この文書では「重いものは軽いものより速く落ちる」という法則を解説します。
『キン肉マン』の夢のタッグ編の超人師弟コンビとミッショネルズの、試合での一場面です。
「わたしの首に両足をかけるには… 落下速度でわたしを追いこさなければならない! 」
「その通りだ!! 」
「そしてきさまがあいてよりもはやく落下できるのは」
「その鋼鉄のヨロイが…」
ガッ
「うわっ」
「あるからだ!! 」
バリ
「ゲッ」
「これでヨロイの重みはこちらに移ったわけだ!! 」
「おおーっ 落下速度がネプチューンマンの方が早くなったぞ! 」
『キン肉マン (10)』文庫版
これは、有名な場面です。
それでは、ここで前提となっている「重い物の方が速く落ちる」という法則を証明してみましょう。
紙風船と、りんごを用意します。
その二つを椅子の上にのって同時に落とします。はい、りんごの方が先に落ちました。
次は大きめの鉄の玉と小さな鉄の玉を、椅子の上にのって同時に落とします。はい、同時に落ちました。
肉眼ではよく見えませんでしたが、先の実験結果から、この二つの鉄の玉の場合も、重い方がわずかながら先に落ちていると思われます。
もし、「重い物が速く落ちるなんてことはない」と主張するのでしたら、それを実験によって証明して下さい。教科書のここにこう書いてあった、というソースの提示ではなく。
こう言われたら、たいがいの人は困ると思うのです。
しかし、この困難に挑んだ科学者がいました。地動説で有名なガリレオ・ガリレイです。それまでは重い物ほど速く落ちるという考えこそが、常識でした。
アリストテレス(B.C.350ごろ)によれば,「重いものほど下の位置,軽いものほど上の位置が本来の位置であり,本来の位置に帰ろうとするのが本来の運動である。重いものほど本来の位置に戻ろうとする性質が強いから,重いものほど速く落ちる。」身の回りにはこの説明のように落下するものが多く,この説は教会の権威によって長い間正しいとされた。
ガリレイは「重い物と軽い物は同時に落ちる」という法則を証明するために、ピサの斜塔から大小の鉄球を落とす実験をしたという伝説があります。目ではよくわかりませんから、耳で落ちる音を聞き、その音がひとつだと確かめたというのです。現代なら、スピードガンだのビデオカメラだの、イロイロと観測手段もありますが、時計すらないガリレイの時代は人の五感が頼りでした。
肉眼でも正確に観測できるように、ガリレイは斜面で玉を転がして落下の実験を行いました。すると、重い玉も軽い玉も同時に転がり落ちます。参考 物理学探究の歴史・力学
また、思考実験で重い物と軽い物をつないで落としたら、全体の重量が重くなるからそれぞれ単体で落とすより速く落ちるのか、軽い方が遅く落ちて、それに引っ張られた重いものもゆっくり落ちることになるのか(パラシュート効果?)とか、考えました。 参考 ガリレオと落体の法則
しかし、思考実験は理解できる人が限られ、ピサの斜塔は「高さが充分でないから、わずかな差が観測できないのだ」という反論があり得、斜面での実験は「自由落下とは違う」という反論があり得ます。実際、ガリレイは光速測定の時は、わずかな差を観測するのに失敗しています。彼の意見が「常識」になるには、時間がかかりました。
物が落ちるのは、引力があるから。空気中で重い物と軽い物が同時に落ちないのは、「空気抵抗」があるからで、「真空中」では物は同時に落ちる。これは現代日本の大人の間では常識ですが、万有引力のニュートンが生まれるのは、ガリレイが死んだ1642年です。引力というのも、ガリレイの時代には一般常識なんかではありません。「真空」というものも「実在しないもの」扱いでした。
1638年にガリレイは、真空中の物体は落体の法則に従うと考えました。そして、真空の実在の証明がトリチェリ/ヴィヴィアーニによってなされるのは、ガリレイの死の翌年の1643年です。真空中で鉛のかたまりと羽毛を同時に落下させる実験が行われ、ガリレオ説が実証されるのは、1660年です。参考 真空の歴史
真空を簡単に作って、物の落下を見せてくれる実験装置なんて、ガリレオ・ガリレイの時代には存在しませんでした。
現代ではあります。
大阪在住の方で、「重い物と軽い物が同時に落ちる」を自分の目で確かめたことのない人は是非。真空中で羽根がすっと落ちる瞬間は、肉眼で見ると感動します。
現代に生きる我々が、「重い物と軽い物が同時に落ちる」を常識にできるのは、数百年前の人々が「引力」を「真空」を「空気抵抗」を、推測し、観察し、実験し、証明したからです。なんとなく周囲の物を観察していたら、「重い物が先に落ちる」の方が、人間の実感でしょう。
なぜ『キン肉マン』では、「重い物が先に落ちる」とされたかということについてですが、大きく分けて三通りの可能性が考えられます。
1. 作者は「落体の法則」を知らなかった。学校の授業は聞いていなかった。
2. 作者は「落体の法則」を知っていた。が、メインの読者である小学生は「重いものは速く落ちる」という、経験則的な世界に生きていると思ったので、それでよしとした。
3. 作者は「落体の法則」を知っていた。が、それはあくまでも真空中の話だと考えた。
3について補足しましょう。上記引用箇所は空気中の話ですから、「空気中では、重い物が先に落ちる」という理屈は正しいのです。ガリレイの「真空中では、物は同時に落ちる」は、逆に言えばそういうことです。実際にはすごくわずかな差でしょうが、漫画なんですから理屈が正しければ、現象が物理計算どおりでなくても良いのです。即座に「この落下距離でこの重さなら、空気抵抗による速度の差はいくらいくら」とか突っ込む小学生は、無視すべきマイノリティーです。
そもそもネプとロビンの会話の長さからするに、少なく見積もっても十数秒の時間をかけて二人は落ちてきているように思えます。そこにも突っ込む必要があるでしょう。この世界ではものがゆっくり落ちると仮定した方が、納得のいく現象は他にも色々あります。
まあ、相手の肉体に手をかけることができるのならば、ネプチューンマンはただ単に手でロビンマスクの肉体を自分の足下の方にぐいと押し下げて、技をかければ良かったのです。そうすると「物理学を応用した頭脳プレイ(小学生向け)」の味も、「伝説のギャグ」の味もなくなりますが。
この三つのどの説にも証拠らしい証拠はないので、この謎は後世の評論家にお任せします。