世紀の水中脱出劇
「本当にウチはこれで救われるんですね」

流祐希(ながれ・ゆき)は話を持ちかけてきた、TVプロデューサーの顔をじっと見返した。

「もちろんです。番組が成功すれば今ご提示した金額はギャラとしてお支払いいたします。いえ、視聴率次第では更にプラスアルファもありえますよ。そうすれば、この『流・大奇術団』も、経営危機から脱することが出来るのではありませんか? 」
「それは、そうなんですが、こんな水中脱出劇はどうも...」
「なーに、流さんなら大丈夫ですよ。絶体絶命の危機から、鮮やかに脱出する美人奇術師。実に絵になる光景ですよ。視聴者も興奮間違いありませんし、スポンサーに対して我我も御の字です」

祐希はしなやかに伸びた指先をぐっと握り締め、この話に乗るべきかどうか煩悶する。
もちろんその答えは既に出ているはずだ。
父から受け継いだこの名門奇術団を自分の代でつぶすわけにはいかない...
しかし折りからの不況で興行収入がめっきり減ってしまい、団員の給料も満足に払えないほどに資金繰りに行き詰まっていたのだ。
そこへ降ってわいたようにTV出演の話が持ちこまれてきたのだ。しかもかつてないほどの出演料で。正直に言って喉から手が出るほどとりたい契約だった。
しかし、その内容に腑に落ちない点が多いのだ。
身体を拘束した上で、箱に閉じ込め、水中に沈められての決死の脱出。
ここまではいい。
しかし絶体絶命を演出するとかで、拘束具の量を増やし脱出の困難さをアピールするというのはどうも...視聴者受けならば、そうじゃなくて派手な舞台設定にしたほうがいいのではないだろうか?しかも具体的な手順やプランは当日まで明かされないというのは、どうしても解せないのである。

「あの、どういう段取りでやるのかだけでも話してもらえませんでしょうか? 」
「ええ、それは先ほどから申しますとおり、収録日までのお楽しみということで...実際そのほうが緊張感が漂い、いい絵が取れるんですよ。 」
「はあ。ですが...」

ここで一反間を取るとやや強めの口調で切り出した。

「それに祐希さん、S銀行の手形の期日はあさってでは無かった出しょうか? こちらはギャラの一部を前払いしても構わないといっているんですよ 」
「ど、どうしてそれをご存知なんですか...」
「ふふふ、私もプロデューサーとしてのし上がっていくために、色々な情報網を持っていますからね。まあ、他に金策でもあれば別なんですが、我々もあなたを助けたいんです。かつて『奇術界の舞姫』として一世を風靡したあなたがこのまま消えていくのは我慢ならないのです 」

飴とムチを使い分けるその手管はたいしたものだ。

「わかりました。一晩考えさせてください」

祐希はそう答えるのが精一杯だった。



流宅を後にしたプロデューサーと助手。
先ほどまでのにこやかな笑みは完全に影を潜め、どす黒い笑いが満面に浮かんでいた。

「考えさせてくださいと言わせれば、こっちのもんだな。あの女は必ずこの話に乗ってくるよ」
「でも彼女も考えようによっては可哀想ですなあ。だいたいあの奇術団をここまで追い込んだのはウチの組織でしょう。各方面に圧力かけて。それで兵糧責めにしておいて干上がりそうなところでヌケヌケと『助けてあげよう』なんて提案して...」
「そういう君もうれしそうじゃないか。くくく...ところでプランはもう出来あがっているんだろうな」
「ええ、こういうふうに....これでは幾ら彼女が天才的な奇術師だとしても絶対に脱出不可能ですよ」
「ふむ、そうだな。脱出にあっさり成功してめでたしめでたしでは視聴者も満足できないよ。テレビには常に刺激が必要だ。何が起きるか分からないというね」
「シナリオは、『かつての美人奇術師、金策にいきづまり無謀すぎる脱出劇に挑戦するが失敗』ですね。まあ、用意は万全ですよ」
「ギャラの残りは、生きて脱出できたた払ってやろう。まあ、ありえないがな」

 

2人で笑いながら駅に向かって歩んでいく。
祐希がこの男達の所属する「暗黒放送」というTV局の実態を少しでも知ってれば、考えも変わっただろうが今となっては遅かった。



そして放送当日。

やはり、来てしまった...
後悔の念が祐希の脳裏をよぎる。しかしそんな心とは裏腹に、特別念入りに施された化粧と見事な舞台衣装は輝かしいばかりの美貌をひときわ際立たせる。もともと大柄なほうだが、それが足もとのハイヒールで更に強調されている。手折れんばかりの足首から太股にかけてをぴっちし包む網タイツが悩ましい。大人のボリュームあふれる腰まわりの上にはキュッとしたくびれがあり、さらにその上には豊満な双乳が見事に自己主張しているのだ。

