「太陽光と人目を避けるため、デミトリは残った力をふりしぼり、偏光フィールド(薄い魔力の膜)で城を覆った」
「本来の力を8割がた取りもどすころになると、魔力による偏光フィールド(オーラ)を身にまとうことが可能になる。太陽光をも一時的にさえぎる強力なものだ」
広辞苑で引くと「偏光」「フィールド」とはそれぞれこう出ている。
- [偏光]一定の方向にだけ振動する光波、すなわち直線偏光(平面偏光)。
- [フィールド](1)野原。田野。(中略) (4)[理]場、重力場・電場(電界)・磁場(磁界)などのこと。
このようにフィールドという言葉の意味は、本来「場所」という意味で、「膜」とかにはふさわしくない言葉なのだ。
(エヴァの「ATフィールド」を見て、誤解したのか?)
科学の世界で電磁フィールドと言えば、それは磁力の働いている「空間」を指し示す。例えばある電磁石の周囲の空間を指す。
極の違う磁石を磁界の表面に近づけると反発する。
では、磁石が反発するのは表面だけか。
答えはノーだ。
もっと磁石をフィールドの奥へと持って行けばさらに斥力(反発する力)は強くなる。
城が「何とかフィールド」によって覆われているということは、デミトリの城全体が何らかの力の働く空間の中に位置しているということである。
当然表面だけでなく、奥の方にもあらゆる光を曲げたり吸収したり反射させたりする何らかの力が働いている。
ならば、外から城が見えないだけでなく、城の中でも、まともにものは見えない。
吸血鬼とはいえ、匂いと手探りのみで生活するというのは、辛いのではなかろうか。
なお、原文の記述の場合デミトリ自身が「フィールド発生装置」らしいが、そうなると彼の留守中の城の安否が気遣われる。(丸見えなの?)
ということで、筆者はこの「フィールド」は誤用であるとし、「フィルター」(光の一部を吸収または透過するための特殊なガラス板)「フィルム」(皮膜・薄膜)等という言葉に以後置き換えて記述する。
それでは「偏光」について。
この物理現象についての解説は、ややこしいので下のリンク集を参考にして欲しい。
ここでは、「どう見えるか」を中心に話を進めていこう。
筆者の手元には、今2枚の偏光フィルムがある。
(東急ハンズで1枚140円の品)
では、一枚の偏光板を通して世界を見た場合どう見えるかというと、実はただのガラス板を通した時とさほど変わらない。(少し薄暗いが)
(「偏光サングラス」をかけたときも、当然同じなので、かけたことのある人にはわかるだろう)
最初から偏光を発しているようなものがその場にない限り、色の点でも形の点でも明るさの点でも特殊な見え方などしないのだ。
自然界で「偏光」といえば透明なものの表面の反射光である。
例えば、水面、雪の表面など。
つややかな木の葉も、キューティクルな髪の毛も、その輝きは偏光である。(ミクロの視点で見ると細胞は案外と透明度が高い)
人工物で言えば、ガラスやプラスチック、ラップの反射光などだ。
あと、「液晶画面」も偏光を発しているが、これは当の「偏光フィルター」が液晶の前後に挟まれているからである。
つまり、偏光フィルター一枚向こうの世界とは、キラキラ、チラチラの少ない、目に優しい世界である。
偏光サングラスは、そういう理由で釣り師やスノーボーダー、ドライバーなどに愛用されている。
だから、偏光フィルターで城をおおっても、外からガラス窓の中がのぞきやすくなるだけだ。
逆効果もいいところである。
なお、実は「偏光」は他の技術と組み合わせると、最先端の幻影技術足り得る。
立体映像も、液晶表示画面も「偏光」現象を応用して作られている。
ディズニーランドの立体映画の眼鏡と、ゲームボーイの液晶画面の液晶の前後のフィルムは偏光フィルムだ。
これなら、ある城を隠して森の幻影を見せたりできるかというと、重大な問題がある。
立体映像の場合、どうしても「眼鏡」という形で、人に偏光フィルムを着用してもらわねばならない。
森にくる人ごとに、コウモリがこっそり眼鏡をかけさせてる・・とか?
