『キン肉マンII世』のノベライズについて

 

内容やトリックのネタバレがありますので、お気をつけ下さい。

大雑把な感想

現在、『キン肉マンII世』のノベライズは二種類あるようです。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉
キン肉マン2世SP―伝説超人全滅!』 小西マサテル

の二冊です。
前者は、サイドストーリータイプのノベライズで、後者は原作破壊型のパロディですね。
印象としては、浅野さんの方がいい人で、小西さんの方は頭のキレる人、かな。

『キン肉マンII世 SP』について

『キン肉マンII世 SP』は、テレビの脚本家を長く勤めた辻真先のミステリーが印象としては近いですね。
オタク的で明るくて、アイデア勝負なところがそんな感じです。
テレビ業界は情報と企画と明るさを求められる所なのだな、と思いました。
それとキッドがテキサスの実家に帰った時のテリー一家の描写に味があったので、プロフィールを見てみたら英米文学専攻で、なるほどと思いました。

ですが、これ最後の密室トリックにミスがありますね。

形状記憶合金は熱を加えると一瞬で元の形に戻ります。
そして、冷えても、その「元の形」のままです。
最初真っ直ぐで、熱を加えると曲がり、冷えるとまた真っ直ぐに戻るようなものではありません。

作者がミステリーを名乗らなかったら、ゆでたまご先生のまんがのパロディが非科学的であろうが、何であろうが気にしませんが。

ミステリーが好きな人に読んで欲しいというのなら、これじゃマズいでしょう。

そうそう、冒頭の牛丼屋のギャグは、面白かったです。

『キン肉マンII世 -伝説の序章-』について

『キン肉マンII世 -伝説の序章-』には、長編と短編が収められているのですが、幼い頃の万太郎の話を書いた短編の方はマジにいい話でした。
長編冒頭のファクトリーの特訓で、万太郎がセイウチンを助けたりして、友情を築く話は今読むと余計に泣けます。

浅野先生の方は、笑いに関して強引ではありませんね。
ユーモアはありますが、ギャグではないというか。

浅野先生の長所は構成がまっとうということです。ちゃんと主人公の成長の物語として成立しています。

敵に情けをかけたり、その敵が後に援助してくれたり、友が敵に倒されたり、別の友が援助してくれたりと、話の展開も結構キン肉マンらしかったです。

一点だけ、何となく期待していて見事にスカされたところがありました。
悪役に動機がなかった。
やはり、キン肉マン世界の悪役たる者、主人公やその父やその仲間に、本人かその師匠が、ふかーい恨みを抱いているのでは、と思っていたのですが、単なる野心だったようです。

以前からまんがやゲームのノベライズってどれもこれも、原作の暗さに追いついていないと思っていたんですが、それはノベライズ作家が作家と読者に気を使っただけじゃなくて、実はメジャー作家の才能のひとつに闇の深さがあるんじゃないかと、今回思いました。

こちらでは、初代『キン肉マン』のタッグ編での設定である、アイアンスエットがギミックとして使われていました。
正義超人しか入れないはずのヘラクレスファクトリーに、悪行超人が紛れ込んでいるらしいという状況が、以下の引用文の背景にはあります。

正義超人と悪行超人とを識別できる方法は意外と少ない。悪行超人には人間への敵意や征服心があるだけで、身体構造や能力は正義超人とほぼ同じだからだ。
唯一確実な違いは正義超人のアイアン・スエット--かつて正義超人は鉄の鎧を身につけて戦った名残から汗に微量の鉄分が含まれる--だけである。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉

この小説では、運動してかいただけの汗でも、鉄分入りという設定になっています。なので汗を科学的に分析すれば、正義か悪行かわかるという話を中心に、物語は展開します。
原作のアイアンスエットは、罪悪感の表現として秀逸なので、「汗に鉄分が含まれるという体質」という科学的理解は、ギミックとしてはありですが、ギミックでしかありませんよね。
アイアンスエットを比喩と解釈し、小説風に表現するとこうなるのでは。

Aは、友を裏切った時の夢で、目が覚めた。
気がつくと寝ている間に、大量の汗をかいている。
冷たい、嫌な汗だ。
鉄の鎧でも着ているかのように、全身が重く、何をする気にもならない。
こんな日は、宝くじが外れたことさえも、友を裏切った報いのように、思えてくる。

