『キン肉マン』および『キン肉マンII世』での女の男に対する愛とは、リングの下からの「涙の叱責」です。
勝ち気な女性が、涙ながらに主人公の男性を叱る。その期待に応えたい一心で男性が、奇跡の逆転をする。よくあるパターンです。
ナツコから、ビビンバ、凛子、ジャクリーン、アリサ、Vジャンプ版で人質になった幼女のリナちゃんまで、みんなこんな感じです。
「もうリナ「怖い」とか「助けて」とか弱音をはかない!
だから超人さんもお願いだから、正義の心を失わないでーっ!(涙)」
(『キン肉マンII世』 Vジャンプ版 1巻)
ただ、多くの場合叱責自体には、男を動かす力はないようです。
女の叱責が意味を持つ場合のは、「叱責」が「哀願」であるような場合です。前述のリナや、ロビンを叱責するアリサの場合のように。
女の叱責は叱責のみなら、大抵無視されます。
『キン肉マン (1)』文庫版の「プロレス大決戦の巻」から引用しましょう。
(テリーとタッグを組んだキン肉マン。ところがみんながテリーばかり応援するので、イヤになってリングを離れてしまいます。)
ミート 「王子! テリーマンがやられているじゃないですか!」
キン肉マン「うるさい!」
ナツコ 「ちょっと待ちいな キン肉マン」
ナツコ 「聞こえへんのか!」(平手打ち)
作者 『ふつうのマンガなら ここでリングへ帰るところだが…』
ナツコ 「いったー」(痛いの意味。たたいた手が赤くなっている)
ナツコ 「ちょっと誰か キン肉マンをとめてよ」
解説 「あーとテリーマン 血だるまです!!」
(中略)
テリーマン「キン肉マンカムバーック!!」
キン肉マン『テ…テリーマン…』
キン肉マン「うおおおーっ!!」
ナツコ 「やっぱり女ではダメやわ…」
他にも万太郎が対ケビン戦でマリさんに、あなたもキン肉王族の名誉を背負っているのだと叱責されるが、万太郎の励みにはならなかったというエピソードなどがあります。(『キン肉マンII世』 単行本21巻 参照)
「哀願」なら意味があるのは、「掟」を盾に詰め寄られても反発するが、「涙」を流されると助けてしまうのが、『キン肉マン』世界のヒーローだからでしょう。義理と人情で、人情を優先しまくるのですね。
また、ゆで世界の愛とは自己犠牲ですので、自己犠牲が涙の叱責に伴う場合は、それは男の心を強く動かします。
「スグルさまーっ 超人格闘技者にとって ギブ・アップを口にすることは 死にも等しいことと幼き日から 父より聞かされてきました…!!」
「だから 愛するスグルさまが ギブ・アップを口にしたと同時に このビビンバは…このスタンドから飛び降りて死にます!!」(涙)
(『キン肉マン (18)』文庫版)
この後、ビビンバの危機を救うべく、キン肉マンが関節技からの見事な脱出を見せます。
他に女の叱責が意味を持つのは、事実の暴露です。そしてこの場合の「暴露」は「男同士のつながりの確かさを暴露」だったりすることが多いです。
(ナツコがキン肉マンを叩く)
キン肉マン 「な…なにすんのよォ!」
テリーマン 「ナツコ やめろ」
ナツコ 「いいえ もう がまんできないわ」
ナツコ 「テリーはね キンちゃんを助けるために…
キン骨マンにライフルで 左足を うたれていたのよ
そんな足で まともな試合ができると思って!?」(涙)
(『キン肉マン (2)』文庫版)
ジェイドを応援するおばさんが、ブロッケンJrがジェイドの育ての親の墓に花を手向けていたという話をするのも、そうでしょう。(『キン肉マンII世』 単行本10巻参照)
逆に男が事実を知らせて、女の叱責をとめた場面もあります。
セイウチンが母親に叱られる場面で、彼に助けられた不良少年がセイウチンの善行を明かすとかが、そうです。(『キン肉マンII世』 単行本4巻参照)
また、女性が男性の残虐行為を止めるのは、お約束です。
ウォーズマンの残虐行為を止めようとするビビンバ、スグルの残虐行為を止めようとするビビンバ、イクスパンションズ対トリニティーズの戦いを止めようとする凛子とジャクリーンなど。
『闘将!!拉麺男』の羽薔薇と金剛の話もそんな感じです。詳しくはブログで。
ビビンバが「やめて! スグルさま」と言った時のことを考えると、女性の涙ながらの叱責だけで、残酷な展開が回避されるという展開はあまりなさそうです。まあ、それで闘いが終わってしまったら、読者が怒るでしょうが。
ジェイド対ヒカルドの時の凛子のように、女がいくら叱責および哀願しても男が動かないので、業を煮やした女が涙を流しつつ衝動的な行動に出るが、意味がなかったという話もあります。男の闘いに女の情けは要らない、要るとしたら、試合終了後だということでしょう。
ジャクリーンが万太郎に対して、「愛」を表明する場面とは、オリンピック決勝戦終了時の、なおも闘おうとする万太郎に膝枕する場面でしょう。
彼女は泣きながら、万太郎に叫びます。
「もういいーっ 試合は終わったのですよーっ!」
「あなたはよく闘いました」
「もう休んでいいのです!」
(『キン肉マンII世』 単行本21巻 参照)
試合終了後に負けた男を女が抱擁するのは、ナツコとテリーマン、ロビンマスクとアリサなど、『キン肉マン』のひとつのパターンです。男が期待に応えなかったとしても、女は見捨てはしないということでしょう。
『キン肉マン』および『キン肉マンII世』の世界の女とは、男を叱る生き物です。だから凛子が始終万太郎を叱って、読者の不興を買うのでしょう。
-ちなみに、好みの女性のタイプは?
