超人墓場

キン肉マン世界での「死の国」とはなんでしょうか。

 

キン肉スグルの臨死体験

『キン肉マン』の王位編でキン肉スグルがミキサー大帝にバラバラにされた時の話をしましょう。キン肉スグルの死体は見つかりません。
そこでスグルは、よくある臨死体験みたいな体験をするわけです。

つまり、あの世に行くと死んだおばあちゃんがいて、ここはお前の来るところではない、と言って体験者をあの世とこの世の境の河に突き落とす。そして体験者は生き返るというパターンです。

臨死体験者の話を引用しましょう。

「暑かったので、水に入って泳いで向こう岸に渡る。そうすると先祖様に会うんですよね。写真でしか見たことがない先代がいて、『お前はまだ来るな』とか、『向こうに橋があるから戻んなさい』というようなことをいって途中まで送ってきてくれる。すると、いきなりドーンと苦しくなって意識が戻る」

『臨死体験 上』 立花隆

臨死体験は、古代から記録されている人類普遍の体験です。
ウォーズマンに助けられるスグルは、そんな感じですよね。

これと似たパターンは『キン肉マンII世』では、ノーリスペクト編で、清水のリングから落ちた万太郎の臨死体験があると思います。
その場合は、ニンジャの霊が現れて、万太郎をこの世に返します。
しかし、そうなるとニンジャの「キン肉マンは死んでいない」というのは、「あれは臨死体験で、本当に死んだわけじゃないから」ということになるのでしょうか。

ウォーズマンは、臨死体験ではなく、確実に死んだのですよね。ロビンが死亡確認したわけですから。

この超人墓場というのは、「地獄」です。超人の世界に「良いことをしたから天国にいく」という話はありません。超人墓場は制度的には、刑務所です。元から拷問とか苦役とか、牢獄といった表現が多く存在するまんがですが、このまんがの死のイメージは、とりわけ暗いです。死んだ人があの世で、穏やかな日々を過ごしているというようなイメージは、ありません。

リングで敗北して、死んだ場合以外(事故死や老衰)は、超人墓場ではなく、天国や地獄にいくのかもしれません。ですが、それは描かれていません。

死の国は、地下の暗い国です。死者は地下で生者の肥やしと化すのが、『キン肉マン』の「死者」のイメージです。

原始的な世界観では、死の国に国境はないというか、北海道で死のうが、沖縄で死のうが、行く場所は同じなのです。
たぶん、キン肉マンの世界では、アメリカで死んで土に埋められた超人も、生き返る時は、日本の地下から這い出てくると思います。
それを逆にしたら、トーナメントマウンテンの近くの土に埋められたウォーズマンが、城の抜け穴から蘇ってきても不思議はありません。

超人の場合、死体として地下に埋められた後、死体のまま地下世界を泳いで、超人墓場に行くのだと考えると、ウォーズマンの「死と再生」は理解しやすいです。
スグルは、肉体ごと冥界にいったのかと思いきや、幻影が実体化するように、テレビ画面にして他の超人の体内から再びこの世界に誕生してきています。これは鏡があの世に通じているという、古い信仰と関連があると思います。鏡やテレビ画面に映る人物は、肉体を持たず、姿しかありません。ですから、それを幽霊のようなもの、霊的な存在であると思うのではないでしょうか。

実体化できる霊的な存在である、王位編のキン肉スグルはやはり神に近いのではないのでしょうか。あるいはテレビから出てくる幽霊である、映画版『リング』の貞子に近いのかもしれません。

 

ウォーズマンの死と再生

それでは、同じく『キン肉マン』の王位編で、超人墓場から蘇ってくるウォーズマンの話をしましょう。
主人公(というか、ミート)を援助するために帰ってくるのですが、あれは、見事なまでの「英雄の帰還」だと思います。

生きたまま死の国に行く話は、神話に多く存在します。

死者の国、ユング派の心理学者はそれを、心の中の世界だといいます。
夢と空想の中では死者にも会える。
そういうと、ロマンティックですが、まあ、地獄ですね。
たいがい人は辛い事があって、心の中の深い世界に行くのですから。
超人墓場もその類です。

