『キン肉マン』の超人には、半分器物なのが多いよね、という話です。
道具が化けたような超人も、キン肉マンにはたくさん登場しました。
例えば、スプリングマンとかチエノワマンです。
彼らはおもちゃに手足が生えたような姿をしています。
他にはキューブマンにケンダマン、ミキサー大帝、ステカセキング、モーターマン。『キン肉マンII世』ならば、テルテルボーイに、プラモマン、イリューヒン。
玩具や工具、家電製品、乗り物が特に多いです。プリズマンも、当時プリズムがおもちゃとして売られていたからでしょう。
いじったりあやつったりするものが、ゆで先生的には「動きや仕掛けがあって面白い」のでしょう。
このような「半身半器」の存在は、百鬼夜行図に登場します。
これは琵琶、靴、財布、匙、釜、扇などに手足が生えて、あるいている図です。
彼らは付喪神(つくもがみ)と呼ばれます。
数多くの絵師達がその姿を描き、室町時代の土佐光信という絵師がそれをひとつの絵巻にまとめました。それを写したと言われるのが、大徳寺真珠庵の絵巻です。
現代でも画集として出版されているので、気になる人はどうぞ。百鬼夜行絵巻
まあ、「昔からスニゲーターはいたんだね」という感じです。
時の政府高官や学者が記録する神話の水準になると、「半身半器」の存在とかほとんど登場しませんので、民間の「いいつたえ」が付喪神の住処です。
付喪神--と書いて、つくもがみと訓(よ)ませる。
つくも、とは九十九のこと。百に一足りないので、百から一を引いて「白」。白は白髪を意味し、途轍もなく長生きしたことをあらわす。それゆえに「白髪」を九十九髪と書き替えて「つくもがみ」と訓ませた。器物が正しく使われ、長いあいだ機能を発揮できる環境にあるあいだ、その器物はすこしずつ霊を宿し、百年を間近に控えた九十九年目に、化けて出たり人語を話したりできるようになる。
これを「九十九髪(つくもがみ)」ならぬ「九十九神(つくもがみ)」と呼ぶようになった。たとえば、古い日本では「煤払い」という年末の行事があった。これは古い年の霊を宿した物を一新し、新しい歳神を迎えるための用意とされる。
煤払いでは、一年間あるいは数年間使った器具類を家の外に容赦なく捨てるのだ。こうすることで、人を化かす九十九神たちは家から一掃された。
すみかを失った九十九神どもは、たがいに寄り集まり、夜半を過ぎると徒党を組んで夜の京大路を行進しはじめる。わがもの顔にふるまい、やがては京を占領する。これを「付喪神」とも書くのは、「捨てられたものに(喪)についた神霊」だからである。
『陰陽妖怪絵巻 絵解』 荒俣宏(この本は海洋堂のフィギュアとのセット販売でした)
この「捨てられた器物が化けた」という話は、『SCRAP(スクラップ)三太夫』にあります。
「やつは缶ヘッドといって 人間が捨てる大量のあきカンが ゴミ収集所で突然変異を起こし 生まれたロボットだといいます」
『SCRAP三太夫』2 ゆでたまご
これは、ロボットではなく、付喪神ですね。SFと見せかけて、実は室町時代の都市伝説です。
実はティーパックマンも、「捨てられたティーカップが、化けたもの」だったりするのかもしれません。
柳田國男の『妖怪談義』に記される妖怪の内、器物系は多くありません。
明治の農村にはあまり付喪神は、住んでいなかったのかもしれません。
日本の昔話で多い、物の化ける話は「金が化ける」です。
暗い夜道で「とりつこうか、ひっつこうか」と声がして、勇気のある男が「とりつくなら、とりつけ」とかいうと、背中に何かとりついて、そのままがんばって家に帰り着くと、背負っていた物は、なんと金の袋だった、というような話です。
真夜中に金が行列をするという、百鬼夜行に似た「銭の化物」という昔話もあります。参考『日本の昔話』角川文庫
貧しい男が、助言者に夜中に行列が家の前を通るから、その行列の先頭の殿様を斬れ、といわれます。すると確かに怪しい行列が通ったが、男は勇気が出ず、一番最後に歩いて来た足軽を斬った。すると、斬られた男は数枚の銅銭になった。貧しい男は助言者に、殿様を斬れば、それが小判になったのに、といわれたというような話です。
器物の話ならば、アイヌ民話に徳利の化けという話があります。
奇妙な男が、あちこちの村長に「小便のとばしっこ」で勝負を挑んでいた。
彼は六つの谷を越えて小便を飛ばすことができ、勝負に負けた村長達を殺していた。ある村長が隙を見て、その男を谷へと突き飛ばした。すると、男は首のもげた徳利(とくり)になって転がり、中の水がこぼれ出た。村長はどうしようかと思ったが、ひとまず眠った。すると、夢の中にその男が現れて、こう語った。