嶋田(原作) 似てるようで違うね。女の子を取り合ったこともないしね。
中井(漫画) 共通しているところは、ちょっと野性的なところですね。
嶋田(原作) WWEのステーシーとか。あと熟女やな(笑)。
中井(漫画) AV女優の川奈まり子さんには会いたいな(笑)。週刊プレイボーイ増刊「キン肉マン&II世 激闘列伝」 2004年8月20日発行 集英社
勝ち気で感情的(ついでに男を蹴ったり叩いたりする)というのを「野性的」と解釈するなら、ゆで先生の女性の好みは、正しくそのまんがに登場する女性に反映されていると言えましょう。
ジェイドは「意志の強い瞳」で凛子を選びました。
『キン肉マンII世』を代表するラブストーリーのヒロインのアリサはお嬢様で、いわゆる「野性的」というイメージではありませんが、気丈な女性です。
ですが、泣くことと叱ることが主な役目のゆでヒロインは、実は心配性だと思います。
たまにはゆで先生も最近のギャルゲーに登場するような、心身共にロリな女の子を主要キャラとして描いてみたりすると、新たな地平が開けるような気がするのですが、ゆで先生は女の子が男の子に甘える話は好きじゃないのでしょう。
女性だけではなく、男性も主人公を叱責します。この漫画において「友情」とはしばしば叱咤のことです。
ラーメンマン「決勝のリングにあがる キン肉マンに… 忠告しておく!!」
ラーメンマン「キン肉マンは ロビン・マスクに大敗するであろう!!」
(キン肉マン、ずっこける)
テリーマン 「きさま なにをいうかーっ!!」
レフェリー 「やめろ テリーマン!」
ラーメンマン「なぜならキン肉マンは 戦う魂をうしなっているからだーっ!!」
ラーメンマン「うかれおって わたしと死闘した かれは どこへ いってしまったのか…」
(血の涙を流す)
(中略)
中野さん 「あ…キン肉マンが練習をはじめた……」
(『キン肉マン (2)』文庫版)
チェック・メイトの
「それなのにおまえにそんな 惨めな弱い姿を晒されては…
これから 偉大で華麗なる超人生活を送る予定のわたしに 唯一の汚点が残るじゃないかーっ!」
とか言いつつ、必死で応援というのもそうでしょう。(『キン肉マンII世』 単行本10巻参照)
もっとも、男の叱責と言っても、ラーメンマンのは涙の叱責です。
チェックの叱責もある意味「哀願」ですね。アニメで削られたところからするに痛い発言と一般には解されるのでしょうが、おそらく作者がここで強調したかったのは、チェックの「勝ち気さ」だと思います。
あるまんがに登場する主要女性キャラクターみなに、ある共通の特徴があるとしたら、その特徴はおそらく作者の母親の特徴でしょう。
ゆで先生のデビュー作の母親像はこうです。
ウルトラの父が酔って浮気して出来た私生児、キン肉マン。
父親の家に引き取られるが、その醜さとダメさから、兄弟や継母に嫌われ、虐待される毎日。別れた優しい実母を慕いつつも会うことは叶わない……。
そして、その継母は
「わたしという妻がありながらあなたって人は!」と夫を責め、お皿を割った(実は彼が割ったのではない)継子を叱りつけ、マッチ売りをさせるのです。
(参考 『キン肉マン 特盛』)
ここにあるのは「父は母(実母)を女として愛さなかった。ただ甘えていた」「母(継母)は父に献身していたが、父には不満だった」「不幸な母(継母)は息子にも不満で、叱責ばかりだった」「だから息子は誰かに自分を認めてもらいたいと思っている」という構図です。
そして、連載版のキン肉マンの初期には、キン肉マンの両親が笑顔で息子を捨てる話(「キン肉星を救え!の巻」)があります。
父 「まったく スグルは期待ばっかしで ぜんぜん使いものにならんではないか。」
母 「ミートくん 悪いけどスグルを 地球につれて帰ってちょうだい」
ミート「え? いいんですか?」
父 「ああ わたしたちは養子をもらうことにしたんだよ」
ミート「よ…養子!」
(中略)
母 「ミートくん スグルのことはたのんだわよ」
