、1年間長期欠場し、観客(読者)の前に姿を見せた後の最初の活躍は、他のレスラーの付き添いで、それをきっかけにヒールからベビーフェイスにターン」という所が共通します。
「共通の敵の前に手を組む」という形で、敵だった相手が仲間になることは、ドラゴンボールではよくあることで、WWEにもよくありますが、リーガルはわざわざこれまで従ってきた相手を敵に回してユージンの味方に付きます。
そういう所はチェックっぽいです。
もっとも、リーガルにはチェックのように食い気とか、無痛覚症とかいう、肉体的な快・不快にこだわるゆで先生らしい設定は、残念ながらありませんけどね。
仲間や師匠がセコンド(WWEではマネージャー)につくこと自体は、プロレスでよくあることです。
ですが、レスラーが他のレスラーの専属マネージャーであるような事態は結構珍しいというか、それはレスラーとは言わないんですよね。ミートはコーチです。
ただ、ケガなどで休場中のレスラーが若手を指導するというのは、実際にあり得る話ですから、リーガルとユージンの関係は自然な展開です。
また、コーチをしているリーガルがユージンにスパーリングで負けるという出来事は、視聴者にユージンの天才性を知らしめると共に、リーガルがユージンをレスラーとして認める上で重要なイベントです。#571
キン肉マンでは、これに対応するイベントは当然「チェックが万太郎に試合で負ける」です。物語展開上の意味あいも同じ様なものでしょう。コーチしていたミートが万太郎のすばやさに驚く場面もありましたね。
もちろん、リーガルが欠場した理由は、チェックとの一致度を高めようとしたから、なんてことは思ってはいませんが、WWEの脚本家がこれをユージンとリーガルの物語を組み立てる際に、有効に活用したことは疑いありません。
一年あれば、悪人が善人になっても、この一年の間に心境の変化があったのだろうと観客が思ってくれるという効果があります。
肝心の悪役からターンするくだりは、それぞれこのようなものです。
プレイボーイ版のチェックは「反則はいけません」と万太郎をかばった後で、万太郎への友情を告白します。
Vジャンプ版のチェックは「卑怯な真似は許しません」とミートを助けようとし、その後苛酷な試合の中で仲間達への友情を証明します。
リーガルは、「ユージンのような子を酷い目にあわせるなんて、恥を知りなさい。私は純粋なユージンが大好きです。」と、愛情を告白し、これまで従っていた相手に逆らい、その後苛酷な試合の中でユージンへの友情を証明します。#578
父性的な悪役が母性と正義と愛情に目覚める話なんですから、「悪人を非難しつつ、子供のような存在を助けようとする。そして守る対象への愛情を告白する」が、悪役から善人へ方向転換する際に、必要な儀式でしょう。
そしてこの「残酷な支配者に従順な悪人が、純粋な愛情から献身的で上品な保護者になる」という「考えた人はロマンティストですね」としかいいようがない話を、いかに納得させるかは、脚本と演出にかかっています。
WWEの場合は、生でレスラーが演技するんですから、大変ですね。
命がけの友情を、数万の観客の前でマイクアピールですよ?
いやー、偶然ってスバラシイ。きっとプロレス界にはたくさんの万太郎とチェックとミートがいて、セコンドに付いたり、タッグを組んでいたりするんですよ。
……正直、このパターンは珍しいと思うな。
ユージン単体なら、たまたまその時期に思いついたというのもありでしょうが、「チェック付き」なのがあやしいですね。
なお、アニメがアメリカ用に吹き替えられた時、チェックは「イギリス訛り」になりました。なので、アメリカでアニメを見た人にとっては、Checkmateは英国紳士キャラです。日米のプロレスの世界では「英国人は紳士」「紳士は英国人」ということになっています。ロビンマスクもその伝統に忠実なキャラクターです。
そして、リーガルはアメリカアニメ版のチェックと同じく、イギリス訛りでしゃべるのですよ。
そのリーガルのお上品な口調の台詞が日本語字幕で表示されるとき、それは「ですます」調なんですね。
ですから、「WWEの有名レスラーの中で最もチェックにイメージが近いキャラは、リーガル」というのは、妥当な判断だと思います。
ユージンが子供っぽい振る舞いをするのは、仕方がない、という前提にたって、プロレスでは珍しい場面が続出します。
