『キン肉マンII世』は、少年が「父親」や「父親像」を喪失する場面が数多く描かれる漫画です。別離と失望が多いのです。
キン肉マンマニアの方にクイズです。
テリーマン初登場の回で、パンダの貯金箱を抱えた嶋田先生似の少年が、キン肉マンのところへ駆け込んできた時に言う台詞は、次の内どれでしょうか?
気になる正解は、
7の「助けて 友達が怪獣に!」です。
……嘘です。正解は6の「助けて 父さんが怪獣に!」です。そして「ボーイ おとなをからかっちゃいけないよ!」とテリーマンに蹴られた少年に「父さんを助けにいこう坊や!」とキン肉マンがいうのですね。
この後、スグルがアメリカにいる時に、嶋田先生似の少年が中井先生似の少年を抱えて「死んじゃやだ にいちゃん」と泣きながら、キン肉マンを呼んでいたりしますが、この時点では救って欲しい相手は、お父さんです。
このように『キン肉マン』は、初期の頃から父子関係を重視しています。
父に失望しているところから、万太郎の物語は始まります。
父に勝って卒業するヘラクレスファクトリー編は、万太郎の父越えの物語です。
ここで登場するキッドも、地味な活躍しかしなかった父に失望して育ちました。そして、忙しい父に愛されなかった寂しさと恨みを抱えています。どうやらこのキッドの寂しさをナツコは埋められなかったようです。なので、ああ生意気な感じに育ったのでしょう。
悪魔超人編はチェックが「父」を失う物語でしょう。延々と父親に失望し続ける物語の中に、チェック・メイトもまたいるのです。
そしてチェックがサンシャインに抱き上げられるように、許しによる救いが訪れたりもするのです。
ですが、その直後、サンシャインは麒麟男と屍魔王によって断罪され、深手を負います。ところが、「身勝手な掟を示す」麒麟男と屍魔王もまた殺されます。
その次の二期生編の「父親」とは誰でしょうか? ジェイドの師匠のブロッケンJr? もちろんブロッケンJrもそうでしょうが、この回での「厳父」は委員長です。この父はオリンピック編序盤で、ミルクを飲んでおり、息子のイケメンによって地位を奪われます。
ノーリスペクト編はボーンの父殺しと父許し、オリンピック編はケビンの父親の乗り越えの物語です。ヒカルドは養父に相当する師匠に断罪され、文字どおりの父殺しをします。そして、実の両親に認められます。
他にもヘラクレスファクトリーの校長のロビンの面目を潰すかのように、不良息子のケビンが直後に登場したり、ノーリスペクト編でミートの父親のミンチが殺されたりします。ミンチが死んだことについては、「父親を捨てる事は罪悪」という前提があるためか、父親の死によって息子の自立がなされるというパターンが、ミートやVジャンプ版チェックのように、息子が従順なタイプの場合はあるようです。
イリューヒン対ケビン戦では、ロシアの威信をかけて闘えという「父権」の代理人である大統領に従って命を落としかけるイリューヒンを、ミートはその優しさで救いました。そしてその後に、その優しさを愚かさとしてケビンに断罪されるのです。
父を責める息子と父をかばう息子の主題は次々に登場します。サンシャインを責めるチェックとかばう万太郎。最初、トラウマを負っている師匠をかばっていたが、スカーに騙されて師匠を責めたジェイド。父を責めるボーンとそれに反対する万太郎。ロビンを憎むケビンとロビンを敬愛するクロエ(ウォーズマン)。
息子を責める父と許す父の対比も、万太郎対チェック戦でのサンシャインのみならず、あちこちで見られます。アシュラマン対キン肉マンの際の、アシュラマンとキン肉マンもそうです。
『キン肉マン』や『キン肉マンII世』の、父親的存在(実父・師匠・上司)と息子的存在(実子・弟子・部下)の二者関係には、「理想化」→「依存」→「失望」→「攻撃」→「別離」というような流れが、基本として存在します。
師匠や上司の側が相手に失望して、弟子や部下を捨てる場合もあれば、弟子や部下の側が幻滅したと言い出す場合もあります。