液晶表示の場合、二枚の偏光フィルターの間に液晶と電極をはさめばよい。「巨大壁掛けテレビ」で城をおおうようなものだが、遠目なら何とかなる。
(すでにSFだな、これは)
ただ、近寄ればばればれだし、後ろに鏡かライトがないと、後ろが透けて城が見える。
なお、この方法だと城はともかく、デミトリ本人は隠せない。
人間の表面を切れ目なく覆う液晶画面・・・少なくとも、それは格闘に向く格好ではないだろう。
それでは、この場合の「偏光」が用語のミスであるとして、分析を続けよう。
再度、設定を引用する。
「太陽光と人目を避けるため、デミトリは残った力をふりしぼり、偏光フィールド(薄い魔力の膜)で城を覆った」
「本来の力を8割がた取りもどすころになると、魔力による偏光フィールド(オーラ)を身にまとうことが可能になる。太陽光をも一時的にさえぎる強力なものだ」
デミトリの城の魔力の膜というのは人の目から城を隠し、また太陽光を遮るものである。
しかし、城が人の目に見えないのだとすると、同じ膜に包まれたデミトリも見えないことになる。
もし、デミトリが見えるのだとすると、城も人の目には見えることになる。
これは科学以前の論理の問題だが、これはどういうことなのだろう。
この点に関しては何の理屈もついていない。
大体、膜が太陽光を遮るだけのものなら、その膜の中のデミトリは何の光も当たらないのだから真っ黒な物体として人の目にうつるはずだ。
どうしてそうならないのか。実は彼自身が発光しているのか?
「偏光」という文字の感じから、「光を曲げるフィールド」という意味かもしれないという推察も出来る。
だが、物理学の世界で文字通りに光を曲げようとすると、重力場が必要になる。
デミトリの城の中心にはブラックホールでもあるのだろうか。(そら、すごいわ)
光ファイバーなどで光が曲がるのは、光ファイバーの内側が無数の鏡になっているからで、光そのものは反射を繰り返しながら直進している。
これと同じようにデミトリの城の周りが鏡になっているのなら、当然外の風景がそのまま映る。
確かにこういうことなら、薄暗い森の中で遠くから見られた場合に城の存在がごまかせそうだが、近寄られるとばればれな気がする。
また、光を光学的な意味で「屈折」させるフィールドであるとするとそれはプリズムと同じで、デミトリの城は虹色に輝いてしまう。
あるいはレンズと同じ性質を持つということになり、デミトリの城は拡大・縮小されて見えるだろう。
ちなみにこの「光を偏らせる」の意味を光の波長(色)を偏らせる(揃える)と解釈するとただの色ガラスという気もする。
ということで、「偏光」という言葉を捨てて、デミトリの城の膜(カーテン)が光をすべて遮断するカーテンだとしよう。
その「遮光カーテン」に囲まれたものはどう見えるか。
「カーテン」に何も色がついていない場合は、光の遮り方が反射タイプか、吸収タイプかによってわかれる。
反射タイプなら基本的に白く光るし、吸収なら真っ黒である。
「カーテン」自体の外側に物理的なカーテンのごとく紫だのピンクだのの色がついていれば、その色だけが見える。中身の城は見えない。
また「遮光」の場合、中からも外は見えない。
というわけで、「偏光フィールド」を「物体としては存在しない特殊なスクリーン」としてデミトリの城についての説明を書き換えよう。
太陽光を通さず、人の手で触れることの出来ない「遮光スクリーン」に、森の風景が幻影として投影されているため、外から城は見えず、ただ森が続いているように見える。そしてこの「遮光スクリーン」の内側にいる城の住人たちからは、外は漆黒の闇である。
デミトリ自身もこれをまとっているため、他者が見ているデミトリの姿というのは実はこの「遮光スクリーン」に投影された幻影である。
また、デミトリのオーラのみ、城のスクリーンとは性質が違うという仮説を立てた場合こうなる。
デミトリのオーラが赤(緑・青・紫……)なのは、太陽光線に含まれる彼の肉体に有害な光の波長が赤なので、それだけを反射しているからそう見えるのである。
(この場合、特定の波長の光だけを反射する膜ということになる)
ここの設定の間違いは物理学用語の誤用にすべてを発すると言える。だから最初からこう書いておけば良かったのである。
「太陽光と人目を避けるため、デミトリは残った力をふりしぼり、薄い魔力の膜で城を覆った」
「本来の力を8割がた取りもどすころになると、魔力によるオーラを身にまとうことが可能になる。太陽光をも一時的にさえぎる強力なものだ」
これで日本語がおかしいところはない。下手な飾りをつけないのが一番だ。
偏光について勉強したい人のためのリンク
Sharp
の液晶の世界
デジタルカメラ研究マガジンのPL(偏光)フィルタを使う
岡山大学 理学部 磁性物理学研究室の光と偏光
檀上慎二のホームページの偏光板
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