ウォーズマンが辛いことと関係無しに、超人墓場にいったなんてことはありません。彼は屈辱的な敗北をしたのですから。

ウォーズマンの話は、「トラウマを負って、自閉し、この世から消えてしまった人の復活劇」だと思って読むと、凄い説得力のある話です。

ミートを守ろうと、ウォーズマンはリングに復帰したいと望み、医者のボンベは助言と治療によって助け、師匠のロビンも彼を理解し受け入れ、友人のキン肉マンは犠牲を払ってまで、ウォーズマンを助けようとします。
つまり、誰かに対する好意から、本人が立ち直りたいと願い、専門家が適切に導き、家族と友人が社会復帰に協力的であった人の話として読めるのです。

『ブラックジャックによろしく』の精神科医編も要約の仕方によっては、「異性に対する好意から、本人が立ち直りたいと願い、専門家が適切に導き、家族も理解を示すようになり、友人の感情的な行動と、死と再生を経て、第二の人生を歩み始める」という話です。
あのまんがでは、『キン肉マン』でスグルの役であった、「感情的に行動する友人」は、同じく主人公である研修医の役でした。

人の心が再生することに関してはいくつかパターンがあります。『ブラックジャックによろしく』は成人を対象にした漫画なので、精神病とそれを囲む社会状況や、医療態勢に関して、現実的な表現をしています。読者はいわば「現実の中に神話を見出す」のです。

ウォーズマンの物語は、闇の中に光が射して、石が命を持って、そこから花が咲いて、その花咲く石を新たな心臓にして、命あるものとして、地獄から脱出する、というのものです。象徴表現もここに極まれりでしょう。
その後の社会生活に適応していく上での困難については、「心は生き返ったが、脳は死んでいる」なのです。

心に傷を負った人は、本人がこの世(社会)に戻ってきたいと思わねば助からないし、誰かが適切に助けてくれなれば、道に迷うし、この世に帰って来たとしても、この世の人が適切な居場所を作らねば、この世にいながらあの世の者らしく振る舞うしかありません。

一度は希望を抱き、社会に復帰しようとしても、職場にも友人にも恵まれず、結局は己の心の中の世界、社会から隔絶された場所に帰っていってしまう人も多いです。

こういういい方は実のところかなり危険です。
それじゃあ、治らない人は、好きな人がいないから治らないのか、本人に治る気がないから治らないのか、医者の腕が悪いから治らないのか、家族との絆が弱いから治らないのか、友人がいないから治らないのか、とかいう「犯人探し」になりがちだからです。

どんな人が治るのか、人はどんな風に治るのか、について、専門家の答えが「わからない」とか「運」とかなのは、彼らの慎重さの表れでもあるでしょう。

とりあえず、ここではウォーズマンの場合は、本人の再生したいという気持ちと、周囲の再生させたいという気持ちが、うまくかみあって、奇跡を起こしたんですね、といいましょう。

やはり一般の少年に人気が高いのは、辛い目にあった人が立ち直る話です。
人は多かれ少なかれ辛い目にあって、立ち直るヒントを探し求めているものだからです。
なんとなく探しているのか、一所懸命に探しているのかは、差があるにしても。

ウォーズマンは、珍しくも内向的な英雄で、そういう所が熱烈な支持を得る理由ではないでしょうか。内向的な英雄は、少年漫画ではあまり見かけませんが、内向的な男の子も、他の英雄を手伝うだけでなく、英雄になりたいのです。
あるいは、現実が辛いけれど、前向きでありたいと思う、男の子の心に訴えたのかもしれません。

ゆで先生の場合、情というか、自分と相手とのつながりによって、立ち直るという方向に考えるみたいですね。

 

それからウォーズマンの新たな心臓が、花の咲く石であることについて。
これを見るに、『キン肉マン』の最終回でいきなり花から死人が再生したわけでは、ないようです。
石が死の象徴、花が生命の象徴というのは、ゆで世界のパターンなのでしょう。

死者が花から再生するというのは、仏教の「釈迦が蓮の花の中から、仏を出現させた」という逸話や「死者は極楽浄土に咲いている蓮の花から、あの世に生まれ変わる」という「蓮華化生」の信仰がルーツでしょう。
更に遡るとヒンドゥー教の「ヴィシュヌからブラフマーが生まれた」話にいきつくようです。
これは男の神の臍から咲いた蓮の花から、男の神が生まれた話です。
参考『インド神話―マハーバーラタの神々
エジプト神話にも、神が睡蓮から生まれたという話がありますが、たぶん、このエジプト神話は『キン肉マン』と直接の関係がないと思います。
仏教思想は、日本人の読書家だったら、どこかで出会って当然なので、どの仏典を読んで、どの宗派で、みたいな特定はできません。


初出2006.10.12 改訂 2007.4.10

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