イリューヒン考

イリューヒンについて思いついたままにつらつらと。

名前について

イリューヒンは、国の期待を一身に背負うという、非常にスポーツ選手らしい人生を生きている人です。超人オリンピックならではのキャラクターですね。
リングスロシア出身のイリューヒン・ミーシャという格闘技選手が、名前の元ネタでしょう。
ロシアの格闘技選手は、軍隊出身で、無口で大柄で、静かで真面目な印象があるので、イリューヒン(飛行機)は典型的ですね。国家が人に及ぼす力の強い、北国の人物です。
もしかして、ミートと組んだのは「イリューヒン・ミート」というしゃれから始まったのかも。

容姿について

顔の上半分が覆われていて、表情がわからないようになっています。それが冷静で寡黙な印象を人に与えます。唇は横に広く、大人の男の自信と情熱を表現しています。

レギュラー陣の中では、最も大人の男(青年という意味。他は少年か老人)であるキャラなので、背の高さと肩幅の広さが際だっています。

身体構造について

ジャイロって「地球ゴマ」(コピー品として宇宙ゴマ等)ですよね。
まあ、逆なんですが。子供のオモチャとして売られた、小さなジャイロ、それが地球ゴマです。わたしの家にもありました。きっとゆでたまご先生の家にもあったのでしょう。
地球ゴマについてはここら辺で。地球ゴマの仲間たち 地球ゴマ

試合会場について

キューブリングとか黄泉大社とか、空に近い場所で戦う人の多い人です。

性格

ボルシチをけなされて怒っていたように、誇りが高い人です。そしてその誇りは、愛国心にそのままつながっているのですね。
イリューヒンは、国と、国の誇りである自分を誇る人で、そのためには自他の命を含めて全てを犠牲にするような面もありました。

最初の頃のイリューヒンは、目的のためなら手段を選ばない人でした。
どんなことをしても勝つのが、自分のつとめだと思っています。
そのため、残虐超人とされます。
どうやら「人間のために戦う」のは正義超人だが、「手段を選ばず戦う」というのは、正義超人の中の残虐超人となるのでしょう。

それは彼がメカ超人だからでしょう。つまり、ロボット。機械は全て、人間の目的のために作られるものです。
イリューヒンが、国家に目的を持って作られたのかどうかは不明です。
ですがメカである彼は、父親の都合で作られた息子の象徴です。
鉄腕アトムの時代から「父のための息子」としてのロボット像というのが、日本のまんがにはあると思います。詳しくはブログで

そんな冷たい機械にも、人間らしい心はある……それが草履や鍋釜も生きていると感じる、古来からの日本人のファンタジーなのでしょう。
こういう全てのものが生きているという感覚が、きっとキン肉マンの様々な超人を生み出したのですね。
そして生きているのだから、冷酷非情なメカ超人のイリューヒンさえも、救われなければならいのが、このまんがです。

一言で言えば仕事人間。
そんな彼が、ミートの優しさで、人間性に目覚める、それがイリューヒンの物語の感動です。
レギュラーメンバーのうちで一番「社会人」という意味での「男らしさ」を確立しているのは、イリューヒンでしょう。
他の多くは、思春期真っ盛りなので、面白すぎる言動の人が多いです。イリューヒンは登場した時点で、青年のため、他のキャラのように反抗期はありません。イリューヒンの父親というのはタッグ編の回想で出てきましたが、愛情の与え手(友情の伝え手)であるという位置づけでした。

社会的に認められた彼ですが、大統領や観客は彼に社会的役割を果たすことだけを求め、個人として彼に同情を寄せてくれたのは、ミートだけでした。
そして彼は悪魔の種子編で、個人的事情のために戦う決意をします。

ですが、その次のタッグ編では彼は再び社会的役割のために戦います。ただ、そこまでの間に様々な人間関係がイリューヒンと周囲の間に出来ていますので、万太郎とカオスのためであり、ケビンとアリサのためであるという感じにだいぶ、人間味が増しています。

