ゆでたまご作品に、時々登場する「悪魔」の、起源についての考察です。
悪魔崇拝者とは、悪魔を拝む人々のことをさします。簡単にいえば、悪魔を自分の主人とする人たちです。
ですから、水木しげる先生の悪魔くんは「悪魔崇拝者」ではないのです。悪魔くんにとって、悪魔は「従者」です。
これは元になった、ゲーテの『ファウスト』もそうです。
日本の漫画で代表的な悪魔崇拝者といえば、藤子不二雄Aの『魔太郎がくる!』の魔太郎でしょう。
魔太郎は、新しく転校してきた小学校で、同級生によるいじめにあいます。彼は夜中一人の部屋で、「われらが万能の大神!! 暗黒の世界の大支配者!! 大魔王サターンさま!!」と悪魔に対し祈りを捧げ、自分をいじめた少年に人形で呪いをかけます。その呪いは果たされ、相手の生徒は大けがをします。これが第一話です。
ゆでたまご先生の『ゆうれい小僧がやってきた!』の第一話は、この『魔太郎がくる!』の第一話を元にしています。
「ゆうれい小僧」の第一話のあらすじはこうです。
日本のある場所に、108の妖怪を封じ込めている島がありました。しかし、ある日封印がとけ、その妖怪達は逃げ出しました。正義の妖怪である亜鎖亜(アーサア)童子は、彼らを倒すための旅に出ました。
ある学校にゆうれい小僧として転校してきた亜鎖亜童子は、誰かが妖怪にとりつかれていると感じます。このクラスでは、生徒が次々に怪死する事件が起こっていました。妖怪に取り憑かれていたのは、いじめられっこの呪井で、彼は人形を使って、自分をいじめた生徒を次々に殺していたのでした。いじめっ子のピエロは、呪井が妖怪に殺されそうになっているのを助けます。呪井は後悔し、妖怪を裏切って亜鎖亜童子に協力します。亜鎖亜童子は、妖怪を倒し、死んだ生徒達を生き返らせ、呪井は普通の少年に戻りました。
主人公が「世のため人のために闘うヒーロー」というのと「個人的復讐を果たすダークヒーロー」というのが、ゆうれい小僧と魔太郎の一番大きな差でしょう。それと、『魔太郎がくる!』や『怪物くん』に登場する番長は、味方になることは、基本的にありません。
ですが、ゆでたまご先生は、ガキ大将に対して「頼もしい」という印象を、持っているらしいです。いくつかのゆで作品に、頼もしいガキ大将という感じのキャラクターが登場します。スカーフェイスもそうです。ピエロとスカーは、崖から落ちかかった仲間を助けるという点が共通します、
それと、妖怪が小物です。魔太郎の場合は、サターン様の力は強大なのですが、こちらではあくまでもゆうれい小僧に倒される存在です。水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』(特にアニメ版)の場合は、妖怪は小物と相場が決まっているので、そっちの路線なんでしょう。
『魔太郎がくる!』の背景には、映画での悪魔ブームがあります。『ローズマリーの赤ちゃん』『エクソシスト』『オーメン』等が、代表的な作品でしょう。
ローズマリーの赤ちゃんとエクソシストには、それぞれ原作となった小説があります。同名で邦訳が出ています。
『魔太郎がくる!』の中には、それらの映画から影響を受けたと、おぼしき場面がいくつかあります。
悪魔を題材にした映画が次々に作られた背景には、アメリカでの魔術ブームがあります。
前述のアイラ・レヴィンの小説の『ローズマリーの赤ちゃん』の中には、実在の魔術師として、アレイスター・クロウリーの名前が出てきます(ハヤカワ文庫版220ページ参照)。そのクロウリーの著書『魔術』から、サタンに対する呼びかけを引用しましょう。
われは<汝>を召喚す、<恐ろしき不可視の神>よ。<霊>の<空疎な場所>に住まう<者>よ。
「汝、霊的<太陽>よ!
<サタン>よ、<汝>、<眼>よ、<汝>、<欲情>よ!
声を大にして叫べ! 大声で叫ぶのだ!
<車輪>を回せ、おお、わが<父>よ、おお、<サタン>よ、おお、<太陽>よ!」
さすが、オリジナルは違いますね。何言ってるんだか、よくわかりません。このような比喩と象徴と関連付けこそが、魔術です。神と天体と能力の関連付けは、古代の神話にはよく見られました。クロウリーの古代エジプト等の神話の教養の上に、この呪文は作られたのです。
ゆで先生は藤子先生を参考にして、藤子先生はレヴィンを参考にして、レヴィンはクロウリーを参考にしているのでしょう。また、ゆで先生は、『魔太郎がくる!』だけでなく、『ローズマリーの赤ちゃん』の映画か小説、あるいはその両方に触れた可能性があるでしょう。
このクロウリーの著作である『法の書』には、江口之隆による、クロウリーの簡単な伝記がついています。
さらに簡単に(やや不正確に)記述しましょう。クロウリーは、1875年に、キリスト教を厳格に信じる裕福な家庭の長男に、生まれました。両親の仲はあまりよくなく、クロウリーは、10歳の時に厳しい寄宿学校に放り込まれました。12歳の時に父を亡くします。父の葬儀の後、再び寄宿学校に放り込まれましたが、勉学態度が思わしくなく、校長によびつけられ、学校中の教師や同級生は彼を無視するようになりました。健康を崩して親族が学校をやめさせるまで、それは続きました。
青年となり、魔術師となったクロウリーは、友人であり師匠のアラン・ベネットの喘息を治すために、ブエルという悪魔を呼び出しました。しかし、それで友人の病をいやすことはできませんでした。クロウリーは自分の父親の遺産で、友人をセイロンに転地療養させます。
藤子不二雄A(我孫子素雄)の伝記(『藤子不二雄A 夢と友情のまんが道』菅紘)には、こういう記述があります。
藤子不二雄A先生は、1934年に、お寺の住職の息子の長男として生まれました。姉と弟がいます。早生まれで、小柄で内気で、よくいじめられていました。しかし、1944年、彼が五年生の時に、父親は急死します。藤子不二雄A先生は転校生として、藤子・F・不二雄(藤本弘)先生のいる学校に転校してきます。藤子不二雄A先生が、学校で絵を描いていると、藤子・F・不二雄先生が声をかけてきて、二人は友人になりました。しかし、間もなく藤子不二雄A先生は戦争のため、疎開することになり、疎開先でまたいじめられます。
父親を早くに失った孤独な少年は「人間より強大な存在」である父親を空想し、始終行動をともにする男の友人を持ったりするものなのかもしれません。
藤子不二雄Aの代表作である『怪物くん』は、両親がおらず、姉と二人暮らしをするヒロシのところへ、父親が怪物の王である「怪物くん」が訪ねてくる漫画です。『怪物くん』でも、怪物くんの父親にしろ、悪魔族の王である、デモキンの父親にしろ「強大な異世界の王であり、掟の守護者で恐ろしいが、実は優しい」のです。サターン様も魔太郎の保護者です。
「強大な魔王」という父親像は、『キン肉マン』の場合は、「悪魔将軍」として表現されたのではないしょうか。 「悪魔将軍」とは何か、というのは難しい問題ですが、黄金のマスク編の場合は「キン肉一族の守り神である、黄金のマスクに悪魔サタンがとりついたもの」と、言えるでしょう。「偉大な保護者である神の父」が「悪魔の誘い」によって「恐ろしい敵対者である父」となるのです。