この会話の間、気絶していたキン肉マンは、その後、自分が両親に捨てられたことを知って泣きながら人形を殴るのです。
(参考 『キン肉マン
(1)』文庫版)
捨てられた子供、王の私生児は、英雄伝説の典型です。ですが、それだけでしょうか。
『キン肉マン』シリーズに登場する母親は、キン肉王妃を典型として、マリさんとか、プライドの高い知的美人系が基本です。セイウチンの母をもうひとつの典型として、庶民的な肝っ玉母ちゃんの系譜もありますが、たおやかで美しい母というのは、見あたりません。あえて言うなら病弱な、フェニックスシズ子でしょう。ただ、この人も幸せそうとか、暖かみがあるという印象を与えない母親です。『キン肉マン』において、最終章である王位争奪編の隠れたテーマは「母の愛」です。
この母親を叱責する者として描くという傾向は『キン肉マンII世』にも顕著です。アシュラマンの妻、イボンヌは息子の動物殺しを叱責して、息子に殺されます。この母親も知的美人系の女性でした。
『キン肉マンII世』の第一話から引用しましょう。
ビビンバ 「だから無茶はいけないって言ってるでしょーっ!!」
ビビンバ 「どきなさい 練習超人バッキー」(蹴る)
バッキー 「ひっ」
キン肉マン「ビビンバよ おまえも結婚する前はカワイイ女だったが 最近は とみに死んだママにそっくりのオニババになってきたのう」
この後、ずっとビビンバは登場しません。子供の万太郎が母親に抱かれていたり、ほおずりされている場面はありません。父親がそうしている場面は描かれるのに、です。そして、Vジャンプ版で、ようやく万太郎とビビンバの関係がどんなものだったか、描かれます。プレイボーイ版で、ビビンバと万太郎の関係が描かれるのは、これからでしょう。
ビビンバ 「何をやってるの〜〜万太郎--っ! あなたはキン肉星の王子なのですよ〜〜っ! 絶対に負けられない星のもとに生まれてきたのですよ〜〜!」
(中略)
キン肉マン 「万太郎 負けてもいいぞ--っ!」
ビビンバ 「あ…あなた!」
万太郎 「ち…父上…」
キン肉マン 「それよりも 負けを恐れる気持ちがいけない! 負けを恐れず戦いを楽しめ--っ!」
Vジャンプ 2007年 2月号 『キン肉マンII世』より
甘い母親と厳しい父親のパターンは、皆無といっていい、それが『キン肉マン』シリーズです。
女性は期待に応えれば、わがままを聞いてくれて、甘えさせてくれるし、尽くしてくれる。しかし、期待に応えなければ……
普通はここで「振られる」や「見捨てられる」が来ると思います。しかし、肉世界ではどうもそれは想定されていません。たぶん「見下される」か「相手が不幸になってしまう」です。
悪く言えば叱責者、良く言えば教育者の「継母的人物」が2世には多く存在します。
「誰かのことを思いながら、自分の子でない子を育てる」という人物です。
スグルのことを思いながら、凛子を育てているマリとか、
スグルのことを思いながら、万太郎を育てているミートとか、
アシュラマンのことを思いながら、チェックを育てているサンシャインとか、
ロビンのことを思いながら、ケビンを育てているウォーズとか、
ブロッケンマンのことを思いながら、ジェイドを育てているブロッケンJrとか、
スグルのことを考えながら、万太郎を鍛えたラーメンマンとか、
アタルと別れた後にコクモを弟子にしていたニンジャとか。
ついでに、万太郎の仲間になってから、ずっとミートを見守る役割を負っているチェックとか。
主に従順な男性の役割みたいですね。
なんで女性はマリだけかというと「仲の良かった男性と結婚して実母にならなかった初代ヒロイン」が、マリだけだからでしょう。ナツコもビビンバもアリサも結婚しています。キン肉サユリはもちろん、スグルの実母です。上で論じたように、実母となれば、息子を叱るのは当然なのがこのまんがです。
男性は実母になりようがありませんから、妻子ある男性を思いながら、弟子を厳しく教育するということになりますね。スグルもロビンもアシュラマンも妻子持ちです。ブロッケンマンの妻は出てきていませんが、息子がいるということは妻もいたのでしょう。アタルも実は独身じゃないのかも。王位編で息子が登場する可能性を予測してみましょう。
