このページでは大神の中の話に似た話を、思いつくままに書き連ねてみる。
このページを元ネタ考察ではなく、類話考察と書くのは、元ネタなのか似ているだけなのかは、開発者本人しかわからないところもあるからである。
●猿神退治
日本中のあちこちに似た話が見られるメジャーな説話で、色々なバージョンがあるのだが、だいたいこういう話である。
「ある村には生け贄を要求する神がいた。ある年、村を訪れた旅人が、美少女が生け贄になるという話を聞いて可哀想になり、生け贄の捧げられるほこらに様子を見に行く。そして魔物が恐れている者の名前を聞く。旅人はその者を探し出す。それは白い狼の名であった。そして旅人と狼は娘の代わりに生け贄の入れられる箱の中に入り、生け贄を要求していた魔物を退治する。それは大きな猿であった。その戦いで狼は死んだ」
まあ、『大神』のオープニングそのまんまだね。違うのは旅人ではなく村人(イザナギ)が退治するのと、犬(シラヌイ)が誤解されているのと、相手が猿ではなく蛇の化け物(ヤマタノオロチ)だというところ位かな。
この猿神退治の場合、猿神を退治する者は「白い犬」だったり「白い狼」だったりする。たいがい白いらしい。名前もイロイロで「しっぺい太郎」とか「しゅけん」とか言ったりする。「猿神退治」については、「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」にも似た話が収録されているらしい。
また、犬(狼)と人が一緒に退治する話もあれば、犬だけが箱に入れられて生け贄の代わりに差し出される話もある。
そして、犬(狼)が死ぬ話と、生き残る話がある。
猿神を退治せんと、犬を探してくる者は武者だったり、旅のお坊さんだったり、時に娘の父親だったりする。元から村に強い男がいてその男が退治するという話はない。村の男ならば、その男はそれまで、毎年娘が生け贄に捧げられるのを黙ってみていたのはおかしいということになる。だから、たいがい「旅人」なのだろう。娘の父親が犬を探し出してくるというのは、「自分の娘だけは助けたい」という、親の愛なんだろう。
このゲームでシラヌイが誤解されている理由のひとつも、「元々その村にいたから」だろう。説話の猿神退治の犬(狼)も、最初は何者であるかどうかわからず、実は犬(狼)だった、という「意外性」が面白さの要素だからだ。
『日本昔話百選』にも、「猿神退治」は収録されている。
●八俣の大蛇
スサノオのヤマタノオロチ退治の話は、『古事記』などに記されている日本神話である。
神話のスサノオは、天空から追放された神である。高天原でイタズラをして姉のアマテラスその他を困らせた罪で、下界に落とされた(ちなみに父親はイザナギ)。そんな彼が旅をして、ある村にたどり着き、クシナダとその両親に出会う。スサノオはその娘を妻にくれるなら、助けてやろうと言って、強い酒を用意させる。そして一人で闘い、大蛇を倒すというのが、おおよその筋である。この場合の大蛇は、猿と同じく山の神である。八つにわかれた頭に、一つの胴体という姿から、河の神という説もある。
これと似た話は、ギリシャ神話にもある。メドゥーサを退治して戻る途中のペルセウスが、海の魔物の生け贄にされたアンドロメダ姫を助けるという話だ。この二人は、アンドロメダ座やペルセウス座として、星座になっている。詳しく知りたい人は『変身物語 (上) オウィディウス』あたりを参考にどうぞ。
神話などで、ヤマタノオロチなどの邪神に捧げられる生け贄が、美少女だったりすることが多いのは、その方が読者が同情するからだろう。その後英雄がその姫を貰って行くから、という理由もありそうだが。
筋骨逞しい大男が生け贄に捧げられて、誰が同情するだろう。男だったら自力で闘えとか思われそうだ。「猿神退治」の話で、犬(狼)が娘の代わりに死んで、聞き手が同情するのは、犬(狼)が可愛いからというのもあろうが、日本人は「男(雄)が闘って死ぬのは、美しい」と思うからだろう。