わたしの実力ではこの程度ですが、「友を裏切って罪悪感を感じた」よりは、「汗が鉄のようだ」の方が、人を感動させ得るのではないでしょうか。
罪悪感を感じたときの、冷たい汗、重い体、そのために酷い目にあうのではないかという恐れをよくたとえています。

ゆでたまご先生は、単なる科学知らずなのではなく、比喩の才能のある作家だとわたしは思っています。
そこを誤解すると、アニメ化や小説化は、ほんとうに訳の分からないものになってしまう気が。

後、万太郎について。
浅野先生の万太郎には、影がありません。その方がいいという人も、山のようにいそうなので、浅野先生の万太郎描写に関しては、好みの問題かもしれません。
小西先生の方は、ともかく万太郎が軽いと思います。

万太郎はただの女好きでも、ただの友達思いでもないと思います。
幼稚なだけで、頭が悪いわけでもないし。
女相手にしろ男相手にしろ、人に対する欲がものすごく深くて、そのためなら体を張る熱さ、それがコインの裏表のように万太郎の光と影を作っています。
人に関する欲が深いというのは、ともかく嫉妬深い。羨望も強い。好きな相手が他の誰かと仲良くしていたり、目の前で他人が誉められているのが、凄く気に入らない。そして、友達はみんな自分の手下みたいに思っている。
ただそれだけなら、どうしようもありませんが、好きな女の子に誉められたい、仲良しの男の子に尊敬されたい、倒れていったみんなの期待に応えたいの一心で、どんな強大な敵にも困難な試練にも立ち向かっていくのが、万太郎じゃないかと思うのですが。友を求める際に払うべき代償を、知っている男です。(恋人を求める際に払うべき代償を、知っているとは思わんが)

やはりそんな主人公は、ジャンプの頂点に立つほど人気と賞賛に飢えていて、読者の期待に応えるためなら、体を壊すような長期連載もいとわないパワフルな作者にしか宿らないのでしょうか。

というわけで、原作の万太郎が大好きなわけではあまりありませんが、ノベライズの万太郎は原作に比べたら、インスタントコーヒーと豆から挽いたコーヒー位の差があると思います。
ああ、すっかりゆで先生の情念の濃さに慣れてしまった。

プロレスをどう描写するか 

この二つのノベライズは、どちらにも作者がプロレスファンであるが故の難があると思います。
プロレスファンでない人が書いたら、たしかにどうしようもないかもしれませんが、それは必要条件ではあっても必要十分条件ではありません。

『キン肉マンII世 SP』の小西先生の不備は、説明不足です。

5分経過--

『……あ〜ッと、ここで万太郎の大技が飛び出した!
 ブレーン・バスターの原点! フロントネック・チャンスリー・ドロップだァ〜!』

そして10分経過--

キン肉マン2世SP―伝説超人全滅!』 小西マサテル

このように技の名前のみで描写を済ませている所は、あちこちにあります。

この小説の読者の全員が、「ロメロ・スペシャル」や「フロントネック・チャンスリー・ドロップ」だけで何をやってるか、わかるわけがありません。「横四方固め」がどんな体勢かすぐわかる人は、むしろ少ないと思います。

技の選択自体には、説得力があるのですが、どんな技か知らないと読み流すしかありません。そして、意味のわからない文章を、面白く思う人間などいません。

小西先生に比べれば先輩の浅野先生の方も、後半になると、

投げっぱなしのタイガー・スープレックス。
ロープに投げてからのフェイス・クラッシャーとケンカキック。
デンジャラス・バックドロップにフランケン・シュタイナー、裏投げの連投--。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉

という、わからない人にはさっぱりわからない描写があるんですよね。

もっとも、浅野先生のこの描写はよかったと思います。

背中合わせになり足を滑り込ませ、マグネットンの足を組ませた。そしてガッチリと首をホールド、万太郎は首をそのまま巨大な鎚を振り下ろすようにヘソに向かって引いた。
逆エビ状態で弓なりになったマグネットンの身体--悲鳴がつんざいた。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉

ちゃんと何をやってるかわかりますよね。
この数行先を読むまでもなく、わたしには技名がわかりました。
これ、万太郎がチェックにかけた技ですよね(←バカ発見)。
しかし、この小説の読者も、マンタローストレッチという技名だけで、ゆでオリジナル技が思い出せるような、マニアばかりではないでしょうから、どんな技かきちんと描写した浅野先生はエライ。

キン肉マンファン=格闘技とプロレスのファンではありません。キン肉マンのような有名作品なら、単にマンガとして好きだという一般人読者だって、相当数いるはずです。
格闘技はメジャーなエンターテインメントですが、総合格闘技では使われないプロレス技は、数多くあります。
年末のK-1だけしか見ないという人に、プロレス技の名前しか書いていない小説はキツイ。
マニア以外の若い世代は、プロレス技なんて知りません。それに若い世代のプロレス好きが知っている技は、「619」とかのここ数年の人気選手の技が中心でしょう。
小西先生は20歳から34歳くらいの男性を読者ターゲットとして想定したそうです。しかし、20代後半から30代前半あたりと思われる肉世代でも、これらの小説に登場する技の全てを、即座に思い出せる人ばかりかどうか。

それでは、残酷ではありますが、ここでプロレスファンでベテラン作家の、夢枕獏先生の描写を引用しましょう。

男は、おずおずと、久保に手を伸ばしてきた。
久保のTシャツを掴んだ。
久保は、その手をはらいもせずに、男の股間に右手を差し込んだ。
そのまま、男を持ちあげ、宙で男の身体を一転させた。
左手で男の後頭部をカバーしながら、背からキャンバスの上に落とした。
マットが、浅くはずんだ。
ボディスラム--

仕事師たちの哀歌』 夢枕獏

夢枕獏先生はどこが上手いかというと、技をかける側が相手の体のどこにどう手をかけて、何をして、相手がどんなダメージを受けたかきちんと描くところです。
登場人物が物語の中でその技を使うときに技名だけというのは、しないようにしています。

当たり前ではありますが、それが新人には盲点だからこそ、小西先生のような描写になるのです。

テレビの脚本とかなら、技名だけ書けばスタジオでレスラーさんががんばってくれるでしょうし、マンガの原作なら絵の担当者ががんばればよいのですが、小説ならば自らどんな技かを書かねばなりません。一行か二行でよいのです。その技を見たことのない人にも、わかるように説明できてこそ、プロレス好きの小説家というものでしょう。
特に小西先生の方は、編集者のミスでしょう。小西先生も頭の悪い人ではないのですから、それを指摘して書き直しを迫るべきだったのです。
相手の書いた小説を見たこともないのに、知人にノベライズを頼んだゆでたまご先生に一番の問題がある気がしますが。

マンガの絵が技術に支えられるように、小説の文も技術なのです。
 

『キン肉マンII世』の筋肉を考える

みなさんも常日頃感じておられるでしょうが、万太郎って、特異な筋肉の持ち主ですよね。どうも、浅野先生もそう思ったようです。

バタバタ騒いでいる万太郎を見下ろして、スパイダーは呟いた。
「お前の身体はムダな筋肉が多すぎる」
「…なっ、なに?」
「前腕や上腕は発達しているが筋肉が全体に身体のセンターに寄り過ぎだ。腹筋は太いが横の広さが足りない。三角筋と広背筋にまとわりついている脂肪は、肩甲骨から肩の関節の固さの原因になる。臀筋も安定していないから股関節が支えきれていない」
 スパイダーの言うことはすべて当たっていた。万太郎の身体には、動きを制約する筋肉が多かった。筋肉バカのように身体を鍛えている正義超人が多いなか、スパイダーは非常に知的な筋肉をつけていた。ムダを省き、細くはあっても重量がないぶん柔軟性が高い。また腕や足が細いと、チョークスリーパーホールドやレッグロックなど関節技に有利だ。
 ブクブクと身体を筋肉で大きくするより、絞りあげた筋肉の身体が格闘家として理想的である。かつて史上最強への最短距離にいる言われた全盛期のアントニオ猪木や、国内では敵無しだった時代の小川直也が、しっかり鍛えてはいてもシャープなボディなのはその証拠である。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉

