世界の二つの顔

金のマスクと銀のマスクおよび、『キン肉マン』や『キン肉マンII世』の世界をふたつにわかつ「何か」について。

 

金と銀

金のマスクと銀のマスクの前世である、ゴールドマンとシルバーマンについて、『キン肉マン』の作中ではこう語られています。

「兄のゴールドマンは、格闘技の達人で無敵だったので、人びとは兄のゴールドマンを"戦いの神"と呼んだ」
「弟のシルバーマンも兄に負けないくらい格闘技の腕はたつが、争いごとを好まないおだやかな性格だったので、人びとは弟のシルバーマンを"平和の神"と呼んだ」

で、この両者はとても仲が良く、世界は平和だったのですが、子供がどっちが強いの? と言い出して、「攻撃」が重要だという兄と「防御」が重要だという弟が争いを始め、勝負は両者が互いの首を落とすことで終わりました。

この話を聞いて、多くの人が思い出すのは、「矛盾」でしょう。
ある商人が、「この盾はどんな矛でも突き通せない盾だ」「この矛はどんな盾も突き通す矛だ」と言って、盾と矛を売っていた。それでは、その矛でその盾を突いたらどうなるのか、という中国の「韓非子」にある話です。
このネタは、『聖闘士星矢』でもあり、そちらでは矛と盾の両方が壊れて終わるというのを、結論にしていました。

ちなみにこの「攻撃」と「防御」に関する論争は、『キン肉マンII世』にもありました。
万太郎対ボーンコールド戦で、キッドとチェックが「反撃」か「逃走」かを言い争っている場面です。
天上で神二柱が、激しく殴り合っている神話的な雄大さと比べると、随分と可愛らしい話ですが、対照的な二者の対立と和解という、構図自体は同じです。

シルバーマンとゴールドマンの両者の首が落ちるというのは、「どうもこうも」という日本の笑い話が元ネタだと思います。これはどちらの方が、医者としての腕が上かを競った医者の話です。

このシルバーマンとゴールドマンの首が金のマスクと銀のマスクとなりました。
そして、キン肉マンのご先祖様が汚れたマスクを川で洗って、あやまって落としてしまいます。
そこへ神様があらわれて、おまえが落としたのはこの金のマスクか、それともこの汚れたマスクか、と問います。欲を出して金のマスクをさそうとした、ご先祖様は間違って、自分のマスクを指してしまいました。
ですが、そのために正直者として、金のマスクと銀のマスクをもらうことができたのです。

この話の元は、『イソップ寓話集』の「木こりとヘルメス」でしょう。
ヘルメスはギリシャ神話の神で、ローマ神話におけるメルクリウス(マーキュリー)です。

内容はみなさんご存じの通り、正直なきこりが川のほとりで木を切っていると、あやまって川に落としてしまった。きこりが泣いていると、ヘルメスが現れて、川にもぐり、まず金の斧を持って出てきて、おまえが落としたのはこれか、とたずねる。木こりが違うと答えると、銀の斧を、更に違うと答えると、木こりの鉄の斧を持って出てくる。それだと木こりが答えると、ヘルメスは正直な木こりに三本の斧を与えた、というものです。さすが、錬金術の神様ですね。

これと同じ話が日本にも昔から伝わっていて、「金の斧銀の斧」という話として知られています。『改訂版 日本の昔話』柳田国男、に収録されている話では、真白い髭のお爺さんが池から出てきます。

川にマスクを洗濯にいくというのは、ちょっとだけ『桃太郎』ですね。現実的な発想なのかもしれませんが。

銀のマスクが金のマスクに掛けた「朝は4本足」で始まる謎は、ギリシャ神話にあります。女の顔、獅子の体、鳥の翼を持つ魔物であるスフィンクスが英雄であるオイディプスに掛けた謎です。オイディプスは「人間」と答え、謎を解かれた魔物は、自殺しました。
そして謎を解いた男は、魔物に勝ち、国を救った英雄として、未亡人となっている王妃と結婚して、新たな王になりました。その王妃が実母というオチは、エディプス・コンプレックスの名で有名でしょう。

西洋の神話と 、中国の故事成語と、日本の昔話をまとめて、ひとつの話にして、その上でパロディ的ひねりをきかせたのが、この「黄金のマスク編」の物語でしょう。

金のマスクは、悪魔の力を借りて、多くの手下を使い、多くの者を殺し、世界を滅ぼそうとし、主人公と戦いました。
彼は英雄であるキン肉マンの敵対者です。
銀のマスクは、弱った超人達を霊力で保護し、キン肉マンに助言を与え、その力でウォーズマンを蘇生させていました。
彼はキン肉マンの援助者です。