で、いかに救うかが昔話や神話の課題になるわけなのだが、力押しする英雄は、基本的にいない。
たいがい、何か知恵を使って勝っている。
この日本神話でも、「酒を使った」というのがポイントである。このアイデアは『大神』でも使われている。
また神話や英雄伝説では、女性の助けを借りて勝つことが多い。この『大神』でも「クシナダの作った酒」という形で女性の助けを借りている。『ギリシア神話』の英雄イアソンと王女メディアの話でも、怪物を倒すためにメディアの作った魔法の薬が役に立つのである。
八俣の大蛇と同じ様に、首を多く持つ蛇の怪物の、ヒドラを退治したヘラクレスの場合も、「首が次々生えてくるので、従者が火で傷口を焼いた」という「知恵」の部分がある。
この『大神』というゲームも、英雄であろうとするユーザーに知恵を問う場面が多く、それが受け手を楽しませるコツのひとつであるのだろう。
なお、この『大神』の救われる娘と救った男は恋仲だった、という神話からの変更は、ディズニー版の『眠れる森の美女』に通じるものがある。『グリム童話集』の「いばら姫」とかでは、お姫様は城で100年眠っていて、王子様とは当然顔見知りじゃない。でもディズニーはお姫様と王子様は以前から恋仲だったということにし、眠り姫をさっさと目覚めさせたのだ。
●アイヌの昔話
アイヌの神話に、モシレチクチク・コタネチクチク・モシロアシタ・コタノアシタという大悪神が、日の女神を誘拐する話がある。このモシレチクチク(略)は、別にフクロウ時計の姿をしているわけではない。着る物の上に、岩の鎧を付け、小山が、手足を生やしたようで、片目はとても小さく、もう片方の目は丸く大きいと、アイヌは語り伝えてきた。アイヌラックル・オイナカムイ(オキクルミ)という英雄が、自分を呼びに来たケムシリの岳の神と共に戦い、彼女を救出する。この神話は『アイヌの昔話』や 『ユーカラアイヌ叙事詩』などに収録されている。『ユーカラ』の方が文体が詩的で美しいが、旧かな使いである。
金田一京助は、 『ユーカラ』の序文で、アイヌラックル・オイナカムイとオキクルミは同一視されるが、話の系統が微妙に違うので、元は違う人物だったのかもしれない、と書いている。多くのオキクルミ説話では、サマイウンクル(サマイクル)という脇が引き立て役を演じていて、正直じいさん意地悪じいさん型に物語られる特徴があるが、アイヌラックルの方は、そういうことがない、と言うのだ。例として「かっこうの知らせ」という話を紹介しよう。
「オキクルミが沖に漁に出かけるしたくをしていると、カッコウの神が今日はよくないことが起こると鳴いて、お告げをしたが、オキクルミはどなりつけた。だが、弟のサマイクルはカッコウの神を拝んだ。その後、オキクルミは沖で時化に出会って、死にかけた。これはカッコウの神のお告げを聞かなかったせいである。」『アイヌの昔話』
また、『アイヌの昔話』には、鶴や狐ではなく、白狼が人間の男に嫁に来る話である「狼女房」が収録されている。多くの異類婚のパターンに従い、やがて狼は神の国に去る。
ところで、『アイヌ民譚集』にはもうひとつ変わった異類婚の話がある。気になる方は「アイヌ民譚集を読みました」をどうぞ。
『アイヌ神謡集』では、オキクルミは神のように知恵があり、情け深く偉い人、サマイクルは短気で、知恵が浅く、あわて者で、根性が悪い弱虫と紹介されている。この本には、中学の国語教科書に載っている「銀の滴降る降るまわりに」というアイヌの詩が収録されている。
●木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)
この女神は桜の神であり、彼女の物語は、古事記などに収録されている神話で、だいたいこういう話である。