おお、この作者、ゆで美学にまっこうから挑んでいます。すごいや。
天然発言な分、原作破壊を「表現手段」とする、小西先生よりも容赦がありません。

キン肉マンII世キャラの筋肉には、現実的とか実戦的とかいう意味でのリアリティはありません。あのように脂肪がなく、そして筋肉が盛り上がった肉体を私達が生身の格闘家やプロレスラーに見ることはほとんどないでしょう。なんていうか、みなさん肉体が分厚すぎると思います。あえてあの筋肉を生身の人間に探すなら、アメリカ最大のプロレス団体、WWEのスーパースターしかいないでしょうね。

レスリングや柔道の選手はもちろん引き締まった肉体の持ち主ですし、Prideに参戦する総合格闘家でも筋肉質で細身の人がかなりの割合でいます。逆に多くのプロレスラーの筋肉と筋肉の間の細かな溝は、脂肪が埋めています。
万太郎はあまり肩幅がない上に肉を盛り上げてるから、逆三角形というより、円筒形に近くなるのでしょう。ジュニア級のレスラーって、あまり背中には万太郎のような筋肉がついていないような気もします。
超人は人間ではない。だから、肉の付き方も違うと言えばそれまでですが、あれでは皮を剥ぐ前から筋肉標本です。筋肉の名称をたくさん覚えた、ゆでたまご先生にとってのリアリティは解剖学的正確さなのかもしれません。格闘技好きにとって不自然のみならず、生でプロレス観戦をしない一般人の目には、とても異様な肉体です。他に強さの絵的表現手段はないのでしょうか。

と、わたしもかなりな部分、浅野先生に同意なのですが、ここからはあえてゆで先生の筋肉フェチを、擁護してみましょう。

わたしが考えるに、超人の筋肉は、デスマッチ用の筋肉なのです。
細身がいいのは、素手で戦うレスリングなどの、肌に深い傷がつかない試合方法や、ボクシングのように体重によるランク分けが細かく存在する場合でしょう。
でも、超人格闘技は、切られて開きになるのは当たり前、体重制限ナシです。
本当にこんなルールで、細身が有利なのでしょうか?

体重制限がないのだったら、相撲取りのような体格が有利ではないのでしょうか?

例えば、帝政ローマ時代、剣や槍を手に軽装の鎧で、相手か自分が死ぬか戦闘不能になるまで戦う剣闘士は、あえて炭水化物の多い食事をとって、脂肪をつけていました。
筋肉を切られるのと脂肪を切られるのでは、後者の方が出血量も少なく、運動能力も減じにくいのです。脂を切らせて、肉を断つ、と。

脂肪を鎧と見る観点からは、故橋本真也体形の超人レスラーというのも、アリかもしれませんが、シンヤの扱いを見るとナシっぽいですね。

ジャンクマンが許される超人格闘技のルールならば、細身の正義超人なんか、あっさり悪行超人に肉を骨まで切り裂かれるでしょう。もし、万太郎が絞った体形だったら、ネプチューンマンのチョッキで肺に穴が開きかねません。
というわけで、動きにくいほどに肉をつけている正義超人レスラーの体形も、凶器としか思えない肉体や衣装の超人が続々登場する世界では、立派な防御手段なのです。

実際、原作に万太郎の首がどうこうという描写がありました。

「首だ 首の太さが万太郎を救ったんだ!」
「エエ」
「代々キン肉族の王位継承者は強靭な鎧のような筋肉を持っているのが特徴だ! もちろん その遺伝子は息子の万太郎にも受け継がれていて ろくすっぽ練習もしないのに 筋肉だけは発達し 中でも大木のごとく太く弾力のある首は、とりわけすごい」

キン肉マンII世(Second generations) (Battle4) 』 ゆでたまご

こんな感じで、浅野先生も万太郎の分厚い筋肉にも受け身をとった際に大幅に肉体のダメージを軽減できるという長所が、とか言っておけばキン肉マンの世界観を壊さずに済んだような気が。