美しい、美しいよ...くくく...それでこそ壊しがいがあるというものだ...
冷徹に見据えるプロデューサーは、楽しくてしょうがない。

「では視聴者の皆様、『絶体絶命!流祐希・世紀の水中大脱出!』をこれからお送りします。ではここで挑戦する大奇術師の流祐希さんに今の感想を聞いてみたいと思います」

司会がマイクを差し出してくる。あまり答えたくない気分だったが、これでは仕方が無い。

「はい、実は私もまだ具体的な内容を聞いてませんので不安が無いといったら嘘になりますが、でもどんな障害があろうとも必ず脱出してみせます! 」

一応テレビ向けな解答をしておく。

「ありがとうございます。ではここで概略を説明しておきましょう。流さんには二重三重の拘束が施され、箱の中に入ってもらいます。その箱が水深5メートルのプールに沈められるのです。しかもこのプールには恐ろしい仕掛けがありまして、箱が水底についてから2分後に大量のセメントの粉が流しこまれるのです。特別製のこのセメント、約3分で固まってしまいますので、流さんに与えられる脱出までの時間の余裕はは多くても5分しかないのです。 」

おおーっと観客からどよめきが起こる。

「では視聴者も待ちくたびれていることでしょうし、スタンバイに入ってもらいましょう!」

それと共にまわりから、数人の男がなにやら道具を持ってあらわれる。
拘束するための道具かしら...それにしても大げさだわ...
急速に不安が首を持ち上げてくる。

「それではまず祐希さんの指の自由を完全に奪っていきましょう! 指での細かい作業が拘束を解くのにもっとも重要です。それを封じられるという逆境にどう祐希さんが立ち向かっていくのか...これは見物ですね」
「え?ちょっと待って...そんな...」

最後まで言う暇も与えられずに作業は開始される。まわりから群がるスタッフは祐希の指の1本1本に鉄製のキャップをはめていく。これはちょうどそれぞれの指を覆うくらいの大きさで、はめられると指の関節を曲げることが全くできなくなるのだ。しかも鍵をかけた後、ご丁寧なことに鍵穴にハンダを流しこんで塞いでしまう。
それから、スタッフは祐希の指を一まとめにして手首のところまでガムテープでグルグル巻きし始める。二重三重どころではない。これでもか、これでもか!と悪意が感じとれるくらい執拗にダンゴ状に膨れ上がるまで巻き上げていくのだ。
そしてさらに厚手のゴムで出来た袋をスッポリと手首の先にかぶせてしまう。しかもこの中にはたっぷりと接着剤が流しこまれているのだ。それはたちまち効果を発揮し祐希の手を固定し始める。手首の所で袋の口を縛り上げたところでスタッフは一息ついた。

「いやあ、祐希さん、手がまるでドラえもんのようになってしまいましたね。本当にこれで大丈夫なんでしょうか?」
「そ、それは...」

指先の感覚がまるでない。そこから先が無くなってしまったかのようだ。
しかし公衆の面前で、あまり情けない事も言えない。

「なんとかやってみます....」
「そうですか!ではドンドン続けていきましょう!」

今度は祐希の腕の自由を奪うつもりのようだ。
手首に金属製の手錠をガチャリとかける。その冷たい感触。
更には肘のところにも金具を取り付け、関節の自由を奪う。そうしておいて両方の金具を連結させるのだ。祐希はたちまち両腕を後ろにそらして固定された苦しい姿勢を強いられることになる。
そこをSM雑誌で良く見るような両腕を一括りにして入れるレザー製の拘束具ですっぽり覆われ、肩口で縛り合わされるのだ。これでは袋の中で如何に手を動かしたところで、この拘束具を解かない限り自由にはならないわけだ。かといって袋の中の手が自由になるかといえば、そうでもなく、ダンゴ状態の手先はビクともしない。

祐希の額に次第に脂汗が浮かんでくる。
これをどうやって抜けろと言うの....

「かなり拘束されてきましたねえ。でもこの流さんは『奇跡を呼ぶ女』ですから、これくらいはまだまだどうって事はありませんね。ではその次に....」

今度は祐希を側にあるベットに横たえる。
一体何をしようというの...?