「ヒコホノニニギノミコトは、ある日美少女に出会って名をたずねた。すると、オホヤマツミという神の娘で、コノハナサクヤビメだと答えた。彼が彼女にプロポーズすると、父に相談しますといわれた。彼女の父は大層喜んで、姉のイハナガヒメと一緒にコノハナサクヤビメを嫁として、ヒコホノニニギノミコトに贈った。だが、姉の方は醜かったので、親元へ送り返し、妹のみを妻とした。オホヤマツミは、イハナガヒメを妻とすれば、夫の命は岩のように長く続き、コノハナサクヤビメを妻とすれば、花のように栄えるでしょう。しかし、あなたはコノハナサクヤビメだけを選んだので、あなたの命は木の花のように儚いでしょう、と言った」
古代の権力者は一夫多妻制なので、こういう姉妹セットでお嫁入りという話も成立したのだろう。
ちなみにこの話を、東南アジアを中心に分布する死の起源神話である、バナナ型神話のひとつに分類する考えがあるそうだ。参考→諏訪春雄通信115
●イナバの白うさぎ
このゲームではイナバはペットの名前だが、古事記などに記されている神話では「稲羽(いなば)」は、地名である。因幡国(いなばのくに)を指し、今の鳥取県東部である。これは、島に流されたウサギが陸に帰ろうとして、サメをだます話だ。似た話はインドネシア方面にもあり、そっちから伝わってきたらしい。
●月のうさぎ
月の神の弓神がなぜ餅をつくウサギなのかということについては、『今昔物語』にも収録されている以下の有名な仏教説話が元らしい。
「お腹の空いた旅人に、ウサギがたき火に飛び込んで、自分の肉を差し出そうとした。しかしその旅人は帝釈天の化身で、ウサギは助けられ、その姿は月に刻まれることとなった。」
この物語は古代インドの仏教説話であるジャータカにも記録されている。この場合のウサギは、無力な者の代表だろう。
●かぐや姫
『竹取物語』というタイトルでも有名な話である。だいたいこんな話だ。
「お爺さんが光る竹を切ると中から美しい娘が現れて気高く成長する。そして、年頃になった娘に多くの求婚者が現れる。だが、姫は男達に次々に難題を出し、結婚の申し込みを皆断ってしまう。しかし、最後に最もこの国で身分の高い男である帝が結婚の申し込みをする。ついに断りきれなくなった姫の所に、月からお迎えが来る。」
この話は『源氏物語』の中で「昔話」として出てくるほど古い。日本最古の物語文学といわれる作者不明のこの話は、日本最古のSFとかいわれることもある。『日本の昔話』では、「鴬姫(うぐいすひめ)」というタイトルで紹介されている。
『大神』の主人公をイッスンとして考えてみると、「月の乙女ならぬ、日の女神であるアマテラスが、天に帰っていってしまう話」なので、竹取物語と同じく、天女伝説系のパターンと見ることができる。
●桃太郎
桃から生まれた桃太郎が、犬、猿、雉を率いて、鬼退治に行く話。
鬼が島の設定と子供の遊びぐらいしか、このゲームでは登場しない。勇ましい主人公が、海外の島を占領するという趣向が受けて、昭和の頃に一気に有名になった昔話である。第二次大戦後の米軍占領下では、発禁本になったらしい。ちなみに、キジは日本の国鳥だそうだ。
わたしが以前読んだバージョンの桃太郎は、犬がきびだんごをひとつ欲しいというと「ひとつはやらん。半分やるからついてこい」という、部下との交渉の上手な人物だった。いやはや、色々なバージョンがあるものである。
●一寸法師
これは、絵本やアニメでは、大体こういう話だ。
「小さな姿で生まれた一寸法師が、都へ行って姫様に可愛がられ、姫をさらおうとした鬼に飲まれ、鬼の胃の中を針の剣でつつきまくって、鬼を退治し、鬼の落としていった打ち出の小槌で、背を伸ばして、姫様と結婚した。」
針のような剣を飲んで、宝の帝が病気になり、イッスンとアマテラスが胃の中に入って鬼退治をする、エキビョウの話は、この昔話が元になっているのだろう。