逆に実父になったキャラに弟子はいません。ケビンの家出後、ロビンは後継者代わりの弟子をとったりしなかったようです。また、ロビンがウォーズマンを弟子にしていたとき、彼は妻を捨てていて独身男性のような状態でした。
ネプチューンマンも「ネプチューンキングのことを考えながら、セイウチンを後継者に教育」というパターンにまとまったりするんでしょうか。完璧超人軍を再興って、そういうコトでもあると思うのですが。
これらの独身男性師匠が考えていることは、当然ながら「思われる父」の後継者の育成で、万太郎はキン肉一族、チェックは悪魔超人軍、ケビンはロビン王朝、ジェイドはブロッケン一族、セイウチンは完璧超人軍の跡継ぎです。
自分の跡継ぎとして、弟子を育てようとする師匠はあまりいません。ミートは自分自身の後継者として、万太郎を育てているわけではありません。万太郎の最初の師匠、ラーメンマンもそうです。ニンジャもスグルのような男になれと万太郎を導きます。ケビンをコーチしたウォーズマンもそうです。サンシャインはアシュラマンを意識してチェックを育てたような気がします。この世界の師匠は、ストレートに自分の技を伝えようとするより、「去った父を理想の男としてそれに似た息子を育てようとする母」みたいな方々が多いです。演じ手の性別を無視すれば、見事な家父長制の世界観です。
チェックはそれを拒否したわけですが、この先はわかりません。
「父親の後継者として育てられた息子、あるいは復讐の道具として育てられた弟子の反抗」は、ウォーズマンの時代からの伝統で、前述の弟子や実子はみんなして実父や師匠に反抗していますが、ウォーズマンのようにその後よりを戻さないとも限りません。
ついでに、兄弟や兄弟弟子がほとんどいないのも、ゆで世界の特徴です。弟子も息子も一人のことが多いです。二人の世界を作っている連中が多くて、そこに誰かが絡んでくるのが、ドラマのパターンみたいですね。
こういう男二人で母子家庭をやっているような方々が多い理由のひとつは、これでしょう。
嶋田先生:僕も中井君も母子家庭だったんですけど、親からは「そんな仕事辞めさい」って言われてましたから。
ヒロインにきつい女性が多いのは、ゆで先生が母親が父親も兼ねるような家庭で育ったのが一因であろうと推測されます。そして、上記引用箇所の「親」は当然「母親」です。
ですが、それだけでなく、ゆで先生には母親像に関する神話的な分裂があるのだと思います。
つまり、ゆでたまご先生の内的世界には、本当に「牝の獣に育てられ、高貴な継母に虐められる」ような構造があるのではないかと。「継母的人物」が多いのは、聖女幻想みたいなものがあるからでしょう。
母親に由来する女性像というものが、「母性100パーセントの卑しい食事係の母」と「母性0パーセントの気高く武装した処女」の2通りにわかれているのではないでしょうか。「甘えていい母」と「叱る女」の二種類です。
デビュー作の読み切り版キン肉マンはそのまんまこの構図で「甘えていい実母を失い、継母に叱られる」でした。教育ママキャラもゆで世界のお約束なら、田舎のかあちゃんキャラもゆで世界のお約束です。Vジャンプ版には、フィオナとOKANという、二人の女性ファイターが登場していますが、そのまんま「清らかで残酷な戦う美少女」と「田舎の母ちゃん」の組み合わせです。
それで、「母性0パーセントの気高く武装した処女」の方に母性が少し統合される話が、トゥーランドット物語みたいなパターンとして存在するような気がします。
そして、女性ならばビビンバのように「誇り高く夫を敬う花嫁」となるのでしょうが、独身女性や独身男性は、その後「清らかなる保護者(教育者)」という役割を務めるのではないかと。
その「清らかなる保護者」カテゴリに独身男性が入ることがあるのは、父親と息子のつながりを重視する心情の表れでもあるのでしょう。
親子関係はその人の語る物語の型を決めるのです。