『キン肉マン』などのゆでたまご作品によく登場する、若くたくましい男の死体を山のように積み上げて、柱状にしたものについて考察します。
「ギリシア アテネのアクロポリスには 古代アテネの守護神アテナ・パルテノスをまつる建築物がある それはパルテノン神殿と呼ばれている」「この超人パルテノンは パルテノン神殿のうちの建築物のひとつが変身した姿だといわれている」「さすがは博学のロビンマスクもこういう所までは知らんだろう……」「人間どもがわたしのボディを作る際に アテナ・パルテノスの神に ささげる生けにえに 若くたくましい男たちを 柱に埋めこみ 人柱にしたことを…」
『キン肉マン (14)』文庫版より
パルテノンのように、実在する古代遺跡を「超人神話」の舞台とするために、「実はこうだ」と超人がしゃべり出すのは、キン肉マンシリーズのパターンです。当然のことながら、こういう史実はありません。人の死体が埋まっていたら、現在も行われているパルテノン神殿の修復作業の時に見つかっています。
しかしこういう「若くたくましい男たちを人柱にした」という話は他のゆでたまご作品にもあります。『闘将!! 拉麺男』の肉体闘技場の巻は、ある王が生きた男の肉体で闘技場を造ろうとする話です。詳しくは、ブログで。
パルテノン神殿に奉られているアテナ・パルテノスは、ギリシア神話の処女神です。
『イリアス』には、戦いの女神であるアテナに、妻が子牛十二頭を生け贄に捧げることを約束して、夫の戦場での勝利を祈る場面があります。
古代ギリシアでは、牛を神に捧げることが多かったようです。
このアテナは当然ながら、この後、ジャンプに連載されて大ヒットする、『聖闘士星矢』で、話の中心となる「女神アテナ」です。ポセイドン編は、そのアテナ本人が、海底神殿の人柱になりかかる話でした。
車田先生と違ってゆでたまご先生には、女神信仰に相当するものがないようなので、パルテノン神殿にまつられている神の話はここでは一切出てきません。
日本では、古くからそこかしこで人柱伝説が語られます。
人柱となる人間は、男のこともあり、女のこともあります。
『日本書紀 上』から、男が人柱になる話を紹介しましょう。
仁徳天皇の時である。大阪の河内は、たえず洪水に見舞われ、人々は困り果てていた。なので、堤防を築くことにした。
しかし、堤がどうしても二カ所決壊する。その時天皇が夢で「人柱を二人立てよ」というお告げを聞く。
そこで東国の武蔵の出身の人物と、地元の河内の人物が選ばれた。
「神のお告げならしかたありません」と東国出身者は、泣く泣くいけにえになった。
しかし大阪人の方は「そんなあほなお告げは信じられません。なんなら、瓢箪(ひょうたん)を水に沈めてくれと神に祈って下さい。それで沈まんかったら、そのお告げはニセモノや」といった。
果たして瓢箪は沈まず、大阪人の方は死を免れた。
どういう基準で、この二人が選ばれたのかについては、神が天皇の夢の中でこの両名を名指ししたという以上のことはわかりません。
もうひとつ紹介しましょう。
大阪育ちの人なら「長柄の人柱」の話を一度はお聞きになったことがあるでしょう。
(中略)
長柄橋の架設は非常な難工事で、人柱がなくては完成しないような状態でした。このことを土地の長者・巌氏【いわうじ】に相談したところ、「継ぎのある袴をはいている人を人柱にすればうまくいくだろう」と提案しました。ところがよく調べてみると、不幸にも巌氏の袴に継ぎがあったため、人身御供として水底に埋められてしまいました。
人柱は、水の神への贈り物(生け贄)という考え方もありますが、古くは建造物の強度を増すために、人柱を使うのは人の霊性を建物に移すという考えだったそうです。
橋を守護する「神」をそうやって作るのです。
このような人柱伝説を、大阪出身であるゆでたまご先生は、幼いころに聞いたのではないでしょうか。
近所の建造物について「あそこは人柱を立てた橋だ」とか「あの堤防にも、人柱が使われた」とか聞けてしまう土地が大阪です。また、そういう場所にはどーんと人柱の石碑が立っていたりします。そばを通った子供にとっては、トラウマ体験じゃないでしょうか。
一応『キン肉マン』やラーメンマンの世界では、建築物に男を使うのは、邪教ということになっていて、そういうことをする連中は悪役として描かれます。
そして主人公は「生け贄になりかかった男」を、救うために戦うのです。
日本の人柱は多く、一人の人を埋めるものです。水の神に妻として女を捧げる場合は、若く美しい女性ということになりますが、建造物に霊を宿すという目的の場合は、男も多く、若さや美しさはあまり気にされません。
若く逞しい男とか、しかも大量に人柱にするとか、そういうのは、ゆでたまご先生のファンタジーです。
しかし、こういう方向性の信仰は、どうやら古代に実在したようなのです。
古代アステカには、敵の部族の戦士である若く逞しい男を捕らえ、太陽神に生け贄として捧げるために、拷問の上、神殿で殺すという、宗教儀礼が存在しました。