自分は昔、オイナカムイ(アイヌの神)の使っていた水入れだった。その狩りのための小屋が、山崩れで潰れた際に、自分も川に転げ落ち、壊れて海まで流された。そこで海の神にあわれみをかけられて人間の姿になったが、自分が何者か忘れてさまよっていた、しかしあなたのおかげで思い出した、といった。他の村長は、生き返らせたともいった。
村長は徳利を手厚く葬り、徳利は代わりに村長に福を授けて天へ帰っていった。参考『アイヌの昔話』
大筋は「器物の化け物が、英雄に倒されて正体を現し、改心して、英雄の援助者となる。英雄は幸福になり、化け物に殺された連中も、最後には生き返る。」ということになります。どこかで聞いたような話というか、とってもキン肉マン風ですね。
実はチェック・メイトは、超人の神が天上から投げ捨てた、チェスセットの化身超人とか。
針供養という行事が日本中に存在すると言うことは、生活の道具が生きていると考えることは、一般的な信仰なのでしょう。これは折れた針を神社で供養し、裁縫の技術の向上を願う祭りです。人間のために作られ、人間のために働いて、道具としての一生を終えた針達に感謝するのです。
おもちゃに魂が宿るようになったのは、おもちゃが一般的になった近代のことです。個人の創作であるアンデルセンの童話には、独楽(こま)の毬(まり)に対する淡い恋とか、おもちゃの兵隊のバレリーナの人形に対する片思いとか、そういう話がいくつもあります。
このように付喪神は日本の伝統ですし、外国にもそういうメルヒェンは存在します。ですが『キン肉マン』のように「半身半器」の存在が多く登場する漫画は、日本でも珍しいでしょう。
古典に通じた水木しげる先生が、もちろん先駆者です。
ですが、水木先生はミキサーの化け物とか、そういう現代的な置き換えはあまり行いませんでした。
大量消費型社会は、本来なら大量に九十九神を産み出す役割を果たすはずなのだ。
この中にあって、古くさい型のパソコンや家電、流行おくれとなり箪笥の肥しと化した衣類、読みもしない本などは、なぜ「九十九神」に化けないのだろうか。
いや、どうしても化けて出なければいけないはずだ。
なのに、出てこれないのは、どういうわけなのか。
答えはおそらく、目に見えない鬼を目に見えるようにしようと執念を燃やした絵師がいまは誰もいなくなったことにありそうだ。『陰陽妖怪絵巻 絵解』 荒俣宏
様々な「もの」に囲まれて、現代の人間は生活しています。
日本全国の小学生の描いた「九十九神」を集めた絵師がゆでたまご先生、ということではないでしょうか。この絵師が描くと、どの生活雑器も筋骨逞しくなって、英雄である主人公に相撲での勝負を挑むのですが。
『キン肉マン』に先行する『秘密戦隊ゴレンジャー』に登場する「機関車仮面」なども、半器物の怪人なのかもしれません。ですが、実写番組である『秘密戦隊ゴレンジャー』は、着ぐるみで怪人を表現せねばならず、チエノワマンやスプリングマンのようなデザインはありえませんでした。
「電子レンジの超人」は、「電子レンジ付きロボット」ではありません。
キン肉マン世界の基準で「いのちあるもの」なのです。
「電子レンジ付きロボット」の類だったら、登場する漫画は多いでしょう。
壊されたウォーズマンを抱いて博士が、研究所に行って徹夜で作業という『鉄腕アトム』のような光景は、この世界にはありません。この世界にも手術はあります。ですが、「生きている石」を心臓にして、「超人墓場」から復活です。
ウォーズマンだって、イリューヒンだって、みんなみんな生きているんです。友達なんです。
それから、『キン肉マン』の世界では、人型、動物型、器物型、の順に格上なのでは。神話などでの扱いもそんな感じです。
主人公がそのシリーズで最初に戦う敵は、器物型だったりします。
器物型でレギュラーの超人は、あまりいないような気がします。動物型のレギュラーはいなくもないですが、人型の超人の試合数がやはり多いでしょう。キン肉スグルや万太郎は、豚の超人ってわけではありませんよね。
人気投票でもケビンやジェイドなどの人型の超人が、多くランクインします。個人的にはチェックが「人型」「動物型」「器物型」のどれに分類されるのか、気になります。
器物超人を応募してみようかと思う人は、「玩具」「工具」「家電製品」「乗り物」のどれかのカテゴリーに入りそうな、超人を考えてみるといいかもしれません。