プロレスの投げは多くの場合、相手を肩甲骨のあたりから落とすようになっています。相手が後ろ受け身をきちんととれる者ならば、それが危険性の少ない落とし方ですが、相手の首に負担がかかる落とし方でもあります。
なので、生まれつき首が太いというのは、レスラーとしてはすごい才能です。
ちなみに上記引用箇所は馬式誉れ落としの際のキッドの解説ですが、馬式誉れ落としは、相手が逆さになった状態で後頭部から肩にかけてのあたりを、マットにたたきつけるというまさに「首に負担がかかる技」です。落とし方はマンガですが。

何かというと肩から落とされたり、背中から叩きつけられるプロレスでは、背中と首の筋肉はとっても大切と言うことで、万太郎の肉体もそれに合わせた作りなんですよ、と仮説を立てておきましょう。

超人格闘技もショービジネスだから、超人レスラーは一生懸命見せるための筋肉をつけているんだろ、という憶測はやめておきましょう。

ここの箇所は万太郎の体格を肯定する意味にもとれなくもありませんが、更に追い打ちという感じです。

 万太郎はなんとか、背筋と腕の力だけでジリッジリッと鉄棒ロープに近寄った。足は完全にロックされているが鍛えられた上半身が万太郎を助けた。また万太郎の身長は176センチで体重83キロ、かたやマグネットンは身長172センチで体重79キロ、わずかな体格差が万太郎に有利だったようだ。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉

キン肉マンの世界において、数センチや数キロの差に何の意味が。
テリーマンはキング・ザ・100tに勝ったんですよ。

というわけで、プロレスを否定するものとしての総合格闘技の思想というのは、肉世界では語ってはいけない気がしました。
『キン肉マン』は、真剣勝負で100キロ未満が、200キロ以上を投げて勝利することが可能な世界なのです。
なので、細かい数字を気にしない方が、逆にリアルだと思います。
 

人はなぜ首を絞められると死ぬのか

チョークスリーパーとスリーパーホールド。
どちらの小説にも出てくるこの技について、ちょっと語ってみましょう。
なんで両方に出てくるかというと、首を絞める技は、極まれば相手を確実に殺せる技だからでしょう。なんせ首を絞めているわけですから。殺人事件や敵の残虐さの証明に、ちょうど良いですよね。

スリーパーホールドは、柔道の裸締めと同じ技で、極まれば相手は数秒で気絶します。その際、相手の顔は蒼白になります。
絞める箇所はのどに通っている血管である、頚動脈周辺です。

チョークスリーパーは、アントニオ猪木の技のひとつです。チョークは英語でchoke、喉をふさぐ、窒息させるの意味です。
この場合に絞める箇所は気道周辺のはずです。気道というのは、息の通り道で、喉の真ん中辺にあります。

気道だけを絞めた場合は、相手はすぐには気絶せず、呼吸が不十分なために、脳に酸素が不足するので、頭に血がのぼり、少し顔が赤らみます。ですが、人間は息が出来なくなっても、肺の中の酸素を使ったりするので、しばらくは大丈夫です。どんどん苦しくなりますけれど。

また、もしこれがのどの血管をも絞めているのであれば、顔はあからさまに赤くなるでしょう。
頭に血を送る動脈は、頚動脈だけではなく、首の骨の中にもあります。でも、首の骨の中には、血を心臓に送り返す、静脈はありません。
ですから、ひもや手で首を絞めた場合は、のどの方にある静脈や動脈は、流れが止まりますが、首の骨の中の動脈の流れはよほどの力でない限り、とまらないので、頭部に血がたまり、顔はみるみる紅潮します。その場合は頭痛が酷いと思います。

おそらく、腕で首を絞めて人を殺した(扼殺した)場合、即死でないならば鬱血した顔のまま死ぬと思います。

それではなぜ、スリーパーホールドで人が気絶あるいは即死するのかについて、説明しましょう。それは後述の法医学サイトで縊死(首つりのこと)の主な機序ではないかと述べていた、神経圧迫ではないかと思います。

