この文書ではメルヒェンを参考に『キン肉マン』に登場する「オーバーボディ」を考察します。
『美女と野獣』のような「変身」はここでは扱いません。皮にしろ、服にしろ、脱ぎ着できるようなものを扱います。
「あーっと キン肉マン ビビンバを 見つめながら みずからの覆面に 手をかけ めくり あげていくーっ!」(中略)
「この光の間から かすかにのぞく 目鼻立ちは わ…わたしが 幾度か見た 夢の中にでてくる 素顔のスグルさまと 同じものだわ…」(中略)「お…王子の素顔から 発射されるフェイス・フラッシュを 浴びているうちに どんどん元の美しく みずみずしい ビビンバさんの顔に 戻っていくーっ!」
『18』文庫版
キン肉マンが、マスクを脱ぐ場面です。
西洋の民話では、オーバーボディは、敵が着るものではなく、主人公が着ている場合が多いです。
そして、結婚式の直前や直後に不格好な衣装を脱いで、「実はわたしは追放された王女」とか「実はぼくは美しい若者」とかやるという、『キン肉マン』のエンディングもかくやというパターンです。
それでは、本人の意思で脱ぎ着できる「衣装」の例をあげていきましょう。
まずは、イギリス民話である「藺草(いぐさ)ずきん」の話をしましょう。これは『リア王』のルーツとなった話です。
ある時、金持ちの父親が「おまえたちはどれほどわたしを愛しているか」と質問します。長女が「わたしの命と同じくらい」と答え、次女が「世界をぜんぶ合わせたよりも」と答え、末娘が「生肉にお塩がなくてはならないくらい」と答えました。父親は末娘の答えに怒り、娘を家から追い出しました。これは「あなたが必要です」という意味でしたが、父親はそれを理解しませんでした。そして追放された娘は「藺草で編んだ粗末な頭巾」をすっぽりとかぶって、美しい顔と服を隠します。藺草というのは畳の草ですから、むしろをかぶったような感じなのでしょうか。そして、大きなお屋敷のメイドとして働き、その息子と結婚します。彼女は、父親を結婚披露宴に呼んで、塩を入れていない料理を出します。そして父親は、娘の言葉の意味を知ります。
その「藺草ずきん」から、「オーバーボディを着る場面」と「こっそり脱ぐ場面」と「人前で脱ぐ場面」を引用しましょう。
仕方なく、娘は家を出ると、どこまでもどこまでも歩いて行ったが、そのうち沼のそばまでやって来た。沼で藺草をたくさん集めると、それを編んで、頭巾のついたみののようなものを作り、頭から足先まですっぽりおおい、着ていたきれいな服をかくしてしまった。
(中略)
しかしみんなが出かけてしまうと、娘は藺草のずきんをぬぎ、身体をきれいに洗って、舞踏会へ行ってみた。舞踏会場には、この娘ほど美しい装いの客はだれひとりいなかった。
さて、舞踏会に来ていたのは、他ならぬこの家の主人の息子だった。これは娘を一目見るなり、たちまち恋い焦がれてしまった。
(中略)
「いったい、おまえはだれなんだ?」と若だんなは言った。
「それではごらんいただきます」と言って藺草のずきんをぬぐと、そこには美しい服を着た娘の姿があった。
若だんなの病いはたちまちよくなり、まもなく二人は結婚式を挙げることになった。
『イギリス民話集』
これと似たような話は世界中にあります。
例を挙げると、『フランス民話集』 に収録されている「皮っ子」がそうです。母親無き後、父親が娘と結婚しようとしたので、娘が牛の生皮をかぶって家出し、王の家でガチョウの番をし、舞踏会で王子様に見初められて結婚します。
『イタリア民話集 下』に収録されている「木造りのマリーア」や、『グリム童話集』「泉のそばのがちょう番の女」<KHM179>もこのパターンの話です。
日本では、「姥皮」として知られる話でしょう。
姥皮の話は中国にもあります。例えば『けものたちのないしょ話 中国民話集』に収録されている「ソンジャラモ」です。これは魔王の嫁になることに決まった娘が逃げ出すために、死んだ老婆の皮をかぶる話です。
悪い男から身を守るためでしょう、オーバーボディをかぶるのは、家出少女が多いですが、家出少年の話もあります。
ロシア民話の「知らん坊」は、継母に殺されそうになった商人の息子が、飼っていた馬と共に逃げ出し、牛の毛皮をまとい、膀胱の袋をかぶって、その姿を珍しがった王様の所で下働きします。
それで異国の王子がこの国の王女を狙って戦争を仕掛け、主人公は変装を脱ぎ捨てて、馬に乗って国と王女を守ります。そして、正体を明かさずに去り、変装してまた下働きをします。二度目に闘った時に彼は手に傷を負い、王女がその手に自分のスカーフを巻きます。毛皮を着た主人公がそのスカーフを巻いているので、王女は自分を救ってくれた勇士の正体を知り、結婚しました。しかし、異国の王子が王女を狙って三度目の戦争をしかけてきます。
知らん坊はからだから毛皮を脱ぎすて頭から膀胱の袋をはぎとって、くだんの駿馬を呼び寄せ、口でも言えず筆でも描けぬようなりりしい若武者の姿になってあらわれた。
『ロシア民話集 下』
主人公は敵を打ち倒し、勇士として王の後継者に選ばれます。