犠牲に供された人たちは、誤解された者たちや悪意ある者たちや殉教者たちではなかった。そうではなくて、支配者民族の見地からいえば、太陽神を養うために恰好たり得た敵の部族の英雄たちだった。単に一般慣習として敵を殺しただけでなく、それを中心的な儀式ともしてきた宗教を、歴史のなかで他に発見することは困難である。
『マヤ・アステカの神話』
この古代アステカの儀式が、ロビンマスクがパルテノン神殿に生け贄にされかかる話に近い気がします。
こういう古代メキシコで男が生け贄になったという話は、近年まで日本では一般に知られてはいませんでした。
この「古代メキシコの生け贄の儀式」が、漫画の元種になる時は、常に生け贄は「女」でした。
『ジョジョの奇妙な冒険』の第一話は、美女を生け贄にする場面から始まります。
手塚治虫先生の漫画もそうでした。
ですから、ゆでたまご先生が、これらの古い儀式を知っていた可能性は低いでしょう。
ゆで先生がギリシアの神殿でやっていることと、荒木飛呂彦先生がメキシコの神殿でやっていることを入れ換えたら、ちょうどいい感じです。ギリシア神話には若い女性を、生け贄に捧げた話がいくつも出てきますから。
それと、プロレスが盛んな国は、アメリカと日本とメキシコですが、作品から判断する限り、ゆでたまご先生は、メキシコのプロレス(ルチャ・リブレ)に関心が薄いです。マスクマンも多くて、キン肉マンと世界観は近い気がするのですが、おそらく、ゆで先生はガチで強い人が好きなのでしょう。
死者の霊やテレパシーに助けられるような展開が、『キン肉マン』や『キン肉マンII世』にはよくあります。
しかしそれとは別に「ご先祖様の死体に助けられる」という、展開が時にあります。
筋骨逞しい男の死体の山から流れ出した水を浴びると、フェイスフラッシュが出せるようになるマッスルフォールとか、万太郎達の乗ったリングを支える躯柱とか、食べると無敵になれるコンプリートバルブとか。
これは、悪者が男の死体を山にしているのと、表裏一体のようです。
男の死体の山には力があって、それを「与えられる」のが主人公で、「奪う」「盗む」のが悪者というような対立構造ですね。
その水を浴びた者に奇跡の力を恵む、マッスルフォールは、ご先祖の愛情として、わからなくもないですが、不気味な印象を受ける人も多いでしょう。
墓場の水は、日本古来の考えならば、むしろけがれたものです。
キン肉マンの場合、それは「歴史」なのですよね。
他人の犠牲の上に今の自分がある、例えば桜の木の下には死体が埋まっているように、というのは、人類普遍の信仰でしょう。
ですが、ご先祖様の霊体ならまだしも、死体に助けられるというのは、あまり聞かない話です。
しかし、そういう形の祖先崇拝も、古い時代にはあったようです。
チャタル・ヒュユクという、ざっと8000年くらい前の、中近東の古代遺跡の話を紹介しましょう。
この古代都市の住民は、死体の上に寝ていました。彼らの住居では、漆喰でできたベッドが、お墓を兼ねているのです。新たに家族が死ぬとベッドを壊して、死者をそこに葬り、またベッドを作りなおしました。
現代的にいうならば、コンクリの床下に、代々のご先祖様が埋まっている家というと、わかりやすいでしょうか。
死体の骨を調べた結果、それらはお互いに血縁関係にあり、男女同数が埋まっていたそうです。
それ故に、殺した敵を埋めたのではなく、家の床下が先祖の墓なのだというように考古学者たちは考えました。
参考 (ディスカバリーチャンネル「ケルトの恐怖儀式」 リンク先の文章の「死体が全てベッドの下にある土でできた都市」が、チャタル・ヒュユクに関する紹介)
位牌や遺影という形で、現代日本人も亡くなった家族と共に暮らしています。
ですから、仏壇ではなく墓そのものが家の中にあるという、古代遺跡もわからなくはありません。
ベッドの下というのは、夢でご先祖様に会うためではないかと、個人的には思います。
ゆでたまご作品に、ときどき登場する「男の死体の山」。
それは、おそらくものすごく古い「ご先祖様の亡骸が自分達を守ってくれる」という信仰と、つながるような個人的象徴なのでしょう。
男女混合の、あるいは女の死体の山が存在しないのは、ゆで先生の個人的信仰がそういうものだからでしょう。
若く逞しい男の肉体には、何か霊的な強さが兼ね備えられているという信仰、それ自体は普遍性のある信仰です。
しかし、それを積み上げて柱状にしたものに、呪力が宿るといった信仰は、聞いたことがありません。
わたしの知る限り、古代信仰でも、現代作品でも、これにぴたりと一致するものはないので、オリジナルなのでしょう。
古い作品にも、新しい作品にも、これが登場することから、おそらくこの象徴はゆでたまご先生にとって重要なものなのでしょう。
当初は「人柱」という名称が使われていましたが、「大量に積み上げるのは、人柱じゃない」ということにゆで先生も気付いたらしく「骸柱」という独自の名称になりました。
大阪に人柱に関する話が多く伝えられていることから、地域的なものを背景にしていると思いますが、肉体崇拝はおそらくプロレスに由来する別の信仰で、ゆでたまご先生の中で結びついたのでしょう。