最後は銀のマスクが金のマスクを受容して、両者がひとつになります。
彼らはそれぞれ、男性的野心と女性的良心の象徴だと思います。

黄金のマスク編って、「清らかな女神の助力で、悪しき神である強い父親を倒す」というエディプス的物語なのではないでしょうか。
キン肉王家の守り神という事は、精神的な始祖ということですよね。

通常の神話なら、銀のマスクは、癒しと救いの女神として表現される存在だと思います。でも、『キン肉マン』ですから。

表現はともかく「男性原理を象徴する存在と女性原理を象徴する存在が、一体化して完全な存在になる」という、プラトン的な世界観には違いない……と思います。

この場合のプラトン的というのは、完全なる存在としての、両性具有という概念です。

あの有名な「昔、人間は、頭二つ、手が四本の球形の存在だった。あまりに強く神に逆らったので、神は人を二つに引き裂き、男女に分けた。そして、人は失われた半身を求めるようになった」という神話です。

男同士が合体して、完璧になってどうするんだ、と「完璧のマスク」に心の底から突っ込みたいです。
そういえば、プラトンは「男二人で完全体だった者が、男と男で運命の出会いをする」とも言っていましたが、この話もその類なんでしょうか。

もっとも、金のマスクと銀のマスクは、両者とも頭しかありません。
これは肉体的な存在ではなく、霊的な存在であることの象徴的表現でしょう。ユングのいう男性の内なる女性性(アニマ)を統合するという物語なのかもしれません。

おそらく「能動的で野心的であるばかりでなく、心の内に受容性や良心を兼ね備えた存在こそが、英雄だ」という教えなのでしょう。

 

陰陽説

上では、人を二つにわかつ神話の話をしましたが、ここからはどちらかというと、世界を二つにわかつ神話の話をしましょう。

世界や人間の精神のあり方を、「明」や「暗」などの二種類に分けた上で、その両者のバランスが秩序をもたらすという考え方は古くからあります。
東洋では、儒教の陰陽説が有名でしょう。これは古代からの中国の哲学です。
安倍晴明の陰陽道のルーツは、この陰陽説です。

この陰陽説に従って書かれた占いの書が、易経です。
易、というと街角の占い師を思い浮かべる人が多いでしょう。細い竹ひごを両手で握っている、あれも、易です。

例えば、こういう光景は、今でもよくあるでしょう。

相談者「わたしの好きな人に、好きだと告白した方がいいでしょうか?」
占い師「……占いによると、今、告白するのはよくないと出ています」
相談者「では、わたしはあきらめた方がいいのでしょうか、それともしばらく様子をうかがってみるのがいいのでしょうか?」

ここから先は人生相談としての心理学とか、人生観としての哲学の域に入るわけです。占いマニュアルが、古代中国を代表する哲学の本になった理由は、こういう所にあるのでしょう。

多くの神話には天地創造の話があります。
その多くが、混沌から天と地が分かれた、という記述になっています。
神がひとりで天地を作った聖書や、男女の神が海から島を作った日本神話は「天なる父神」と「地なる母神」に、そのまま当てはまる存在はいません。
ですが、ギリシャ神話には「天空であるウラヌス」と「大地であるガイア」が存在します。この二人がゼウスの祖父と祖母です。

陰陽説の場合、軽い気である陽気が上に昇って天となり、重い気である陰気が下にたまって地となったと考えています。

ギリシャ神話のように、天や地が神として擬人化されている、という訳ではないのですが、易では、「陽」のカテゴリに天と太陽と父と男が入ります。そこはギリシャ神話と同じです。

この陰陽説を起源とする、男を陽といい、女を陰という言い方は、近頃では「半陰陽」とか「陽根・陰門」という言葉に残るのみという気もしますが、考え方としてはまだあるでしょう。
平塚らいてうは「原始女性は太陽であった。今、女性は月である」と言いました。これは日を男とし、月を女とする中国より渡来した儒教に対し、日本古来の神話では天照大神が、女神であることを踏まえてでしょう。
この陰陽のマークは韓国国旗の中心にあるマークで、向こうの旗は儒教に基づいているのです。日本の日の丸は、神道です。

『キン肉マン』や『キン肉マンII世』は当然ながら、男を「日」とする物語です。ただ、ここで考えていることは男の中でも、ミートのように他の男を補佐する「月」の立場の者が多くいるのが、この漫画ではないのかという事です。
この作品において女の立場は、月どころか遥かに遠く、金星程度じゃないでしょうか。