この一寸法師の話のルーツは、日本神話の少彦名命(すくなひこなのみこと)ではないかといわれている。この小さい神様は蛾の皮を衣服として着ていたそうなので、頭に玉虫がのっているイッスンと似たところがある。虫のように小さいということなのだろう。
ただし、室町時代の『おとぎ草子』の「一寸法師」はだいたいこういう話である。
「老いた両親が子供が欲しいと神社にお参りした。その結果、小さな子供を授かった。しかし、この子が12歳ぐらいになっても、その背が伸びないので、どこかへ捨ててしまおうかと両親は話し合う。それを聞いた一寸法師は旅に出ることを決意する。都にいってある貴族に気に入られて、その家に住まわせてもらううちに、その家の姫を気に入り、姫に盗人の濡れ衣を着せて、姫が家から追い出されるようにしむける。勘当された姫を連れて、一寸法師は船に乗るが、二人は鬼のいる島についてしまう。鬼は姫を奪おうと、一寸法師を飲む込むが、一寸法師は目から出てきてしまったので、鬼は恐れて打ち出の小槌等の宝物を置いて逃げ出す。一寸法師はそれで背丈を伸ばして大金持ちになり、都に戻って貴族の一員となり、姫と結婚する。」
おとぎばなしというものは、時代や地方によって内容が変わったりするものなので、古い版を読むと知ってる話とは、ずいぶん違っていたりする。
●花咲かじじい
欲の深い人が隣人をうらやむパターンの物語で、だいたいこういう話だ。
「子供のない正直な老夫婦が飼い犬をかわいがっていた。ある日その犬がおじいさんに前足で土を掘りながら、ここ掘れ、ワン、ワンとなくので、掘ってみると小判が出てきた。隣のお爺さんがうらやましがって犬を借りたが、小判が見つからないので、犬を殺してしまった。犬の飼い主夫婦は、悲しんでその犬の死体を庭に埋めて、松の木を植えた。やがて松は大木になり、夫婦はその松の木でウスをこしらえた。そのウスで餅をつくと、お米がどんどん増えた。それをうらやましがった隣の夫婦がウスを借りて米をついたが、今度は汚いものがウスからあふれた。隣の夫婦は怒ってウスを燃やしてしまった。ウスを返してもらいに来た正直なお爺さんは、焼いた灰をしかたがなく、もって帰った。その時風が吹いて、その灰が枯れ木にかかり、冬の最中だと言うのに、桜や梅の花が咲いた。お爺さんがそこらじゅうの花を咲かせていると感心した殿様がごほうびをたくさんくれた。隣のお爺さんも真似をして灰をまいたが、花は咲かず殿様に罰せられた」
このゲームのアマテラスは、宝箱をよく掘り出している。やはり、これは花咲かじいさんネタなのだろう。
ちなみにわたしは、♪うーらの畑でポチがなくー、しょうじーきじいさん掘ったればー、という『ドラえもん』にも引用された童謡を覚えているのだが、この歌では犬の名は「ポチ」だった。『日本の昔話』という本では、犬に名はない。だが、『日本の神話と十大昔話』という本では、犬の名は白と書いてあるので、霊力のある犬はやはり白い犬なのだろうか。
またこのゲームの都に、頭に桜の木の生えたじいさんがいる。落語にも頭に桜の木が生えた男というのがいた。『あたま山』という名で呼ばれることの多い話である。
●舌切りすずめ
だいたいこういう話である。
「ある所に、おじいさんとおばあさんがいた。子供がいなかったので、おじいさんはすずめの子を可愛がっていた。あるとき、すずめがのりをなめてしまったので、おばあさんは怒ってすずめの舌を切って、おいだしてしまった。家に帰ってきて、それを聞いたおじいさんは、すずめを心配して探しにいった。するとすずめのお宿があって、おじいさんを歓迎してくれた。おじいさんはちいさいつづらを選んでお土産に貰った。それには宝が入っていた。その話を聞いて欲を出したおばあさんもお宿にいった。おばあさんは大きいつづらを選んで帰った。開けてみると、お化けが出てきた。」
