この文書では、キン肉マン世界の仇討ちの法則を考えます。
「男が戦場で倒された、友の仇を討とうとする」という話自体は、とても古くからあります。
紀元前8世紀に成立したと推定され、ギリシア最大最古の古典といわれる、『イリアス』から紹介しましょう。
ギリシアの勇士アキレウスは、総大将のアガメムノンと戦利品である女の扱いを巡って争いになり、もうあの大将のためには闘わないと、引きこもりました。
アキレウスの親友のパトロクロスは、アキレウスの鎧と兜を身につけ、身代わりとして闘います。ですが、パトロクロスは、敵であるトロイアの勇士ヘクトルに討たれてしまいました。パトロクロスは、討たれる寸前、ヘクトルに「おまえはアキレウスに殺されるだろう」と言います。パトロクロスの死を知ったアキレウスは、激しく嘆き、せめてパトロクロスの遺体だけでも取り戻そうと戦場に赴き、鎧は奪われてしまったものの遺体を守ります。その後、アキレウスは新たな鎧を身につけて、見事ヘクトルを討ち果たします。
「オレの仇は、きっと親友がとってくれる!」ガクッ。
というパターンは、2千年以上前からあったんですね。
「友人が敵にブッ殺されるまで、本気を出さない主人公」も、紀元前からいたのです。
『ドラゴンボール』の主人公の孫悟空が、親友のクリリンをフリーザに殺されて、超サイヤ人と化し、フリーザと激闘を繰り広げるくだりは、まさに現代の古典といえましょう。
『キン肉マン』の場合は、7人の悪魔超人編の「テリーマンがキン肉マンのマスクをかぶり、ケガをしたキン肉マンの身代わりとして闘おうとするが、悪魔超人たちに酷い目にあわされる。だが、キン肉マンが助けに来て、仇を討つ」というのが似た部分です。
英雄叙事詩『イリアス』は、ギリシャ神話の神々が、人間の英雄に加勢する物語です。
これは英雄が戦場で敵を次々に倒す物語、裏を返せば次々に若い勇士が死んでいく様を描いた物語ですから、目の前で戦友を討たれた男が、その場で友の仇を討とうとする場面は、いくつもあります。ただ、何年越しの仇討ちのようなことは、ほぼありません。
「その大会中に倒された友の仇を討ち、友を復活させる」とか、「先の試合で屈辱を味わわされた、友の無念を晴らす」とかいうのが、キン肉スグルや万太郎の役割です。そして「守るべき友人」というのは、キン肉マンより「弱者」で、ぶっちゃけ「格下」です。
『忠臣蔵』のように、主君とか、父親とか、目上の男性の仇を討つのが、伝統的な武士道です。
『キン肉マン』にはそういう「年上の男性に対する忠誠心」に対する、否定的な雰囲気が漂っています。
「前回の戦いで師匠が倒された復讐」とか「前回の戦いで父親が倒された復讐」というのは、主に敵の動機です。
具体的には、キン肉マンでの、父親の仇を討とうとするブロッケンJr.、師匠であるロビンマスクの復讐をしようとするウォーズマン、キン肉マン二世での、祖父の仇を討とうとするMAXマンなどです。
彼らの復讐は、ひとつとして果たされません。
『闘将!! 拉麺男』だと、父親の仇を討って成長する話がよくあるので、これは「作家の個性」というだけではなく、「作品の路線」なのでしょう。『闘将!! 拉麺男』はイメージ的に「上下関係を重視する封建社会」なのです。しかし「主君の仇」はどちらにもありません。
民話ではなく、神話の場合ならば、「父の仇」というような話はあります。ペルシャの英雄叙事詩である『王書』は、父や祖父の仇を討つ息子の物語の連なりです。
ギリシア神話ならば、おそらく「父は自分を捨てた」とかいうような、「父が敵」の話の方が多いでしょう。例えば、ギリシア悲劇の「オレステイア」三部作。しかし、この悲劇は「夫に娘を殺された妻が夫を殺し、息子が父親の仇として、母親を殺す」という話で、家族ドラマです。
日本の昔話でも、「父の仇」はあまりありません。
さるかに合戦は、「母の仇」です。母親を猿に殺された子蟹が、臼だの栗だのの手を借りて、仇を討ちます。
かちかち山は「妻の仇」です。おばあさんをたぬきに殺されたお爺さんが、敵討ちをうさぎに頼むという話です。うさぎの立場は必殺仕事人です。
弱者である女の仇の方が昔話には、馴染むのかもしれません。
しかし、西洋のメルヒェンだと「何々の仇」という話自体が、滅多にありません。
あったとしても、ミート考で紹介したように、「主人公の兄や子分が、魔物に食われるが、主人公が魔物を倒すと、兄や子分たちは生き返る」というパターンになるでしょう。
キン肉マンシリーズでも、これはよくあるパターンです。
最近では、悪魔の種子編で生き返るケビン達とか。
「友の仇」というパターンに関しては、『キン肉マン』は戦場で男同士が闘う英雄叙事詩に、民話風の味付けをしたもの、ということになります。
一行目が万太郎の「仲間」の名前で、二行目以下が仇の名前、O(マル)は万太郎による仇討ちがされたケースで、X(バツ)がなされなかったケースです。
ガゼル | セイウチン | キッド | チェック | ジェイド |
ジェイド X | MAXマン O | スカー O | スカー O | |
クリオネマンO | ヒカルド O |
仲間の敗北や万太郎の勝利について、公式戦のみをカウントしました。スカーとケビンは、万太郎による明確な仇討ちがなかったので表にしませんでした。悪魔の種子編は、タッグがらみなので、判断しづらいです。なので、この表はオリンピック編までです。オリンピック編までで、最強の「仇を討たれる役」は、ジェイドです。