喉の血管を押して、心臓が止まる仕組みについて、少し説明しましょう。

これは、頭に血が上りすぎて、脳の血管がブチ切れたりしないように、頚動脈に圧力センサーがついている、ということらしいです。通常そのセンサーが刺激されるのは、血圧が上がったときで、そういう時にその神経は、血圧を下げろという信号を心臓に送るようです。
スリーパーホールドで、そのセンサー部分が強い圧力がかかると、心臓に「血圧が高すぎるらしい」という命令が瞬時に送られ、そのまま心臓がショックで止まるか、血圧が急激に下がって、脳に酸素がいかなくなり気絶、ということになるようです。なので、神経圧迫で人が気絶したり死んだりするときは瞬時です。眠るように落ちる、と言われるのはこの頸動脈洞反射によるのですね。
神経圧迫をもう少し詳しく知りたい人に

つまり、人が首を絞められて死ぬ場合、大きくわけて3つの可能性が主に考えられます。

1 息ができなくなって死ぬ(気道閉塞)
2 血の流れが止まって死ぬ(頚部血管閉塞)
3 神経が刺激されて、血圧が下がって死ぬ(神経圧迫)

脳に酸素が行かなくなるという点では同じですが、なぜそうなるのかが違うと、絞められた側の様子が違います。
上手い人のスリーパーホールドは、神経圧迫なんでしょう。
あまり上手くない人や、相手を気絶させる気がない人がやったら、血管閉塞になるのでしょう。
相手に苦しい思いをさせたいだけなら、チョークスリーパーで、気道閉塞の方がショックで心停止とかがなくて、よろしいということではないでしょうか。

まあ、実際の格闘技の試合では、相手も本気で抵抗しますので、そう簡単に首なんか絞められません。ですから、中途半端なスリーパーホールドで気道圧迫とか、そういう微妙な状況もあり得ます。

絞殺や扼殺について説明した法医学のページ 死体画像注意

ちなみにこの法医学サイトで扼死について、「手または前腕で頚部を圧迫して死に至ること」と定義しているという事は、どうやら腕や手で首を絞めて殺すことはあっても、足で首を絞めて殺した殺人犯はいないか、すごーくまれのようです。なので、足で首を絞める三角締めで人を殺していたら、斬新なミステリーかも。まあ、目新しければいいってものじゃありませんよね。

それでは、浅野先生の「スリーパーホールド」の描写を引用しましょう。

そのままマグネットンは万太郎の頭をつかみ、後ろから細い腕をスルリと首に巻いた。首の関節と肩口の筋を同時に絞め上げる。
(中略)
万太郎の顔がどんどん紅潮してゆく。これが青ざめると、血流も呼吸も止まった危険な状況なのだ。

キン肉マン2世〈1〉伝説の序章 ヘラクレス・ファクトリー編』 浅野智哉

顔が紅潮する、と書くということは、たぶん浅野先生は、チョークスリーパーとスリーパーホールドとを混同しています。チョークスリーパーホールドとか書いたりしていますから。少なくとも、これは「裸締め」の描写ではないと思います。
見た目は、まあ、あんま変わりませんからねえ。見分け方についてですが、相手の首の真ん中に絞める側の肘がきていればスリーパーホールド、前腕がきていればチョークです。
それから、スリーパーホールドを関節技と書いたりもしていますが、首を絞める系統の技は、絞め技と呼ばれ、関節技とは区別されることが多いと思います。首は関節には違いありませんが、スリーパーホールドは首をあらぬ方向に曲げて、相手に苦痛を与える技ではありません。

あとがきによると、浅野先生は猪木ファンらしいので、この描写は猪木さんを参考にしているのでしょう。

プロレス技であるチョークスリーパーは、本気で相手を気絶させたり、殺したりするつもりはないのでしょうから、どうなるかは加減次第でしょうが、おそらく絞められた相手の顔面が青くなるのは、首を絞める側の力が抜けたときだけです。

ちなみに、気道を絞められた場合、声は出ません。人は呼吸しながら話します。
なのでセイウチンが「チョーク・スリーパー」で絞め殺された小西先生の小説の方は、殺される間際まで、セイウチンがずいぶんイロイロとしゃべっている描写がおかしいです。
扼殺されつつ犯人の手がかりを叫んで死ぬ被害者は、きっと少ない。

プロレスで首を絞められながら、聞き取れる言葉で叫んでいるレスラーがいたのならば、それは「絞めたフリ」と「絞められたフリ」だと思います。少なくとも「チョーク」ではないでしょう。
なので、セイウチン殺害の状況を合理的に解釈しようとすると、セイウチンと犯人はグルとか、声の入っているテープはニセモノとか、ミステリーの展開が変わってしまうことに。