抽象的な水準では、西洋の伝統的な「男性原理」と「女性原理」、東洋の「陰」と「陽」の概念の延長線上で、『キン肉マン』世界の人物や世界を二分して、おそらく間違いはない気がします。
ゆでたまご先生は現代日本の漫画家であられるわけで、その世界観は大きく見れば、神道などの日本古来の文化に、中国伝来の儒教や仏教などが重なり、その上に西洋由来の古代ギリシャ的世界観やキリスト教的世界観が乗せられていると考えてよろしいでしょう。
それが普通の日本人ですから。

日本において「男同士の理想的な上下関係を考える思想」というのは、長らく儒教でした。
神道も仏教も、そこはあまり問題にしませんでした。
やがて日本独特の武士道とかも発達してきますが、江戸幕府が儒教の一派である朱子学を奨励したように、儒教が基礎です。
なので今でも、「サラリーマンのための論語」みたいな本があるのです。

男を陽の側に置く、「易」ですが、これは比喩としての「男」でもあるようです。「易」にも聖人は陰と陽の両方の徳を備えるべき、みたいな記述があります。
天の様に自然で親しみやすく、地の様にへりくだって礼儀正しくあれ、というような文章です。

男同士のコンビがキン肉マンには多いですが、主従あるいは、陰陽がはっきりしているコンビが「お似合い」となる気がします。

陽気な男に陰気な男が従っているのが、ゆでたまご先生的にはつりあいのとれたコンビなんじゃないかと。陰気、というと悪口に聞こえるので、内向的、と言いかえましょうか。こちらはユングの用語です。『易』の話ですから、古風に「剛健な男」と「柔順な男」としましょう。
常識的な結論に達したような気もしますが、これが原則でしょう。
『キン肉マン』シリーズのよくあるパターンとしては、情緒的で自己顕示欲が強い人物が「主人公」で、生真面目で勝ち気な人物が「補佐」です。

 

「易」を参考にした陰陽対照表(一部)

創造 補佐
積極 消極
奇数 偶数

 

『キン肉マンII世』の世界の陰陽(なんとなく)

能動 受動
攻撃 防御
戦争 平和
達成 援助
父性 母性
天上 地下
未来 過去
恨み 赦し
正義 邪悪
男性性 女性性
洞窟
加虐 被虐
激情 冷静
外向 内向
意識 無意識
積極 消極
乱暴 丁寧
野心 良心
自己愛的 強迫的(自閉的)
リング上 リング下
ヘラクレスファクトリー編・二期生編・オリンピック編 d.M.P編・ノーリスペクト編・悪魔の種子編

世界観の水準で言えば、ゆでたまご先生は「父なる天」とか「母なる地」とかの神話的な対比をイメージの関連づけとして、きちんと持っています。

これが、単に人物同士の対比でなくて、世界観じゃないかと考えるのは、原則として正義超人同士が戦うヘラクレスファクトリー編や二期生編やオリンピック編と、悪と正義が戦うd.M.p編やノーリスペクト編では、明確に差が付けられているからです。おそらく『キン肉マン』のオリンピック編と、悪魔超人編がそれぞれの原型でしょう。

陽のシリーズは、父性がテーマです。復讐に燃え、正義に従い、悪人や未熟者を罰する話です。全体的に印象が明るいです。舞台もショーアップされて、華やかです。

陰のシリーズは、母性がテーマです。愛や友情に目覚めるとか、罪人を赦すとか、息子に対する罪悪感とか、そういう物語が展開します。死人が多く、全体的に湿っぽく、暗い話が多いです。舞台となる場所も地下とか牢獄です。

Vジャンプ版の、d.M.p編と二期生編は、舞台、人物、主題が、プレイボーイ版よりわかりやすく対比されています。子供向けというのと、一度描いたものを再構成したという事情によるものでしょう。

Vジャンプ版のd.M.p編では、万太郎達は母親代理のミートを取り戻すために、洞窟へ潜入します。万太郎が戦う相手は、サンシャインの腹から登場するチェック。そこで万太郎が「オッサン、男のくせに妊娠か?!」とか言います。子供を独占したがる母親を「のみこむものとしての母親」と、ユング心理学では言ったりしますが、それを漫画に描いたような感じです。
土なる母ならぬ、砂なる母ですね。
チェックは防御に優れたキャラで、体に穴が空いて、それで万太郎を拘束したりします。
その後は万太郎がチェックの穴に、将棋の駒を突っ込んだりして勝つわけです。
洞窟の中にサンシャイン、サンシャインの中にチェック、チェックの中に将棋の駒。まるでマトリーショカ。
Vジャンプ版ではチェックが反抗する「悪しき父親」の役は、サンシャインではなく、屍魔王と麒麟男の二人です。
その次は、彼らに逆らったチェックが拘束されたミートを助けて、母性的な所を見せたかと思うと、今度は本人が危機に陥って、サンシャインのこれまた母性的な自己犠牲に救われるという。
そしてミートは取り戻され、サンシャインは崩れた洞窟に埋まり、チェックは連れだされます。母親役の再生と、母親役の死と、新たな母親役の獲得です。こちらは「愛情による救い」です。