「ユージンがリングを囲む金網を見て恐れる」というのも、そのひとつです。#589
他にも恐がって、保護者のリーガルから離れたがらないという場面が、ときどき見られます。
怖いから闘いたくない、と観客の前でいうプロレスラーは希有でしょう。
普通なら同情ではなく、怒りを買う言動です。
初期の万太郎は、そうだったのですが。
それから、ユージンがHHHとその仲間達に血塗れにされた試合があるのですが、注目すべき点は、その試合の次の試合の開始前に流された映像でしょう。
それは、ボロボロになったユージンを見て、リーガルとベノワが泣いている場面です。#582
普通、プロレスラーが仲間のレスラーが潰された位で泣きませんから、これはかなり珍しい演出です。
舞台裏では、仲間の怪我を心配して泣くレスラーもいるでしょうが、仲間が倒される度に泣きまくるゆでまんがのような光景を、プロレスの番組や会場で視聴者や観客が見ることはまずないでしょう。
まあ、マスクマンだらけの大阪プロレスとかでは、泣いてもわかりませんけどね。
日本のプロレスでなんでないかというと、答えは簡単で、日本のプロレスはあからさまに作られたドラマ映像など、普通は流さないからです。
映像があるとしても、たいがいはインタビュー映像や過去の試合紹介どまり。
WWEだからこそ可能な演出です。
プロの役者ででも無ければ、演技で本当に涙を流すのは難しいでしょう。
観客がおらず、生中継でなければ、タマネギとか、目薬とか使えます。
日本のプロレス関係者にキン肉マンの愛読者はとても多いですが、「悪役に血塗れにされた仲間を見て、レスラー達が泣く」という、お涙頂戴のゆでイズムをやってのけたのは、アメリカのプロレスでした。
それから、ユージンが無邪気であるが故に悪役のHHHに騙されるというエピソードがあります。
ユージンはHHHの大ファンであり、仲間にしてやるというHHHの言葉を信じて、リーガルがとめるのもきかずついていきます。
それで、HHHとリーガルが闘う試合で、特別レフェリーを務めたユージンがリーガルに厳しい判定をくだしまくります。リーガルはこっそり反則攻撃をするような元悪役レスラーなので、そういう点を純真なユージンに責められてしまうのですよね。#579
キン肉マンII世で、これに似た場面はキッド対レックス・キング戦で、サンシャインに騙された万太郎に、キッドが厳しく裁かれるでしょうか。
共通するポイントは、騙されて裁いている側には、悪意があるのではなく、まじめなだけという所です。
もっともこれは、そもそもゆでたまご先生の方が「レスラーがレフェリーをする」という、WWEのアイデアをいただいたから、似た場面になったと見るべきでしょう。
ストーリーの中心となるレスラーの性格を「ものすごく幼稚」に設定しただけで、ポイントがここまで似るのかどうか。
世話とお説教を担当する保護者がついたりするのも、怖そうな敵や恐ろしいリングを見て怯えるのも、ケガをした主人公を見て保護者を兼ねる友人達が泣くのも、「主人公が永遠の子供だから」で片付かないこともないですけれどね。
絵的なアイデアの部分でも共通点はあって、ユージンのトランポリンハウスのデザインは、ユージンの顔をモデルにしています。#580
『ちいさないえ』みたいに、家が人の顔をしているというアイデアは他になくもありませんが、肉ハウスみたいに持ち主の顔というのは、ちょっと珍しいですよね。
家を自我の象徴として、紙に家を描かせてその人がどういう人かを判断する方法が心理学の世界にはあります。
そういう観点からすると、「小さくて汚くて自分の顔に似た家に住んでいる人物」とは、「自分が世間から認められていない、ちっぽけだと思いつつも意地を張って、自己顕示をしている人物」でしょうね。
スグルはそういう人物であり、そんな彼が世間に認められていく物語が『キン肉マン』だったわけです。
なので、万太郎は父から家を受け継ぐとき、家の額の部分に髪の毛を描き加えるべきだったと、個人的には思いますが、父の顔の家の中にゲーム機と一緒に住んでいるのも、現代のボンボンらしくていいのかもしれません。
ユージンのトランポリンハウスも「ボクを見て」という、無邪気な自己顕示欲の表現なんでしょう。その回のユージンは調子に乗っていました。
肉ハウスと違って、生活感のない、きれいでからっぽのトランポリンハウスは、たのしいことだけを夢想しているフワフワした気分の表現なのかもしれませんね。