エディプス神話の場合は、倒されるべきは立派な父ですが、ここでは失望が先行するというパターンが多く描かれます。
豚に王位を奪われる、キン肉真弓の情けなさは言うに及ばす、『キン肉マン』でネプチューン・キングにネプチューンマンが失望するのも、『キン肉マンII世』で復活した悪魔将軍の低俗さに読者とアシュラマンが失望したりするのも、万太郎対チェック戦で泣きじゃくるサンシャインに、チェックが失望したりするのもそうです。失望される「支配者」は建て前は美しく、本音では欲深いというのがパターンです。
現代の日本では男の子がこういう確信を持つのは、ありふれたことです。
夫が自分の望んだ程出世しないことに不満を持った妻が、息子こそは自分の期待に応えてくれるに違いないと期待をかけ、細やかに面倒を見たり、あれこれ干渉したりする場合、やがて息子は母と同じように父に失望し、父を超えられず、母の期待に応えられない自分にも失望するのです。
『キン肉マンII世』では、基本的に父子は愛し合っていますが、どちらかが相手を拒否します。息子はみんな反抗期なので親に逆らいます。
『キン肉マンII世』の父親像は大きくわけて、二極に分かれます。快楽を与える父と、苦痛を与える父です。
息子に食べ物やエロ本を与える、甘い側の代表が万太郎の父で、遊びを全く許さず英才教育をする、厳しい側の代表がケビンの父です。
また、実父よりも師匠の方が、厳しい傾向があります。サンシャインは文字どおりの、苦痛を与える師匠です。
この世界では、ジェイドのように実の親と育ての親と、養父もかねる師匠が違うという複雑なケースもありますが、この場合も弟子の師匠の拒否の物語はありました。
天涯孤独のスカーが親子の物語の例外ですね。彼は予め「親に捨てられた子」あるいは「親を失った子」です。孤独な彼には「親を捨てた子」であるケビンとの友情が大切な絆でした。
「父と息子の愛憎劇」を主題とする『キン肉マンII世』では、「友情」は父を失った息子のための救いであり、支えなのです。
初代『キン肉マン』の時代から、このまんがでは「父に失望する」場面が多くあります。それは男の子の父親からの、自立の物語でもあります。そして、少年が父親からの自立をする『キン肉マンII世』の数々の場面は、深い悲しみと清々しさに満ちています。
また「規律」に従うことを求める「父なるもの」に対する、反発をテーマにした話が『キン肉マン』には多いです。
万太郎対デッドシグナル戦は、「掟」の不条理さを描くものでした。
「断罪」するものとしての「正義」の否定は各所に見られます。。
正義感の強いジェイドがやられ役なのは、そういう理由もあると思います。
2回ほど万太郎にジェイドが憑いていますが、「断罪」のジェイドと「寛容」の万太郎が、セットになってようやく一人前の「倫理的な」ヒーローになるのが、ゆで世界なのでしょう。
厳しく断罪する憎しみや恨みは万太郎の生育歴には存在しませんので、ジェイドがいわば万太郎の影となり、万太郎の甘さを補完するのです。
『キン肉マン』の中で最も偉大な父性は、最初のオリンピック編のラスボスであり、『キン肉マンII世』で「教育」と「規律」を掲げる場である「学校」のヘラクレスファクトリー校長になったロビンマスクです。彼はオリンピック編で倒され、アメリカ遠征編でも倒され、さらに初回オリンピック編ではバラクーダとして弟子を倒され、『キン肉マンII世』の時間超人編で殺されました。
「教育」と「規律」のどちらも親世代の都合で子供たちに押しつけられるものです。
ですが子供達が生きる場所が「社会」の中にしかないのならば、子供達はそれを受け入れねばなりません。もっとも学校に行く辛さに心を病むくらいなら、登校拒否もひとつの選択ではあります。
おちこぼれを主人公にしてまんが家デビューを果たすゆでたまご先生にとって、学校というのは基本的に「辛いところ」だったのでしょう。