そこでスタッフが取り出したのは鎖だった。
何十本もあるそれが、祐希の身体に巻きつけられていくのだ。
通常はこのような「鎖抜け」には錠前を外す時間を含めて1本について約1分かかる。
既に10本は付けられているだろうか...それだけでも単純に見積もって10分はかかる計算になる。
これではまるで時間が足りない!
しかも身体に張りつけるかのように鎖を締め上げてくるのだ。
ギシギシと身体が悲鳴を上げる。
身動き一つ出来ない!

仕方なしに側にいるスタッフに小声でその旨を告げる。
するとどうしたことか、急に声をあげる

「流さんはこれくらいでは大脱出にはもの足りないらしいよ。もっと縛りあげて欲しいみたい」

それを聞いたまわりのスタッフも、残酷な笑いを浮かべ、そーか、そーかと言いながら新たな鎖を手にするのだ。
たちまち祐希の身体に巻きつく鎖の数は20本を軽く数えるようになり、それぞれにこれ見よがしに大型の錠前がとりつけられてしまった。

ここに到って祐希は普通でないものを感じ始めた。
辺りを覆う空気。まるで私が失敗するのを待ち望んでいるかのような...
脱出からの失敗...それは死!!!
冗談じゃないわ!

「ちょっと、私、やっぱり、うぐぅ!!!」

ショーの中止を呼びかけようとする言葉は、素早く口にはめ込まれたボールギャグによって封じ込められた。

「流さん、本番中ですから私語は謹んでください。脱出劇を控えて興奮するのは分かりますけどね」

先ほどのスタッフが顔を寄せて忠告する。しかしその眼はまるで般若のように不気味な色をたたえている。

「うぐっ!うー、うー、くふぅー!!!!!!」

すかさず司会者がフォローに回る。

「おや?流さんは口の自由まで奪われたんですか? ははは、視聴者の皆さんご心配なく。脱出中は力を入れた時に舌を噛む恐れがありますので、これはその予防に流さんの要請で、していることです」
「むー!!!ふぐぅー!!!」
「では、いよいよ大詰めですね。麻袋に身体をすっぽり入れられてから、箱に封印されますよ! いやー、興奮しますねぇ」

プロデューサーはその時確かに見た。
数人の男に持ち上げられて無理矢理麻袋に詰められようとしたときの祐希の泣き濡れた顔を。
いや、ただ泣いていたわけではない。
その顔は、恐怖に歪んでいた。
来るべき絶対的かつ根源的な恐怖。
死の恐怖に....
先ほどまでの凛とした美貌が欠片も残らないほどに。
くふふ、ふはは、ひひひ...
楽しいぞ、いや、楽しい、ふふふ....
一人傍らで笑い転げるのを止められなかった。

祐希は既に大き目の麻袋に全身を押し込められ、その入り口を厳重に縛り上げられてしまう。
更に、袋の上からも身体を雁字搦めに荒縄で締め上げられ、頑丈に結び付けられる
床に無造作に転がされた汚らしい麻袋。
これがかつて美貌で知られた奇術師のなれの果てとは誰が想像できるであろうか。
時折、ひくつくのが精一杯の抵抗なのだろう。
うめくような声が聞こえる気もするが判別は不可能である。

 


「では、大脱出劇もいよいよクライマックスです。流さんには箱に入ってもらいます。さて、何分でここから脱出できるのでしょうか? 楽しみですね」

木製の箱にゴロンと投げ込まれ、その上から蓋をされる。そこに何本もの5寸釘が打ちこまれていくのだ。

まるで棺おけだな。
プロデューサーは、他人事のようにつぶやく。
自分が指示しているにも関わらず....

「この木箱には上部に空気口が開いているんですが、これが逆に流さんを苦しめることになるんです。プールに沈められた途端に、ここから内部に水が流れ込み、1分を待たずに箱の中が水で満たされます。つまりそれからは呼吸も満足にできずに脱出を試みなければならないというわけですねぇ」


やがて箱がクレーンで吊り上げられ、プールの中に沈められる。
ゆっくりと揺らめきながら、水底に落ちていく木箱。
そのなかで祐希が、どうもがき苦しんでいるのか...
想像するだけでも股間が熱くなってくる。


「おおっと、1分が経過しました。そろそろ水が充満し息が出来なくなるころです。見たところ箱に変化はありませんが、流さん、大丈夫でしょうか? 」

時は刻々と過ぎ去り、2分が経った。

「ここで、コンクリートの注入開始です。一体流さんは無事なのでしょうか? まだ動く気配はありません! 」

全てを埋め尽くすかのように、白い粉が降っていく。
最後に唯一残された退路は今まさに閉ざされようとしている。

 

#挿絵はDogsさんの提供です!

終わり


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