「魔術性について」の前置き

この「魔術性について」のカテゴリーでは、『キン肉マン』の中の「一般に理解されている因果律を超えた現象」について考察します。
敵の攻撃が「雷を投げつけてくる」だったり、「人形で呪う」だったりする、『キン肉マン』という作品は「表現が神話的」とか「発想が呪術的」といえるでしょう。

精神医学における、「魔術的思考」の定義はこうです。

自分の思考、言葉、または行為が、一般に理解されている因果律を覆すような形で特定の結果を引き起こす、または防ぐという誤った確信。魔術的思考は正常な小児の発達の一部であることもある。

専門用語集より

具体的には「おまじないをすると雨が降る」とか。それは広い意味での「魔術」です。
幼稚園や小学校低学年ならば、「テルテルボーズをつるすと晴れになる」と信じていても、正常の範囲内です。
「てるてる坊主」は「伝統文化」でもありますので、「テリーマンのキン消しをお守りにするとはれる」というような「個人的信仰」の方が「魔術的思考」の例としては適切でしょうか。
これがきっと「小学生にだけわかるキン肉マンの良さ」でしょう。

前方後円墳が地球の鍵穴だったら、「ロマンティック」なのか?
それとも、「おかしい」のか?

これが『キン肉マン』の評価に関して、大人になった読者の間で、意見の分かれるところです。常識的な大人になってからだと、『キン肉マン』に感動するというより、『キン肉マン』に感動したことを懐かしく思い出すという形になりがちなのかもしれません。

「ゆで理論」といわれているものは、多くの場合「科学に偽装されたオカルト」です。その範囲は、自然神話の水準から、健康に関する怪しいおまじないの水準まで。

『キン肉マン』に登場する「魔術的な手段」には、神話や伝説に登場するような伝統的なネタの応用も多いです。その方が読者も受け入れやすいのです。
非科学的なものでも、「伝統」だったら、「常識」として通るという面があります。

『キン肉マン』では、塩で悪魔払いをしていました。これは神道に基づきます。『神社と神道』神社オンラインネットワーク連盟|時局問題|清め塩
今でもお葬式の時に、お清めの塩を配ることがありますね。それでお清めをしている人に対して、「塩でけがれが払えるなんて、迷信だ」と主張するのは、逆に変人っぽかったりしませんか? 

「魔術」と「宗教」には深い関連があり、現代日本社会でも、神道の神官と仏教の僧侶の雨ごいや日ごいは、伝統文化、宗教行事として続いています。
これが「狂的なもの」の判定の難しいところで、「一般に理解されている因果律」が「偉いお坊さんが祈ると雨が降る」であるような、神話や伝説の作られた時代には、そう信じていても変人ではなく、常識人なのです。

科学的に間違っていても、「魔術としては正しい」ということは、あり得るでしょう。それに現代の「最新の科学理論」も、100年後の人間から見れば、おそらく「迷信」や「誤解」に満ちているでしょう。
案外、「魔術的に正しい」の方が「科学的に正しい」よりも、人に長く信じられたりするのかもしれません。

『キン肉マン』という作品を彩るものは、神秘主義であり魔術的思考です。

『キン肉マン』の連載された1980年代はまだ科学信仰全盛期で、魔術は迷信として映画や漫画や小説の世界からも、排除されていました。しかし「己の望みが奇跡的に叶う物語」を求めるのは、人の常です。そして多くの人が、自分には理解できない科学用語を、新たな時代の呪文としてありがたがりました。
今にして思えば、古典的なメルヒェンと見せかけだけが違う「サイエンスフィクション」が随分とあったものです。
その後、遠くヨーロッパの「妖精物語」の伝統を受け継いだ、『指輪物語』の流れを汲む、RPG(ロールプレイングゲーム)の日本への移入と、その亜流である和製ファンタジーの奔流が、日本の漫画やアニメ、ゲームを変えました。

一見科学を装いつつも、「神官の日食の予言」や「病気を治す呪い」のような描写を盛り込んだゆでまんがは、読者の心の太古から変わらぬ部分を魅了したのでしょう。

この「魔術性について」では、『キン肉マン』の魔術的な側面を、科学的に見てどうかという点と、伝統的な信仰に照らし合わせて、どうかという点から、考察してみたいです。


初出2007.8.8 改訂 2007.12.12

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