読者や友達ならまだ「ゆでのまんがはゆでがバカだから面白いんだよ」とか言う人もいますが、教師は「この子はバカだからかわいい」とは、普通言わないものです。
ここで書いている「父なるもの」とは、単純に「実父」を意味しません。「己に従わぬ者に罰を与える強者」とでもいうべき存在です。神話では多くの場合「神」や「王」として登場します。秩序や権威に従え、従わねば許さないとこの「父」はいうのです。
悪魔の種子編冒頭で、学者や警察官が殺されていたりするのも、反権力・反権威の表れでしょう。
ゆでたまご先生のプロレス好きは、「英雄」のみならず、「理想の父」をそこに求めたからではないかと思います。
とはいえ、初代『キン肉マン』のネプチューンキングや『キン肉マンII世』のネプチューンマンのように「正しい思想」の与え手であると自称する教祖的存在が「理想の父」であるとも思えません。彼らのはあくまでも自称であり、悪役である彼らの存在意義はむしろ「恐怖の対象としての父」ではないかと思います。人は恐怖によって、この現実の中で慎重に行動することを学びます。
そういう「父の裏切り」から「父の打倒」への流れる話がいくつかあります。
大塚英志先生はかつて「レスラーがロープの反動で戻って来るのではないことを知ったとき、プロレスファンは現実を受け入れることを学ぶのだろう」という意味のことを書いていました。
プロレスラーが本当に強いと最初の頃信じていたであろうゆでたまご先生が、強いとされているレスラーというものが必ずしも「本当に」強いレスラーではないことを、いつ知ったのかはわかりません。ですが、それがゆで先生の「父なるもの」に対する反発を深めている気がします。
その失望が「肉体の力が全てじゃない」という方向に行かないところが、幼き日の「父なるもの」の思い出の美しさというものなのでしょう。
ゆで先生はプロレスラーという父も、愛し憎んでいると思います。プロレスファンには大きな二つの夢があるといいます。ひとつは「強いとされているレスラーが本当に強い」で、もうひとつは「強いとされているレスラーを真剣勝負で本当に強い男が倒す」です。前者の例として、父親に失望している息子、万太郎の台詞を引用しましょう。
ボクが小さい頃から見てきているのは ドジでマヌケで臆病者の父の姿だけだ
だから きっと父上の歴史に残る死闘っていうのは
すべて最初から試合展開のストーリーが決まっていて…
父上が勝つように仕組まれていたんだよ
(中略)
でも安心して父上! このことが真実でも ボクは父上のことを嫌いになんないから
(『キン肉マンII世』 単行本 1巻)
これは好きなプロレスラーの試合が全て八百長だったとわかっても、そのレスラーを嫌いにはなれないという、プロレスファンの本音でもあるでしょう。この後、生意気な万太郎に対して、父である老いたキン肉マンが強さを見せつけるという場面が展開します。
ゆで先生のもっとも好きなレスラーはおそらくジャイアント馬場です。老いたキン肉マンの顔は馬場がモデルだそうです。この馬場に似たレスラーが、万太郎が父親越えを果たした数話後に登場します。
ミートに連れられてプロレス観戦に来た万太郎。ジャイアント葉場というレスラーが、ひきょうな悪役外人レスラーにやられているのを見て、本気で助けようとします。慌てて止めるミート。
そして、自分達が宇宙一だという、悪役レスラー二人。その後、ケビン達がおまえたちが宇宙一を名乗るなと、悪役外人レスラーたちを殺します。
夢枕獏先生は"真の最強者を決める方法はこの世には存在しない"ということを『猛き風に告げよ』で書いています。夢枕獏先生はそれは虚構の中にのみ存在しうると言い、小説を書くということでそれを追求したいと言いました。ゆで先生も己の虚構の中に最強を追求するつもりでしょう。超人の最強が争われる闘いの幕開けは、最強を名乗る人間の死でした。