それとこれは微妙ですが、「ある試合で、ユージンに対して使用された凶器が、道路標識」というのもありました。「子供飛びだし注意」とか書いてある標識で、ユージンを殴るのですね。プロレスの試合で凶器が標識というのは、珍しいと思います。道路標識とリングで闘うなんてのは、もちろん漫画です。#597
日本のプロレス関係者がキン肉マンネタをやる時は、「キン肉マンを好きな人に喜んで欲しい」という気持ちがあってのことでしょう。『紙のプロレス』という雑誌が2006年にとったアンケートによると、プロレス雑誌を読むような人が、最も好きなプロレス漫画は得票率過半数で、『キン肉マン』でした。その次が『タイガーマスク』です。
『キン肉マン』は、日本のその世界の人々にとっては、相変わらず基本教養です。
ですが、WWEのユージンが『キン肉マンII世』の影響下にあるとしても、パロディとして受けをとろうとか、そんなつもりは毛の先ほどもないでしょう。観客が元ネタを知らなくても、全然結構。知っていたとしてもこの程度の類似性ならば、「影響」の一言で済みます。
正直、『キン肉マンII世』のノーリスペクト編の方が、よっぽど『スターウォーズ』のパロディです。
あくまでも推測ですが、「これは子供向けアニメだから、主人公が子供っぽくて保護者に懐いているんだな」と、米版『キン肉マンII世』アニメを見て、メリケン人脚本家はものすごく素直に受けとめたんじゃないでしょうか。
んで、似たようなことやったら、低年齢のファンが喜ぶかなとか思ったのかもしれません。
たぶん、喜んだような気がします。
別にWWE関係者が旧作の『キン肉マン』やVジャンプ版『キン肉マンII世』まで、自前で翻訳して読んだとは思いません。日本でも興行を行う彼らがそれをやろうとすれば、簡単でしょうが。
(つか、タジリあたりの日本人レスラーにこの漫画の内容教えてって、書店で取り寄せた本を渡せばそれで済む)
それでは、逆に相違点を上げていきましょう。
たとえこれが「ちょうどアメリカでのアニメ放映中に、WWEの関係者が似たような話を思いついた」という全くの偶然だとしても(もしそうならば、そのWWE関係者の母親が口うるさい人物だったことを疑わねばなりませんね)、この両者を比較することには意味があると思います。
ユージンの方は、正統派のエディプスのパターンですから、ゆで先生の「和製メルヒェン」振りが明確になるでしょう。
エディプス・コンプレックスのパターンということは、子供が父親を殺して母親と結婚するパターンだということです。
ユージンが叔父であるビショフを敵として倒し、母親代理のリーガルとタッグチャンピオンになるというのは、「教科書通り」なのです。
いやもう、メリケン人はなんでそこまでフロイトを信じるんだ、というほどに。
ここに存在する「ひねり」は、「母親は父親の味方であり、それ故に息子の敵であり、味方である」というパターンの挿入です。
リーガルがユージンの敵であり、味方であるのは、リーガルがビショフに従っているからです。
子供の望みと父親の望みが対立し、父親に従う母親は息子の敵であるという光景自体は、多くの家庭で見られるでしょう。
しかし、ここでは母親役のリーガルは、父親代理のビショフを裏切って、永遠の子供であるユージンの味方になります。
こうして「男二人の母子家庭」が成立し、別れた父親役に対して共同戦線を張る、というお話なのですね。
「バカな子でも可愛い」というのが、母性です。「ダメな子はいらない」が、父性です。「特別な子」をはさんで、父親役と母親役が対立します。
HHHのユージンに対する、おまえはこの職業には向かない。というのも、父性的な立場からの発言です。逆にリーガルは、人気があるならいいじゃないですか、とユージンをかばいます。
厳しい父親は息子を「ダメだ」と否定し、厳しい母親は息子をかばいつつも「ダメな点を直しなさい」と、口うるさいという構図です。
まあ、厳しい父親と厳しい母親に育てられたアメリカ人は、こんな物語を考えるのかもしれませんね。
こういう母親役と息子の葛藤を描いたエピソードに、こんなのがありました。
リーガルが私の側にいなさい、というのにユージンが一人で敵の連中に宣戦布告しようと外出し、一人になったリーガルが襲われます。そしてユージンはHHHにリーガルが酷い目にあったのは、おまえのせいだ、みたいなことを言われるのです。#585
