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このページでは、簡単な日本語の間違いの指摘をする。 では、世界設定の部分から。 「ジェダのもとについたのも、もともとは「うまい魂のこぼれにあずかる」のが目的であった」 慣用句なので「うまい魂のおこぼれにあずかる」の方が良い。 「オゾムは広範囲に爆発・拡散した「扉」の魔力を集め、ドーマの居城に貯えた」 『オゾムは爆発によって広範囲に拡散した「扉」の魔力を集め、ドーマの居城に貯えた』 魔力ではなく、ジェダが爆発したので、こう書くべし。「・」は何かを並列するときに用いる。これは記号の使い方としても不適切。 「恐怖の目を見開き、言葉を失う「帝王」。」 『恐怖に目を見開き、言葉を失う「帝王」。』 「恐怖の目」ってどんな「目」だろう。見た人が怖くなる目だろうか。 バレッタ 「鍛えた体や格闘技、銃器のあつかいに慣れているだけでは彼らに太刀打ちできない」 『鍛えた体や格闘技、銃器のあつかいに慣れていることだけでは彼らに太刀打ちできない』『体を鍛えたり、格闘技を学んだり、銃器のあつかいに慣れていたりしても、それだけでは彼らに太刀打ちできない』 並列する場合には注意が必要。同じ種類のものでないと並べられない。 「異世界の魔物と立ち向かったときに」 『異世界の魔物に立ち向かったときに』 間違いでもないが、「魔物と立ち向かう」ではまるで協力しているみたいである。 「その眼光は低級魔族を一瞥のもとに萎縮させ、あらゆる精神攻撃をはね返す」 『その眼光は低級魔族を一瞥しただけで萎縮させ、あらゆる精神攻撃をはね返す』 「一瞥」とは「流し目で見ること。ちらと見ること」である。「一瞥を投げる」などというように使う。原文を「流し目のもとに萎縮させ」と書き換えると何がなんだかわからない。「ちらと見ただけで萎縮させ」なら「おお、バレッタらしい」となるが。 一瞥とは睨むことではない。「一撃のもとに打ち倒す」と混同しているのだろう。 デミトリ 「魔王との戦いで傷つき満身創痍のデミトリにとってはなおさらだ。」 「満身」は全身、「創痍」は傷、切り傷である。つまりこう書くと、 「魔王との戦いで傷つき、全身傷だらけのデミトリにとってはなおさらだ。」 という二重表現になってしまう。「頭痛が痛い」や「馬から落ちて落馬する」というのと同じである。 『魔王との戦いで、満身創痍となっているデミトリにとってはなおさらだ。』 あるいは、 『魔王との戦いで傷ついているデミトリにとってはなおさらだ。』 というのがすっきりとする。 「直接浴びれば、体内組織が破壊され、消滅してしまう」 主語が途中で変わっているので、滑らかでない。 『(太陽光を)直接浴びれば、体内組織が破壊され、肉体が消滅してしまう。』 というように、主語を補わないと、一瞬、体内組織が消滅するのかと思ってしまう。でも、これは体内組織だけじゃなくて、皮膚などの外側も消滅するってことだよね。皮膚だけ残っていたら嫌だなあ。 「低俗このうえない種族ではあったが、その生き血はデミトリの舌を楽しませた。 「低俗この上ない」というのは、間違いとも断言出来ないけど、低さがこの「上」ないというのも不自然と言えば不自然。「低俗極まりない」の方が無難。少し難しく、「低俗無下なりという感じの種族ではあったが、」とやっても面白いかも。 「本来の力を8割がた取りもどすころになると、魔力による偏光フィールド(オーラ)を身にまとうことが可能になる」 『本来の力を8割がた取りもどすと、魔力による偏光フィールド(オーラ)を身にまとうことが可能になる』 あるいは、 『本来の力を8割がた取りもどすころになると、デミトリは魔力による偏光フィールド(オーラ)を身にまとうことが可能になった』 というのが滑らかな日本語。 「屈辱にまみれた100年、しかしその見返りは大きかった」 屈辱にまみれるとは普通言わない。汚辱にまみれるという表現はあるが。 「屈辱」は広辞苑によれば、「辱められて、面目を失うこと。」 それから、「見返り」という表現は明らかに間違い。「見返り」とは報酬のことだ。この場合、誰かがデミトリに報酬を与える訳ではない。彼の力は彼自身で獲得したものだ。また、デミトリの「投資」に応じて「利益」が得られた、という意味の表現だというなら、「投資」を文章の前半で示すべき。屈辱を味わっただけなら、「損失」でしかない。 「デミトリは屈辱の内に100年を過ごした。しかしその苦労の中でつかみ取ったものも多かった」 というのが、デミトリの物語をまともに語る文章だろう。あまりかっこよくないか。 水沢の文章ってどうしてこう、「平易で簡潔な説明」という感じになってしまうのだろう。かっこつけると、こんな感じかな。 「100年間にわたる屈辱の闇の中で、デミトリはより賢明で強大な存在としての己自身を、手に入れた」 全然、格好がついていないような気がする。 「さまざまな能力と知恵を身につけ、「闇の貴公子」は魔界復権に向けて着実に力を貯えてゆく」 「魔界復権」という四字熟語にすると、「魔界それ自体が何らかの権利を回復する」という風にとれなくもないので、「魔界での復権」の方が日本語としてひっかかることがない。 それからデミトリの勝ちぜりふの 「つまらん見世物だ。およそ私の気高さにつりあわぬ」 は、なぜかこれだけが英訳されていない。訳者がどういう意味かととまどったせいだろうか。 