好意的に解釈するなら、セイウチンがかけられた「チョーク・スリーパー」なる技は、気道は絞めず、相手の喉の血管を絞める技だった、ということになるんでしょうが……。

小西先生の描写だと、スリーパーホールドを極めようとする相手とセイウチンがもみ合っているようにも、読めませんし。
というか、小西先生はスリーパーホールドとチョーク・スリーパーが別の技だと知っています。にせテリーマンが、キッドに「裸締め」をかけている時に「スリーパーホールド」とルビを振っていますから。(『キン肉マン2世SP―伝説超人全滅!』171ページ参照)
が、そこでも小西先生はスリーパーホールドがどんな技か書いていないので、技をかけられたキッドが、どんな状態なのか、知らない人にはさっぱりです。

ちなみに、実際にスリーパーホールドによる殺人は、あったらしいです。

なお、新日本プロレスのレフェリーを長年勤めた、柔道三段のミスター高橋は、暴露本と言われるような本でこう書いています。

晩年の猪木さんは、折からの格闘技ブームを感じ取って、チョークスリーパーを武器にした。こんな技、猪木さんは若い頃からつなぎ技としてよくやっていたのだが、関節技や絞め技がバーリ・トゥードの試合でよく使われるようになると、猪木さんはこの技をフィニッシュホールドとして使うようになった。
アメリカマットに招待されたときも、"英国紳士"スティーブ・リーガルとの試合で、このチョークスリーパーを使った。リーガルのセールもうまくて、アメリカのファンは「イノキは本当にリーガルの首を絞めている!」とビックリしたそうだ。
本当に決まれば、すぐに相手は落ちてしまう技だが、当然、猪木さんのチョークスリーパーは、かたちだけのものだ。

プロレス影の仕掛人ーレスラーの生かし方と殺し方ミスター高橋

この人の解釈では、チョークスリーパーは柔道の技の真似事であり、相手のダメージは演技です。セールというのは「相手の技の凄さを強調するためにやられてみせる」ことです。

前腕で他人の気道を絞めること自体は可能です。そういうレベルのリアリティは「チョークスリーパー」にあります。そして、もちろん絞められれば苦しい。
ですが、猪木さんが実際に絞めていたかどうかなんて、対戦相手しかわかりません。喉に腕をあてているだけだったのかもしれないし、後遺症の残らない範囲でぐいぐいやられていたのかもしれません。

そういう不透明さが、プロレスには存在します。なので、「スリーパーホールド殺人事件」はあり得ても、「チョークスリーパー殺人事件」は、どこかで描写に無理が出てくる気がします。

まあ、ここで取り上げている小説の場合「殺人事件」ではなく「殺超人事件」ですから、超人法医学の確立がなされてない現状ではなんともいえないでしょう。つーわけで、全てはミステリィ……というか、そもそもミステリーの成立しようがありません。

プロレスの技には、人体にダメージを与えるという観点からは、不合理な技が多く、キン肉マンの技には人間には再現しようのないファンタジックな技も多いので、下手に科学的、現実的なことをいわない方がいいでしょう。
プロレスという虚構の上にキン肉マンという虚構が重なる。その足場をよく確かめもせずにその更に上に、ノベライズという形で虚構を積んだら、よほどのセンスがない限り、リングの上のコーナーにはしごをのせたような、安定感のない小説ができると思います。

非科学的、非現実的な物語展開にも関わらず、ゆでたまご先生が成功したのは、おとぎばなしの才能によるものです。知恵の輪とルービックキューブが戦うおもちゃ箱的世界観は、特に小西先生の側に省みられることのなかった、キン肉マンの魅力でしょう。

ノベライズが新人のお仕事である現状では、こういうのも仕方がないとも、思ってはいます。

個人的には、印税の大半をもってかれることを承知で、お伽話を書いても優秀であることを『陰陽師』で証明した夢枕獏先生にでも、キン肉マンの小説化を頼めば良かったのに、と思います。きっとコラボレーションの話題性で売れたことでしょう。


初出2005.12.23 改訂 2007.4.6

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