たぶん、これは西洋ならば、継母にいじめられた娘は、実は高貴な血を引く姫だったのです、となるパターンだろう。日本はよく「美しい乙女」を「鳥」として表現する。一応このゲームでもチュンジャクは「お嬢さん(姫)」だ。
●竜宮城
海の底の美しい城は、古くは海神の住む場所だと考えられていた。
神話としては、『海幸山幸』の物語に登場する。これは男が落とした釣り針を探して、海の神の宮へ行き、海神の娘と結婚して三年を過ごす話だ。この姫は陸に男を訪ねてきて結婚するが、正体がワニの姿であることを男に見られて、海に帰っていってしまう。
この竜宮城に乙姫様だけがいるのが、お伽話の『浦島太郎』であろう。
竜宮城に龍神とそのお后様(妊娠中)がいるのは、「くらげ骨無し」だ。「くらげ骨無し」は龍神の后が妊娠して、猿の肝臓が食べたいと言い出して、龍神がくらげ(古くはかめ)を使いに出して、陸にとりにいかせる話である。后が病気になって、薬として猿の生き肝を食べさせようとするパターンもある。
龍神とそのお后様の「もうひとつの姿」が龍であるとされる話もある。近世の作品である、泉鏡花の『海神別荘』である。これは龍神とその后になった人間の美女の話である。人間の女は龍神の妻になることによって、人の目からは巨大な蛇としか見えない者へと変貌する。神になるのである。『サクラ大戦 活動写真』の中に登場するのは、この話である。
西洋の話で近いのは、『アンデルセン童話集』の「人魚姫」だろう。
●平家物語
琵琶法師によって語り伝えられた歴史物語が、『平家物語』である。義経は後の世で、娯楽物語の登場人物となったが、元々は歴史上の人物である。
古き日本の物語で、美少年といえばヤマトタケルノミコトとか牛若丸(義経)とか、横笛を吹く篤盛とかであろうか。ヤマトタケルノミコトとか牛若丸は英雄の内であるが、権力者の兄などに裏切られて若くして死んだ。若くして死んだから、美少年として語り伝えられるのだろうが、現実に美少年だったかというと、微妙(特に牛若丸の方)である。因幡の白兎を助けた大国主命(オオクニヌシノミコト)も、美形の貴公子なのだろうが、こっちも兄たちに殺されている(後に生き返った)。
近親者に裏切られて殺された者を美化し、同情を寄せるのが、日本人の浪漫なのであろうが、このゲームのウシワカは生き残った。
●南総里見八犬伝
『南総里見八犬伝』は曲亭馬琴の小説で、犬(ヤツフサ)と結婚する姫君(フセヒメ)の物語。ちなみにこの八犬士は、玉を持つ人間の武士であって、犬ではない。
●注文の多い料理店
ヤマネコ亭、ウミネコ亭の元ネタである、『注文の多い料理店』は、宮沢賢治の童話である。森の中で、山猫に食われそうになったご主人様が、飼い犬の活躍によって救われるお話。これも一種の忠犬話?
●ピノキオ
鯨の胎内というパターンが多くの英雄の冒険物語に、存在することを『千の顔をもつ英雄』で神話学者のキャンベルは指摘している。
「魔の境界通過こそ再生領域への移行になるとの考えは、世界的規模において鯨の腹の胎内イメージで象徴的に表現されている。そのとき英雄は境界の反発を克服したりなだめすかしたりするかわりに、未知なるものに呑みこまれ、表面的には死んでしまったかのように見えるかもしれない。」『千の顔をもつ英雄 上』ジョゼフ・キャンベル 人文書院
そして、古典から現代作品まで、様々な作品で、様々な体内が冒険された。
『インド神話』では、ヴリトラという悪竜の体内、キャンベルの影響を受けた、『スター・ウォーズ』では宇宙ワームの体内、『ピノッキオの冒険』(原作小説)では大きなサメ、『ピノキオ』(ディズニー映画)ではクジラ、『ワンピース』でもクジラ、『鋼の錬金術師』ではグラトニーの体内、『ミクロの決死圏』では人間の体内。枚挙に暇がない。
水龍の腹の中に入る話は、これらに似ている。エキビョウとかも似た話だが、治療のために体内に入るネタは、やはり『ミクロの決死圏』なのだろう。ちなみに、1966年に公開された『ミクロの決死圏』のアイデアは手塚作品が元ネタだという説がある。