自分が母親に逆らうことで、母親を傷つけてしまったという子供の罪悪感は、とても普遍的なものですね。
万太郎とミート、凛子、チェックの関係だと「母親役の方が誰かを心配して、勝手な行動をとって窮地に陥る」という、主人公が罪悪感を抱かなくていいパターンとなっています。
また、ユージンが女性にキスを迫って、断られるという話もありました。
ユージンの敵である叔父が、美女を使ってユージンを騙そうとするのですが、ユージンがボクが好きならキスして、と言ったらあんたなんか大嫌いと、女性が本音をぶちまけ、傷ついたユージンに叔父が「誰もおまえのことなんか好きじゃない。」と追い打ちをかける、その時クリスティという女性レスラーが飛び込んできて、ユージンを抱きしめてキスするという話です。#593
ここでは、女性は拒絶する悪女と受容する聖女にわかれています。
道化として同情される話は万太郎にもあります。初登場時の凛子がそうですね。
彼女の場合は、悪女として拒絶し、後に聖女として同情するという、一人二役です。
この二人のその後ですが、リーガルがスマックダウンに去った後、クリスティがケガから復帰したユージン保護者的につきそっていました。なので女友達と見ていいでしょう。
このように、登場人物のユージンに対する評価は、「ウザい(迷惑)」と「イイ子(可哀想な子)」のまっぷたつです。
ユージンは試合に勝ち進んだり、王座についたりして、周囲からの評価を高めていきますが、敵として戦った相手で味方になった相手というのは、特にいません。
リーガルもスパーリングはしましたが、試合で戦ったわけではありませんしね。
それに比して、万太郎に対する評価は、作品内ではあまり割れていません。
明らかに主人公として、プロテクトされています。
万太郎と闘ったが、万太郎が嫌いという人物もいた方がリアルでしょうが、ゆでたまご先生にとって「お伽話である」ということは、そういうことなのでしょう。
まあ、万太郎とユージンの一番の違いは保護者のリーガルが、何度も試合をするということでしょうね。
ロウだけで、年間50興行はあり、毎回、5試合位は組まれる、WWEは試合をなるべく増やす、という方向性の物語の表現形式をもっています。物語的に意味のある試合を一年間に250試合しなくてはならないのですね。
WWEならば、チェック対ボーンとか、キッド対ボーンは酒場での乱闘ではなく、きっちり試合として組まれたでしょう。
そんなちょっとしたいさかいで、いちいち試合するのかよ! と、いう感想をWWEを見て抱くことは少なくないのですが、好きなレスラーの試合が毎週見られるのが楽しみ、というのがプロレスのファンでしょう。
ユージンとリーガルの両方が戦わない。
↓
ユージンだけ戦う。
↓
リーガルが手助けする。
↓
リーガルも戦う。
↓
一緒に戦う。
という展開のWWEの方はナチュラルに関係を深めていますね。
『キン肉マンII世』の場合は、一人の相手と関係を深める話ではなく、様々な人間と関わりを持つ話という印象が強いです。なので個々の役割が細分化します。
また、リーガルはユージンと組んだ時だけベビーでした。ユージンの怪我でタジリと組んだ時もまだベビーでしたが、その後ヒールターンします。
リーガルは「わたしは悪人だが、ユージンの味方だ」という意味の発言をしているので、「ユージンだけが特別」ということで、観客もベビーターンに納得したのでしょう。
チェックのように、その後ベビーが固定したわけではありません。
リーガルとユージン、ビショフの物語は「介護者が障害者を、その親戚の虐待からかばう」という話にまとまったわけです。
WWEが上手かったのは、この「友情・努力・勝利」の物語を半年で終わらせたことです。
タッグ王者になった後、おばかなのにチャンピオンになったユージンが妬まれるという物語が展開しかかってましたが、ユージンがケガで長期欠場という形で、その物語は中断しました。その間にリーガルは別の番組にトレードされます。
まあ、万太郎が妬まれないのは不思議ですよね。
他人がチャンピオンになった時は、本人が妬みまくりましたが。
ユージンの怪我が本当だとしても、そのまま両者を別れさせる方向にもっていったのは、この話を美しいままで終わらせようと思ったからでしょう。
ここまでやって、リーガルがユージンを裏切ったりしたら、観客は失望すると思います。
もし、ユージンがケガをしなかったのなら、どういう物語が展開したのでしょう?