女性ならば、舞踏会で一番の美人、男ならば戦争か馬上試合で一番の勇士、これがメルヒェンのパターンです。
不格好な化け物が、りりしい勇士であることを、王女が周囲より一足先に知るという、この話は少しだけ、王位争奪編のキン肉マンに近い気がします。
今度は、本人の意思で脱ぎ着できる「皮」の例をあげましょう。
主人公が人間の姿で生まれないということが、メルヒェンでは時々起こります。
そして、蛇の姿で生まれた王子が、脱皮して人間になるといった展開がその後に続くことがあります。
また、主人公の婿や嫁になった蛙が、実は魔法をかけられた王子様や王女様で、皮を脱いで美しい姿になるといったパターンも、よく知られた展開です。
『イタリア民話集 下』に収録されている「洗濯女の雌鶏」という話を紹介しましょう。
子宝に恵まれない洗濯女が、聖母様に「せめて雌鶏でもいいからわたしに産ませて下さい」と願ったら、ほんとうに、雌鶏が生まれてしまいました。雌鶏は巨大に育ちました。そして、人のいないところで羽根を脱いで、舞踏会に出かけました。その姿を見た王子が恋し、その雌鶏を洗濯女から譲り受けました。そして雌鶏が脱いだ羽根を焼き捨てて、彼女をお嫁さんにします。
同じく、『イタリア民話集 下』の「蛇の王子さま」は、人間の娘が、七枚の着物を着て蛇との初夜に臨む話です。「あたしが一枚脱いだら、あなたも一枚脱ぐのよ」と言って、蛇に七枚の皮を脱がせると、蛇は美しい若者になりました。この話には、それなりに長い続きがあるのですが、省略します。
『ロシア民話集 下』には、「蛙の王子」ならぬ、「蛙の王女」の話があります。
王子様が沼にいた蛙を、仕方が無く嫁にすると、蛙は皮を脱ぎ捨てて、かわいい乙女になって、王子様を助けてくれます。もう蛙の姿に戻らないようにと、王子はこっそり皮を焼き捨てました。しかし、乙女は父親よりも賢かったので、三年間蛙の姿でいるようにと呪われた賢女でした。蛙の姿で三年を過ごせなくなった、乙女を災いが襲います。続きは本で。
蛇や蛙などは脱皮する動物です。今でも「成長」の例えとして一皮むけるとか、脱皮したとかいいます。そういう比喩がお話になったのかもしれません。
脱皮するといっても、「蝶のお姫さま」や「セミの王子様」は、古典ではありません。さすがに昆虫には、愛情がわかないのでしょうか。
「皮をかぶった王子」や「変装した王女」の物語は、人類普遍のお伽話です。
それは外見と内面の分裂の問題、周囲の評価と自己評価の落差の問題でしょう。
彼ら彼女らは、牛の皮を脱ぎ、蛇の皮を脱ぎます。
おそらくキン肉マンも、こういう王子の一人なのでしょう。
ですが『キン肉マン』の何かをかぶって変身するという発想は、直接的には、特撮番組やアニメから来ているのではないでしょうか。
初期のキン肉マンは、ウルトラマン等の特撮ヒーローのパロディでした。特撮ヒーローは番組中では変身する存在であり、現実的には着ぐるみを着た存在でした。
初期キン肉マンには、遊園地のヒーローショーに出演する、きぐるみヒーローのパンダマン、テレビ局の控え室でマスクを脱ぐ、森永のエンゼルマンといったネタがありました。
キン骨マンたちも、全身を被うようなもので変装して、キン肉マンを誘い出したりしていました。
変装や変身といったものを、『キン肉マン』は初期から重視していました。
しかし、正義と悪の闘いになってからの『キン肉マン』に多い「敵が皮を脱ぐ」のは、何を意味するのでしょう。
上で例を挙げたように、民話には「主人公やその恋人」が、オーバーボディ着用という話はよくあります。しかし、主人公の敵にあたる存在が、皮を脱ぐ話は少ないでしょう。主人公が敵に騙される話として有名な「青ひげ」も、皮は脱ぎません。彼の秘密は服の下ではなく「開かずの間」にあります。それは悪事の証拠を見つけることによって、主人公が相手が悪人であることに気がつくという物語です。
敵が脱ぐ『キン肉マン』は、主人公側も、相手を見かけで「強い」とか「悪い」と判断している気がします。
『キン肉マン』での「敵が皮を脱ぐ」は、単なるデザイン変更の都合や強さの強調とも思える場面もありますが、多くの場合「裏切り」の象徴として使われています。
悪魔将軍の正体が金のマスクというのも、神のキン肉一族に対する裏切りです。ビッグ・ザ・武道も、部下であるスクリューキッドをいわば「裏切った」わけです。ネプチューンマンは、はっきりと「裏切られた!」と口にしていました。
『キン肉マンII世』のスカーフェイスが、オーバーボディを脱いだ後に展開される物語も、ジェイドの「裏切られた」です。
悪魔将軍は復讐を、ビッグ・ザ・武道は野心を、スカーは復讐を、それぞれ胸に秘めていました。「隠された姿」は、「隠された真意」の比喩でもあるでしょう。部下や仲間にも自分の正体を明かさなかった敵の大将は、主人公の前で更なる悪人へと脱皮するのです。
そして、彼の部下や仲間は、信じていた相手に自分の知らない顔があったことに、ショックを受け、主人公の仲間になる。これがひとつの典型として『キン肉マン』の中に存在します。