ミートといい、カオスといい、イリューヒンの成長の物語は、「大人の男として、子供を守る」というものなのかと、思います。

ミートとの関係

「悪行超人が改心するとミートを助ける」が、『キン肉マン』や『キン肉マンII世』のよくあるパターンです。悪魔の種子編のイリューヒンとミートの物語も、そうです。パターンとしては万太郎と凛子とTHE・リガニーと同じでしょう。囚われた姫を救う騎士でよいかと。悪魔の種子編でのイリューヒンの葛藤は、「自分の強引な求愛は、相手に迷惑ではなかったか」というものだと思います。

役に立ちそうだという理由で、イリューヒンはミートを選びました。

「確かに おまえはキン肉万太郎のお目付役だが…
しかし同じ正義超人のためには
敵味方関係なく その頭脳を出し惜しみしない」

これは、己の役割に忠実なミートを誉めているんでしょう。自分にはない、公平さに敬意を払っているのかもしれません。
お前は、実力もあるし、使命感もある、それはイリューヒンにとって最大級の賛辞です。
それが、わからないミートではないでしょう。
そして自らも仕事に生きるミートは、イリューヒンに自分と同じ苦しみを感じるのです。
男として働くことがイリューヒンの役目ならば、ミートの役目はいわば、母としての万太郎のお世話です。ですが、ここでのイリューヒンのサポートをきっかけに、ミートは正義超人全体を統べる存在へと成長していきます。時間超人編でミートが正義超人のリーダーになったのは、イリューヒンの存在がきっかけだと思います。それはミートの万太郎からの自立なのでしょうね。

母を地に例えるならば、空飛ぶ者は、天なる父に属します。特に飛行機とかロケットとか、円柱状のものは、男性の象徴ですね。
イリューヒンは、レギュラーメンバーの中でも掟と秩序に従う者として、父性的なキャラです。
そんなイリューヒンが、空から落ちて、地上の母に救われるのです。

万太郎は、ケビンに対し、ミートがイリューヒンを助けたのは、使命感ゆえだとミートをかばいますが、それはもしかしたら、あの瞬間に、ミートが万太郎のことを忘れたと思いたくなかったかもしれません。

そしてその次に来るのは、悪魔の種子編でミートが人質になるという展開です。
そして躯柱の際に、母を奪った者として、万太郎に首を落とされるという、父殺しをされるのですね。
こうしてミートは再び万太郎のものになるのです。

なんだか非常に手続き正しく、万太郎が父親を殺して、母親と結ばれる、エディプスの物語を演じているように思えます。

悪魔の種子編はミートが万太郎を忘れた罪を償い、イリューヒンが万太郎にミートに対する思いの真剣さを証明し、万太郎に対する謝罪をし、そして万太郎がミートとイリューヒンを許し、認めるための物語でもあります。

子供の許可無しに、母親の再婚は許されない、という構図なんでしょうね。

そして、悪魔の種子編でイリューヒンはミートの子供である万太郎を守るために、死ぬ(正確には瀕死)のです。

鬼出しの釜について

古事記および、日本書紀には、神に祈誓して熱湯に手を入れ、手がただれるか否かによって事の正邪を判定するための釜が登場します。

さて、天皇は天下のそれぞれ氏名をもつ人々の氏と姓の誤っていることに心を痛められて、甘樫の丘の言八十禍津日の埼に、盟神探湯の釜をすえて、国じゅうの多くの部の長の氏姓を正しくお定めになった。

『古事記(下)』 全訳注 次田真幸 より。

そこで甘橿丘の辞禍戸崎(言葉の偽りを明らかにし正す場所)に盟神探湯の釜を据えて、諸人を行かせて、「真実であるものは損なわれないが、偽りのものは必ず損傷を受けるだろう」と告げられた。諸人はおのおの神聖な木綿襷をかけて、熱湯の釜に赴き探湯をした。真実である者は何事もなく、偽っていた者はみな傷ついた。そこで故意に欺いていた者は、怖じ退いて進むことができなかった。これ以後、氏姓は自ら定まって偽る者はなくなった。