エキサイティングプロレス7はそのシナリオを本家WWEの脚本家が担当したというゲームです。このゲームにも、ユージンとリーガルは登場します。話は、彼らがタッグチャンピオンになった後から始まります。敵役の反則によってリーガルがケガをした後で、主人公がリーガルの代理として、ユージンの一時的な保護者になるという話です。ミートがセコンド不能になって、他の人物が万太郎を助けるというのと、同パターンです。どうも、アメリカ人も保護者と息子が愛情を確認し合った後は、息子の自立を考えてみるらしいです。これが「良き父親代理の出現」なのか、「新たな男友達の出現」なのかということについては、ゲームだけあって話が短いので判断できません。
単純化すれば、ユージンがタッグチャンピオンになるまでの、登場人物の役割は限られたものです。
主人公、父親、母親、善良な友人、不良グループ、ガールフレンド、周囲です。順にユージン、ビショフ、リーガル、ベノワ、HHH他、クリスティ、観客ですね。
ユージンを思春期を迎えたばかりの少年の置き換えだと考えると、この人物関係はシンプルかつ共感されやすいでしょう。
それでは、このサイトでは三回目ぐらいの気がしますが、ここで英雄神話のパターンを紹介しましょう。
a 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
b 彼の誕生には困難が伴う。
c 予言によって、父親が子供の誕生を恐れる。
d 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
e 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
f 大人になって、子供は貴い血筋の両親を見出す。この再会の方法は、物語によってかなり異なる。
g 子供は、生みの父親に復讐する。
h 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。
ユージンの物語は、こうです。
a ユージンは、ロウという団体の管理者であるビショフの甥である。
b 彼は「特別な子」として生まれてきた。
c ビショフは知的障害であるユージンの存在が、世間に知られるのを恐れている
d ビショフはユージンをロウから、追放しようとする。
e ユージンは、リーガルに面倒を見られる。
f ユージンはビショフが己の敵であることを知る。
g ユージンはビショフに復讐する
h ユージンはWWEのスーパースターとして認められ、リーガルとタッグチャンピオンになる。
話の本筋は見事に英雄伝説で、そういう水準では「よくある話」です。
プロレスのリングでよくあるかどうかは、わかりません。あんまりない気がします。ただ、アメリカのプロレスというものが、本気でテレビドラマを指向しているのならば、意識すべきパターンではあるでしょう。
ただ、世話係が上品な男性であるという設定は、この話形では生じにくいと思います。
e 子供は、動物や身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
が、このパターンでの正統です。リーガルやチェックを冒険用の「従者」と考えても、やはり珍しいでしょう。
英雄伝説の典型では、主人公は貴公子のはずなんですから、お供の方は道化とか、荒くれ者、実直な召使いといった感じになる話が多いと思います。
また神話で、若き英雄の試練の最中に援助者として登場するのは、たいがい女神でしょう。ああ、WWEの方には女神がいないこともなかった。(WWEは女性レスラーのことをスター女優という意味でDIVA、ディーバと呼ぶ。ラテン語に由来し、女神の意味がある)
道化の演じる英雄伝説というのが、キン肉マンの個性でしょう。
道化が英雄的な活躍をし、王になるメルヒェン自体は、西洋に多くありますが、それは「庶民が成り上がる」系統の話が主です。
「嫌みな貴族風の悪人の男性プロレスラー」に「心配症で口うるさい母親」の役を振るのは、ゆでたまご先生の「個性」のなせるわざでしょう。そもそも、万太郎の世話係といえば、まずミートです。そして叱責者にして、教育者です。主人公とリング下の取り巻きの関係はいつも、子供と母親みたいなのがこの漫画です。ですから、このパターンがゆで先生の「オリジナル」であることは、疑いありません。でも、WWEの方はどうなんでしょうか。WWEの脚本は集団作業なので、パターンが読みにくいのですが、少なくともユージンのような話はあんまりWWEの「いつものセンス」ではない気がします。本物の社長が本物の妻子とリングに上がる、WWEなら本物の母親を連れて来かねない。
家族や男女のドラマをリングの上と下で展開して、大衆の興味を引こうとして成功したのがWWEです。
伝統的な日本のプロレスは、むしろ「男同士だけで成り立つドラマ」を追求してきました。しかし、『キン肉マン』は家族関係や男女関係のおきかえのような「男同士のドラマ」を展開しまくって、ベタなストーリーを追求したのだとおもいます。