Vジャンプ版の二期生編では、屍魔王と麒麟男によって、ジェイド達はヘラクレスファクトリーのある星から拉致されます。天からの宇宙船にさらわれる、そして、天から地球に連れてこられるわけです。
今回の舞台は陽光に照らされた塔です。万太郎達は悪を討つことを目的に、ここを訪れます。
万太郎と戦うジェイドは、攻撃に優れたキャラで、手刀が武器で、頭にかぶったヘルメットが伸びたりします。
その他にも味方であった者を、攻撃したりします。
そして、サンシャインの望み通りに戦ったチェックと違い、最初は洗脳されていたとはいえ、ジェイド自身に万太郎と戦いたいという、望みがあったという展開になります。ジェイドと万太郎は、正々堂々と戦います。
Vジャンプ版では、ケビンは自ら正義と社会秩序に従う道を選んで、更生しています。そのケビンに捕らえられ、悪しき支配者であった屍魔王と麒麟男の二人は、刑務所に送られます。
最後は、塔から落ちかけたジェイドを、万太郎が助けます。正しき父の名の下に、悪が一掃されて、一度は悪の道に踏み入った者も、みな正道に立ち返るという話です。こちらは「正義の勝利」です。

なんかもう、ここまで来ると原作者は、穴や洞窟を女性の象徴とし、塔や尖ったものを男性の象徴とする、フロイトの愛読者なんじゃないかと、思えてきます。

チェックの方のテーマは、保護者から自立して、同性のグループに入る話で、いわば学校に入る時点の話です。
ジェイドの方は学校を卒業して社会に出た所で、悪い大人に騙される話です。
世間知らずの段階が違うので、チェックの話の方が先に語られるのは、妥当でしょう。

ネットの文章とかで判断すると、一般に人気があるのは陽のシリーズで、陰のシリーズはあまり人気がないようです。でも、あえて交互にしてみるのがゆで先生の長期連載作家的センスなのでしょう。
明るい話ばかり続いても、やはり明るさが明るさとして、感じられないでしょうから。

「タッグ編」は、陰陽を統合するシリーズだと思います。タッグのテーマはそれでしょう。

委員長が主導権を握っているし、どちらかといえば陽のシリーズだと思いますが、その陰ではセイウチンとネプチューンマンを中心にした、「罪と恨み」をテーマにした「母性」に関する物語が展開しています。チェックはこの陰の流れの中にいます。
陽の方の中心は、ロビンマスクです。妻の仇を討ち、悪を倒す正義が秩序を回復するという、二重三重にロビンが父を体現する物語。ひとつのシリーズの中に陰と陽、二つの流れがあるのです。

究極のタッグチーム(陰と陽)とは、どんなものか、というのがこのシリーズのテーマでしょう。
大人になるということと、良きパートナーを見つけることが、関連する形で物語が動くと思います。つまり「万太郎はどんなパートナーと組んだら、父親とその親友に勝てるのか」が、父親越えの際の大きな問題じゃないでしょうか。

陽の話の流れと陰の話の流れでは、組むパートナーが違う気もしますね。セイウチンだのチェックだのが絡む話の場合、 ケビンがパートナーでは部外者っぽい。カオスはさらに無関係です。
陰の話の流れからすると、キッドこそが関係者でしょう。万太郎とキッドって、子供側のオリジナリティがない気がしますが、一度キッドと組ませてみるということは、やるかもしれません。
陽の話は時間超人を倒す話なんでしょうか? それならパートナーはケビンかもしれません。
この場合は「ケビンのパートナーが、万太郎」という気もしますが、ケビンはクロエと組む予感もします。

善と悪の対決で終わらせるために、肉親子タッグで何か悪を倒すという展開も考えられますが、そうなると万太郎はシリーズごとにパートナーの違う人物という事になり、特定のパートナーのいた父親に勝てない気がします。「とっかえひっかえ」が万太郎の生き方ですか?

万太郎の性質は善ですが、正義ではありません。
金と銀のマスクの時もそうでしたが、父性と母性は別の人物の担当で、主人公の体現するものは「幼児性」です。子供から大人になるのが英雄物語なので、そうなのでしょう。

『キン肉マン』や『キン肉マンII世』の「友情」は「男らしい男同士の対等な協力関係」なんてものではないと思います。そんなのは、民主主義的幻想で、現実には男同士の関係だって不平等で、性役割の投影から逃れられぬもので、むしろそれで安定するようなものでしょう。


初出2006.9.2 改訂 2007.4.5

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