『日本書紀(上)』 全現代語訳 宇治谷 孟 より。

大昔は悪魔超人界に造反や謀反を企てた疑いのある者が出た時に、その釜が使われた…
造反や謀反の疑いのある者はT鬼出しの釜Uの煮え滾る湯にその手をつけさせられる。
偽り無き者には何も起こらず、偽りある者には火傷がおそう。

『キン肉マンII世』24巻より。

こういう所を見ると『キン肉マンII世』はネタを探して、神話関連の本を読んでいる人の描く漫画だと思います。

「鬼出しの釜」という名はゆで先生のオリジナルでしょう。おそらく「鬼出し」の「出し」は、カツオ出しとか昆布出しとか、そういう意味でしょう。さすが料理漫画を描いたことのあるゆでたまご先生です。

舞台が「出雲大社」を逆さまにした「黄泉大社」なので、雰囲気を出すためになんか日本神話ネタを出そうとしたのか、釜の目的が途中から変わっているので、最初の予定では盟神探湯の釜ではなかったが、神社を描いているうちに何となく日本神話を思い出して、本で調べなおしたとかでしょう。

この古代の裁判法については、こういうページもあります。

甘樫坐神社でクガタチの神事を見る

これは、裁く側が、本気で間違ったら腕がただれると思っていたのではなく、大部分、罪を犯そうとする者への脅し(抑止力)じゃないでしょうか。
ウソをついた疑いのある者は、熱湯に手を入れなくてはいけないというのなら、正直にしようと思う人も多かったでしょうから。
あるいは、昔の人たちは「他人は見抜けないだろうが、神は知っている」と恐れたのか、あるいは「自分は知っている」という自己催眠の話なのか。

アメリカ・インディアンの「聖なる道化師」ヘヨカは、「雷から超人的な力を授けられたもの」であり、儀式の際にぐつぐつ煮え立つ大鍋の中から、煮えた肉を平然と取り出すといいます。
これは清めの儀式の一場面で行われる行為であり、参加者がこの肉を食うと癒されるという話です。参考『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』

これは「自己催眠で痛みを感じない」の一種ではないでしょうか。神の加護があると思えば、痛いものも痛くないとか、そういう世界。何かのトリックを考えるならば、例えば腕にたっぷりと油を塗っておくと、お湯がすぐ滴り落ちるので、深手を負わないとか。インディアンの場合は、予め、薬草を塗るそうです。ただ、ヘヨカ以外の人がその薬草を塗っても効き目はないとか。まあ、多少の小細工があったとしても、普通の人がやったら「熱いものは熱い」でしょうね。

ちなみに元の神話では「氏名を偽る」話で、「自分が何者かについてウソをつく」ことを問題にしています。「実は私は高貴な生まれ」という類の偽りが、横行していたのでしょう。神の力で、天皇を頂点とする秩序に従わない臣下を罰するのですね。

ただ、『キン肉マンII世』では「ミートのイリューヒンに対する愛情が、真実だろうか」ということが、問われているのです。どうもこの世界の神は、「人を愛さない者を罰する」神のようです。あるいは、神は無視で「愛する者に、愛されるかどうか」をひたすら問題にしている世界なのかもしれません。
もし、ミートの腕が釜で火傷を負ったら、ミートとイリューヒンの話は「憎いあなたに助けられるくらいなら、死を選ぶ」とか、そういう系統の話になったんでしょうか。

この悪魔の種子シリーズは「罪ある者を愛情で救う」を基本パターンにする、陰のシリーズです。
ジージョマンはニルスに許され、イリューヒンはミートに許され、ハンゾウはニンジャに許され、スカーは一度は裏切られたがこのシリーズで友情復活のケビンがいるし、ケビンは万太郎に許される。

ただ、最後のアシュラマンだけは、母親を殺した息子の罪を許せなかったということでしょう。オチはひねってきたと、いうべきなのでしょうか。
そんなアシュラマンをサンシャインの友情が救うというところで、このシリーズは終わっていました。

ゆで作品では、男同士なら許しあえるが、男女だと許しあえないとか、そういうことなのでしょうか。


初出2005.4.15 改訂 2007.5.4

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