リーガルを母親役にキャスティングしたWWEの脚本家は、そういう何かというと息子を叱っている母親をリングの上に立たせてみたかったのでしょう。
アメリカ中の男の子達に共感されそうな、母子関係のパターンではあります。
その役を男性に振ることで、一人の男性の中の、父性と母性の両立の困難という話になるわけです。
口うるさい保護者と、イタズラ好きの子供、という組み合わせは子供向けアニメならベタでしょう。
「保護者のお行儀の良さに、子供がうんざりしている」のが、日米共通の中流階級の子供の悩み、ということなんでしょうか。
ユージンとリーガルのコンビの子供の側から見ての面白さ、というのはそういうものだと思います。子供は先生を困らせるのが好きなものです。
大人の側から見ての面白さは「幼い息子に振り回される若い父親」の話として見られるところでしょうか。
父親の育児を巡る物語は、ホームコメディの定番です。
シングルファーザーの話としてなら、このパターンは『クレイマー、クレイマー』等、アメリカの映画やドラマや小説に割合見出されうるかもしれません。
仕事か家庭かで、家庭をとる父の物語は、現代アメリカの家族のひとつの風景でしょう。
ただ、プロレスラー同士の話としては、やはり「思いついた人は、変わってるね」レベルかと。
まあ、キン肉マンとWWEでやられたら今後は「ベタなネタ」になりそうな気もしますけどね。
同じく幼児的な道化を主人公にした英雄物語であり、紳士的な男性が母性に目覚めて他者を援助する話ではあるんですが、日米の父親や母親に関する幻想の違いがはっきりと浮き出た形ですね。
ユージンとリーガルとビショフの物語では、父親(ビショフ)は倒すべき敵です。母親(リーガル)は父親に従順であるが故に息子(ユージン)の敵でした。母親は父親を敵に回して息子の味方となりますが、息子に反抗されます。後に息子は再び母親を保護者として認識します。
万太郎とミートの物語では、父親(キン肉スグル)は見習うべき手本ですが、遠くにいます。母親(ミート)は父親に従順であるが故に、息子(万太郎)の味方です。母親は不在の父を理想の男として、息子を父親に似せようと、つきっきりで厳しく教育しますが、時々息子を置いて去ります。
万太郎とチェックの物語では、万太郎の父親(キン肉スグル)ではなく、チェックの父親(サンシャイン)が敵で、チェックは「父親」に従順であるが故に万太郎の倒すべき敵でしたが、「父親」を敵に回して、万太郎の味方になります。
本当にユージンの物語の元ネタがキン肉マンだとしたら、WWEの脚本家は神話が家族関係の比喩だと理解する方々だということでしょう。
アメリカでは脚本家が神話や精神分析に精通していることは、日本に比べてはるかに当然のことで、こんなに論理的に物語や心理を書かなくてもいいのに、とアメリカのドラマやアニメを見ていつも思ってますが、組織的な集団作業には向いていますね。
もしこれが、『キン肉マン』のハリウッド映画化用の脚本とかだったら、「ゆで漫画に強い父親に対して、復讐するような話があるわけないだろう」とか批判するところですが、WWEのオリジナルのストーリーラインですから、「強い父を体現しようとする、アメリカのプロレスにふさわしい物語を書いた脚本家は優秀ですね」と賞賛しておきましょう。
念を押すようですが、この文章は盗作うんぬんのレベルの話をしていません。
アイデアは著作権法の保護の対象ではありません。それに、ゆでたまご先生自身、これまでも日本とアメリカのプロレスから散々ネタを頂戴してきたのですしね。
ただ、2004年ごろのWWEのRAWのストーリーを見て、「これ、2002年から2003年にかけて、アメリカで放映された『キン肉マンII世』を見て思いついたネタじゃないか?」と思いましたので、共通点と相違点を検討してみました。
ゆでまんがのみならず、ジャンプ漫画というものも、「現代日本社会」に合わせて奇形化した表現なので、現代日本を一歩出たらジャンプのパターンは「よくあるパターン」なんかでは、ありません。なので海外の作品にジャンプまんがみたいな話があったら、「ドラゴンボールでも読んだんだろうか」とか、日本作品の影響を推測することは、別に日本人の思い上がりではないと思います。
また、わたしは2000年以前のリーガルを知りませんので、詳しい分析はできませんが、彼は『キン肉マンII世』にチェックが登場する前に「イヤミな貴族風悪役」として活躍していたはずで、「リーガルはチェックの元ネタのひとつ」という可能性もあるでしょう。
この話が本当かどうか気になる方は、WWE ZONEの観戦記などを読んでみて下さい。文中の参考リンクはこちらに通じています。
ユージンの一人称が「ボク」で語尾が「〜よ」、リーガルが「私」で「ですます」なので、文章で読むと余計に似ている感じがしてしまいますけれどね。
エキサイティングプロレス7にも、リーガルとユージンは登場するので、気になる人はどうぞ。