『こんな下らない戦いにつきあわされるのは、屈辱的だな』 というのがわかりやすい日本語。 モリガン 「また体臭には血管を弛緩させる成分があり大量発汗を促す」 『また体臭には血管を拡張させ、大量発汗を促す作用がある』 『また体臭には筋肉を弛緩させ、大量発汗を促す作用がある』 血管は「弛緩」するとは言わない。 「サキュバスを目前にした人間の男性は、よほど精神鍛練をつんだ者でもその色欲の前に陥落をまぬがれない」 『サキュバスを目前にした人間の男性は、よほど精神鍛練をつんだ者でもその色香の前に陥落をまぬがれない』 色欲の前に陥落するとは、女の「あなたとしたいの。ねえ…」というしつこいおねだりによって、男が「でも……あ、待てっ あ…ぅ…」と半ば強引にベッドに連れ込まれることをいう……わけないって。 「「人型の美女」の多いサキュバス族にくらべ、「人型の美男子」が必ずしもインキュバスのすべてではない。むしろ、人型とかけ離れた四つ足の獣や翼竜の姿をしたものが全体の6割を占める。」 『「人型の美女」の多いサキュバス族にくらべ、インキュバス族には「人型の美男子」は少なく、むしろ人型とかけ離れた四つ足の獣や翼竜の姿をしたものが全体の6割を占める』 「くらべ」という言葉を使うならこうなるだろう。 はっきり言って「すべてではない」はサキュバスとの比較をするような形では使えない。 「「人型の美女」の多いサキュバス族にくらべ、インキュバスのすべてが「人型の美男子」ではない」 となってしまう。 サキュバスだってすべてが美女ではない(らしい)のだから、どっちも同じということになってしまう。 これは「必ずしも」を使っても同じである。サキュバスだって「必ずしも」美女ではないのだから。 「必ずしも〜ない」と「すべてではない」の二重表現がここには存在すると思う。 「代用の糧である「夢」を求め、人間界にまでその食指を伸ばしはじめるが、十分な栄養にたる量を摂ることは時を追い、むずかしくなっていった」 『代用の糧である「夢」を求め、人間界にまでその魔手を伸ばしはじめるが、十分な量を摂取することは時を追うに従って、むずかしくなっていった』 「食指」は動かすもの。意味は「人差し指が動く。食欲を起こすこと。転じて、物を求める心が起こること」である。元は中国の故事である。 だから、「食指」という言葉を使うならば、「夢魔たちは人間の夢に食指を動かした」というようにすべき。 「十分な栄養にたる量」の「たる」は当然「足りる」ということだから、「十分足りる量」かいっそ「十分な栄養をとることは……」というように書く方が良い。 それから、モリガンはなんとゲームの取扱説明書にまでまちがいがあるのだ。 「どこからともなく響いてくる哀しげな呼び声が、彼女の胸に熱い飛沫となってほとばしる」 普通、飛沫がほとばしるとはいわない。 「飛沫」とは、「飛び散る泡」。「しぶき」、「とばしり」である。 「ほとばしる」とは、「勢いよく飛び散る」こと、または「とばしる」ことである。 辞書のままかくと「とばしりとなってとばしった」か「飛び散る泡となっていきおいよく飛び散った」となる。 やはりこの表現も重言だ。 ほとばしるという言葉は例えばこういう風に使う。「栓を抜かれたシャンパンがほとばしった」 強引に飛沫と一緒に使うとしても、 「その先端からほとばしった白い液体は、熱い飛沫となって彼女の胸を濡らした」 という感じになるのではないか。(この例文の意味はヒミツ) 「哀しげな呼び声」がどうして「飛び散る泡」になるんだという疑問もある。 それともこれは、「哀しげな呼び声」それ自体ではなく、それによってひきおこされる感情のことなのだろうか。 「どこからともなく響いてくる哀しげな呼び声が、彼女の胸の内側に熱い想いをほとばしらせる」 というのが、「実はそう書きたかった文章」なのかもしれない。 ともかく、13万枚以上売り上げたゲームの取扱説明書がこれではあんまりだという気がするのだが。 ガロン これも取説から。 「満月の夜、ガロンは己の内部に狂暴な獣の姿を感じ、戦慄する」 『満月の夜、ガロンは己の内部に狂暴な獣の心を感じて、戦慄する』 姿を感じるというのも、なんかねえ。 ザベル 「ザベル=ザロックの名は広くオーストラリアに広まり、」 広く広まるではもはやギャグだ。 『広く知れわたり』などとすべし。 「彼の壮絶な最後は今でも語り種となっている」 人が死ぬときは「最期」だ。 「どの犠牲者もこのうえない至福の表情でこときれていたという」 「至福」とは「このうえない幸福」のことである。重言だ。 ビシャモン 「肉に吸いつくような錯覚から、魔性の刀と恐れられ、所有者は一日ひとりはあやめないと刀の呪いで狂い死にするという言い伝えを残す」 『肉に吸いつくような錯覚がすることから、魔性の刀と恐れられ、所有者は一日ひとりはあやめないと刀の呪いで狂い死にすると言い伝えられている』 「戦国の世が明け、ひとまず戦乱の時代が終わると、刀の行方は忽然と消える」 「刀の行方は知れなくなった」というのでよい。文の前半は二重表現ぎみ。 このほかにも、細かなミス、あやしい表現、わかり辛い表現などは色々あるのだが、さすがに全部つっつく気にもなれなかったので、一部を紹介した。ヒマとセイヴァーの攻略本がある人は自分で探してみよう。 |
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