ガゼル | セイウチン | キッド | チェック | ジェイド |
ケビン X | MAXマン O | チェック O | フォーク O | スカー O |
ジェイド X | クリオネマンO | スカー O | ボーン O | ヒカルド O |
ボーン O | ガッチャ O |
試合以外で蹴られただの、投げられただの、シューティング・アローを食らっただのも含めてみました。実は、万太郎ってマメなんでしょうか。それとも主人公が戦う場合には、必ず「かませ犬」や「傷ついた仲間」を用意するゆで先生が細かいんでしょうか。試合で負けているジェイドとセイウチンはわかりやすいですが、実はキッドやチェックもちゃんと仇を討って貰っています。ガゼルは大切にされていません。チェックに関しては、フォークや、ガッチャのように侮辱しただけでもぶっ飛ばされます。キッドもチェックに蹴られたり、ボーンに刺されたりというような、試合以外の出来事の仇を討たれることがありますが、キッドはきっちりと肉体的に痛い目にあわされています。そういえば、チェックはテリーマンにも、蹴られたりしているんですよね。これはもしかして万太郎が、テリーマンと対決する予定があるということでしょうか? そりゃ、マシンガンズと対決はしそうですが……。
敵対者(一部略称) | 敵の犠牲者(一部略称) | 援助者(一部略称) |
ボーン・キラー | ラーメンマン | なし |
アナコンダ | なし | キッド |
キン肉スグル | なし | なし |
テルテルボーイ | プロレスラー | ミート |
MAXマン | セイウチン | ミート、ケビン |
チェック・メイト | ゴージャスマン、キッド | ミート、サンシャイン |
デッド・シグナル | なし | ミート |
クリオネマン | セイウチン | ミート |
スカーフェイス | キッド、ジェイド | ジェイド、ケビン |
THE・リガニー | 凛子 | なし |
フォーク | 一般人、チェック | チェック |
ハンゾウ | コクモ、ザ・ニンジャ、他 | ミート、ニンジャ |
ボーン・コールド | ジャイロ、ミンチ、キッド、チェック、他 | チェック、キッド |
農村マン | なし | なし |
イケメン(だるま) | セイウチン | 凛子 |
フォーク | チェック、シンヤ | 米男 |
ウォッシュ・アス | なし | ミート |
バリアフリーマン | ニルス? | ニルス、ミート |
ヒカルド | ザ・摩天楼、ジェイド、パシャンゴ | ジェイド、ミート |
ケビンマスク | ミート、イリューヒン、レゴックス、プロレスラー、ガゼル他 | 農村マン |
コンステレーション | ミート、バッファ | ミート、バッファ、クァン |
アシュラマン | アイドル超人軍、シバ | ケビン、スグル、アイドル超人軍 |
ケビンマスク以外には連戦連勝であることは、みなさんご存じの通りです。援助者の欄には基本的にはセコンドが入りますが、ピーナッツをとばすとかいう「援助」もありです。敵対者がイケメン、というのは「だるま落とし」も戦いというか試練に数えているからです。ノーリスペクトのみなさんは、一般人を殺し過ぎです。
「敵対者」→「援助者」→「犠牲者」が、II世においての敵から味方への転身組のたどる道です。仲間になった後は、「援助者」→「犠牲者」のパターンのくり返しではないかと。ちなみに「援助」は自ら犠牲者になる、とセコンドにつき助言などを送るの、二種類が主なものです。観客も援助者なんですが、評価者と言った方が正しいような。タイムシップ建造の時は、正義超人全員が援助者でした。
敵対者 | 対象 |
THE・リガニー | 凛子 |
ボーン | ミンチ |
悪魔の種子 | ミート |
時間超人 | ケビン |
ミンチは助かっていません。老いが若きに何かを伝えて死ぬのが、ノーリスペクト編のテーマです。d.M.p編と入れ替え戦は、領土争いなので人質はいません。土地か人を奪い合う、というゆで先生のわかりやすさには頭が下がります。
とりあえず、『キン肉マンII世』の「友情」が、力の差を背景にした「上下関係」という側面が大きいことは、確かなようです。上に立つ者として、万太郎がきっちりと役目を果たす話ですね。そういう意味では、万太郎はとても「王」です。
グリム童話に『かれい』<KHM 172>という話があります。これは魚の王様を決めようとする話です。
「じぶんたちにも王さまというものがあって、それが正しいことをやるようにしてくれたら、さぞいいだろうなあ」
おさかなたちはこう言って、それでは、いちばんはやく波を乗りきって、よわいものを助けることのできるものをみんなの王さまに選挙しようということに話にまとまりました。
『完訳 グリム童話集 5』 金田鬼一訳 岩波文庫
王の資格は競技の優勝者であること、王の役目は弱きを助けること、その存在意義は王を頂点にした秩序をもたらすこと、とこの古き物語は語っていますが、万太郎はマジにこんな感じですね。
スグル時代の初期は「強者ぞろいの正義超人みんなで、苦しんでいる弱者を助けてやろうぜ」みたいな盛り上がりがあったのですが、万太郎時代は「強者である万太郎が、弱者である他の正義超人みんなを助けてあげる」というピラミッド構造が初期から確立していて、II世に熱い友情を感じない、という人はたぶん、こういうところが気に入らないんだと思います。
この物語における「主体」は基本的に万太郎一人で、「万太郎達」ではないのです。