手塚治虫が、1948年に『吸血魔団』という漫画を発表し、1958年に手塚本人がそれを『38度線上の怪物』としてリメイクし、さらにそのアイデアを1964年にアニメ版の『鉄腕アトム』の内の1話である「細菌部隊」に使用し、それが『ミクロの決死圏』に影響を与えたという説だ。
●騎士道物語
このゲームに登場する剣は、月読にしろ、カムイの剣にしろ、選ばれた者のみが扱えるということになっている。
月読のような選ばれた者だけが引き抜ける剣というのは、『中世騎士物語』のアーサー王の剣であるエクスカリバーとか、『ニーベルングの指輪』のジークフリートの剣であるノートゥングであろう。
これらの剣を抜く話は、通常は「優れた父の後を継いで王となる」話である。このゲームのスサノオはそれを拒んでいるのだが、彼はそういう「選ばれし者」なのである。なまじ「選ばれし者」だったりすると、すごく頑張らなくてはならないというのが、スサノオやイッスンがそれを拒んだ理由だったりするのだが。
このゲームのスサノオは王にはならない。
このゲームは、攻撃性には否定的であるので、剣は悪いものである。エキビョウとか。なので、戦いが終わった後に剣を納める描写があるのだろう。
●百鬼夜行妖怪絵巻
常闇の皇の元ネタは「空亡」であると、『大神繪草子 絆-大神設定画集-』で明かされた。空亡は荒俣宏によれば、「闇を切り裂いて、地上にあらわれた太陽」である。仏滅でもある。大徳寺真珠庵の百鬼夜行絵巻にも描かれている。どんな姿かといえば、『大神繪草子 絆-大神設定画集-』の表紙を、背表紙を上にして見た時のような姿である。闇の中に巨大な赤い火の玉の下半分が描かれている。
●神統記
物語というより表現のルーツだが、アマテラスの足下に草が生えることについて。ギリシアの神々を歌った詩である、ヘシオドスの『神統記』には女神アフロディーテに関するこういう描写がある。「畏(かしこ)く美しい女神が陸に上りたまえば そのまわりに柔草(にこくさ)が萌え出るのであった 優しい足下で。」『大神』の描写はおそらく『もののけ姫』の描写の影響だろうが、神の足下から草が萌えるのは、西洋には古くからある神話的表現でもある。
ヲ結
当然ながら、犬の登場する話が多い。またこうやって、ゲームの中の物語に似た話を羅列してみて思うことだが、この『大神』には仇討ち話がない。『さるかに合戦』や『かちかち山』のような、仇討ち話は武士階級の台頭以降の日本の伝統である。舌切りすずめも元の話では、仇討ちっぽい箇所がある。何かというと「クリリンの仇」とか言っている日本の少年漫画(例えば、『ドラゴンボール』とか『キン肉マン』のような)は、それらの延長線上にあるのだろう。だが、ヒミコの場合すらもツヅラオが仇と言うには微妙なものがある。ヒミコもアマテラスも承知の上だからだ。
仇討ち話の系統の話がないのは、この『大神』というゲームは「殺したいほど人を恨む」ということを、よしとしていないからだろう。
『大神』の物語世界は、魔物を倒す英雄と、異世界から来た姫と、恩に報いる動物の織りなす世界である。
参考資料
『日本の昔話』 柳田国男 新潮文庫
『日本の神話と十大昔話』 楠山正雄 講談社学術文庫
『日本昔話百選』稲田 浩二 稲田 和子 三省堂
『古事記 (上)』 次田真幸 講談社学術文庫
『今昔物語集』 角川ソフィア文庫
『海神別荘―他二篇』 泉鏡花 岩波文庫
『竹取物語』 阪倉篤義 校訂 岩波文庫
『おとぎ草子』全訳注 桑原博史 講談社学術文庫
『アイヌの昔話』 稲田浩二 編 ちくま学芸文庫
『アイヌ民譚集』 知里 真志保 (翻訳) 岩波書店
『アイヌ神謡集』 知里 幸恵 (翻訳) 岩波書店
『ユーカラ』 金田一京助 (採集) 岩波書店