大神物語考察

『大神』の物語の大枠自体は典型的なお伽話である。

「半人前の勇者が、旅に出で、動物を従えて、霊的な存在に助けられ、魔物を退治して、姫や国を救う」

これが西洋のお伽話や神話で典型的な物語であることは、いうまでもない。

多くの日本のゲームもこのパターンを踏襲し、この『大神』もそのひとつである。

力を失って弱くなったアマテラスが、国を救う旅に出て、霊的な存在であるサクヤや筆神に助けられ、動物の代わりに虫のイッスンをお供に連れて、魔物を退治していくというのが、このゲームの大筋である。勇者の成長物語のパターンに沿っている。

最後にアマテラスが救ったのは、どこぞの姫ではなくウシワカだったような気がするが、グリム童話にも女性が王子を救って結ばれる話がいくつかあるので、フェミニズムの産物とかそういうことではないだろう。

ただ、このゲームのオリジナリティは、主人公が「成長する勇者」兼「お供の動物」兼「力を失った女神」だったことにあると思う。

主人公は魔物と闘い、師匠に習って、勇者として成長するのみならず、他の「半人前の勇者」を「お供の動物」として助ける。

スサノオを主人公として見ても、「半人前の勇者が、旅に出で、神秘的な動物に助けられ、魔物を退治して、姫や国を救う」という物語が、きちんと組み上がっている。前半の本筋はむしろこちらかもしれない。

そして主人公のアマテラスは「道を極めようとする職人」達に霊感を与える女神でもある。

この作品に登場する「アマテラス」は太陽神であると共に、「技芸の神」なのである。日本神話でもアマテラスは機織りなどの技芸の神でもあるようだ。なので単純に「ゲームシステムの都合」でもあるまい。

イッスンを主人公とした場合、「半人前の職人が、旅に出で、技芸の師匠に出会って、それに倣い(ならい)、己の才能に目覚めて、女神を描き、人心を動かす」というこれまた立派な成長物語である。

職人が師匠を求めて旅に出る物語は、西洋のビルドゥングスロマン(自己形成の物語)の典型であるし、己の理想とする女性の姿を描いたり、彫刻したりする話は、ギリシャ神話にもアンデルセン童話にも、新しくは『シザーハンズ』にもある。

それでは、この主人公が「成長する勇者」で「お供の動物」で「力を失った女神」という物語を、いかに「ゲームシステム」として構築したか、というのを考えてみたい。

まず、「成長する勇者」としてのシステム。通常のロールプレイングゲームでは、戦闘を重ねることで、勇者は心身共に強くなっていくという、システムになっている。この『大神』の場合、戦闘では経験値が得られない。魔物を倒して得られるのは特殊な道具と交換できる妖怪の牙と、金だけである。

この金で新たな武器を買い、道場で師匠に新しい技を習うことで、主人公の「勇者としての成長」が得られる仕組みだ。

しかし、主人公の体力などは戦闘ではあがらない。主人公は「力を失った女神」であるので、神秘の力によって生けとし生けるもの(人、動物、植物)を助け、その感謝の念によって成長するのだ。これが「幸玉(さちだま)」というシステムである。戦闘でその地の魔物を打ち払うことそのものによって、生けるものの感謝が得られることもある。「敵を倒すこと」そのものよりも「それによって誰かを助けたこと」が、重視されるシステムといえよう。

「女神としての援助」は主に「筆しらべ」によってなされる。悩める芸術家(職人)に女神として、霊感を与えてみたりすることができるのは、このゲーム独特のシステムといえよう。この「筆しらべ」は戦闘において、通常のロールプレイングゲームにおける「魔法」の役割をする。

それからボス戦などで、主人公が他の勇者の手助けをするイベントが何回かある。主人公が「お供の動物」として活躍する場面である。普段は、そういうものではないのだが、物語が大きく動くときにはこういうことが起こる。

通常の「選ばれた勇者」「神秘の魔法使い」「攻撃的な戦士」が、狼で女神で世界を救う主人公にまとまった感じのゲームである。


初出・2006.6.14 改訂・2006.6.14 文責・水沢晶